第3話

「さよこ?」

「そう、小さい、夜に、子供の子」

「ふうん」

 ミドリが私の前で、別の女の子の話をしたのは初めてだった。別に頼んでいたわけでも約束していたわけでもなかったけれど、なんとなく暗黙のうちに、私たちはお互いの前で、ほかの友達とか、友達以上の人のこととかは言わなかった。まあ、私にはミドリ以外に、仲の良い異性など居なかったのだけど。ぐちゃぐちゃになったシーツの上に、下着一枚で座り込んだ私は、あぐらをかく下着一枚のミドリの白い腹を、ぼんやり眺めながら返事をした。名前がミドリだから、パンツのゴムも緑なのか、と思ってから、つまらない冗談だと一人で自嘲した。私に見えるように差し出された、ミドリの携帯の画面を覗く。トーク履歴。横書きの名前が帯になって並んでいるのを目で追った。下から、知らない男の人の名前のような文字列、その上に「母親」、その上に「さやか」、そうしてその上、私よりも最近に話したというだけなのに、その上、と思ってしまう、「さよこ」の文字。さりげなく目に入った女の子の名前に、私は思わず「誰?」と訊いていた。

 誰だって、なんだってよかったはずだった。私とミドリが過ごした、この過ぎた時間は、消えることがないのだし。

「その子はさあ」言うことを考えないうちに、唇が勝手に動いていた。「ミドリの、なに?」

「何って?」

 私は画面を見たままだから、目が合わないままで、頭上からミドリの声が降ってくる。

「友達? それとも、友達じゃない何か?」

「え……えー」

 一拍が空いて。ミドリは私の問いに即答しないで、ただだらしない声をあげた。液晶画面にくぎ付けになって、顔を上げられないまま、私は黙ってミドリの返事を待つ。

(友達)

 即答しないということがどういうことなのか、私は考えたくなかった。もうミドリがここからどんな返事をしたって、どんなに言葉を選んだって、無駄だと思った。

(って、言わないの)

 ミドリが息をゆっくり吸い込む気配がした。私は息をつめて、その先をうかがうようにじっとしていた。ジェットコースターが落ちる前みたいだった、そんなふうに、臓器がぎゅっと絞られるような気持ち悪さ。

「さやか、明日は何か食べ行こ」

「……ミドリ」

「あのさ、さやか」

 声とともに、スマートフォンがそっと取り上げられ、私の視界から消えた。引っ張られるように、私は顔を上げてしまう。ミドリと、目を合わせてしまう。

「友達じゃない何かとかさ、言い方ちょっとずるいって」

それに、もしそうだったとしても、さやかは変わんねえじゃん。

 ミドリが仕方なさそうに笑う。わがままな子供を宥めるみたいな表情を、私は見上げたまま、頬の筋肉が少しひきつるのを感じていた。そおっと引き剥がすように目線を逸らして、わたしはシーツをゆっくり掴んだ。ゴミ箱に入ったたくさんのティッシュを、親から隠す方法をぼんやりと考えた。


「パンケーキがいいな。イチゴの、大きいのがひとつ乗った、高いやつ」

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