第33話 他人の主張と考えに頷いてられない

 鬱蒼とした木々が立ち並び枝葉をを伸ばす様は、まるで壁のようだ。

 あの風雨と暗闇の中を歩き避難するのに最適な場所を見つけられたものだと、辺りを見回したアヴェラは自分のした事に感心した。

 頭上はやはり枝葉に覆われ殆ど空が見えないものの、隙間からは日射しが差し込んでいる。泥濘を残した地面を踏み締めつつ、早足で進む。

「とりあえず川に戻って、上流に向かおう。方向的にはそれで合っているはずだ」

「ノエルと早く合流せねばな。あやつ心配しておるぞ」

「むしろヤトノが心配なんだな」

「そうなんか、あやつ意外としおらしいんじゃな」

「いや違う、暴走しかねない。ヤトノが暴走すると……」

 なにせ厄神の一部で、その本質は神。下手すれば、この辺りが人の近寄れぬ災厄の地になるとか、世界に疫病が広がり大噴火や大地震が発生するといった災害が起きかねない。

 だがアヴェラが歩みを早める理由は災厄そのものより、振りまかれた力による厄が自分へと降りかかってくる懸念のためだ。

 たとえ昨日の疲労が抜けきっていなくとも、急いだ方が良いに違いない。

 しかし、イクシマは適当な木の枝を手に上機嫌に歩んでいる。

「ああ、しかし実に気分が良い。最っ高よのう」

「そうか? ちょっと蒸し暑いぐらいで、最っ高の気分とは思えないけどな」

「お主って奴は、人の心が分からぬ奴よのう」

「さいですか」

「まあ良かろ。あー、ところでな。我は死の神オルクスの加護を強く受けておるじゃろ」

 イクシマは静かに語りだした。

 あの泳ぎ着いた川岸に到着したが、川はやや濁っているが流れ自体は静かなものだ。そこから上流へと足場の良い場所を見定めながら大きな石の転がる川辺を移動する。

「我を産んで下すった母殿は、我を産むと同時に命を落とされた。我の生は死と共に始まり、三の姫とは言えど上の姉二人と会った事は数えるほど。周りの者からは忌まれ恐れられ、それでも我が生かされたのは死の力で敵を倒す事を期待されたからこそじゃ。よって我は誰よりも強く勇敢で恐れ知らずであらねばならなんだ」

「なかなかハードな人生だな」

「実を言うとな、皆の加護を聞いて嬉しかったんじゃ。人に嫌われる加護が我だけじゃいないと分かってのう。すまぬな、我はこのように卑しい心根なんじゃって」

「いや、その気持ち分かるよ」

 アヴェラも同じ気持ちがあるが、きっとノエルも同様に違いない。傷の舐めあいをする気はないが、しかし似た境遇であるからこそ分かる苦労もある。

「ここ数日一緒におって最っ高ーじゃった、できればこれからもパーテーを組んでくれると嬉しいんじゃがのう。まあ駄目なら駄目で、それは別に構わんし。ただ残念なだけじゃで……」

「なんだ、もうそのつもりでいたのに」

「そ、そうか。良かった……ああ、でもノエルはどうかのう? こんな我でも一緒に居てくれるかのう? もし嫌と言われたら、どうするか……」

「本人に聞いてみればいいさ」

 その心配は全くの杞憂となるに違いないが、悩み困った様子のイクシマが案外と可愛いため、その事は黙っておいた。

 川は断崖のような山へと突き当たり、巨大な洞窟から迸るように流れ出ている。もちろん、その中を泳いで進む事は間違いなく不可能。

 目の前の切り立った崖は、見るからに岩らしい色と見た目をしてそびえている。最初は垂直な崖に見えていたが、ある程度の起伏や凹凸があり途中には疎らに緑の木々まで生えていた。おそらくこの上に台地が広がり、そこが講習会が行われている地域のはずだ。

「岩を登って上にあがるしかないだろな」

「そうよのう。ほれ見てみい、あの辺りが登りやすそうじゃぞ」

 イクシマはアヴェラの腕を掴み、斜面を指さし飛び跳ねた。最初の出会いを思えば、随分と親しみのある雰囲気だ。


 おおよその見当をつけ登りだした崖のような斜面は、あちこちに亀裂や段差があって思ったほど苦労はしなかった。もちろん道なき道の斜面のため、時には足を踏み外しそうになったり足場が崩れたりと、ヒヤヒヤする場面は何度もある。

 それでも二人で協力し乗り越えていく。

「あとひと息だな、それ上がれ」

「むっ、ちと届かんな。よし我を押し上げてくれ、上に行ったら引き揚げてやるんじゃって」

 最後はイクシマを先に行かせ、言葉通りに引き揚げて貰ってよじ登る。

 ついに登りきると二人揃ってもつれ合うように地面に転がった。そのまま仰向けになって空を見上げ、荒い息を整える。

「死ぬかと思った……」

「やれば出来るもんじゃって」

「そうだな」

「後はノエルを探すのじゃが……見覚えがあるような風景じゃって」

 イクシマに続いて身体を起こすと、確かにその通りで野営していた位置も推測する事ができる。

 ただし、そうなると今度はアサシンたちの心配が出て来てしまう。あの時のドラゴンが戻って来るまでの時間から考えると全滅したとは考えられなかった。生きているのなら、諦めて帰るような相手とも考えられない。

 早めにノエルと合流しケイレブたち教官のいる場所に移動すべきだろう。

 疲れた身体にむち打って立ち上がり歩きだすと――茂みがガサガサと鳴った。

「っ!」

 アサシンの事を考えていたものだから、思わず剣を向けてしまったのは仕方ない事だ。だが姿を現したのは神官着の女性で教官の一人だった。

 アヴェラは慌てて剣を収め頭を下げた。

「すいません、失礼しました」

「気になさらないで下さいよう。そうですか無事でしたか、随分と探しましたよ」

「ええまあ、川に流されましたので」

「よく無事でしたね!?」

「いや本当、危なく死ぬかと思いましたけどね。ところで仲間の一人とはぐれてまして、ノエルという女の子ですけど。もう保護されていますか?」

「もちろんです。一緒に探すと言って……ほら来ましたよ」

 にっこり笑った彼女は茂みの向こうを指し示した。

 心配しているであろうノエルを安心させてやろうと笑いながら見やり、だがしかしイクシマの体当たりに押し倒された。

「お前な――っ!」

 文句を言いかけたアヴェラだが、女性教官がメイスを振り抜いた姿に気を引き締めた。間違いなくイクシマが横から飛びついていなければ、致命的な一撃を受けていたに違いない。

 膝を付いたアヴェラとイクシマを前に彼女は優しく微笑んだ。

「あら残念。よく気付かれましたね」

「エルフたる我は、嘘が分かるのでな」

「そういえばエルフってそうでしたね。ほんと、面倒ですこと」

 頬に手を当てる困り顔は、どこまでも優しげだ。

 さらにゾロゾロと――前より数は減っているが――現れたのはアサシンたちだ。これが偶然の遭遇と思うなら、ただの間抜けだろう。

「お前は教官じゃなかったのか!?」

「いいえ教官ですよ。だから、お前なんて言ったら減点です。ルチマ教官と呼びましょうね、ですがそんなに呼ぶ機会はないでしょうね。さあ、邪悪な厄神の使徒を滅ぼし世界をより良くしましょう」

 くすくす笑う様子は何の気負いもない。

 これからアヴェラを殺そうとするにも関わらず、全くの自然体だ。その目を見れば、ルチマという女性は自分が正しい事をしていると信じきっている事が分かる。

 世の為人の為、厄神の加護を持つ邪悪を倒し正義を成すつもりなのだ。


 前方はルチマとアサシンに囲まれ逃げ場は無い。背後は崖で登る事は出来るが、降りるとなれば下まで自由落下で直行するしかないだろう。

「世界を良くしますか!」

 アヴェラは迂闊に近寄り間合いに入ったアサシンに抜き打ちで下から斬りつけ、同時に立ち上がった。相手の反応は素早く即座に回避されたが、しかし浅くかすってはいる。そして、それは呪われたヤスツナソードにとって充分だ。

 悲鳴があがり、呪いに蝕まれた相手は苦しみ倒れた。

「今だ!」

 思わぬ事態に驚くアサシンたちの隙を逃さず、ヤスツナソードを振り回し、とにかく手傷を負わせる事だけを狙う。さらに何人かに軽い手傷を負わせる事に成功。

 ほぼ同時にイクシマもそこらにあった木を手に取り一人を殴り倒した。木片と同時に血反吐が飛ぶような、まったく容赦のない一撃だ。さらに斬りかかってきた攻撃を棍棒で受け止め捻れば、鉄の剣が半ばで折れた。

「安物は使ってはいかんのう! くらえ、火神の加護ファイアアロー!」

 間近で放たれた火の矢がアサシンに突き立てば、弾けるような炎と共に凄まじい絶叫があがる。イクシマは容赦なく相手を蹴り飛ばしアサシンの集団を怯ませた。

「このまま斬り抜けようぞ!」

 促されたアヴェラはイクシマに続き走りだした。

 だが、ルチマ教官はメイスを振り上げ魔法を行使する。

「させませんよ。はい、太陽神の加護リヒトレイン」

「んなぁ、上級魔法じゃとぉ!?」

 走りながら振り仰ぐと、上から光の棘が降り注ぐところであった。それは相手の身体をこそ傷つけないが、代わりに激しい痛みを与える。主に懲罰や暴徒鎮圧に使用される魔法だ。

 だが、それでもアヴェラはまだ動けた。

 濁流に呑まれようと生き抜いた精神力でもって身体を動かし、倒れかけるイクシマを抱え走ろうとする。

「太陽神の加護リヒトレイン!」

 もう一度くらうと、さすがに限界だった。

 イクシマ諸共倒れ込み、それでも膝をつき身体を支える。近寄ろうとするアサシンに対し弱々しく剣を振るい威嚇してみせた。

「まあっ、裁きの光を二度も受けてもまだ動けるとは。さすが恐ろしい存在ですね。ですが、もうこれで終わりにしましょうか。災厄の使者を滅ぼせば、この世の人々に幸せがもたらされるのです」

「むしろ逆効果なんだがな」

「命乞いとは見苦しいと思いますよ」

 ルチアはメイスをリズミカルに振り回し笑っている。

「そんなつもりはないんだがな、分かった降参だ。だが、こいつは見逃してくれないか、ただのパーティメンバーなんでな」

「上の者の判断を仰ぎますので、一度連れ帰りませんと。なんにせよ、貴方はここでおしまい。念のためにもう少し弱らせてから仕留めましょうか」

「弱った相手を嬲りたい根性が透けて見えてるぞ」

「口の減らない事ね。ならば悶え苦しむといい、太陽神の加護――」

 その時、頭上に影が差し続いて何かが落下、轟音と同時に足元から突き上げるような激しい衝撃が襲って来る。

 押し寄せた風圧に閉ざした目をようやく開けると、そこには巨体があった。

 赤みを帯びた甲殻に、重厚感溢れる唸りをあげるそれは、あの時のあのドラゴンに間違いなかった。

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