第8話 新米冒険者は稼げない
「あぁ疲れた、疲れた」
燦々とした日射しの下でアヴェラは目を細め伸びをした。
何度目かとなる遺跡からの帰りになるが、その度に同じ仕草をする。どこかに存在する遺跡から一瞬で帰還できるとはいえ、どこか遠くに行って来た気分なのだ。
アヴェラは伸びをして腰を叩いて肩を揉むのだが、襟からちょこんと顔を出すヤトノは白蛇の顔に呆れの色を出している。
「御兄様、その爺むさい仕草は止めましょう」
「ほっとけ。こういうのは気分なんだ」
疲れたというだけで、実際には腰も痛くなければ肩も凝っていない。
言葉にした通り、確かに気分の問題でやっている。この世界に生まれ変わり十数年を過ごしたものの、前世で厄年三回目の年齢まで生きた習慣やら仕草というものは完全には抜けきっていないという事だ。もっともそのお陰で若さというもののありがたみをしっかり感じられるのだが。
アヴェラが軽い足取りで歩きだせば、ヤトノが重い口調で喋りだす。
「多少は儲かると聞いておりましたが……あまりダメでしたね」
「確かにそうだな。他のフィールドに行った方がいいかもな」
今回は多めに素材を回収したが、混み合う精算所で換金すれば僅かでしかない。
正七位の騎士で警備隊長をするトレストが手取り二十五万Gの月収だったので、そこから考えれば五千Gは小遣い程度の額という事だ。
アヴェラは実家暮らしのため生活の大部分を両親に依存している。だから稼いだ額を全て攻略につぎ込めるが、他の冒険者は生活するだけで精一杯に違いない。
「まあ仕方ない。簡単に儲かるなら冒険者の全員が金持ちになるだろ。ケイレブ教官も貧乏そうだったが……いや、あれはちょっと違うか」
「お小遣い制だそうですからね。とにかく付近の探索のためにも稼ぎませんと」
「ヤトノの本体様は急かしているのかな?」
「いえ、そうではありませんが」
「ならば金に困りながら冒険するのも、また楽し」
「御兄様ときたら……」
ヤトノは呆れ気味だ。
精神年齢だけはやたら高いアヴェラには余裕があった。稼げないのも厄神の指示も同レベルの制約として楽しんでいる。胃の痛い苦労はご免だが、何の制約も苦労もないまま順風満帆に生きて何が楽しいものか。
昼時という事で購買や食堂に走る姿が幾つかある。そうした景色は服や装備こそ違えど、どんな世界でも変わらないらしい。
アヴェラは適度な木陰に座り込んだ。
剣帯を外し横に置き、厚手の服を少し緩める。木陰には微風があって、程よい暑さの中に涼を感じ取れる。土と木と人と食べ物など雑多な匂いが鼻をつく。そのまま辺りを眺めれば、なんとも平和で穏やかな、気持よく明るくのびのびとした雰囲気が広がっている。
「良いなぁ」
「何が良いのでしょうか?」
「見ろ、この景色だ。この景色が良い」
「はあ……? そうですか御兄様が仰るならそうなのでしょう。ヤトノには分かりませんが」
そんな返事にアヴェラは微笑む。
何気ない日常の、しかしわくわくするような景色というものは渦中にいる時は気付かない。一度失ったからこそ、アヴェラにとっては良い景色なのだ。しかもだ、今は再び渦中にいられるのだ。これを良いと思わずにはいられない。
景色と雰囲気に浸っていると、目の前を数十人単位の集団が通過していった。
いずれも身体に合わない服と真新しい剣帯。顔には緊張と自身のなさが漂い、動きに固さがあった。集団行動しながら、全員で道を間違え慌てて止まり、衝突しあってすったもんだしている。
「まあ初々しい、新受講生ですよ」
「一年前なのに懐かしいな。あの頃は、いろいろ緊張した覚えがある」
「いいえ御兄様は、既にふてぶてしかったですよ」
「そうだったか?」
「ええ、何度も上級生と間違えられていたじゃないですか」
「そういやそうだったな」
アヴェラは軽く笑い、そして荷物から昼食の包みを取り出した。
「さてと、それよりお昼にしよう」
包みの中はカカリアが用意してくれたサンドイッチだが、パンの食感は悪く挟んだ肉も味が悪い。お世辞にも美味しいとは言えないが、これがこの世界における一般的な弁当だった。
「稼げたら料理チートにでも挑戦するか……」
口頭説明で現代料理を再現してくれる発想力皆無な料理人とか、ガスコンロやオーブン並の性能を発揮する火加減調節絶妙な竈や石窯とか、品種改良を重ねた現代野菜と同じ味を持つミラクルな原生野菜とか、残念ながら遭遇できていない。
だが一番の問題は経済的余裕がない事だ。
料理は簡単に美味しくできるものでもなく、何度も試行錯誤を繰り返す必要がある。それをするには大量の食材や資材を用意せねばならず、食材は意外に高いのだ。
「稼いだ金で、父さんと母さんに何か買うか」
「それは良いお考えです」
ヤトノは尾を持ち上げ賛同の意を表明した。
いわば初任給で両親に何かプレゼントといったところだ。前世ではそんな機会もなかったので、直ぐに思い至らなかったのは痛恨のミスだろう。
「靴とか服は……この世界だと高級品だしな」
「あまり高価な物は逆に遠慮されてしまいますよ。やはり日用品です、さり気に役立つ日用品」
「そうするとだ。父さんに高めのポーション、母さんに化粧品ぐらいだな」
「さすが御兄様、ナイスチョイスです!」
賛同してくれるヤトノの声が――言葉ではなく声が――嬉しい。やはり、こうして雑談のように話せる生活というものは最高だ。
アヴェラはその最高を与えてくれる相手を指に巻き付け、腕に這わせた。
「それでヤトノは何が欲しい?」
「えっ、わたくしも宜しいのですか」
「当然じゃないか、何を言っているんだ」
「御兄様、大好きっ!」
「止めっ、苦しっ」
感極まったヤトノに巻き付かれ、アヴェラはしばし苦しんだ。
「酷い目に遭った」
「わたくしは悪くないですよ。事故です事故」
ヤトノは素直に謝らず、言い訳気味に主張をしている。
「まあいいか、それより今後の探索を少し真面目に考えよう。新しい武器を手に入れるとして、今までの貯金と毎日五千G程度の稼ぎを合わせれば――」
「御兄様、大事な事を忘れておりませんか。武器防具は損耗しますので、それを見越して貯めておく必要があります。ポーションや食糧など消耗品、水袋や背嚢などの必需品、さらに細かく言いますと雑多な日用品を買うお金も必要となってきますね」
「……トータルで考えると、あまり余裕はないな」
「今のペースでは、そうでしょうね」
「いやこれは、本当に他の冒険者が心配だな。生活出来るのか心配になってきたぞ」
実家に暮らし衣食住を親に甘えているアヴェラと違い、殆どの冒険者は寮や借家に住んで生活している。生活費と冒険費を両立させようとすると、どう考えても生活していけそうにない気がしてきた。
「その辺りのやりくりも勉強の内という事です。それに御兄様は稼げる方法を幾つか忘れておられませんか。たとえば、他の方はクエストを受けておられます」
「……確かにそうだ」
アヴェラは手をぽんっと叩いた。
「混むし報酬も高くないからスルーしてたけど、少しでも稼ぐなら利用すべきだな」
「はい、次からはそうしましょう。それからモンスターは情報公開されてるそうですよ、一度は目を通して勉強しませんといけませんよ」
ヤトノは相変わらず口煩い。
しかし、一緒に行動しているはずが何故かいろいろと詳しい。
「前から思っていたが、なんでそんなに詳しいんだ?」
「もちろん、ここらに漂う死霊ども。つまり志半ばで倒れた冒険者どもを尋問……もとい尋ねて問うておりますので」
「ああ、そうなのか。適当なところで解放して昇天させてやれよ」
「……はーい」
厄神に捕まった死霊など、おつまみ程度の食事にされるのが決まりだ。しかし有益な情報を吐いた者ぐらいは昇天させてやろうかと、ヤトノはアヴェラからの要望を本体に送っておいた。それが聞き届けられるかは知らないが。
「他に稼げる情報は?」
「えっ? あ、はいはい。その他の方法としてはパーティを組む事だそうですね」
「頭割りすると儲けが減りそうなもんだな」
「いいえ効率が段違いで、武器防具の損耗に消耗品の使用量が抑えられるのだそうです。あとは回復魔法が使える者がいれば、ポーションは殆ど使わないのだとか」
「それは大事だな」
「大事ですね」
だが、パーティを組むことは現実として難しい。
「無い物ねだりをしても仕方がない。地道に戦ってお金を貯めて、他のフィールドでも稼げるように頑張るか」
「その意気です。わたくしも応援します」
「先行投資で少し良い目の剣を探してみるか。これから探しに行ってみるか」
アヴェラは荷物を片付け、立ち上がると剣帯を装着した。
武器だの防具だのを買うなど前世では――日本刀趣味でもない限り――ありえない。買うかどうかはさておき、剣を探すと考えるだけでワクワクするではないか。
今のところ稼げていないが、こんな時のためにと昔からコツコツと貯めた資金がある。それらは両親に内緒の出来事のため使うわけにもいかず、せいぜいが別の道を歩んだ幼馴染みへの餞別に使った程度で、後は手付かず状態だ。
今こそ、それを使う時だろう。
厄神の指示に応えるべく探索をするのであれば、良い剣は必需品なのだから。
「その点で生活費がかからないのは有利だな。ああ、親のすねを囓って頂く食事はありがたい」
「御兄様、さすがにその意見には賛同しかねますよ」
「親のありがたみは、充分に分かってるさ」
アヴェラが肩を竦め手を伸ばせば、ヤトノはそれに飛びつきスルスルと巻き付きながら服の中へと姿を消した。
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