第6話 剣と魔法も世知辛い
冒険者に負傷者はつきもので、当然ながら探索都市アルストルには治療を施し一時的に休憩できる場所が用意されている。
休憩室と呼ばれるそこは、冒険者関連の施設がある区画でも静かな場所にあった。
室内はゆったり広めにとられ、内装は石壁の剥き出しではなく白い壁紙が張られている。窓にはカーテンがあり、微かに薬草を蒸した香りがどこか漂っていた。
「流石にフォロー出来ません」
ヤトノは目を細め睨んでくるが、紅い瞳が恐いぐらいだ。
「御兄様の無茶は相当なものかと思います。あまりの無謀ぶりに、むしろ感心さえいたしました」
「えーっと、怒っているのか?」
「いいえ怒ってません、呆れてるだけです。もっとご自分の身体を大事にして下さい」
「悪いな、心配かけたよ」
アルストルの魔法医は有能だ。
複数あるベッドの一つに腰掛けるアヴェラは、軽い痛みしか残らない程度にまで回復している。もはや枕元の椅子に座る小柄なヤトノの向ける視線の方が痛いぐらいだった。
他のベッドは空でアヴェラとヤトノの二人っきり。
静かな室内でヤトノはそっと手をもたげ、白く長い袖から指先をみせアヴェラの顔に触れた。それは確認するようであり、また撫でるようでもある。
「それで、いかがでしたか。戦ってみた感想は」
「ワクワクしてな、凄く楽しかったな」
「はあ……まったく子供みたいなことを。ですが、御兄様がそれならようございました。わたくしはハラハラしておりましたけど」
「しっかり手加減されていただろ」
「いいえ。あれは完全に本気でした。はっ! まさか、あの男……御兄様に害をなす者どもの仲間だったやもしれません。ああ、どうしてくれましょうか」
ヤトノの目が据わり、ここにいないケイレブを今にも呪い殺しそうな顔となる。
「そんなわけないだろ。もし敵だったら、今頃ここで会話なんてしてられないさ」
「その通りだね」
入り口のドアが開き、あの古びた外套姿のケイレブが現われた。
「すまんね、盗み聞いたようで。しかし廊下まで声が聞こえていたからな、そこは許してくれるか」
スタスタやって来るとアヴェラの顔を覗き込み頷く。
少し埃っぽい土系統の臭いがした。不快ではなく安心感や安堵感のある臭いだ。
「どうやら元気そうだ、感心感心」
「はあ、どうも」
「そのままでいい、回復魔法の後は肉体的な疲労は増すものだからね」
何故か椅子を持って来ると、ヤトノの隣に並びどっかり座った。
ヤトノはわざわざ席を立つとベッドに腰を降ろして距離を取る。白い衣の長い袖のまま腕を組み、紅い瞳でキツく睨み付けるのだが、その鋭さはアヴェラに対し向けられたものの比ではない。
「御兄様を痛めつけるとは。この下郎、その身が朽ちるまで呪い続け、死して魂だけになった後まで苦しめてやりましょうか」
「止さないか、ヤトノ」
むしろアヴェラの方が慌ててしまう。
ヤトノの存在は居るだけであれば、都市内に数いる冒険者の一人として気にもされないだろう。しかし、怒りと共に尋常ならざる気配を解放させては、明らかにヤバイ存在とバレてしまうだろう。
だが、ケイレブは軽く眉をひそめた程度だ。
「やれやれ厄神の気配は、なかなか肝が冷える。次からは何か対策をしておこう」
「もしかしてヤトノの事をご存じですか」
驚いたのはアヴェラだ。
隠していた出来事を知られていたとあって思わず身体を動かし、まだ残っていた痛みに顔をしかめる事になってしまう。
「昔にいろいろとね。それに市長から何かあった場合は、君を手助けするようにも言われている。言わば護衛のような感じだが、まあ普段は主には見守るだけだよ」
ヤトノが形の良い眉を軽く上げた。
「なるほど、そうでしたか。では、その護衛がどうして御兄様が痛がるような一撃を放ったのか、それを教えて頂けますでしょうか」
「その点については、あれだね。手加減をしたつもりだが、面目ない」
「この落とし前を、どう付けるか教えて頂きたいところですよ」
ヤトノはブツクサと文句を言った。
先程よりは落ち着き、呪い殺すような怒りは収まった様子に見える。だが、それは熾火の状態で何かあれば即座に燃え上がると、アヴェラは知っていた。
人と同じような情動をみせるヤトノだが、それはそう振る舞っているだけでしかない。
ヤトノの本質は間違いなく神という存在で、人の情動とは似て非なる部分がある。どのタイミングで怒り、何をするか分からないところが少なからずあるのだ。
「もう構わない」
アヴェラはヤトノの頭に手をやり撫でて宥めた。
「こちらが挑んだ事だし勉強にもなった」
「まあ、御兄様は本当にお優しいこと」
ヤトノは少し拗ね気味に、つんっとそっぽを向いた。
これでケイレブに対する怒りの矛を収めたかどうかは不明だが、ひとまずは大丈夫だろう。
「はははっ、この部屋の使用料は僕が持とう。それで勘弁してくれ」
「回復魔法の使用料も込みです?」
「もちろんだよ、それぐらいは当然だよ」
「それなら下位ヒールでなくって、中位ヒールでお願いしたかったですけど」
さらっと強請るアヴェラにヤトノは感心しきっている。
「流石に勘弁してくれ。僕は結婚して小遣い制なんだよ」
ケイレブは情けない顔をした。
回復魔法にも階級があって下位なら効果はそれ相応ながら、さして高くはない。これが中位になると格段に高くなる。
だから経済的な面も含め、パーティを組む場合は回復魔法が使える人材の確保は最優先となっていた。多少、性格や能力に難があったとして回復魔法が使えるというだけで引く手あまた。それが慈愛や癒やし系の神から加護を授かっているとなれば、もう入学と同時に唾が付けられ青田買いされてしまうぐらいなのだ。
「さて、それはそれとして」
ケイレブは咳払いをすると、椅子の上で背筋を伸ばす。
「改めて合格おめでとう、君は卒業検定の裏検定に合格した」
「ああ、やっぱり。選別だと思ってましたよ」
「裏検定合格者は、担当教官が指導を行う。君の場合は私だ、基本好き勝手で構わないが偶には僕の教室に顔を出すように」
「何か指導があると?」
「いや、偶には指導せねば教官としての実績がね……それはそれとして、実際に何か困ったら相談してくれ。ただし探索地点の攻略方法は規定によって教えられないがね」
先行冒険者は後輩に攻略情報を教えぬのが暗黙の了解。教えたからと罰則もないがそうして学ぶ機会を失い、苦難を回避し楽に攻略を進めた冒険者は、いずれどこかで苦難に直面し全滅するというだけなのだ。
楽をした者は、いずれ我が身に苦労が跳ね返ってくるだけである。
「分かりました。ところでなんですが、裏検定が不合格だった人はどうなります?」
「最初に言ったろう? 一年後には君らの半分しか残らないと。つまりは、そういう事だ」
ケイレブは鼻で笑うが、分かりきったことを聞くなといった様子だ。
ここでは能力や行動の足りない者は容赦なく切り捨てられていく。だが、考えれば当然かもしれない。甘く育てられた者が冒険者と活動すれば、いずれは本人が……さらに言うなれば周囲までも迷惑を被るのだから。
その点は探索に対する考えと同じらしい。
「君が気絶していた間に、他の者に説明した事を伝えておこう」
ケイレブの言葉にアヴェラは居住まいをただし耳を傾ける。
「訓練用の遺跡とは違って、各地の探索は完全に自主性だ。もちろん冒険者なのだから、何があろうと自己責任だがね。だが、回収した素材やお宝を持ち帰り精算できる。クエストを受けて金だって稼げる。さしあたっては、良い武器を手に入れる事を目指すといい」
自主性がかなり高めだが、つまりそれだけ厳しいという事だ。
ヤトノが険のある目でケイレブを見るが、まだ根に持っているらしい。
「良い武器ですか、なるほど。その為に稼ぎたいところですが、御兄様の剣が砕けたのですよね。ええ、あれはどなたかの一撃によってですけど」
「うっ……」
「ですから、あれの代わりを何とかして頂けませんか」
訓練用の剣は養成所指定品を購入したものだ。
訓練期間以降でも使えない事はなく、しばらく金を貯める間は使うつもりでいた。だが、今はケイレブの一撃を受け壊れてなくなった。
この機会に上手く次の剣を手に入れようと、賢妻ならぬ賢妹ヤトノは企んでいるらしい。
「それは……訓練用の新しいのを用意しておこう」
「歴戦の冒険者ならば、あまった剣の一振りや二振りはあるでしょう? 御兄様にお古というのはアレですが、この際は仕方ありません。出来るだけ良い品を持って来なさい」
「お古だって?」
途端にケイレブの顔が暗くなり肩を落としてしまう。
「……僕の剣、長年苦楽を共にしたあいつら。幾つもの危機を一緒にくぐり抜けたあいつら。それを、それを……場所を取って邪魔だからって、どうせ使わないからって全部売ることないじゃないか。マイホームの購入資金が必要だって事は分かっている。そりゃ剣なんて一本かそこらあれば充分さ。でも、だからって全部売らなくたっていいじゃないか……あいつらは、つまり僕の相棒だったんだ」
あまりの落ち込みぶりに唖然とするアヴェラとヤトノの前で、ケイレブは俯いた。
「すまない、少し取り乱した。つまりお古はないんだ……」
その声はあまりにも憐れで、しかも鼻をすする音すらしている。
「流石のヤトノも哀れすぎです。これ以上は追求できません」
「どうせしばらく訓練用を使うつもりだったわけだし、新しくなるだけで充分だよ」
アヴェラはまだ僅かに残る痛みに顔をしかめつつ、ベッドを降りた。
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