第14話 袋いっぱいの生きる糧

 10年前。

 ローズは母と出かけて、焼きたてのクロワッサンを買って貰った。

 抱える袋はポカポカ温かく、いい匂いがする。


 立ち話を始めた母を見ながら、うずうずが止まらない。冷めてしまう!

 一個だけ食べてしまおうと、こっそり路地裏に入ると、子供がうずくまっていた。

 街灯に照らされた肌は黒く、髪は白い。

 母が嫌っている異国の子だ。何をされるか分からないと逃げる準備をしたら、その子のお腹がまぬけな音を奏でた。


「パン、食べる?」


 思わず一個差し出していた。安心したのだ。肌や髪の色が違っていても、同じ人間だと。

 その子は受け取らず困っていた。

 向こうもまた警戒しているのだと気付き、ローズは手にした一個をムシャムシャ食べて見せた。


「美味しい〜!」


 自然と笑顔が浮かぶ。その幸せそうな様子に緊張が解けたらしい。

 次に差し出したパンは受け取った。

 ガツガツと貪る姿が、飢えた子犬のように思えたから、悪気なく言ってしまった。


「もっと欲しければワンとお言いなさい」


 すぐに後悔した。

 慌てて訂正しようと開いた口が、思わぬ反応にかき消される。


「ワン!ワンワンワン!」


 ローズは寒気がした。

 自分が恵まれた環境で生きている事を分かっているつもりだった。

 だが、世の中には犬の真似をするほど飢えている子供がいるのだという事を、その時初めて知ったのだ。

 自分の愚かさに耐えきれなかった。

 手にしていた袋ごと、パンを子供に押し付けた。


「これは恵みじゃない。貸しよ。わたくしはローズ・デンファレ。アナタが大人になったら返しにきて」


 そう言い残し、逃げるように走った。

 パンは全て食べてしまったと母に嘘をつき、意地汚さを叱られた。

 それから何度もあの子の事を夢に見た。元気だろうか、大人になっただろうか。誰にも言えない分、忘れられなかった。


 だから、期待したのだ。

 ナインと初めて会った朝、黒い肌と白い髪の彼を見て、あの時の子が借りを返しに来たのだと。

 ボロボロの自分を救いに来てくれたのだと。


『あの時はありがとうございます。おかげでこんなに大きくなりました』


 そう笑って、自分の中にくすぶる罪悪感を払拭してくれるのだと。

 他人に期待してはいけないのに。


 ナインの後ろ姿が浮かぶ。

 厨房で何か生地を伸ばしている。パンかケーキかピザかもしれない。



「ねえ、ナイン。明日のご飯はなあに?」



 ローズの寝言に、ナインの息が止まる。

 ボロっと溢れる涙と共に、ナイフが床に落ちた。

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