4 いままでなんの話してたと思うの? わたしたちの撮影旅行の話でしょう? わたしたちの
ぼくは撮影旅行の計画を考えるのが、専門学校へ通っていたころから好きだった。計画を考えるときは、生協で旅行のパンフレットをもらってきて、学食のテーブルに並べて夢を広げる。
二年生の春、ゴールデンウィークに東北地方で桜を撮りたいと思った。前年は専門学校にはいったばかりでバタバタしていて、いつのまにかゴールデンウィークが終わっていた。
詳しくはわからなかったんだけど、東北に行けばまだ桜が咲いているだろうという発想だ。山桜なら見頃くらいじゃないかなと、なんとなく思っていた。例によって、学食のテーブルに旅行パンフレットを広げてみる。果たせるかな、もらってきたパンフレットは、花見をアピールするものばかりだった。学食のサーバからくんだお茶をすする。弘前城なんかよさそうだなと、ながめる。
となりのイスに女の子がすわった。ぼくの広げたパンフレットを一緒になって眺めはじめる。ひとつをとって、これ!と言った。パンフレットに印刷された写真を指差して、こちらに向けている。雪をかぶった山をバックに満開の桜並木が両サイドから迫る写真だった。ぼくは写真を一瞥して、女の子の顔を見た。正直いって見惚れた。若々しくて、整った顔立ち、派手ではない、シンプルなデザインの美しさを感じさせる顔をしていた。この女の子が専門学校一年生時代の山口だ。いまはもう少し大人の女の雰囲気を身にまとっている。
「どうしたの?」
「え?いや、どういうことかなと思って」
見惚れていたとは、恥ずかしくて言えない。
「どういうこと?撮影に行くんじゃないの?」
「うん、どこに行こうかと考えていたところ」
「だから、ここにしましょうと、言ったんだけど」
「ここにしましょうって、キミも行くの?」
「山口」
「あ、名前?山口さんっていうんだ。ぼく奥田」
「奥田は、不満?」
「呼び捨てはちょっと、不満かな」
「そうじゃなくて、ここで不満があるの?」
もう一度旅行パンフレットを掲げて、指を差した。
「ぼくは、弘前城がいいかと思ったんだけど。ここは、世界一の桜並木ってキャプションが書いてあるね。どこ?」
「知らない」
それから、調べたところ、岩木山総合公園というところで、弘前からバスで行けるとわかった。
「ここは、弘前から行くみたいだね」
「じゃあ、弘前城とここ両方撮れるんだ」
「うん」
「そうだなぁ」
山口はまたパンフレットをむさぼるように見はじめた。
「よし、決めた!弘前からぐるっと五能線で回り込んで秋田にでて、角館に寄るでしょ?で、盛岡にでて南下して花巻温泉につかってかえってくる。どう?」
テーブルの上のパンフレットを、ぼくとならんで見下ろしながら、印刷された地図を指でなぞった。ふたりとも立ち上がっている。
「どうっていわれても、それって何泊になるの?」
「弘前に二泊、五能線の沿線で一泊、花巻温泉に一泊でいけるんじゃないかな。全部で四泊」
「大丈夫かな。写真撮るなら、欲張らない方がいいと思うけど」
「欲張るにきまってる。桜が満開になるタイミングなんてわからないんだから、できるだけいろんなところで撮るようにしないと、満開なんて撮れないよっ」
「同じところに何泊かして満開を狙った方がよくない?」
「それじゃ飽きちゃうでしょう?満開になるまでなにするの?」
「ぼくは大丈夫っていうか、あんまり忙しいのは大変だと思う」
「不満ということ?わたしと一緒に行動するのは嫌なの?」
「一緒に行くの?」
「当たり前でしょう?いままでなんの話してたと思うの?わたしたちの撮影旅行の話でしょう?わたしたちの」
「山口さんの撮影旅行だと思ってた。じゃあ、一緒に泊るってこと?」
「そうだなぁ、信用していいかわからないけど。四泊するとなると高くつくし、そこは目をつぶりましょう」
ぼくの意志が考慮されることはない。これはいまでも変わらないけど。
なんとなく話をまとめられてしまって落ち着いてきたら、あらためて疑問が湧く。
「えっと、山口さん」
「山口でいいよ。わたしのほうが年下だし」
「え?そうなの?」
「同じクラスの女子の顔も覚えてないの?」
「ぼく、人の顔を覚えるのが苦手なんだ」
「わたしは、一年」
「そう。じゃあ、山口」
「なに?」
「あ、いや。山口がなにものなのか聞きたかったんだけど、いまわかっちゃったから、聞くことなくなった」
「下の名前なんて言うの?」
「え?ぼく?」
「当たり前でしょう?ほかに誰がいるの?英語みたいに、あなたの下の名前はなんですかと聞かないと通じない?」
「ごめん。あまり聞かれることないから。和希」
「カズキね。年上の男の子に奥田はないよね。これからはカズキって呼ぶ」
「いや、それもどうかと。勘違いされるよ?」
「勘違いって?」
「えっと、山口とぼくが付きあってるって」
「勘違いされたら迷惑?彼女いる?」
「いないけど」
「いたらビックリだけど」
「いたことはあるよ、失礼な」
「いいよ、見栄はらなくて」
「本当だよ。高校のときだけど」
「ふーん。でも、いまいなかったら勘違いされたって、気にしなければいいでしょ」
「山口は気にしないの?」
「ぜんぜん」
「チャンスが減っちゃうかもしれないよ」
「彼氏がいても奪ってやるってくらいの気合の人じゃないと意味ないからいいの。それか、こっちから告白したいってくらいいい男じゃないと」
「そう。なんというか、すごいね」
「本気にした?」
「え?ウソなの?」
「さあ」
それから山口は、電車の時間を決め、宿を決め、必要な手配は全部してくれた。お金は行った先で出し合った。このときから同じ部屋で泊った。ホテルではツインで、旅館では布団を並べて寝た。ぼくがまだ童貞であることから明らかなとおり、ぼくは山口になにもエッチなことをできなかった。ぼくには、勇気と覚悟がなかった。
このあと、ぼくが撮影旅行に行くときは必ず山口が仕切ってすべて世話してくれた。もちろん、撮影に同行してぼくを振りまわした。ぼくが卒業したころからだろうか、いつどこに出かけて何を撮影するかも全部、山口に決められてしまうようになった。今では、ぼくのほうが同行者のようだ。
思い返してもヘンなんだけど、山口とぼくは、はじめて会った瞬間から今と同じくらい親しかったと思う。それは主に、山口のぼくへの接し方のせいだけど。その代りに今も、はじめて会ったときからなんの進展もない。いや、キスをしたから、三年たって、とうとう進展したわけだ。これから山口との関係を進展させたいという気持ちもあるけど、ぼくは山口が好きなのかという疑問がひっかかって、ブレーキをかける。好きでもない女の子とエッチなことをして、あとで傷つけてしまうのはかわいそうだし、ぼくも悲しいと思う。キスをしたといって、喜んでばかりもいられない。やっぱり、出会ったころとかわっていないかもしれない。
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