5 最低のヘタレだな、奥田さんは。
夏になったら山に登って写真を撮りたい。夏は仕事が詰まってくるから撮影にでる暇をつくるのがむづかしい。お盆だと山も混むし。せっかく時間をひねり出して出かけるのだから、山小屋に泊って縦走しながら欲張って撮影したい。山口も山まではついてこないから撮影だけに集中できる。
ドアのチャイムが鳴った。再配達を依頼した荷物が届いたにちがいない。やっぱりそうだった。受け取ったのは、山口の実家からの荷物だ。ぼくの両親は山口県に住んでいるわけではない。山口の実家からというのは、ぼくをいつも振りまわす「山口」の両親からという意味だ。
山口の実家からなぜ荷物が届くかというと、一度実家に泊めてもらったことがあって、面識があるからだ。そのとき山口は一緒ではなかった。
登山して撮影して、温泉に入って、さて、その帰りに泊るところをどうしようか。そんな風に撮影旅行の行程で悩んでいたところに山口が口をはさんできて、実家が近いから実家に泊めてくれるといいだした。去年の夏のことだ。山口は就職して一年目で、有給がまだない時期だった。自分は一緒に行けないけど実家に泊めてくれるというのだ。それでお世話になることにした。
山口が安請け合いするものだから、部屋があまっているのかと思ったら、余ってはいたんだけど、山口の部屋に通されて、その部屋を使えと言われた。別に文句はない。ベッドの下とかマットレスの間とかを家探ししたけど、面白い発見はなかった。使っていない部屋だから、山口が面白いものをもっていたとしても、引越しで一緒にもって出たにちがいない。
山口のベッドを使うことが、ぼくにはできなかった。ベッドに入っても、興奮して眠れなかっただろう。ぼくはラグの上で寝袋式の簡易シーツにはいって寝た。夏だったから、それでも暑いくらいだった。
そんなわけで、山口の両親とも知り合ったんだけど、どうもこの両親がぼくのことを山口の弟のように扱う。時折電話してきて、山口は元気かとぼくに聞いてくるし、ぼく宛の荷物に山口の荷物を混ぜてくる。山口は両親とどうなっているんだと疑惑をもつほどだ。最近山口から電話がないというから、実家に電話しろといったら、次に山口の両親と電話で話したときに、電話があったと報告された。山口家の家族ネットワークに、ぼくは組み込まれてしまったみたいだ。今年も登山と撮影の帰りに泊りに行ってみようか。
荷物の中身は、米だの地域限定の菓子だのだった。本当に親が息子に送る荷物となんらかわらない。お礼の電話をしたら、夏に帰ってくるんでしょ?と聞かれた。いや、ぼくの実家はお宅じゃないですから、でも、一度遊びに行きますと答えた。山口と一緒に行ったら、ぼくの寝る場所はあるんだろうか。一緒に寝ろと言われかねないと思う。
また青木さんの現場で仕事をする機会をもらった。その日の夜、お酒を飲みに行く約束を果たすことになった。
会社に撮影機材を返却して、電車で青木さんの家の最寄り駅に向かった。山手線から私鉄に乗り換えてすぐだった。大きい会社の社員さんだから、給料が良かったり住宅手当がでたりするのだろう。ぼくの給料では、こんな家賃の高そうな町にはとうてい住めそうにない。
改札をでたところで青木さんが待っていてくれた。連れて行ってくれた店は、すこし歩いてマンションの地下に降りたところだった。うす暗い、雰囲気のあるお店だ。ちょっと、ヨーロッパってこんな感じかなと思うような、ヨーロッパへ行ったことないからいい加減なこと言ってるけど、そんなお店だ。
二人掛けの小さいテーブルに案内されてメニューを見せられた。ぼくは外国の生ビールにした。青木さんも別の国の生ビールを注文した。ぼくのはピルスナーといって、日本のビールがたいていこのタイプなのだとか。青木さんはアイピーエーとかいうやつ。最近人気のタイプらしい。
ビールで乾杯してまわりを見ると、ヨーロッパからきたのかなという外国人が何組かいた。このあたりには多くの外国人が住んでいると青木さんが教えてくれた。
「どう?この店」
「オシャレです。大人です。こんな店はじめてです」
「よかった。奥田さんがあまり行かなそうなタイプの店にしようと思って」
「なんでですか?」
「刺激になっていいでしょ。若いんだし、いままで経験したことないことをいっぱい経験した方がいい。おれも、まだ若いんだけどね」
「年齢というより、住んでる世界がちがいます」
「それはたしかに。でも、面白いでしょ?ちがう世界に住んでる者同士で話をしたり、酒を飲んだりするのも」
「はい。ビールおいしいです」
「うん、大事。仕事以外で写真撮ってる?」
「はい、この間も撮影してきました」
「そう。風景?」
「ダムと瀧を」
「いい写真撮れた?」
「それが、なかなかうまくいかなくて」
「スランプ?」
「スランプだったら、専門学校のときから、ずっとスランプですよ」
「どういうこと?」
「一緒に撮影する仲間がいるんですけど、そいつの写真に勝てないんです」
「ふーん、それって、単に好きってことじゃなくて?」
「わからないんです。好きっていいきれないっていうか。って、女っていいましたっけ?いっしょに撮影行ったの」
「いや、人じゃなくて、写真」
「写真」
「その人の撮る写真が好きだから、自分の写真が劣って見えるんじゃないの?別の人が見たら、奥田さんの評価とは違うかもしれないんじゃないのってこと」
「そんなことないです。自分でも自分の写真のどこがいいのかわからないくらいなんです」
「そうかな。営業の人がはじめに奥田さんを紹介するときに、学生の頃の写真見せてくれたけど、おれはいい写真だと思ったよ。素人の意見だけどね」
「そんな、もったいない」
「謙遜、じゃないのか。本当にそう思ってるんだ」
「どういうことです?」
「カメラの雑誌で賞とかあるでしょ、ああいうのに応募したことないの?」
「山口、ああ、一緒に撮影する女の子、山口っていうんですけど、山口に勝てるくらいの写真じゃないと応募しても無駄というか、したくないというか」
「それじゃ、ダメだよ。ビビッてるの?自分のマジな写真けなされたら嫌だって思って賞にだせないの?」
「そんなわけじゃ。仕事の写真、みんなに見られてますし」
「あんなの、写真なんか見てないよ、みんな女の子を見てるんだ。わかってるんでしょ?奥田さんのマジな仕事じゃない。自分の撮りたい写真撮って、最高の出来のやつを評価してもらわなくちゃ。それでもけなされるかもしれないけど。いま仕事で撮ってる写真にダメ出しされてもたいしたダメージないでしょ。それじゃダメ。ダメ出しされたら、ショックで寝込むくらいの真剣勝負やらないと。おれは、そういうことをやってるんだと思ってたよ。ちょっと残念だな。そういうことやってる人と、やってない人、どんどん差がついちゃうんじゃないかな。どうなの、それで。やってみる気あるの?」
「やってみる?」
「うん。写真を撮って、賞に応募するかってこと」
「はあ」
「なにか問題がある?」
「いい写真を撮るっていう」
「それはね、もっといい写真撮れたはずとか思うかもしれないよ。でも、応募の時点で一番いいやつをだすしかないんだよ。もっといいのが撮れたはずだっていうなら、次撮ってみろよってことだよ。仕事だってそうでしょ。おれはね、奥田さんはいまの仕事をやめて、独立っていうのか知らないけど、撮りたい写真撮って、それでカネもらって生きていくべきだと思ってるよ。こんなこと言ったら、奥田さんの会社の社長さんに怒られちゃうけどね。その第一歩が写真の賞をとることだし、賞に応募するってこと」
「なんか、山口みたいなことを言いますね」
「さっきの、一緒に写真撮りに行ってる女の子?」
「はい」
「写真がわかる女の子に賞に応募しろっていわれたの?」
「そうです」
「それで、まだ尻込みしてるんだ。最低のヘタレだな、奥田さんは。それは、写真を認められてるってことでしょ。それなのに、ビビッてダメだっていってるんだ。怒っちゃうよね、女の子のほうも」
「はあ」
「もうケンカした?」
「いや、ケンカってこととはちがうような」
「じゃあ、今度は女の子のこと聞いちゃうか」
「えー、そんな」
「付き合ってるの?」
「いえ、どちらからも告白してないんで」
「専門学校で知り合った?」
「はい、ひとつ年下なんですけど、なにかと世話を焼きたがる姉みたいな感じなんです」
「奥田さんは、好きじゃないの?その、山口さんのこと」
「よくわからないんです。学校で撮影旅行の計画を考えてたら急に割り込んできて、計画を決定され、同行されて、いつの間にか家の合鍵を作られ、パソコンにアカウントを作られてって感じで。好きになる暇がなかったのかもしれません」
「なにそれ、わけわかんないな。それで付き合ってないんだ」
「付き合ってないです。ぼくはそのつもりです」
「山口さんは、奥田さんのことどう思ってるとか言わないの?」
「はっきりとは言わないけど、好きってことじゃないみたいです。セックスしたくないっていうし」
「セックスって」
青木さんにも軽くあきれられたみたいだ。
「夜にうちにくることが多いので、山口はバイク乗ってるんですけど、バイクで夜やってきて、女の子だし遅くなったら泊めるようにしてるんです。でも、なにもしないと、手をださないって怒るくせに、セックスしたいのかって聞くと、そういうわけじゃないって言うんですよ。女の子はわからない」
「いや、それは聞いたらダメでしょ」
「はあ、雰囲気を読めと言われました」
「うん、山口さんが正しい。それが、ケンカみたいになったってやつか」
「もう少しあって。これも撮影旅行のときなんですけど、風呂にはいって、寝るまえにキスしていいかって聞いてみたんです」
「聞いたんだ。すごいね奥田さんは」
「そしたら、キスしよって山口も言って、キスしたら頭突きされました」
「どういうこと?」
「わからないんです。雰囲気が読めないから、一生童貞のままだっていわれました」
「奥田さん、童貞なんだ。女の子と付き合ったことは?」
「ありますけど、キスするまえに別れられちゃいました」
「じゃあ、山口さんと?」
「そうです、はじめてのキスでした」
「それなら、童貞も山口さんとってのは?」
「ぼくは、ぜんぜん嬉しいですけど。山口は写真がいいだけじゃなくて、かわいいし、魅力的なんです。でも、山口はぼくとセックスしたくないって言ってますし」
「いや、聞いたからでしょ。女の子がセックスしたいとは、なかなか言えないものだと思うよ。もうセックスした相手になら言うかもしれないけど」
「そんなものですかね。ぼくと山口は遠慮のいらない関係だから、したかったらしたいと言ってくれると思ってるんですけど」
「それは、山口さんに甘えすぎ。山口さんかわいそうだよ」
「かわいそうですか」
「奥田さん次第だね。山口さんのことが好きだって認めて付き合うのか、好きになれないって言って突き放すのか。そうでもしないと、山口さんがかわいそうだ」
「はあ」
「まあ、いっぺんに写真と女と考えるのは大変だから、もうしばらく甘えさせてもらって、写真で一歩踏み出せたら、山口さんのこと考えてあげたらいいんじゃないかな」
「はあ」
鴨のローストがおいしかった。萌さんのことが頭に浮かんだ。女の話になったから、青木さんの話も聞きだせるかもしれない。
「青木さんは、彼女いるんですか?」
「いないよ」
「最近別れちゃったんですか?」
「いや、何年だろ、付き合っていた期間より長い時間がもう経ってるね」
「まえの彼女が忘れられないってことですか?」
「うーん、そんなことはないけど」
「アプローチしてくる女の子は多いんですよね」
「どうだろ、そんなことないんじゃないかな。ほら、たとえば今この店に女の子だけの客が何組もいるよね?それで一緒に飲みませんかって言ってきたら、アプローチされたって思うけど、そんなことはない。仕事上で、挨拶みたいに誘ったり誘われたりはあるけど、挨拶だからね」
「好みのタイプとかどうですか。ぼくは、お姉さんタイプがいいです」
「山口さんのことじゃないの?」
「山口は、かわいいけど、外見はお姉さんタイプじゃないです。しかも、中身はやさしいお姉さんじゃなくて、口うるさいお姉さんです」
「そうか。おれは、そうだな。山口さんみたいな人かな」
「え?」
「同級生みたいな感じっていうか。同じ目線で、対等な関係でいられる」
「うーん、それは。青木さんと対等って、むづかしいですね。会社の人とかですか」
「トラブルの元だからやめておく」
「社内で付き合っている人多いですか」
「同期が半分くらい結婚したけど、その半分くらいは社内だね」
「ふーん。ぼくの会社男ばっかりだから、社内の線はないです」
「経理事務やってるオバちゃんしかいないか」
「そうです」
「そういう作品撮ってるけどね。女のスチールカメラマンが騙されて出演させられちゃうやつ」
「ぼくにしてみたら、それはファンタジーです」
お酒は、青木さんの真似をしてウィスキーのストレートを何杯か飲んだ。すごくアルコールが強かったけど、おいしい気がした。一緒に飲む水のことをチェイサーというと教えてもらった。チェイスというのは、カーチェイスのチェイスと同じ言葉で、追いかけるって意味なんだとか。ウィスキーを追いかけて水が喉を通るイメージらしい。まったく、水までシャレている。外国の文化にあこがれてしまう。いつか外国で撮影してみたいものだ。
強いお酒を飲みすぎて、帰ったらそのままベッドに直行してしまった。翌日、萌さんに青木さんとお酒を飲んだと報告したら、会って詳しく聞きたいと言われた。
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