第31話 一難去って百難

 ケルベロス・マスターの家は木造で、広いリビングに複数の犬用ケージが置かれている。プレートに日付けが書かれていて、中は空っぽだ。


「飼いたいけど、家に置けないって人が多くてね」


 犬を貸し出して生計を立てているようだ。残っているのは番犬のドーベルマンが二体だけ。

 独特のケモノ臭はあるが、意外と綺麗だ。


「そこに掛けてくれ。今コーヒーでも」

「わたくし、急いでいまして」


 のんびりしている間に、取り返しがつかなくなるかもしれない。最悪の事態を想像して身震いがした。


「怪しい男に狙われているのです。身を守ってくれる犬を貸してください。追跡して逮捕もしたいです」


 殺し屋の名前を出さずに犬を借りる理由をローズなりに考えたのだが、マスターは噴き出した。お腹を抱えて笑い続ける。


「嘘が下手な嬢ちゃんだ。あのな、狙われている子は夜中に出歩かないぞ」

「家に入ってきたの!」

「それなら家族と来るはずだ。身なりもいいし、一人暮らしって事も無いだろ」


 ぐうの音も出ない。違う理由を考えようとしたが、その必要は無かった。


「事務所で揉め事なんだろ、俺の立場を心配してくれたんだな。大丈夫だ、悲しむ人間は居ない」


 マスターの事情が気にはなったが、今はそれどころではない。ローズは事情を説明する。


「ラビリンスか。最近ロクな噂を聞かないな」

「例えばどのような?」

「やばい薬を売買してるって話だ。どんな奴でも24時間は自分の虜に出来るらしい」

「誘拐犯と同じ人かもしれません」

「被害者も出ているしな、いっちょ港の平和を守りに行くか」


 番犬二匹に向けて口笛を吹き、マスターは上着を着込む。

 その時、鳴き声がした。

 台所のケージに、ドーベルマンの子犬が入っていた。黒毛で耳が垂れていて、丸い眉毛のような部分は茶色だ。


「可愛いですね」


 子犬はローズの手にすり寄ってきた。ふわふわで温かい。

 マスターを見ると、険しい顔で玄関を見ている。


「おかしい、なぜ来ない」


 番犬が来客中に居眠りなどしない。マスターは銃を手にする。一発の銃声が響き、ローズの側にコップが落ちた。


「顔を上げるな!」


 マスターは叫びながら台所に避難する。途端に無数の銃弾が壁を蜂の巣にした。

 ローズは子犬をぎゅっと胸に抱きしめた。


「タレコミがあったのよね、元殺し屋が私たちを狙ってるって」


 隠れ家で調度品を破壊していったマフィンのような女が立っていた。両手に銃が握られている。


「処刑するわ、ケルベロス・マスター」

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