殺伐感情戦線

参径

凶悪

 とめどなく溢れ出る、血。わたしのお腹から。

 痛い、痛いというより、重い。全てにフィルターがかかって、世界は色を失って、鈍重になる。かろうじて、猟銃を構えながらわたしを見下ろす、彼女の冷え切った視線だけは、認めることができた。


 政府関係者やマフィア、犯罪組織、その他ワケありの人間たちに向けて、わたしはとある島にカジノを作り上げた。そこのオーナーに就任し、毎年万単位の顧客を抱えながら、“賭けは胴元が一番儲かる”のセオリー通り、わたしは巨万の富を手にしていた。儲けた金で警備を強化、金庫も特注の耐火仕様にして、安全圏にいながらにして愚かな連中をしゃぶり尽くした。目に見えて肥え太る資産が愛おしくて仕方なかった。おかげで毎日が贅沢三昧。楽しかった。

 一方で、物凄い数の人間を陥れてきた。男も女も、老いも若いも関係はなく。どうせわたしのカジノを利用するやつなんてクズばかりだと思っていた。なんの呵責もなかった。経営のかたわらで高利貸しを営み、カジノで破産した客をターゲットに、いわば壮大なマッチポンプを行っていた。破滅した者の数など気にしたことはない。どのみちわたしは死ねば地獄に落ちる。生きてる間に好き放題やるのは、わたしみたいな勝者の特権だ……。


 わたしの計画が狂い始めたのは、とある女がカジノに出入りするようになってからだ。最初は客として、そのうちにビジネスパートナーとして。身なりは中の上といったところだが器量が良く、頭も切れる女性だった。これまでにも客がビジネスを持ちかけてくるケースはあったし、その時点で友好関係になっていた相手もいれば、利用して搾れるだけ搾り取ってから裏切って捨てたことも珍しくはなかった。彼女がどう転ぶか、わたしはそこに関しては冷めた気持ちで考えていたのだが、思いもよらない結果になった。


「ねぇ。私のことはどれくらい好き?」

 月並みなセリフを、わたしの膝の上でのたまう。豪奢なティアラと瀟洒なドレス。高価なワインで満たされた、豪華なグラスを携えながら、甘えた態度でわたしに媚びる。だからわたしも、誠意を込めて返した。

「この世で一番よ、当然もちろんね」

 しばらくしたあと、女はわたしの恋人になりたいと言ってきた。個人的に悪い気はしなかったし、彼女の言葉を本心と信じたから、わたしもそれを受け容れた。間もなくふたりは身体の関係になった。不思議なことに、そちらの相性もとても良かった。

 わたしたちはよく似ていた。女もまた、私利私欲のために他人を蹴落とすタイプだった。だから波長が合ったし、ゆえに心の底では互いを警戒していたのかもしれない。唇をついばみ、胸の肉に指をうずめ、肉体の快楽に蕩けながら、精神たましいだけはとされまいと保っていたのかもしれない。

 そのたががはじめに外れたのはわたしのほうだった。理性も何もあったものではない。同性婚のための書類を用意し、ふたりで暮らさないかと持ちかけた。実質的なプロポーズだった。3カラットの天然ダイヤがついた指輪も一緒だった。

 書類を見た彼女の眼に、一瞬黒い陰が差した気がした。そしてわたしは、それを気のせいだと付してしまうほどにになっていた。

「素敵……」

 うっとりとした表情で指輪を着け、彼女は心底幸せそうに独りごちた。わたしも夢を見ているみたいで、彼女の腰を抱き寄せた。

「あなたがいれば、きっとこの先、なんでもうまくいく気がする」

「私もよ。ああ……良かったわ、本当に。あなたに逢えて」

「わたしも」

 どちらからともなくキスをする。下着を外してまさぐり合い、甘えた声を出しながら全身で全身を愛撫する。ロマンチックな夜だった。心からの幸せを感じていた。


 わたしは彼女と式を挙げた。その一週間後、カジノ創設以来の付き合いがある秘書をクビにした。何故だと詰め寄られ、社長室にまで乗り込んできたそいつを強制的につまみ出し、繋がりパイプのあったマフィアに。雀の涙ほどの儲けにもならなかった。優秀だったが最後は所詮こんなものか、と妙にこざっぱりした気分になった。

 代わり、わたしは女……妻に重役を任せるようになった。経営ノウハウを叩き込み、元はただのお得意様のひとりに過ぎなかった彼女を、立派な「支配者」側へと成長させた。その陰で、またしても多数の人間が犠牲になった。積み立てたものを全て奪われた。この頃から、わたしは見捨てた連中から復讐されることを恐れるようになった。入れ代わり立ち代わり傭兵や軍上がりを雇っては妻やわたしのボディガードにし、少しでも怪しい動きを見せるとすぐさまクビにした。ときには拷問すら行った。腕を切り刻まれた者もいた。わたしは、わたしと愛する妻の居場所を守るためになんでもやった。

 カジノを経営する。妻を愛し、大役を任せ、富を手にする一方で、怪しきを即座に処断する。何かがおかしいと感じていた。しかし、もう引けないところまで来ていた。わたしはいつしか、自分の口から零れ出る愛の言葉にも、つまらない虚飾が混じっていることを感じ始めた。



 審判の夜が来た。

 自室で眠っていたわたしは、火災警報で飛び起きた。広い屋敷にメイドは数人。彼女らは一様に慌てていた。わたしはそいつらを怒鳴りつけ、初期消火および消防への連絡、妻の安全確保を命じた。

「どこ! どこなの⁉」

 幸いにして火はすぐに消し止められた。しかし、愛する妻の姿はどこにもなかった。見つけられませんでした、とベソをかくメイドを顔の形が変わるまで殴りつけて喉も潰すと、わたしは外套を羽織って屋敷の外に飛び出した。メイドの制止など聞くに堪えなかった。



 妻の名を叫びながら、屋敷からそう遠くない、カジノの建物まで走った。いつの間にか24時間営業になっていたそこは、今日もきらびやかなネオンに包まれているものと思っていたが、様子が違った。

「どこにいるの…!」

 それでもわたしは、従業員専用入口からカジノへ踏み込んだ。中は警察で溢れていた。混乱するわたしに、そのうちのひとりが近づいてきた。わたしは反射的に逃げ出した。


 逃げて逃げて、人気のない丘の上まで来た。彼女がそこにいた。都合が良すぎた。当時のわたしはそんなことを考える猶予はなかった。

「ねえ! 探したのよ。どうしてここに――」

 わたしの言葉は途切れた。ぼぉん、と低くくぐもる破裂音。次いで強烈な痛み。わたしの身体は後方に吹き飛んだ。

「探した? こっちのセリフだよ」

 狩猟用の大口径ライフルを構えた彼女が、冷たい眼でこちらを見ていた。






 どうして?

 どうして? ねぇどうして、何がいけなかったの? ねぇってば! 混濁する意識の中でわたしは彼女に訊ねる。答えは返ってこなかった。裏切り? いいや……自業自得、というやつか。わたしは………。





















「標的をさせました。えぇ、殺していません。元の通りには暮らせないでしょうが。愛していたかって? 勿論です。でなければ受けませんよ……また似たような仕事があれば、なんなりとどうぞ。難儀って……そういう性癖なの、仕方がないでしょう? では今後も、良さそうなクズがいれば。よろしくお願いします」

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