第15話 捧げよと厄神は囁く
「で、本音は?」
アヴェラは目を細めつつ、ヤトノと顔を突き合わせる。
物心ついた頃から世話になって共に過ごしてきた相手なのだ。豪運の持ち主という程度で、わざわざ正体を明かしてまで仲間に引き入れるとは思っていない。必ず何かあると疑っていた。
「まあ嫌ですね、私が御兄様に隠し事なんてするはずありません」
「そういうのいいから、本音を言ってみようか」
「いけずなとこ、大好きです……ええ、実はそろそろ仲間を一人二人増やそうかと思いまして。御兄様も仲間を欲しがっておられましたでしょ。ほら、ちょうど良いと思いません? しかも女の子です、女の子」
「なるほど、不運の神の加護持ちで弱みもあるし丁度良いと」
「……さらっと出てくるその発言、さすがは御兄様。分かってますねー」
悪巧みをする二人は揃って見やるのだが、対象たるノエルは自分の世界に入っていじけている。その辺りだけ何かエフェクトがかかっていそうなぐらい暗かった。
「本当はさ、今回ばっかりはもう駄目と思ったんだよね。今日は間違いなく、私の人生最大のアンラッキーデーだよね。折角パーティに入れて貰ったのにさ、クィークの中に見捨てられたでしょ。貞操危機の大ピンチを逃げ出したと思ったらさ、今度は厄神様と出会うとか。これはもうちょっと私の人生って、山あり谷あり険しすぎ。あっ、でもそういえば、なんか谷ばっかりだったかも。あはははっ……はぁ……」
そんな感じの、とぼけた声が聞こえてくる。
頭の後ろで一つに束ねた黒髪。大きな浅葱色の瞳をした可愛い系の顔。年頃の発育のよい体つきは先程よく確認できている。今現在は落ち込んでいじけているが、全体としては明るめな普通の女の子といった印象だ。
「…………」
アヴェラの胸中に邪な――ささやかな邪な――気持ちが蠢く。
こんな娘がそばにいてくれたら幸せだ。惚れさせようなんて積極的な気持ちは前世でとうに枯れ果てた。それでも一緒に冒険が出来て嬉しくて楽しいに違いない。そんな期待と下心を持ってはいけないだろうか。
「なんとか仲間にしたいな……」
「畏まりました、このヤトノめにお任せ下さい。ええ、お任せ下さいな」
ヤトノは優しげに頷いた。
「御兄様のため、わたくしが上手く声を掛けてみせますとも。さあ女の子同士で話をしますから御兄様は少しあちらに。でも、勝手に遠くに行っては駄目ですよ。危ないですから、ちゃんとヤトノの目の届く範囲で動いて下さい。寂しくても少しの間だけですから我慢なさって下さいね。そうそう、あまり女の子をジロジロ見てはいけませんよ。女の子は視線に敏感ですからね、やるならもっと上手く見ませんと。コツはもっと――」
「いいから、はよ誘え」
「まあ酷い」
くすっと笑ったヤトノは素足でペタペタ歩きノエルに近づいた。相手がビクッと怯えるのも構わず、ちょこんと膝を揃え座り込んだ。
アヴェラは後を任せ少し距離を取るのだが、期待しないでおこうと静かに背を向けた。なにせ、かつての人生では期待するほど上手く行かなかったのだから。
「そうも怯えずとも構いませんよ。誰も取って食べたりしませんので」
「いえ、何と言いますか。そこでさ、普通に食べるとかって台詞が出るところが恐いと言いますか……あははっ」
「ものの喩えというものです。それはさておき、あなたに少々お話しがあります」
安心させようと、にこにこと優しげ笑顔をみせるヤトノ。
それだけを見れば、誰もこれが厄神の一部とは思うまい。それぐらい無邪気な童女の笑顔なのだ。もちろん見た目どおりのはずもないのだが、まだ何も知らないノエルは安堵し――直ぐに間違いだと思い知った。
「先程、あなたを助けましたので。それに対し代償を頂きたいと思います」
「だ、代償!?」
もちろん、そんな代償など必要ないがノエルはそんな事は知らない。ただし相手はヤバイ厄神であるため、当然ありえる事として疑うことすら無く信じてしまう。
「えっ、えっと。代償とかって急に言われましても、何をどうすればいいか分からないんだけど」
「別に何でも。これを差し出すと口にして下さい。運命だろうと寿命でも、家族の命でも将来産むかもしれない我が子の命でも、それを頂いてしまいましょう」
「ひいぃっ!」
「クィークに捕まり、次世代ベビーを産み続ける運命から救われたのです。それを考えれば、それ相応の代償となるはずでしょうね」
「うっ、ううっ……不運すぎる」
ノエルは涙目で遺跡の天井を見上げ嘆いている。そんな相手にヤトノは一転して優しく甘い言葉を投げかけた。
「とはいえ、それも気の毒ですね。では、わたくしから別の提案をしましょう」
「は、はい!」
「わたくしの御兄様に従い、全てを差しだし共に戦うと誓いなさい」
「ええっと?」
「おや、分かりませんか。これは温情ですよ」
ヤトノは白い上着の袂で口元を軽く隠した。もちろん笑いを隠しているのだ。
「宜しいですか、ノエルさん。あなたの人生、選択肢は少ないのですよ。不運の加護を受けた以上は、これから先も他の方との冒険は難しいでしょう。今までもそうであったように、他の人間からは忌避され利用され捨てられる事は間違いありません。しかし、わたくしの御兄様は違います!」
「そ、そうなんだ?」
「この厄神であるわたくしすら受け止める度量の深さ。あなたの不運など少しも気にもせず、受け入れてくれること間違いありません。どうですかボッチ脱却ですよ、ソロ冒険者脱却ですよ」
さらにヤトノはたたみかける。
「そんなお得な御兄様に、今ならなんと厄神の手助けまでついて来くるのです。さあ、このチャンスを逃す手はありますか? これから先の人生で、あなたを受け止め助け認めてくれる相手に出会えると思いますか?」
「…………」
「さあ選びなさい、今すぐここで。自分の運命を選択するのです」
指を突きつけられたノエルは少し前の事を思い出していた。
◆◆◆
「楽勝じゃね?」
「いけるいける、うちら初心者用のフィールドとか余裕だし」
「荷物持ちいれて正解ってやつ」
「だよねー」
仲間に入れてくれた二人は手を打合せ喜びの声をあげていた。
大きな背嚢を担ぐノエルは、ぼーっとそれを見ているばかり。パーティの中にいるはずが、なぜだかソロでいる時よりずっと寂しい気分だった。
「ちょー、ノエルちゃん。ここは、さっと水を差し出すとこじゃない?」
「戦ったのあたしら、あんたは見てただけ。どっちが苦労したか分かんないかなー」
「ご、ごめんなさい」
ノエルは急いで荷物の中から水袋を取り出した。
ひったくられた水袋をあおり飲む二人を見て、少し後悔する。思い切って頼んで、仲間にしてくれた時は凄く嬉しかった。でも今は少しも嬉しくない。
投げつけられた水袋を受け取り、さっさと先に行く二人を追いかける。
次の後悔は、直ぐだった。
現れた敵に突撃した二人を追いかけると、そこに居たのはクィークの群れだった。女性冒険者にとって最悪危険なモンスターに数えられる相手だ。普段はもっと遺跡の奥に居るはずが、なぜここに居るのか……恐らくそれが、自分の不運体質とノエルは気付いた。
「マジやばいんですけど。ちょー、逃げないと」
「うち知ってる、クィークから絶対逃げられる方法」
「どうすんの?」
「こうすんの!」
次の瞬間、ノエルは背中に衝撃を感じた。
「はい?」
重い荷物を背負っていた事もあり、前に数歩蹌踉めき倒れてしまう。それでも苦労して荷物の下から這い出すと、すぐ目の前にクィークがいた。そして仲間だった筈の相手の姿はどこにもなかった。
「もしかして、もしかするとなんだけどさ。これって結構ピンチな状況のような……」
座り込んだ状態でジリジリ後退すると、同じだけクィークがジリジリ迫ってくる。人に似て人ではないモンスターの鼻息は荒く、血走った目でノエルの身体を舐めるように見ていた。何を考えているかは想像するまでもない。なにせクィークは他種族の雌を使い繁殖するのだから。
「あのさ、冗談はやめようね。えっとほら、私も女の子なので初めては好きな人……いえ、一万歩譲っても人間がいいわけでして。つまりクィークさんとは、そーいうのは遠慮したいわけでして」
ジリジリと尻餅をついたまま後退するノエルは、身を翻し決死の思いで逃げようとした。しかし一斉に襲いかかって来たクィークに髪を掴まれ、押さえ付けられてしまう。
「いやーっ! 放せーっ!」
下着に手をかけられ、ノエルが絶体絶命の状況にそれでも抗おうと決意し――世界の何かが転換した。
いきなりクィークの一匹が転んだ。そのまま前に居た仲間にぶつかり、運悪く足が絡みあい連鎖的に次々と倒れ込んでしまう。甲高く耳障りな声で鳴き交わし、互いを叩き合うクィークたち。
はからずも解放されたノエルはチャンスを見逃さなかった。
「いまっ!」
運良く目の前に転がってきた短剣に手を伸ばし、まだ掴まれたままの衣服を躊躇せず切り離した。それで自由になると素早く左右に斬りつけ、クィークの間から
それを追おうとするクィークは互いにぶつかり、またも躓きバランスを崩している。その隙にノエルは走りだした。
ボロボロの服を気にするどころではない。胸だけは押さえるが、それも揺れて邪魔なだけだからだ。そして一目散に走りだす。
その先にきっと助けがあると信じ、きっと何かがあると信じ――そして出会ったのである。
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