第32話 修羅場も二度目なら

 ケルベロス・マスターは震えるローズの肩を掴み、床板を外して通路を示す。

 響く足音。もはや一刻の猶予も無い。

 だがローズは首を振り、子犬を懐から取り出す。不思議そうな目で見るマスターに、花が咲くように笑ってみせた。


 考えがある、と口の動きだけで伝える。


 子犬は丸い目を星のように輝かせて、ピンク色の温かい舌で頰をペロリと舐めた。名残惜しそうに手足をバタつかせるその子を、目の前の男に手渡す。

 深呼吸を一つ。


「お待ちください!」


 ローズは両手を上げながらゆっくりと立ち上がった。その顔を見て女は舌打ちをする。


「まだ生きてたのね。アンタはどうでもいいわ。用があるのは隠れている男よ」


 予想が確信に変わる。

 ローズは全力で意地悪そうな笑顔を作った。


「アナタ方はわたくしを殺せないわ」


 女は苛立ちを露わに、天井のライトを撃った。欠片がパラパラと小雨のように降り注ぐ。


「他の事務所のターゲットを狙ってはいけないルールがあるのでしょうね」

「何を根拠に」

「ボスを脅迫した事と、アナタの態度が答えだわ」


 女は銃口をローズに向けない。間違えて引き金を引けば、ルール違反により自分の死を意味するからだ。

 

「わたくし、護身用に犬を借りにきただけですわ。マスターはなんの関係もありません」

「そんな話を信じるとでも?」

「だってアナタみたいに銃をうまく使えませんもの。武器を買っても意味が無いでしょう」


 苦しい言い訳だが、押し通すしか無い。相手に考える時間を与えると突破口を見つけられかねない。ローズは一気に畳み掛ける。


「情報源は、信用の出来る人物なのかしら?」

「それは……」

「わたくしが居る事を知りながら呼んだのだとしたら、狙いはアナタの抹殺かもしれないわね」

「何ですって?」

「恨まれる覚えは一切無いと、言い切れる?」


 ジリジリと焼け付くような緊張感。

 喉の渇き、逃げ出したい衝動を悟られぬように、ひたすら続ける。


「誇り高きラビリンスは、嘘の情報を掴まされても許してあげるのね。なんて寛大なのかしら!」


 女は血が滲むほど唇を噛み締め、壁にあるものを次々と撃ち抜いた。

 窓は風通しが良くなり、絵は穴だらけになり、宙を舞う額に入った古い写真の中で、三人家族が笑っている。


 硝煙が晴れた時、もう女は居なかった。


「あ、あんた一体なんなんだ」


 駆けつけてきた子犬を抱き上げながら、怯えるマスターに向けてローズは艶やかに笑ってみせた。


「厄介な人に恋をしている、普通のレディよ」

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