第35話 災厄との付き合い方
「なるほど。つまりドラゴンがドジでアヴェラが川に流され、ルチマ女史の正体はアサシンでドラゴンに踏まれ死んで皆は助かったと。なるほど……かつて聞いた事がないぐらい意味不明な話じゃないか。酔っ払ったヘボ吟遊詩人が謳うサーガ並に意味が分からんのだがね」
大きく息を吐くのはケイレブであった。
その仕草は心の底からのもので、胸中に溜まった理不尽に対する憤慨を全て吐き出そうとするかのようだった。ポカをやらかした部下の対応に疲れ切った中年男の趣が漂う。
なんにせよ疲れきった様子であるのは、この初心冒険者講習が始まってからケイレブたち教官は酷い目に遭っているのだ。
開催中に大雨が降ったのは構わない、それも冒険者としての試練の一つなのだから。だが、その直後からドラゴンが上空を縦横無尽に飛び回り、これによってパニックに陥った大量のモンスターがスタンピードを起こし大騒動。
フィールドを駆けずり回り興奮するモンスターの撃破、怯える新米冒険者の保護と捜索に奔走。気付けば同僚のルチマ女史が姿を消し、何かあったかと気を揉み捜索しているところでアヴェラたちに遭遇。
なぜか説明をかってでたヤトノから話しを聞いていたのだ。
「意味が分からん話を信じろというのかい?」
「おや、わたくしの言葉を疑うというのですか。呪いますよ」
「よしてくれ、今は何の呪い対策もしていない」
「どうせ意味ないでしょうに」
ヤトノはクスクスと笑う。
あどけなさが残る顔立ち、白く小さな連続リボンに飾られた長い黒髪。白いセーターの上に神官衣のような上着を重ね、足元は素足といった少女。だが、可愛い見た目に騙されてはいけない。正体は厄神の分霊で人間など歯牙にもかけない恐ろしい存在なのだ。
本来であれば忌避される類の存在だが、長年冒険者としてやって来たケイレブにとって災厄は馴染みの深い存在だった。故に他の者ほど忌避感はなく、だからこそ厄神の加護を得たアヴェラの担当を任されている。
「そこまで疑うわけではないが……しかし証拠がないのは困った事だよ。僕も上役に報告をあげねばならぬ立場なのだからね」
「ふむ、御兄様が懸念されておられた通りですね。ええ、ですから用意しておきましたよ。第三者とは言いきれませんが一部当事者として証言のできる者を」
「ほう、アサシンの生き残りでも捕まえたのか」
「いいえ、あの愚か者共は全て死んでおりますよ。わたくしの本体がたっぷりと可愛がっているところですので」
「ははぁ、連中は自業自得とはいえ気の毒に」
さして気の毒そうにでもなく笑いかけたケイレブだが、木立の向こうに目をやって眉をひそめた。その梢より高い位置に、のっそり動く何かの姿を見てしまったのだ。よく分からぬが葉擦れが響き、鳥が激しく飛び立つ。間違いなく何か居るが、かなり大きいのは間違いない。
ひょっこり出て来た顔と目が合ってしまう。
「あー、ところで蛇娘……」
「誰が蛇娘ですか、無礼ですよ」
「ああ、すまない。それで不承不承聞くのだがね……あそこにいるのは何かな? 僕の目にはドラゴンっぽい存在に見えるのだがね。もしかして、話に出たドラゴンなのではなかろうかと気になってしまうのだが」
「あのトカゲときたら、なんてドジで間抜けなのでしょう。しっかり隠れておくよう、あれだけ言い含めておいたと言うのに。ほら、参りなさい!」
苦い顔で振り向いたヤトノが木立に向け手を上げ――ケイレブは息を呑む。
「おい、おいっ、おいっ! おいぃっ!!」
木々を薙ぎ倒し突き進んでくる赤黒い巨体。衝角のような棘のある甲殻に、鋭い牙と爪。長い尾を揺らめかせ、一歩毎に地響きをさせながら突き進んでくる。
幾つかあった目撃情報から予想はしていたが、それはドラゴンの中でも最悪に分類されるカオスドラゴンで間違いない。しかもサイズから察するに、相当の年月を経た古竜だ。
下手に刺激すれば、この近辺を焦土に変えられる相手だ。
こんな生物の生息する場所で講習をするなど、愚の骨頂馬鹿の極みだろう。
「ここを選んだ馬鹿は誰だっ……ああ僕だった、くそっ!」
ケイレブは、心の中で知る限りの語彙と言語で自分を罵った。
これまでドラゴンを倒した事はあるが、それはここまで年を経た個体ではない。しかも手練れの仲間たちと共に最高装備と道具を揃え、自分たちに有利な地形で罠まで使っての事だ。
それに比べ、今は剣一本と丸裸のようなものではないか。
迫り来た相手を見上げるには、首が痛くなるほど傾けねばならない。青空を背景に、長い首を動かし顔を近づけてくるカオスドラゴンの眼差しは叡智に満ち、巨体には威容がある。
だから分からなかった――。
「どもどもども、お呼びにあずかり参上しやした」
それが誰の発した言葉なのか。
いやケイレブは本当は分かっていた。
だが、頭が理解する事を拒否している。むしろ信じたくない思いに近い。偉大なる強敵、強者の象徴、天空の覇者、動く伝説。そんな数々の異名を持つ存在が、こんな田舎のオッサンのような言葉を放つなど信じたくなくて当然だ。
なんだか無性に哀しくなるケイレブであった。
ヤトノは腕組みしながら巨体を睨み付ける。
「まったく、このトカゲは配慮というものがありませんね。折角、わたくしがこの男を驚かせてやろうと思ったものを。どうして合図するまで大人しく隠れていないのですか」
「ですが、ヤトノの姉御の合図を見逃すわけにもいきやせんので」
「お黙んなさい。そこを上手くやるのが、出来るドラゴンというものなんです」
「そんな無茶を仰る……」
もうケイレブは何とも言えない気分だ。
愛想笑いを浮かべ申し訳なさそうに頭を掻くカオスドラゴンの姿を、もはや現実として受け止めるしかない。たとえそれが、心の中にあった畏怖すべきドラゴン像の崩壊を意味するとしてもだ。
胸中を寂しさや詫びしさが去来する事は止められなかった。
「いや、充分に驚いたよ。なるほど一部当事者とは、そういう事か。つまり、そちらのドラゴン氏がルチマ女史を殺害したという事だね」
「そうでやすよ。メイスを持った人間の雌が、ヤトノの姉御んとこの旦那を殴り倒そうとしてやしたね。こりゃいけねえって、あっしはすかさず助けに入りやして。ええ、このあっしが助けに入らねば旦那の命はなかったのは間違いなく」
しきりに助けたアピールをしては、チラッチラッとヤトノを見やっている。
巨大なドラゴンは自分の指先ほどの、小さな少女を恐れきっているのだ。もちろん厄神の一部なので恐れる気持ちは分からないでもない。分からないでもないが、とっても情けない。
ケイレブは少し泣きたい気持ちだった。
「さて、この小賢しくも鬱陶しいトカゲの証言は以上です。まだ証言が必要でしたら、どこへなりとも出向かせますよ。さあ如何しましょうか?」
ヤトノはニヤニヤ笑っている。
もちろん、そんな事をすれば大パニックになる事を理解しているのだろう。
ケイレブは息を吐きつつ、平原へと視線を転じた。
そちらではアヴェラと二人の少女が集めたらしい素材を苦労しながら、しかし楽しげに運んでいる。少女の片方はあのイクシマで、随分と仲良さげで笑っているではないか。
少し意外だが、イクシマがパーティに上手く溶け込めた様子に安堵した。それだけが唯一の救いだ。
「いや必要ないよ、僕が何とかするよ……」
「それでは、よろしいですね。御兄様は少しも悪くない、むしろ暗殺者を入り込ませた都市側こそが悪いという事で」
「ああ、了解した。市長にもしっかり伝えておくよ」
ケイレブはこれからせねばならぬ苦労を思いやり深々と息を吐いた。遠く彼方を眺め――ただしドラゴンの巨体に邪魔されるが――既に今から疲れた気分だ。
「よろしいでしょう。ところで話は変わりますが、こうした講習は毎年やるものなのです?」
「それはもちろんだ。冒険者になりたがる愚か者は毎年いるからね」
ケイレブは相手の真意を掴みかね訝しがった。
それに対しヤトノは長い髪を揺らし軽く頷いてみせる。
「小生意気な新米冒険者を脅すエキストラに、ドラゴンなどは如何でしょうか」
「……なに?」
「丁度良いのがいますでしょう、ここに。今であれば、わたくしが仲介して差し上げてもよろしいですよ」
「いや確かに、それは嬉しいが……」
冒険者をやっていくのであれば、強大な存在に遭遇した経験というものは貴重だ。特に成り立て冒険者の生意気盛りの調子に乗った連中には、最高の教訓になる。しかもそれがエキストラとして危険なく――ただし受講者は知らないまま――脅かしてくれるのであれば理想的だ。
「荷馬車いっぱいの酒樽でも用意しやりなさい。そうすれば、このトカゲも少しは働くでしょう」
「ヤトノの姉御、どうして……」
「黙りなさい。お酒が好きと申していたのはお前ではありませんか。一応は御兄様を助けたのは事実。それについては認めてあげます」
「姉御ぉ!」
感極まった様子のドラゴンと、軽くそっぽを向くヤトノという少女。どちらも災厄の申し子と言える存在だが、とてもそうとは思えない様子だ。災厄に抗えぬなら、そこに良い点を見いだし上手く付き合うしかないだろう。
そんな事を考え……都市に戻ってから待つであろう後始末から目を逸らそうとするケイレブであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます