6 ぼくは四川風の麻婆豆腐が好きなのだ。

 金曜日の仕事終わり、横浜が萌さんに都合がいいということで、電車で横浜のみなとみらいに向かった。山の手線から乗り換えてから三十分以上かかる。改札を出たところで萌さんと合流した。ぼくは空腹で倒れそうだった。横浜といえば中華ということで、駅ビルで中華の店を探した。麻婆豆腐屋があったから、そこにはいった。看板の四川の文字に期待が高まる。ぼくは四川風の麻婆豆腐が好きなのだ。レトルトの麻婆豆腐のソースを買うときは必ず四川風を選ぶ。

 まず料理を食べて腹を満たしてから本題に入りたかった。料理を待つ間の話題としては、この間電話をもらったときの撮影旅行の話が適切のように思った。

「この前はすみません。電話いただいたのに」

「ううん。いいの」

「あのときは、二人乗りしたバイクで高速に乗って、ダムと瀧を撮影してきたんです」

「バイク二人乗りで高速に乗れるんですか」

「もう十年くらい前に規制がなくなってオッケーになったみたいです。それまでは二人乗りで高速はダメだったんです」

「運転は、奥田くん?」

「いえ、ぼくはバイク乗れないんです。山口っていう、女の子です」

「へー、女の子でバイク乗って、後ろに男の子乗せて高速か。カッコいい」

「カッコいいんです」

「彼女じゃないって言ってたっけ。電話で」

「ちがいます」

「ブスなの?」

「いえ、かわいいですよ。スタイルもいいです」

「なんで付き合わないの?相手にしてもらえない?」

「うーん、そうかもしれない」

「そっかー。男として意識させないと」

「はあ」

「そうだ、今度撮影に付きあいたいっていうのは考えてくれた?」

「ぼくスナップとか撮らないんで、萌さんについてきてもらうような撮影はないかもしれません」

「スナップって?」

「えっと、街中のものとか、人とか撮るやつです」

「奥田くんが撮るのは?」

「風景です」

「風景か。風景がいいところにいかないといけないんだ」

「まあ、そうです」

「奥田くん、車の免許は?」

「もってないです」

「いまどきの若者は車に興味ないっていうしね」

「興味はあるんです。でも、買うカネがないんです。むしろ免許を取るカネもないです」

「なるほどね。日本が落ち目だから、若者にしわ寄せがきてるんだよね」

 セクシータレントといってバカにできない。萌さんは、ぼくなんかよりぜんぜん賢い。大学に通っているか、大学をでているかしている。正確なところは、デリケートだから聞かないのがエチケットだ。萌さんというのも、もちろん芸名だ。

 ぼくの麻婆豆腐と萌さんの担々麺がきた。オシャベリは中断した。

「このあと、近くの遊園地にいってみましょう」

「こんな時間にですか?」

「たしか、九時までやってるはず。入場料かからないから、観覧車乗るだけでも」

「あー、あの、観覧車。でも、外から眺めたほうがよくないですか。乗っちゃうとあのライティングが見られない」

「夜景が見られるよ?」

「なるほど、行ってみますか」

 萌さんについて遊園地へ来た。まっすぐに観覧車に向かう。観覧車の分のチケットを買う。列ができていて、最後尾につく。

 萌さんはジーンズにジャケットに黒ぶちメガネといういでたちで、目立たないつもりなのか、逆に目立っているというか。あまり一般人には見えないと思う。でも、すこし涼しくなってきたから、スカートよりよかったかもしれない。

「奥田くん、風景の撮影だけど」

「はい」

「電車で一緒に行こうよ」

「行くつもりなんですか?萌さんが楽しめるようなものじゃないですよ?」

「いいよ。なにか変わったことをしてみたい」

「じゃあ、撮ってみます?萌さんも」

「あ、それいいね。うん。じゃあ何が必要?」

「機材はぼくの貸します」

「どこがいいかな。富士山見えるところ?」

「富士山ですか。ぼくも撮ったことないです。静岡か山梨かな。遠くないですか。朝早くでて、夜遅く帰る感じ」

「泊らないの?」

「電車代を考えると、泊るのはキツイかと」

「でも、せっかく電車代だして行くのに、日帰りはもったいないんじゃない?」

「悩ましいところですね」

「ダブルにしたら部屋代安上がりになるんじゃない?ラブホテルとか?」

「いや、勘弁してください」

「バイクの彼女は、奥田くんの彼女じゃないんでしょ?べつに彼女いるの?」

「いえいえ、いません」

「じゃあ、いいじゃない。襲わないから。ねっ?」

「」

 なんだろう。女性が誘われるときって、こんな感じなんだろうか。ぼくが女だったら、だれとでも泊りで旅行に行ってしまいそうだ。

 観覧車に乗る順番がきて、ゴンドラに乗りこんだ。

「泊りの件は、考えさせてください。あとで相談しましょう」

「いいよ?」

「青木さんの情報ですけど」

「うんうん」

 萌さんが頭を縦に振る。

「彼女はいません。もう何年もいないです。でも、昔の彼女が忘れられないというわけではないそうです」

「そう。わたしにもチャンスあるかな」

「ぼくにはわかりかねます」

「冷たいなー、そこは大丈夫っていってくれないと」

「好みのタイプ、聞きましたよ」

「すごい、できる子じゃない!」

「同級生みたいな、対等な感じの人がいいって言ってました」

「うげっ。青木さんと対等って。条件厳しすぎる」

「会社の人とかですかって聞いたら、トラブルの元だからって言いましたよ」

「彼女つくる気ないんじゃ」

「ああ、あっち見てください。キレイですよ、夜景」

「どうでもいいよ」

「そうですか」

「前の彼女がどんな人か知りたいな」

「ミッション・インポッシブルですね」

「ダメそう?」

「前回だったら聞けたかもしれないけど。あらためて前の彼女どんな人だったんですかって聞いたらヘンですよね」

「わかった。じゃあ、できるだけ青木さんのことを調べて」

「青木さんのことですか?」

「そう。大学の学部学科、サークル、興味のあること、好きなもの、そういうこと」

「そういえば、飲みに行ったお店がオシャレでしたよ」

「どこ?」

「中目黒の駅の近くです。マンションの地下にあるお店で、外国のビールなのに生ビール飲めたり、ウィスキーの種類がすごくてわけわからなかったり。参考になります?」

「うん、そこだ!こんどそこ連れてって。青木さんが食べたもの飲んだもの、同じものを食べて飲むの。青木さんと話したこと、全部また教えて」

「はあ。ぼくと行くんでいいんですか?お店の場所教えるんで、もっといい男の人といったほうがいいんじゃないですか。オシャレな感じですよ?」

「そんなの気にしなくていいから。オシャレでもダサくても、バーでも居酒屋でも、どうでもいいの」

「はあ。ああ、いまがテッペンくらいです」

「うん、そうね」

 萌さんは、はじめて周囲の景色を見た。あっちキレイだよと教えてくれたけど、それはさっきぼくが夜景がキレイだって言ったほうだった。

 帰りの電車内で、電話の着信が鬼のようにあったことを確認して、あわてて山口に電話した。車内での通話はマナー違反だけど、緊急事態かもしれなかった。

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