第34話 ドラゴンは生き延びる事ができるか

 ドラゴンの尾が薙ぎ払われると、空気を叩く大きな音が響く。

 アサシン集団で幸運だった者は血煙に姿を変え、そうでない者は千切れた身体と共に崖下へと姿を消した。

 そしてルチマ教官はドラゴンの足の下だ。

 巨大な爬虫類めいた足爪の間から赤黒い液体が染み出ており、いとも容易くあっさりと踏み潰されたのだと分かる。何も分からぬまま死んだのは幸運だったに違いない。

 アヴェラはヤスツナソードを構えた。

 ドラゴンは首を痛くなるほど傾け見上げねばならない程に巨大だ。それを前にすると、己の矮小さを思い知らされる。疲れ切り魔法をくらい身体の動きは鈍く、武器は剣一本。そして退路はない。

 どうにもならぬ状況だが、それでもイクシマを守らねばならない。

 決意と共に身体の奥底から力が込み上げてくる――。

「ああ、何とかギリギリで間に合いました」

「二人とも大丈夫だった? アヴェラ君は無事そうだけどさ、イクシマちゃん動けない状態だね」

「御兄様が無事なのは当然として、小娘は死んでますか」

「いやいや、ちゃんと生きてるからさ! そんなの言ったら駄目なんだよ!」

「あら、ごめんなさい」

 声はドラゴンの背中あたりから聞こえてくる。

 ふいに巨体が身を屈めると、ヤトノとノエルが顔を覗かせる。どちらも元気そうにドラゴンの翼の上を滑り降りるのだが、何故かドラゴンが降り易いよう気遣っている気がした。

 運の悪いノエルが最後に転んで尻餅をついてしまうが、それにも構わずヤトノが凄い勢いでかけてくる。

「御兄様っ! ご無事でしたか! どこか痛いところは? 溺れて水を呑みました? お腹が空いてませんか? 身体が重いとか動かしにくいとか。ああっ! もういいです! 自分では気づかない不調もありますよね、分かりました! ここは、わたくしが直接確認しましょう!」

「やめろ、脱がそうとするな!」

「御兄様のいけず……」

「そんな事より。そんな事よりだ……そちらはどちら様?」

 アヴェラはドラゴンを指さした。

 その赤い甲殻に覆われた巨体は、アサシンたちを薙ぎ払いルチマ教官を踏みつぶした後は大人しく待機している。その様子を喩えるのであれば、非常に相応しくないと分かっているが、まるで命令を待つ飼い犬のようだった。

「ああ、これですか。これはトカゲです」

「どう見てもドラゴンじゃないか」

「いいえ、ドジで愚かで間抜けなトカゲなんです。これが言い含めておいた通りやらないので小娘が跳ね飛ばされ。それで御兄様が水に落ちてしまって……あっ」

「ちょっと待て」

 白い袖で口を押さえたヤトノに、アヴェラは冷たい目をして詰め寄った。横目で様子を見ていたノエルは、あーぁと呟きイクシマの介抱に向かっている。

「言い含めておいた?」

「それはその……」

「素直に白状して怒られるか、言わないまま怒られるか。さあ、どっちがいい?」

「どっちも怒られる!?」

 紅い瞳の目を見開き両手で顔を隠したヤトノであったが、ややあって白状した。


「ええ、ええ言いますとも。このトカゲはこれでも災厄に関わる存在でして。ちょうどこの地に居りましたので、御兄様に冒険っぽいスリリングを味わって頂こうと……」

「襲わせたと?」

「違います! ちょっとガオーッ、と咆えさせるぐらいの手筈だったのです。それが、このトカゲが馬鹿なだけなんです。本当なんです!」

 ヤトノは涙ぐみ声を張り上げた。

 両手を胸の前で合わせ見上げる姿は、まるで小さな子供が一生懸命言い訳するようである。軽く下唇を噛み涙が頬を伝えば、これはもう許してやるしかないという気になってしまう。

 だがアヴェラが何か言おうとするより先に、聞き慣れない声が響いた。

「そんなーっ、酷いですぜ。ヤトノの姐さん」

 ドラゴンからの声だった。

 しかも、くだけた口調だ。

 さらに、とても低姿勢だ。

「あっしは旦那方が危険そうだったんで、こりゃいけねぇと――」

「その巨体で突進しておいて、何か助けるですか!」

「ちゃんと踏まないつもりで気を付けてやしたよ!? で、ご挨拶に伺おうとしたら何か小っこいのに鼻先を叩かれちまって。鼻ですよ鼻、鼻を叩かれたら痛いじゃないですか……」

 ドラゴンは一生懸命訴えるが、怯えるように顎を地面に付け伏せの状態で見つめてくる。軽く下くちばしを噛み牙がのぞけば、あまりの情けなさに許してやろうという気に――あんまりならない。

「えーと、どういう関係なんだ?」

 その疑問にはイクシマを介抱していたノエルが答えた。

「私が理解した感じだとさ。王様の愛娘と、最前線の将軍みたいな感じかな」

「すいやせん、あっし将軍ほど偉くないです」

「またまた、そんな。ドラゴンさんてばさ、謙遜しちゃって」

「こりゃ滅相もない」

 ドラゴンは照れた様子で頭を掻いた。

 アヴェラの中で輝いていた格好いいドラゴン像が音をたて崩れていく。これでは、まるで気の良い田舎のオッサンではないか。

「というわけで、旦那も無事見つかりやしたし。どうか許していただけやすと……」

「許される? そんな筈ないでしょう、貴方のせいで御兄様は死にかけたのですよ。罪一等ぐらいは減じてやってもいいですが、このケジメをどうつけましょうかね。そうですね、ドラゴンゾンビにでもしてやりましょうか」

「ひいぃっ!」

 震え上がるドラゴンの様子にアヴェラは哀れ――もはや可哀想という感覚より情けなさが先に立つ――を催した。手を伸ばしヤトノの頭を撫で宥めてやる。

「まあいいじゃないか。そんな事するなよ」

「ですが御兄様、こやつのせいで御兄様は――」

「腐ったら臭いし不衛生じゃないか」

「御兄様……とっても御兄様らしい理由ですね。ええ分かりましたとも、とりあえず保留という事で。とりあえずですけど」

 ヤトノはぶつくさ言いながら引き下がった。

 そしてドラゴンは感謝の意でアヴェラを拝もうとして、しかし前足の裏の汚れに気付き適当に地面になすりつけた。ちらっと見えたが、完全に押しつぶされた人型らしき物体がある。

 喉の奥が酸っぱくなる感覚に、アヴェラは慌てて目を逸らした。


 ノエルはイクシマの背を支え抱き起こし、身体をさすって声をかけている。

「もう大丈夫だからね、イクシマちゃんしっかり」

「うっ……」

 介抱の甲斐あってイクシマは小さな呻きをあげた。

「我はここは……」

「おっと、小っこいのが目を覚ましやしたか?」

「ふぎゃああああああああああっ!」

 イクシマは泣きながら絶叫した。

 目を覚ました瞬間、巨大なドラゴンの顔が自分を覗き込んでくれば当然の反応だろう。それで地面を這って逃げ、ひっしとしがみついた相手は誰あろうアヴェラであった。

「ふむふむ、なるほどなるほど」

 目敏く気付いたヤトノは口元に軽く手をやり、ほくそ笑んだ。

「これはこれで乙なもの、この小娘というのは少し気に入りませんが」

「お主いいいっ!? 何が気に入らんのじゃー!」

「そういうとこですよ。もっと精進なさい」

「がぁーっ!」

「しゃーっ!」

 両者は顔を付き合わせ威嚇し合う。しかしヤトノは視線を急に外して目をそらし、そのまま何かを聞くように頷いている。

「むむっ、本体からの通信……どうやらあなたの加護神オルクスが、本体のところに手土産持って挨拶に来たそうです」

「はあああっ!? 何を言うとる、そんなの絶対おかしすぎじゃって! ああ、こいつ厄神の分霊じゃったあああっ!!」

「煩い子ですね。それでオルクスは、不憫な子なのでくれぐれもよろしくと泣いて頼んだそうですよ。あなたも少しは自分の神を見習ったらどうですか」

「ふええええっ、なんぞそれ!? 我、加護神から不憫に思われとるん!?」

「そういう事ですので仕方がありません。末永くよろしくして差し上げますよ」

 ヤトノの言葉にイクシマは呆然となって、ふらふらしている。それを抱き止めたノエルは自分と同じ境遇が増え、よっしと拳を握っている。


「何か分かりやせんが、良かったですなぁ」

 ドラゴンが何度か頷いた。それだけで風圧を感じるが、もう誰も恐ろしとは思ってない。気のいいオッサンがいる程度の感覚だ。

「仲間とか、そういうの大事でやす。こりゃなんぞ、ご用意しやせんと。あっしは酒なんぞ好きでやすが、旦那は違うでしょうし。はてどうするか……」

「トカゲにしては良い心がけです。いいでしょう、先程の保留にした件は水に流してさしあげましょう。さあ牙なり爪なり引き抜いて差し出しなさい」

「勘弁して下さいよ、そりゃあっしの商売道具なもんで」

「ならば延髄でも逆鱗でも構いませんよ」

「ちょっ、姐さん! それ死にますって、マジ勘弁」

「あれも駄目これも駄目とは呆れたものです。では、聞きましょう。何を用意するつもりですか」

「そこらの獲物を狩って来ようかと……」

「このトカゲ。御兄様を馬鹿にしてます?」

 苛々としたヤトノはどこからともなく扇を取り出すと、自らの掌を叩いた。小気味よい音のひとつで、ドラゴンは首を竦めてしまった。少女の前で小さくなるドラゴンという凄い構図だ。

 あげくポロポロと涙を零す。

 その涙の幾つかが地面に落ちると、コロコロ転がった。気になって拾い上げてみれば、何とも不思議な感触があった。微妙に柔らかくしっかりとした手触りで、持っていると何か暖かくも力強い何かが染みてくる感じだ。

 見ればノエルとイクシマも拾い上げ眺めている。

 しかも拾い上げた以外の涙は溶けるようにして地面へと吸い込まれていた。

「これを貰いたいけど、いいかな」

「えっ!? そんなもんで、よろしいんですかい?」

「記念に丁度いい感じかなって」

「あざーっす! こりゃまた助かった」

 ドラゴンは小躍りしそうな様子だ。実際に尻尾がパタパタと――実際にはドスンドスンと――動いている。それを睨むヤトノであったが、ややあって仕方ないと肩を竦め気分を切り替えると、アヴェラが本当に怪我をしてないか確認しだす。

 そしてアヴェラは大きく安堵の息を吐く。

 いろいろあったが、全員が無事に合流が出来た。一時はもうダメかと思ったぐらいが万事塞翁が馬……万事厄神が竜と言ったところだ。

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