第30話 キャンプの醍醐味はやはり肉
谷地形の少し高くなった位置の平たい場所。
岩壁の軽い窪みを寝床とする予定であったが、そこにアヴェラは簡単な屋根――木の枝と蔓で枠をつくり枯れ草の束を載せたもの――を設置した。
どうせ数日を過ごすだけの代物なので耐久性は考慮していない。気温も大して下がらないため、ようは風雨と夜露さえしのげればいいのだ。
「お主は意外に器用よのう」
辺りが少し暗みかけた頃、やって来たイクシマが中を覗き込み感心した。
「うむ、中はあんまり広くないのじゃな。まあよかろ、贅沢は言えぬでのう。ところでお主の寝床はどうした。早うせんと日が暮れてしまうんじゃぞ」
「ここだ」
「はあああっ!? 嫁入り前の男と女が床を共にするのか! そ、そんなのってそんなのって、破廉恥なんじゃ!」
「…………」
アヴェラには、頬を染め叫ぶイクシマを無言で見つめる事しか出来なかった。
サバイバルの状況でこんな事を言い出すと、誰が想像できるだろうか。まるで我が儘なお嬢様であるが、エルフの三の姫と言っていたので実際にそうなのだろう。
ヤトノが少女の姿をとって現れた。
「この無礼者、御兄様に対し無礼が過ぎますよ」
白い衣の袖で口元を覆い、小馬鹿にするように笑う。もちろんそれはイクシマに対してである。
「しかも床を共に? ふっ、自意識過剰ですね」
「こ、こやつ我を見て鼻で笑いよった! 何がおかしいんじゃっ!」
「いえいえ笑っておりませんよ。チビッ子エルフがさも一人前のような事を言いますので、わたくし笑いを堪えるのに苦労しております」
「なっ!? 良いか我は脱いだら凄いんじゃぞー、ナイスバデーなんじゃぞー!」
「では脱ぎなさい。ほらほら脱いでごらんなさい」
「そっ、そんな破廉恥な事が出来るかあああっ!」
顔を真っ赤にしたイクシマが叫べば谷間に声が反響する。ヤトノは更に煽るようにクスクス笑い、なんとも相性の悪い両者である。
「もーっ、そこ騒いだらダメだよ。私が言いたいこと分かってるよね」
軽い足音がすると、柔和に困り笑いを浮かべたノエルがやって来た。
「じゃっどん、こやつが失礼なんじゃって」
「まったくです、この者が失礼なだけですから」
「何を言う! お主じゃー」
「小娘でしょうに」
「がぁーっ!」
「しゃーっ!」
互いに揃って威嚇しあうが、そのタイミングばかりはピッタリだ。
「うん、分かったからさ。ほら、二人とも夕ご飯の準備しなきゃだよ」
ノエルは大きな葉に包まれた肉を手にしている。
どうやらそれが、イクシマに教わり確保したムフロンの肉のようだ。あの巨体から考えれば量は少ないが、どうやら一食分だけらしい。
とはいえ、考えてみれば下手に肉など置いて野営すれば血の臭いに誘われたモンスターが寄って来かねない。そうなると、自分たちが肉にされかねないだろう。
食べる量だけ確保するのが正解なのだ。
「後は焼いて食べるだけだよね。でもさ、どうやって焼くかだけど……」
「それは準備しておいた。良い感じに平たい石があったからな、その上で焼けばいい。だが、どうやって火を点けるかだが……火打ち石は持ってるか?」
「ごめん、私は持ってないよ」
「今までだと火打ち石は使ってなかったからな、こっちも忘れた」
「「…………」」
致命的ミスに顔を見合わせていると、えへんえへんとわざとらしい咳払いが聞こえてきた。見ればイクシマが偉そうにそっくりかえっている。
「お主らときたら、仕方がない奴らなんじゃって。ここは我が魔法で点けてくれようか。どれ、伏し拝んで感謝するがいい」
「あっ、火でしたらわたくしが。ちょいさー」
ヤトノが軽く息を吹きかけると、そこにあった木が勢い良く燃えだす。厄神の力が使われたためアヴェラは軽くこむら返りに苦しんだ。
それはそれとして、今まさに魔法を唱えようとしたイクシマは大きく目を見開いた。ヤトノは声こそ出さないが、高笑いをするようなポーズをして――つまり煽っている。
「余計な事するなー! がぁーっ!」
「お黙りなさい小娘! しゃーっ!」
威嚇し合う両者と苦しむアヴェラを見やり、ノエルは軽く肩を竦め肉を焼く準備に取りかかった。
◆◆◆
既に日は落ち、谷間という事でなお暗い。
できるだけ周囲から目立たぬ岩場の間で火を使い、平らな石を下から加熱していく。水滴を垂らすと沸々蒸発するが勢いはない。どうやら、もう少しのようだ。
「よいか、肉はしっかりと火を通さねばならぬ。どんなに腹が減っておっても、絶対にしっかり焼けるまで待たねばならん。でないとな、とても苦しい思いをするのじゃ。よいな、我との約束じゃぞ」
「何だかさ、言葉に含まれる何かが重いって思うんだけど気のせい?」
ノエルは訝しがっているが、アヴェラはきっとやらかしたのだろうと確信した。
葉っぱを利用した皿の上には、適度に細切れした肉が並ぶ。それには素晴らしい斬れ味を持つ呪われた剣を利用したが、少なくとも誰も気にしていない。ヤトノも何も言わないので、たぶん肉は呪われてはいないはずだ。
「まだかのう、今日はいっぱい動いたでな。我は腹ぺこじゃって」
「エルフって肉を食べるのか!? 植物系しか食べないんじゃないのか?」
「お主のその果てしない勘違いってのは何なんじゃ。そんなもん普通に肉でも魚でも何でも食べるに決まっとるわい」
「エルフは雑食だったのか……」
「お主なー、何だか言い方が失礼なんじゃぞー」
雑談する内に石は熱され、垂らした水滴が見る間に蒸発していった。
これはもう頃合いだろう。
さっそく肉が置かれると、じゅうっと小気味よい音が響いた。そして――鼻を突く重たい臭いが辺りに広がった。
「なあ、血抜きしたのか?」
「あの大きさじゃって、出来るわけなかろが。だもんで、早めに処理して水に漬けといたんじゃが……どうやら、ちと遅かったようじゃのう」
肉食文化であるのに何故か血抜き技術が発達していないという事もなく、この世界でも普通に肉の血抜きなどによる処理は行われている。もちろん血を介した細菌の繁殖が味に影響するという事は知らず、あくまでも経験則として知っているだけなのだが。
なんにせよ血抜き処理を失敗した肉を食べることになりそうだった。
「ぬがああああっ!! これ不味い! まーずーいーぞーー!」
塩だけで味付けしたそれに齧りついたイクシマは、空にむかって吠えた。
「まったく騒々しい小娘ですね。どれ、私もいただきます。むっ確かに美味しくない……御兄様にこのようなものを食べさせるなど不覚」
「美味くはないが感謝して食べるさ」
口の中に臭いと同じキツい味わいが広がり、さらに脂臭さが加味される。早く呑み込んでしまいたいが、しかし噛み応えはひたすら固く、まるでゴムでも噛んでいるような具合で呑み込めない。
けれどイクシマは次々と食べていく。
「不味いんじゃなかったのか?」
「たわけぇ! 食べ物を残すとか、そんな罰当たりな真似ができるものか!」
「このエルフ、意外にいじましい」
「違ぁうっ! これは命を頂く感謝、死したる者は血肉となりて我と共に生き続ける。つまり命の循環、円環の理なのじゃ!」
「エルフっぽい事を言っている気がする」
「と言うかなー、不味かろうと食わねば明日が動けんじゃろがー」
ぶつくさ零しながら時折、水袋に口をつけ流し込むように食べている。その水袋をアヴェラが口にするとイクシマは大きく目を見開き動揺気味だ。
「わ、我の飲んでおったやつじゃぞ」
「だから? 一つしかないから仕方ないだろ」
「じゃっどん、我が口をつけておって……その、つまり! 破廉恥じゃ!」
「あっそう、だったらもう飲まなければいい。そもそもだ、さっきから一人で大量に飲みすぎだろ」
「うぐぐぐっ! 水がなくては、この肉は食えん!」
イクシマは悔しそうに唸り、水袋を荒々しく奪い返すと意を決したようにして飲んだ。そして肉を喰らい、また飲む。半ばやけ食いだ。
さんざんな評価をされる肉だが、ノエルは比較的平気そうに食べている。
「えっとさ、そんなに美味しくないかな? 別に普通なんだけどな、うん」
「ノエルよ、お主これが平気なのか!?」
「だってお母さんが無理して用意してくれたお肉って、こんな感じだったから。そっか、これって美味しくなかったんだ……そっか……」
「くっ! うおおぉぉんっ!! ああ、美味い! これは美味いぞー!」
イクシマはさらにガツガツと肉を頬張りだした。アヴェラもヤトノも一つ二つと食べていくが、もちろん文句の声をあげる事はしないのであった。
「では、皆さんお休みなさいませ」
「いいのか一人で見張りとか」
「御兄様の安眠は、この良妹賢妹ヤトノが守ります! さあ心置きなく寝てしまって下さい。あっ、もちろん中で睦み合っても問題なしですから」
「お前は何をバカな事を言うんだ。まったく……もう寝る」
アヴェラはそそくさ寝床に移動した。
下が岩のため適当に草を敷き詰めておいたのだが、そこに各自が持っていた布を重ねて広げれば寝るには充分な状態だ。
「の、のう絶対に破廉恥じゃって。だってな、我は嫁入り前ぞよ」
僅かに差し込む光の中でイクシマは狼狽えている。まだ同じ場所で寝る事を気にしているらしい。
「あー、はいはい。そういうのいいから、今日はもう疲れたから寝る」
「明日も頑張らなきゃだからね、早く休もっか。少し冷えるかもだから、ちょっと引っ付いておかなきゃだよ」
「まあ、そうだな」
アヴェラとノエルは並んで横になるのだが、イクシマはまだ目を見開き躊躇している。そして二人が寝入ってしまえば、渋々と隅っこで小さく丸くなって眠る事にした。
そして――ヤトノは全員が眠りにおちた事を確認すると、何者かにそっと合図を送るのであった。
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