第2話
くちゅ、と水っぽい音を立てながら、ミドリが私の唇から己のそれをゆっくり引き離した。彼の下唇から、私は私の唇が見えないけれど恐らくそこに、銀色の唾液の糸がひとすじ、つうっと垂れて橋をかけた。ゼロ距離だったミドリが私の肩に手を載せながら、ゆっくり離れてゆく。視界に、ステンレスのシンクが映り、私は蛍光灯の点滅に気づく。目を見合わせて、どちらからともなく、また顔を近づける。
私はミドリとのディープキスが好きだった。彼の厚い舌が私の硬い口腔のなかをやさしく、確かめるように、撫でるようにかきまわすのを、ああ、ミドリも同じ人間だ、と安心しながら受け止める時間が好きだった。
「さやか、目がとろんとしてかわいい」
ミドリが喋るたび、さやか、と呼ぶたび、その低くてかすれた声が私の体を甘くゆさぶる。たまらなくなって目を閉じた私の背を、ミドリはやさしくぽんと叩いた。好きだ、と思った。ミドリが好き。人生はこの一瞬だけでかまわない、と思うほどに。
部屋、行こっか、と無声音でミドリが行った。耳元で囁くようなそれにまた、身体の奥がじんと痺れた。ふわふわした意識の中で、必死に頷けばミドリの笑い声が聞こえた。部屋、は私の自室のことだ。そこに行って何をするのかくらい、私にでもわかった。目をそっと開いて、ミドリと視線を合わせるべく上を向くと、彼の笑った顔が視界に映った。
(ミドリが)
シャツの裾をつかんで彼について歩きながら、私は考えた。
(昨日とか、あしたに、私以外の誰を抱いても関係ない)
恋愛なんか、私は知らない。一生をかけてひとりだけ選ぶのが恋愛ならば、私とミドリは恋人ではない。
(私には、今日があった、ということがいちばん大事なんだから)
そういう意味でなら、ミドリは別に好きじゃない。私のことなんて。そんなことくらいわかっていた。それでも、これが私とミドリの恋愛なんだって、信じているから問題なかった。
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