第36話 聖堂という場所

 世界に影響を与える数多の神々を祀り、人々が祈りを捧げる場所を聖堂と呼ぶ。そうした場を提供し維持するのが教会という組織で、構成員は聖職者。

 聖堂の入り口で人々は幾許かの布施を払い、整理券を受け取るとレーンに並び、祭壇に進み一人ずつ祈りを捧げる。気紛れな神から神対応――たとえば一時的な加護増強や、軽い啓示での声かけ――を受ける事もあり、そこは神と人の繋がりのある場所だ。

 よって、どこの都市にある聖堂も常に混み合い熱気に満ち、聖職者たちは多忙だ。特にここ探索都市アルストルの場合は、加護を求める冒険者が押し寄せるため、とりわけ混み合う。

 そんなアルストルの聖堂で聖職者を采配するのは、うら若きフィリアという女性であった。若くして侍祭に抜擢されるほど優秀な人物であるし、人の良い柔和な顔立ちと人当たり。そして何より聖職者にしては肉感的な体つきもあって、聖堂を訪れる皆からの人気は高い。

 実は彼女に会うため聖堂を訪れる者も多かったりする。

「押さないで下さい、順番に。一列で詰めてお願いします」

 聖職者は祭壇までのレーン整理や誘導、祭壇で長い祈りをする者の剥がしや出禁者確認。神対応に舞い上がる者の対応や、塩対応を受け落ち込む者を宥め連れ出すなど忙しい。

 フィリアは全体を見ながら指示を飛ばす。

「一番レーンの進行が遅れ気味です、騎士を近づけ圧をかけて。二番、三番は問題ありません油断せずお願いします。四番の今の人、ループが酷いからそろそろ警告を。五番レーンの鎧の人、なにか様子がおかしいです。直ぐに身体検査をお願いします」

 神聖と言うには少々熱気に満ち過ぎた聖堂、その秩序は彼女が維持している。

 そこに少年の神殿騎士が小走りで駆け寄った。

「フィリア侍祭、ちょっといいですか」

 鎧のサイズが微妙に合わず、まだ鎧に着られているような成り立ての年齢だ。憧れの女性を前に顔を上げられず、それでも一生懸命報告をする。

「えっと、すいません。変な人がいるんです」

「焦らなくても大丈夫ですよ。まずはブラックリスト入りかどうか、周りの先輩方に相談してみましょうね。大丈夫ですよ、そうやって少しずつ危ない人の顔を覚えていきましょう」

「あ、はい……でも、その人は司祭様に面会したいと言ってるんです」

「うーん、そちらですか。ですがアポ無しというのは難しいですから。残念ながら今日は会えないと伝えて帰って頂きましょう。これも経験ですから頑張ってみましょうね。でも大丈夫ですよ、他の騎士さんたちも気にしてくれてますから……あっ、ちょっと待って」

 フィリアは何かに気付いた様子で少年騎士を呼び止めた。

 彼女にしては珍しく口ごもるのだが、それは知りたくない現実をイヤイヤ確認するような様子だ。

「もしかして、もしかしてですけど。その変な人は他に何か言ってませんでしたか。たとえば……そう、名前がアヴェラだとか何とか。違いますよね、そんな事ありませんよね」

「いえ、その通りです。アヴェラという方です」


 少年は後々まで語る。

 その名を聞いたフィリア侍祭の変化は劇的であったと。冷や汗を流し手で口を押さえ後退る様子は、まるで恐ろしい言葉を投げかけられたかのようだったと。

「その変な人は、今どこに?」

「あっ! 侍祭の後ろですよ、入ってきたらダメって言ったのに」

 その言葉にフィリアはぎこちなく振り向いた。

「どうもフィリアさん、変な人ですよ」

「出たぁっ!?」

 アヴェラの顔を見たフィリアは完全に恐慌状態となった。後退り少年騎士を抱き締めて縋るぐらいで、役得になった少年は天にも昇る心地の顔だ。

 何故フィリアがそこまで怯えるかと言えば、彼女の隠された肩書きとしてアルスト支部の厄神対策係というものがある。もちろん今の反応からして分かるように、本人の意に染まぬものである事ではあるのだが。

「その反応は酷いな。あのフィリアさんが、こんな失礼な態度をとるなんて……残念だ。昔なんて二人だけの秘密だよって、誰も居ない部屋で人に言えない事を教えてくれたのに」

 聖堂の中が静かになった。

 大勢の者が聞き耳を立てだす気配にフィリアは瞬時に顔を染めつつ、否定に必死だ。もちろん人に言えない事とは厄神に関する事なので嘘ではない。

 少年騎士は驚愕の面持ちをしつつ、もしかして自分もと淡い期待を抱いている。

「ちょっと変な事を言わないで下さいよう。酷いです!」

「酷いって言われましてもね。ところで、変な事ってなんですかね。具体的に教えて貰えますか」

「そーゆーとこです!」

「怒らないで下さいよ。つまりそう、これは小粋なジョークというものですので。とりあえず司祭様に会いたいですけど、いいですか」

 にっこり笑う要求にフィリアに嫌という選択肢はなかった。一刻も早く、この災厄の使者を別の場所に追いやりたかったのだ。


◆◆◆


「御兄様、流石ですね。今の弄り具合、最高に邪悪です」

 清貧をモットーとした静かな部屋にヤトノの声が響く。少女形態をとってアヴェラと並んで椅子に座っている。

「フィリアさんを見ていると、なんだかこう弄りたくなるんだ」

「分かります。あれだけ弄りがいのある人間はいませんよ。一種の才能ですよね」

「打てば響くし、打つ程に良くなっていく気がする」

「まさに逸材ですね。それで、どうしてここに来たのです? 先日からの件でしょうか?」

「もちろんそうだ」

 アヴェラは頷いた。検定試験でのオインク、初心冒険者講習での暗殺未遂。それら全ては厄神の加護持ちであるアヴェラを狙って引き起こされたものだ。

 その犯人がどこの誰かは不明なのだが、このアルストルにある教会支部は過去にアヴェラを狙った事実があった。もちろん当時の首謀者は一掃され、今では穏健派になってはいる。だが、それでも一部にはそうした勢力が残っているとアヴェラは睨んでいた。

 だからこそ、初心者講習が終わって都市に戻るなり聖堂を訪れたのだ。

「仲間も出来たし、一度は釘を刺しておかないと」

「なるほど、ですが少なくともここの司祭は御兄様の味方なのでは?」

「来たという事実が大事なんだ」

 呟くように言ったアヴェラは視線を転じ、開け放たれた扉の向こうから初老の禿げた男がセカセカ早足で部屋にやって来る様子を見やった。

 それは司祭のアンドンだが妙に顔色が悪い。

 アヴェラが厄神の加護を持つ事も、ヤトノという厄神の分霊の存在も承知しているがため、その存在の訪問に胃を痛くしているのだ。

「すいませんが、うちのフィリア嬢をあんまり苛めないで貰えます?」

「申し訳ありません、司祭様。以後留意致します」

「アヴェラ君は前もそう言ってましたね……」

 この司祭には、ため息が似合う。

 疲れきったうらぶれた雰囲気のある司祭だが、貴族や豪商など上流階級と対等に付き合える立場の地位だ。司祭となれば、その役得で懐を潤し優雅な暮らしを行う者も多いのだが、このアンドン司祭は別だ。

 何かと胃痛ネタで苦労ばかりしている。

 管轄内に史上初の厄神の加護持ちが誕生、それを排除しようとする過激派の暴走。激怒した警備隊と神殿騎士の抗争、修羅の如く暴れ回るエイフス夫人、破壊される聖堂。厄神の分霊の降臨、それが招いた数々のトラブル……。

 アンドン司祭が禿げたのは度重なるストレスが原因に違いないとアヴェラは信じている。昔はもっとふさふさだったのだ。


「司祭様は卒業検定でオインクが現れた件を聞いていますか?」

「……ええ。こちらでも調査中ですよ」

「では初心冒険者講習でアサシンが出た件も?」

「……速報を頂き鋭意調査中です」

「しかも教官の一人が敵で神官着でしたけど?」

「……過去に所属していた事は事実です」

「抑える事は難しいですか?」

「現状では」

「なるほど、そうですか」

 アヴェラは頷くが、その回答はヤトノのお気に召さなかった。明らかに不快そうに、軽く腕を組み片手を口元にやる。それだけでアンドン司祭の額に脂汗が浮かんでしまう。

「有り体に言って、誰がどう動いているかは不明なんです。恐らくですが、これまでの単体ではなく国と教会と都市の三組織に跨がった組織が構成されたと予想しています」

「なるほど、そうですか。よろしいでしょう、わたくしがそこに所属する人間を全て呪い殺せば解決できるのですね」

「そんな事をしたら世の中は大混乱です。無辜の民にどれだけ被害が出ることか」

「ふふふっ、でしたら誰も困らなくなるように疫病でも流行らせましょうか。それも、殆どの人間が死に絶えるようなとっておきを」

 それが冗談でないと知るアンドン司祭は震えあがった。

 かつて赤子のアヴェラが殺されかけた後に疫病が流行し、それはハポン王国の十人に一人を病に苦しめ、その半数を殺したのだ。自分の返答次第で国が滅び大勢の者が苦しみかねない状況。アンドン司祭の胃は究極のストレスに晒され、世界の皆が禿げてしまえと聖職者にあるまじき事を祈ってしまうまで苦悩している。

 だが、そこに助けの手が差し伸べられた。

 他ならぬ元凶のアヴェラからだ。

「とりあえず、ヤトノの言う事は冗談として」

「そんなっ! 酷いです御兄様、私は真剣なんですよ」

「目の前で死病が流行るとか勘弁して欲しいな。せめて語尾がニャンやワンになる病とか、気取った英雄っぽく痛い言動をする病とかはないのか?」

「あります」

 アンドン司祭に救いは無かった。

 語尾にニャンをつけ英雄ゴッコする自分の姿を思い浮かべ、ぞっとしている。

「待って下さい! 分かりました! 引き続きこれまで以上に全力で対策をしますから。変な疫病は止めて貰えますか、お願いしますよ……」

 これで目的を果たしたとアヴェラは軽く笑った。

 司祭と面会した事実と、その後の対策強化。これが正体不明の敵対者へと伝われば、多少なり牽制になるはずに違いないのだから。

 ハラハラ落ちるアンドン司祭の髪と引き替えに、とりあえずパーティの安全は確保出来たに違いない。

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