第38話 女心と草原の空

 アヴェラは麓と呼ぶには少々大袈裟な丘陵の縁に沿って歩いて行く。

 ヤトノが一緒なのだが、妙に物足りなく寂しい気がする。つまり、それだけノエルとイクシマが一緒でいる事に馴染んだという事なのだろう。

「ふむ、向こうは戦闘が終わったようですね」

「そのようだな。どうなるか分からない、注意して進むか」

 戦闘直後というものは戦闘中よりむしろ気が昂ぶっている。中には高揚した気分のまま、面白半分に他の冒険者を攻撃してしまう者もいると聞く。どこの世界にも後先考えない者や、普通とかけ離れた思考の持ち主は存在するという事だ。

「剣は……一応構えておくか」

 のこのこ無防備に出て行くほど馬鹿ではないが、さりとて相手を刺激する事はしたくない。その折衷案として、ヤスツナソードの切っ先を下げ身体の力を抜き堂々と歩いて行く事にした。

 だが、そんなアヴェラの心配は杞憂であった。

「よーっ! 相棒じゃないか」

 相手はアヴェラに気付くなり手を挙げる。検定試験で臨時パーティを組んだ、あのウィルオスであった。

 あれ以来ときどき言葉を交わすなど、多少の交流を持っている相手だ。互いに気さくい間のため、アヴェラはヤスツナソードを鞘に収め警戒を解いた。

「なんだウィルオスだったのか」

「もしかして一人なんか? 前に一緒だった女の子はどうしたん?」

「向こうで休憩中。なお、女の子は二人になった」

「ちっくしょおおっ! 羨ましいなぁ、おい」

 ウィルオスは叫んで悔しがった。

 見ればパーティは男だけの構成で、一人はレンジャーらしく軽装で鉈のような武器を装備し、もう一人は簡易杖を持ち間違いなくマジックユーザだ。

 それぞれ、ジャックとランタと紹介された。軽く頭を下げ挨拶すれば、頷くようにして挨拶を返してくる。人の良さそうな穏やかな二人だ。

「で、女の子を置いて一人でどうしたん?」

「近くで戦闘音が聞こえたからな、とりあえず挨拶ぐらいしておこうと思ったんだ。とりあえず、うちのパーティはこちらに近づく意志はないし、獲物の横取りや邪魔をする気はない」

「んー、こっちも同じ。そっちの方には近づかないようにしとくぜ」

「今後も似たような場所で活動すると思うが……もしモンスターが重なった場合は、先に手を付けた方が素材を取る事でいいかな。もちろん状況に応じて話し合いもするけど」

「それよか被ったら協力し合うぐらいでいいじゃん。あと困ってたら直ぐ助けに入るって事で。お互いに同じフィールドに居るんだ、助け合おうぜ」

 ウィルオスは気さくな様子で笑って、あっさりと決めてくれた。ここまで言える者は少なく、間違いなく良い奴だと改めて思える。


 寛いでいたノエルは、戻ってくるアヴェラに気付くと身軽に飛び起き駆け寄って出迎えた。浅葱色した瞳を輝かせ、嬉しそうな笑顔だ。

「おっかえり! ちょっと遅かったからさ、心配してたんだから」

「心配させたか、それは悪かった」

 アヴェラは頭に手をやった。

「向こうは全く問題ない、知り合いだったからな。ウィルオスって奴だよ」

「んー……それってさ、初めて草原に来て会った人?」

「覚えていたか。そうだ、それで向こうの戦闘を少し見せて貰ってた」

「へえっ、どんな感じだったの?」

 訪ねられたアヴェラはノエルに促され地面に座り込めば、イクシマが軽く投げて寄越した水袋を受け取った。それを口に付けるのだが、間接キスが破廉恥とは騒がれなくなっている。

「普通に魔法を使ってたな。ファイアアローで手傷を負わせて、動きが鈍ったところを残りで叩くみたいなやり方なんだ。確かにあれは効率がいいな」

「そっか、魔法なんだ。魔法かぁ、魔法いいよね」

「初級なら結構簡単に覚えられるらしいな」

「でもさ、受講料が高いのが問題だよね。そうだ、あのドラゴンさんの涙の珠を売ったら少しはお金になるかな?」

「どうかな……でも売らない方がいい気がするな」

「確かに、そうだよね。あれは皆の記念なんだしさ。大事にせねば、うん」

 その時、横で存在を知らせるような咳払いが聞こえた。

 イクシマが口元に拳をあて、何やら気付いて欲しそうに咳払いをしている。

「どうした、むせたか?」

「違ーうっ! お主、なんぞ忘れておらんか? 前に我が言うたではないか、魔法を教えてやると。いつ言われるかと待っておったのじゃぞ」

「そんな事を言ったか……ああ、そうだったな。言ってたな。忘れてた」

「なっ! 忘れておったじゃと!?」

 イクシマは目を見張っている。その様子は何かおかしいが、しかしアヴェラは気付かない。軽く苦笑しつつ頭をかいてみせた。

「悪い悪い、いろいろあっただろ。だからすっかり忘れてた」

「我は、我は……」

 下を向き声をつまらせたかと思うと、いきなり涙目になった。

「あの時の事は全部覚えておるのに! お主の言った一言一句まで全部! すっごい大事な思い出にしておるのにっ!! 忘れるでないぞと言うたのに! それなのに! それなのに……忘れてた……じゃと……ううううっ」

 イクシマは鼻をすすったかと思うと地面に突っ伏した。そして両手で顔を覆い静かにむせび泣きしだした。時折、息を強く吸い込むような音をさせ、肩を震わせている。

 これは予想外の反応であった。

「なんだ、ちょっと待てくれ。今のどこが悪かったんだ? 泣くほどの事か!?」

「うっ、うっ……うおおおおんっ……」

 それで余計に強く泣きだしてしまった。

 ノエルは大人しく横で聞いていたのだが、そっと優しくイクシマの背を撫でたかと思えば、苦い顔で批難の眼差しでアヴェラを見やる。

「アヴェラ君。どんな話をしたか分かんないけどさ、そういうの忘れるって。私は酷いって思うんだけどな」

「もうしわありませんが御兄様、わたくしも同感ですよ。これについては流石のヤトノもフォローできませんし、する気もありません」

 責められるアヴェラは困り果てた。

 本当に自分の何が悪いのか分からないためだ。

 平原でトラブル最中のパーティー。ヒースヒェンが周り集まり、遠巻きにして不思議そうに眺めている。しかし今はモンスター退治より泣いたイクシマをどう宥めるかが問題であった。


◆◆◆


「むう、このスイーツは最っ高よのう」

 イクシマは蕩けそうな顔で焼きリンゴを頬張る。サクッとしてジュワッとしてリンゴの食感を残しつつ、甘酸っぱさのある極上の幸せに浸っていた。

「そうだよね。この店の焼きリンゴは今すっごい話題で評判なんだってさ。お友達のニーソちゃんに教わったの」

「ふむ、これは美味。ニーソめもなかなか気が利きます」

 ヤトノは上品に頂くと頬を押さえ、うっとりとした。

「今度はニーソちゃんも誘わないとだよね。でもさ、時々こんな贅沢したいよね」

「ノエルよ、お主は良い事を言うのう。まさに、その通りじゃって。どれ、貢ぎ物を頂くとしようか」

 ドスッとフォークが焼きリンゴに突き立った。それはアヴェラの前にあったもので、そのままイクシマの前へと皿ごとずるずると持って行かれてしまう。行儀が悪いとか以前の問題だ。

 だが、ノエルもヤトノも、さも当然のように見ているだけだった。

「おい、何するんだ? まだ食べてないんだぞ」

「ふん! これでチャラにしてやるってんじゃ。ありがたく思っておけ」

「……機嫌を直したんじゃなかったのかよ」

 草原でイクシマが泣きだし、もはや探索どころではなくなって撤退。もちろん宥め慰めで機嫌を取らねばならず、それはモンスターと戦うより困難という事を学んだ。そしてノエルの提案でカフェテリアに来る事になって、そこで美味いと評判の焼きリンゴを注文。いざ食べようとしたところをイクシマに略奪されたのだった。

「うむうむ、人から奪ったもんは、やはり美味いのう」

 自分が食べるはずだったものを、美味そうにハグハグされるのを見るのは虚しいもので。アヴェラは頬杖を突きながら店内に視線を向けた。

 眩い黄金色の壁には絵画が飾られ、それは天井にまで及び前世であれば美術館のような内装だ。大理石のテーブルに真紅のベルベットソファと豪華な調度品で、訪れている客もやや上流階級と思われる色鮮やかに着飾った子女ばかり。皆が優雅に上品にお茶などしていた。

 地味な色合いの格好をしているのはアヴェラたちぐらいのものだろう。

 しかし少女三人が華やかなため見苦しさは少しも無い。

 ノエルは母親が貴族に仕えた者であるし、イクシマはエルフ氏族の三の姫。ヤトノは何でもできるとあって、それぞれこの空間で浮いてしまわない所作で食事中だ。

「うん?」

 つんつんと突かれテーブルに視線を戻すと、ちょっとだけ顔を赤らめたイクシマが気恥ずかしそうに目を逸らしつつ皿を指し示しているではないか。そして、そこには略奪された焼きリンゴが僅かに残っていた。

「ほれ、少しは恵んでやるのじゃって。我は優しいのでな、うむ。お主もちっとは食べるが良い。美味いぞ」

「人から奪ったあげく、殆ど残ってないのを寄越して何を偉そうに。これだからコレジャナイエルフって奴は……」

「それまた言いおった! お主なー! コレジャナイエルフってなんじゃ!?」

「全部だ全部、こんな食い意地の張ったエルフとか普通ないだろ」

「お主、失礼じゃーっ! もはや許さぬ手打ちにいたす!!」

 咆えるイクシマをノエルとヤトノが宥めるものの、給仕の男によってやんわり注意され一行はカフェテリアを追い出された。つまり上流階級のお客様が訪れる店には相応しくない客と判断されてしまったようだ。

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