第3話 加護神警報発令中
アヴェラは何とも言えない気分だ。
室内では合格した者たちが笑い、祝いあっているのだ。年齢層は様々で、中には男女混合のグループだっている。楽しげに会話し、知り合い同士声をかけあい、今後の事を語り計画している。
自分もその中にあって、誰か仲間と語り合いたい。
だがしかし、それが出来ない理由もある。
肩を落としながら部屋を出る姿は、知らない者から見れば検定に落ちたと見えるらしい。道を開けてはくれるが、その時に向けられる目線に上からのものがあるのも事実であった。
「…………」
人のあまり来ない区画のトイレで、しかも個室に入る。
トイレの蓋をそのままに座り込んだ事を見れば分かるように、そこを本来の用途で利用したかったのではない。一人っきりにならねばいけない理由があるからだ。
「御兄様、御兄様」
可愛らしい声御をあげ袖の下から小さな白蛇が這い出てくると――少女の姿に変わった。
やや小柄だが年の頃は十代の半ば程度、紅い瞳をした整った顔立ちにあどけなさが残る。長く黒い髪には白く小さな連続リボンが左右対称に飾られ、そこから白紐が一筋伸び黒髪に良いアクセントとなっている。
白いセーターの上に神官着のような白衣装を重ねているが、そこには赤い線が戒めのように描かれ飾り紐についても封をするように結ばれている。そして腿からの素足が白く健康的に眩しい。
少女はそのままアヴェラの膝上に跨がると、ずいっと前屈みに顔を近づける。だが、形の良い唇は軽く引き結ばれ、滑らかな頬は膨らみ不機嫌そうだ。
「なんでしょうか、あの童めは。契約解除を勧めるなど、御兄様とわたくしの仲を引き裂こうというつもりなのでしょうか。しかもですよ、わたくしを低級なサキュバス如きと比べるなど……許せません。おのれ世界で最も罪深き存在」
「落ち着こうか、ヤトノ。知らなかったから仕方が無いだろ」
「いいえ許せません。御兄様もお怒りですよね、そうですよね。ええ、やりましょう。あの童に五臓六腑が焼けただれ悶死する呪いでもかけてやりましょう!」
「そういうの、やめような」
「あのような者にまで慈悲をみせるなんて、御兄様はお優しいこと」
ヤトノは軽く拗ねた様子で抱きつき、アヴェラの肩に頭をのせ甘える。狭いトイレで抱き合う状態、柔らかな身体と共に胸の膨らみを押し付けられると心地よい。
しかし――この幼さを残す可憐な少女ヤトノは、人間ではない。
単なる蛇の使い魔でもなければ、もちろん妹などでもない。
このヤトノは神だ。
それも厄神と呼ばれる存在の分霊であった。
厄神はこの世界で最悪最凶として知られる災厄の神、人間はもとより他の神々にさえ恐れられるアンタッチャブルな存在。
そんな厄神にアヴェラは憑かれているが、原因はアヴェラであってアヴェラでない自分にある。つまり、前世のアヴェラは厄年にトラックにはねられ、丑寅方角にあった厄神を祀る石碑に激突し血で穢したのだ。それで、この世界初となる厄神の加護を得て転生したのである。
ヤトノはおまけで憑いてきたようなものだ。
「なあ、確か迷惑をかけないように力を使うと言ってたよな。どこがだ? 」
「わたくしは配慮しましたよ。意図的にやった事でありませんし、誤差の範囲です誤差の範囲」
「おかげで、さっきまで動くのも苦労だ」
厄神の分霊であるヤトノが力を振るえば反動として厄が生じる。
ヤトノが厄神の力をアヴェラのために使用すれば因果応報か、反動としてアヴェラに厄が降りかかり苦しませるのだ。先程の反動は最悪の二日酔い気分であったが、それでもまだマシな部類なのである。
「なら追い払うだけでいいだろ、なんで完膚なきまで倒すんだ」
「何故って、御兄様を傷つけたのですよ。その報いを与えるのは当然じゃないですか」
「なるほど報いか」
「いひゃい、いひゃいのです」
苦しみを受けたアヴェラは、すべすべした両頬を掴んで引っ張り報いを与えておいた。
解放されたヤトノは両頬を押さえシクシクと――しかし、どこかわざとらしい――泣き、少し拗ねた様子をみせるが、何にせよアヴェラの上に跨がったままでいる事に変わりがない。
そして、不意に視線をあげ緋色の瞳を虚空に彷徨わせた。
「あっ、本体からの連絡……ふむふむ、なるほど」
「合格祝いの言葉でも来たか?」
「質問に質問で返して申し訳ありませんが、本体がそのような事をする神と思いますか」
「まさか思わないな」
「はい、その通りです。とりあえず御兄様が合格されたという事で、指示が来ました」
なぜに厄神がリアルタイムでアヴェラの状況を把握しているかといえば、それはヤトノが原因である。分霊の見た事聞いた事は、どうやら本体に筒抜けらしいのだ。もしかすると、厄神は人間が異世界転生アニメを見るような感覚でアヴェラの生活を眺め楽しんでいるのかもしれない。
「この都市近郊に隠された宝を回収せよとの事です」
「どこにあるんだ?」
「それを探すのも役目ではないでしょうか。さあ、どうされますか?」
真正面から顔を付き合わせ、覗き込んで来るヤトノの緋色をした瞳。その奥底に別の何者かの存在を感じるのは気のせいだろうか。
アヴェラはその瞳を見つめ自問自答した。
冒険者になったが、それは命懸けで取り組むためではない。もう少し軽い具合で、つまりは市民ランナーでマラソンをやる程度の事でしかない。
そんな者に近隣を探索しろと言うのは、先のマラソンで喩えるならば市民ランナーにオリンピックで優勝しろと言うようなものだ。上級冒険者でさえ困難な探索地点は沢山ある。果たしてモンスターやトラップや、数々の苦難危険を乗り越え宝を探す事が可能なのだろうか。
――普通に無理だ。
考えるまでもない事で、なんとしてでも断るべきだろう。
アヴェラの胸中に、いろいろな思いが蠢く。
前世の自分はどれだけ努力をしても上手く行かず失敗ばかり。良い事もなくて冴えない人生だった。人から愛される事は当然として、親しくできる相手すらいなかった。そして何も得られず、何も成し遂げられず、何も残せず誰からも省みられず。ただ空虚に生きて空虚のまま死んだ。
――そんな自分に厄神はチャンスをくれた。
死んで消え去り無に帰す寸前、厄神は輪廻の輪から連れだし、この世界に送り込んでくれた。何より嬉しい事に、無数に存在する他の誰でもなく、この自分を選んでくれたのだ。
――そう、他の誰でも無く自分を選んでくれた。
その厄神の頼みに応えるため、危険な探索地点に挑む覚悟が出来るのか。
「……行こう」
アヴェラはしばし沈黙し、ややあって力強く笑った。これにはヤトノの方が驚き瞬きを繰り返す。
「あの……わたくしが言うのもなんですけど。あっさり受けて、御兄様はそれでよろしいのです? この辺りの探索地点には未踏箇所もあるのですよ」
「行くさ、行ってみせるさ」
厄神の頼みだからではない。
自分が行きたいから行ってみせる。
「わたくしには、御兄様が何を考えているのか分かりません」
「なに、ヤトノには分からないことさ」
「まあ御兄様のいけず」
口元を押さえたヤトノは、軽く拗ねた様子をみせた。けれど、アヴェラは知っている。同じその手でオインクをバラバラにしていた事を。しかも喜々としてやっていたぐらいだ。
「それにしても、試験に現れたオインクは誰かの仕業だな。面白い」
「なぜ嬉しそうなのか、わたくしは理解に苦しみます。はあ……まあいいです。何にせよ、この件はミスと責任者は言っておりましたね」
「そうだな検定の最中のことなら、不幸な事故で終わるだろうからな」
アヴェラが厄神の加護持ちという事は一部では知られている。
災厄の神との関わりを恐れ、それを排斥しようとする者は少なからず存在する。だから、これまでも何度か襲われた経験があるのだが、どうやらここでもトラブルと無縁ではいられないらしい。
「責任者は関わってなさそうですね。死にそうな顔で土下座してましたから」
「あんまり苛めないようにな」
「失礼な、私もそれぐらい配慮します。それはあの者が死んで魂になってからです」
ぷんっと頬を膨らませるヤトノは可愛らしいが、言ってる事は恐ろしい。
アヴェラとしては市長の冥福を――まだ生きているが――祈っておくしかなかった。つまりそれは祈るだけで何もしないという事だが。
「どうせ犯人は分からないだろうし、どうしようもないな」
「なるほど、分かりました。つまり怪しいところを片っ端から呪い殺せば宜しいのですね」
自信満々で勢い込むヤトノの細い腰を抱き、背中を撫で宥め鎮めておく。
「いや必要ない、むしろ放っておこう」
「えーっ、つまらないです。呪いましょう殺しましょう」
「どうせ我慢できなくなれば、向こうから正体を現すに決まってる」
アヴェラはさらに楽しげに口角をあげる。それは極めて嬉しそうなものだ。
「それまで相手がイライラしながら生きている方が楽しいじゃないか」
「御兄様って心底邪悪ですねぇ……そこが良いのですけど……」
厄神ヤトノはあきれ顔だ。
「ところで御兄様。御兄様は、あの童と冒険がしたかったですか?」
どうやらウィルオスがパーティに誘って来た事を気にしているようだ。
アヴェラがパーティを組めば、当然だが下手な隠し事など出来ずヤトノの存在を明かすしかない。だが厄神と関わり合いを持ちたい人間などいないので、その時点でパーティは解散。場合によっては排斥されかねない。
だからアヴェラはソロで活動するしかないのだ。
「わたくしが原因なのですよね?」
「それは否定はしないが……」
言いながらアヴェラは少し考えてみる。
たとえばヤトノの存在を打ち明けていたとしたら、ウィルオスは受け入れて秘密を共有してくれただろうか? なんとなく受け入れてくれそうな気がする。
しかし、その他の言動を考えると――。
「やめるか、一瞬で周りにバレるな」
「なんですか?」
「ヤトノと一緒に居る方が大事だってことだ」
とたんに少女の姿をした存在は白肌を朱に染め、恥じらいの仕草をみせた。
「御兄様っ……」
だが、それも束の間。
トイレにドヤドヤ他の者がやってくれば、ヤトノの瞳は縦に細長く変化し不機嫌そうになった。見知らぬ誰かに呪いの言葉を吐き、白蛇へと姿を変えアヴェラの服の中へと引っ込んだ。
「さて、とりあえず家に帰ろうか」
アヴェラは楽しげに呟き、わざとらしく水を流し立ち上がるのであった。
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