第38話 たった一つの願い事

 ナインは手術室に運ばれたが、銃弾は心臓に当たっていた。最善を尽くすが覚悟をしておいて欲しいという医者の言葉。

 ローズの泣き叫ぶ声が、無機質な廊下に響く。

 ボスとブー・シーが彼女をなだめている間に、スーツケースを持った女性が静かに手術室に入っていった。やがて出てきた医者が言う。


「一命はとりとめました」


 ローズ達と共に抱き合って喜んだ後に、ノンは一人で出て行った女性の後を追いかける。

 日差しに溶けそうな白衣の後ろ姿。変装のためか帽子を深く被っている。


「ママだよね?」


 一番嬉しい呼称に笑みを浮かべたクレイジーフローズンは、背中を向けたまま愛息子に語りかける。


「よく考えたのだが、いま無理して君を引き取っても、毎日研究で忙しくて一緒にいられない。結局お金しか与えられない。当方のパパと同じだ」


 黙って聞いているノンに向けて、スーツケースを持ち上げて見せる。


「友達の心臓は君の足と同じく最新技術で治した。メンテナンスを怠らなければ五十年は生きられる計算だ」

「ボクはどんなお礼をしたらいい?」

「察しのいい子だ。ひとつワガママを聞いてもらいたい。キミの誕生日を毎年祝わせてくれ」

「えっ?」


 クレイジーフローズンは帽子を取って振り向いた。優しい眼差しを向けて、続ける。


「友達のメンテナンスの為に毎年会いにきてくれ。土産はいらない。プレゼントとご馳走を用意するから、話をしよう」


 おかっぱ頭が風に揺れて、ノンの遠い記憶を呼び覚ます。泣いている自分を困ったように抱きしめてくれたのはこの顔だった。

 ノンは強く頷いて駆け寄り、手を握った。


「それまでに年上彼氏を許容するよう努める」

「ああ、それウソだから」

「なんだそうか」

「正しくは年上彼女なんだ。十五歳上だから来年までに許容しておいて」


 フローズンは頭を抱えた。ノンは笑った。


 +++


 体は回復していくものの、なかなか目を覚まさぬナインに精神がすり減ったローズは、アンナに電話をかけた。


「それはきっと、耳は聞こえているわよ」

「そうなのですか」

「だから毎日の出来事を話したり、時には愛を囁くといいわ」


 大人びたアンナのアドバイスに少し照れながら、ローズは毎日話しかけた。フローズンが話を通したのろう、ラビリンスからの追っ手は来なかった。

 季節が変わろうとしていた。


「ナイン、元気になったらお茶にしましょう」


「…そうですね」


 窓から差し込む陽光の中で、エメラルドの瞳がこちらを見ていた。

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