第4話 廿代な両親は大甘

 養成所を出るとアヴェラは寄り道せず自宅に帰った。

 冒険者の大半は都市の用意した寮、もしくは自分で借りた宿で暮らしている。そしてその生活費に――特に養成所の者は――四苦八苦しながら生活をしているのだ。

 だが、アヴェラの場合はこの都市に自宅があった。

 アヴェラ=ゲ=エイフス。

 これを元の世界風に当てはめると、エイフス家のアヴェラという意味になる。その名が示すように家名持ちの家系に生まれ、都市では比較的裕福な者が暮らす第二区画に家がある。


 この探索都市アルストルは、近隣に存在する採取地点の質は世界有数。多数の冒険者とそれを支える膨大な数の住民によって大きな都市へと発展を遂げている。

 都市を大きく分けると、上流階級の暮らす北や北西の区域と、東の商業区や職人区、南の居住区。中央から西の区域には冒険者の施設として養成所や支援所などとなっていた。

 第二区画は北西区域に位置する上流階級の多く暮らす場所だ。

 しかし端の辺りは必ずしも裕福と言いきれない者が暮らしており……アヴェラの家は一番端っこになる。つまりはそういう事で、一応は庭付きながらこぢんまりとした建屋に小さめ納屋がある程度であった。

「只今戻りました」

 言葉使いを丁寧に改め、玄関のドアを開ける。

 奥でガタガタッと音が響き、大急ぎで顔を出すのは父親トレストと母親カカリアだ。実の親とは言えど、アヴェラからすると前世の自分より遙かに若い相手となる。

 どうにも素直に甘えきれないが、そんなどこか他人行儀な息子に対し両親は精一杯親らしく接してくれている。

「よく戻ったな、息子よ」

「報告していた通り、今日は冒険者の検定がありました」

「うむ、そうだったな。よろしい、報告があるなら書斎で聞こうではないか」

 トレストはしかめっ面で頷いた。

 正七位といった位階を賜った下級騎士で、この都市に幾つかある警備隊の一つを任された警備隊長。住んでいる家屋から分かるような末端官吏だが、仕事ぶりは真面目で賄賂も受け取らず犯罪者を果敢に取り締まる。上役には一目置かれ部下には信頼され、裏の界隈からは恐れられている人物だ。

 しかしアヴェラは知っていた。

 この父親が息子に対して激甘だという事を。

 どうせ今日も息子の検定結果が気になって仕事が手に付かず、心配した部下たちに送り返されてきたに違いない。

 そもそも玄関まで飛んで来たのだから、待ちかねていた事などバレバレ。それでも一生懸命威厳を見せようと張り切る父親の様子が何ともおかしかった。

 流石に笑うのは失礼と、思わず鼻の下に手をやり口元を隠してしまったアヴェラはだが、その行為はどうやらカカリアを勘違いさせてしまったらしい。

「あっ、もしかして……いいのよ、気にしなくていいのよ」

「ど、どうした? むむっ、そうか……」

「検定の結果なんて関係ないのよ。あなたさえ元気で楽しくしてくれたら、お父さんもお母さんも満足なのよ。だから少しも気にする必要はないのよ」

「母さんの言う通りだぞ、気にする事は何もない。いいか息子よ聞け、お前のした努力は少しもお前を裏切りはしない。お前はお前の望むとおりに生きると良い、私たちはそれを全力で応援し協力をしよう」

 もう二人とも大慌てでアヴェラを慰めようと必死の態だ。

――良い人たちだ。

 苦笑しながら感心してしまう。

 肉体年齢に引っ張られ気分は若いアヴェラだが、一方で知識は前世を含め数十年を生きている。この年若い両親に対しては、どこか微笑ましい気分が付きまとってしまう。

 これは馬鹿にしているからではない。

 むしろ絶大な信頼と親愛を感じているぐらいだ。

 かつて厄神の加護持ちとして殺されかけた時のこと、この二人はあらゆる手を尽くし抗い、絶対権威とされる神殿にすら殴り込みをかけ全力で守ろうとしてくれたのだから。

 そして二人はずっと、惜しみない愛を注いでくれた。

 家族の温かさや無私の愛、そんなものを教えてくれた大切な存在なのだ。

「とりあえず、報告は書斎でしますよ」

 どちらが年上か分からない口調で両親の背を押し書斎に移動する。もちろん優しく微笑みながら。


 その部屋は埃臭かった。

 今でこそ書斎と呼ばれているが、少し前まで物置部屋として使われていたので仕方が無い。

 以前は居間で書類仕事をしていたトレストだったが、あまりに資料を広げすぎて邪魔という事で怒ったカカリアに急遽専用の部屋を用意して貰えたというわけだ。

 狭く壁も一部穴が開き隙間風さえある部屋なのだが、トレストにとって憧れの書斎という事で、何かとせっせと手を入れ改装している。

「検定結果を報告しますが。実はですね……」

 いそいそと書斎の椅子――予算がないので背もたれすらない――に座るトレストと、その横に控えるカカリアは固唾を呑んでアヴェラの言葉を待ち構えている。

 えへん、えへんと咳払いを続け勿体ぶるたび身を乗り出す両親が何とも可愛らしい。

「御兄様は合格されました」

 しかし、あっさりヤトノが告げてしまった。

 周りには孤児の女の子を引き取って育てていると説明しているように、ここで暮らして普通に少女の姿を現している。もちろんトレストとカカリアはヤトノの正体を知っているが、アヴェラを見守ると聞けば即座に家族同然として受け入れてしまった。

 その点も両親を信頼する理由の一つでもある。

「おい、ヤトノ。言おうとした台詞を取らないで欲しいな」

「あらそうでしたか? ちっとも仰られないので、口にしにくいかと思いましたわ」

 ぶすっとしたアヴェラが睨むと、ヤトノは白い衣の長い袖で顔を隠し軽く舌を出してみせた。ヤトノにとって第一はアヴェラなのだが、このトレストとカカリアも、お気に入りの存在なのだ。

 そして横では両親が快哉をあげている。

「そうか、合格したのか!」

「やっぱり合格していましたか!」

 お互いの手を合わせ顔を突き合わせ、今にも踊りだしそうな様子だ。

「今日はお祝いですよ、アヴェラの好きなものをつくりましょう。あなた、あなたもお酒を飲まれてはどうですか」

「待ちなさい、私の酒を用意するよりはアヴェラに良いものを食べさせてやってくれ」

「大丈夫ですよ。ちゃんと用意してありますから、お飲みなさいよ」

「そ、そうか。それなら貰ってしまおうか、めでたい日だからな」

 もはやアヴェラそっちのけで大喜びする両親に呆れ――というよりも気恥ずかしくて見ていられず――そそくさと書斎を出るアヴェラであった。


◆◆◆


「あの二人、喜びすぎだと思わないか?」

「いえ全く思いません。あれぐらいは当然なのです。なんでしたら、わたくしも喜びの舞でも舞って差し上げましょうか」

「それは絶対に止めような」

 以前に興が乗ったヤトノが舞った事があったのだが、そこは流石に厄神の分霊。たちどころに市内に突風が吹き荒び嵐が発生し、各所に被害が生じてしまった。

 それと同じ悲劇を繰り返す気は無い。

 だが、アヴェラが止める真の理由は別にあった。

「ここで舞われたら、うちの畑に被害が出るじゃないか。舞うなら他で舞ってくれ」

「御兄様ときましたら……確かにここは大切な畑ですが……」

 そこは庭を限界まで開墾した自家菜園、エイフス家の重要な食糧供給源となる場所だった。

 ヤトノは自分以外なら被害が出ようと関係ないと、暗に断言した言葉に呆れつつ、やはりアヴェラこそが真の邪悪に違いないと感心しきった。

 そうとは知らぬアヴェラは畑を見回り満足げに頷く。

「今日も育ち良し、これなら実りが期待出来そうだよ」

「当然ですよ。御兄様のため、ここらの土地神に頼んでおきましたから。これで育ちが悪かったら、首をすげ替えてやるところです」

「そういうのいいから。だが、土地神様にはしっかりお礼を言っておいて欲しいな」

「はい! また頼んでおきますね。しっかり念入りに、お願いしておきます」

 きっと、その土地神にとってはヤトノと遭遇しない事が一番ありがたい事に違いない。だが、そんな事は少しも気付かぬアヴェラは井戸水を桶で組み上げると、傍らの木箱に注ぐ。

 木箱には竹に似た植物を半割にした灌水パイプが繋がれおており、そこを水が流れ畑全体へと供給される仕組みとなっていた。カカリアが桶を担ぎ水を運ぶ姿に奮起して、試行錯誤を繰り返し作り上げたものだ。


 前世知識の応用で構築したが、知識チートなどとおこがましい代物ではない。精々ちょっとした工夫程度。この世界でも探せばきっと、どこかに似たものがあるだろう。

 知識チートなんてものは、現実的に考えればかなり難しい。

 たとえばそうした事の典型たる手押しポンプなど、ネットの百科事典を驚異的記憶力で暗記して動作原理を知っていたとしても簡単にできるものではない。ピストン部の径も分からなければ、本体筒となる金属の肉厚も分からない。曖昧な説明だけで納得し、たちまち完成品を作ってくれる天才鍛冶師が存在するほど世の中甘くないのだ。

 もっとも、一番の原因はそうした事にトライ出来る資金がない事なのだが。

 おかげでアヴェラに出来そうな事は、極めて簡単な事程度となる。つまり精々が、日常の細々した事を便利にする程度の事しかできなかった。

 それでも灌水パイプを流れる水を見ると、ちょっとだけ得意な気分にはなれる。

「お疲れ様です」

 ヤトノが絶妙のタイミングで差し出すタオルで額の汗を拭う。

「そろそろ、あの二人も落ち着いたころかな?」

「料理を始めた気配もありますので、もう宜しいようですね。しかし御兄様、実のご両親をそのように呼ぶのはどうかと思います」

「分かってるよ」

 アヴェラはしみじみ頷いた。

 前世の両親とは早くに死に別れ、おかげで世の中には無条件に愛し守ってくれる存在が他には存在しないと思い知らされている。だからこそ、親のありがたみはよく分かっていた。

 実は甘え方が分からないだけなのである。

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