第1話 幸せとは……への応援コメント
これね。私もそうなんですけどね。幼少期に母にやたら厳しく躾けられたせいで、無意識下で「自分はこんなに幸せになっちゃダメだ」って、幸せを感じる度に罪悪感を感じるようになっていたんですよね。
大学生になった時、皆が馬鹿笑いしてる中、”何が面白いんだろう?”と感じたことがありまして。その時初めて、自分には情緒の感性に欠落があることを発見しました。
幸せを感じる感性が幼少期にちゃんと育たなかったんですね。
それから自己啓発本を読み漁って、呼吸法や瞑想法を習得したり、友人と夏休み遊び倒したりしました。
かなり感性は育ってきましたが、まだ十分ではないと思います。
諦めないで!一緒に自分の感性の欠落に向き合いませんか。
作者からの返信
サラマン様、コメントを下さりありがとうございます。
私は『幸せとは何か?』という疑問に、明確な解答を持ち合わせてはいません。
でも、自分が幸せなら『幸せ』と感じる位の感性は、持ち合わせているつもりです。
それなのに幸せを実感出来なくなってしまいました。
『幸せ』とは人によっても感じ方は違うと思いますが、私にとっての幸せとは自身の望みや希望がある程度叶うことだと思います。
しかし現在、望みや希望はなかなか叶わない時代になってきました。まして一度躓いてしまうとカードゲームの『ど貧民』のように、そこからの脱出はとても難しいものです。
そこで諦めるかどうか。私は諦めきれずに虚しく足掻いています。
編集済
第1話 幸せとは……への応援コメント
こんにちは。ゆきこのはと申す者です。
私の企画にご参加くださり、ありがとうございます。
では。
感想という名の意見を述べさせていただきます。
ただしあくまでも、一個人&素人の意見だとお思いください。
もし、気に入らないとお思いなったら、遠慮なく応援コメントを削除してくださって結構です。
そうですね。
幸せって、目には見えないから、わかりずらいのかもしれません。
もしこの世が、お金持ちであること、つまりお金をたくさん持っていることが、幸せの指数になってしまっているのなら、それこそ悲しいことはありません。
最後の方の、「幸せの独り占めには断固反対です。 物価の優等生である卵のように、一部の人が買い占めることなく一般庶民の誰もが小さな幸せを感じることのできる世の中になればいいのにと願わずにはいられません。」というお言葉に、確かになと納得する自分がいました。
本当ですね。
そんな世の中が来れば、争いごとも少しは減るでしょうと思ってしまいました。
まだ学生の身の上でもある私も、本当の幸せについては、よくわかっていません。
でも、つらくて逃げだしたい時には、「明日が来ることに絶望していないだけマシ」と思って自らをふるいだたせます。
結局、幸せについてもそう言えるのではないでしょうか。
大木 奈夢さまが、今までどのような人生を送っていらしたのかは、若輩者の私には察することなど、到底かないません。
しかし、こんな私め以上に、酸いも甘いもご存じだとお見受けいたします。
だから、何らかの理由で自殺してしまう人も依然多い世の中で、今日も生きていらっしゃるだけで素晴らしいことではないでしょうか。
私は、そう思います。
拙い感想で非常に恐縮です。
所々、生意気なことも申し上げました。
そこは、若輩者の言葉だと思って、捨ておいてください。
他のエッセイの方も、また時間があれば拝読しようと思っております。
感想が少々遅くなり、すみませんでした。
それでは。
長々と失礼致しました。
作者からの返信
ゆきこのは様、ご丁寧なコメントを下さりありがとうございました。
そうですね。幸せというのは目に見えないからこそ分かりづらく、また人によって感じ方が違うものだと思います。
実際、幸せを買い占めることなどできないのですが、それでも世の中には買い占めたが如きの人が一部には存在しています。
半分はボヤキですが、自分にとって、また世の中の人にとっての幸せって何だろう? そんな思いをエッセイとして書いてみました。
第2話 私が生を受けた存在価値はあるのか?への応援コメント
……実は、すでに若い頃からありました。十歳の頃でしたね、考えるようになりました。物語に載せないと語れないものですから、書き続けています。思いっ切り共感ですね。
作者からの返信
大創 敦様、コメントを下さりありがとうございます。
残り少ない人生を考えると、このまま死んでしまったら自分がこの世に生まれてきた価値はあったのだろうかということを考えるようになりました。
何か生きていたという証を遺せないものかと考えた時に、私の目の前にはカクヨムがありました。
私の作品を読んで共感して下さる読者が例えわずかでもいたら、その人にとって私という存在の価値があったのではないかと……。
自分勝手な解釈ですが、それが今の私の生きる拠り所となっています。
第2話 私が生を受けた存在価値はあるのか?への応援コメント
ほんとうに共感します。
実は私も「自分が死んだら消えてしまう」ことにえもいわれぬ哀しさを抱き、少しでもこの世界に爪痕を残せたら⋯⋯との思いもあって物語を書いています。永遠に答えのでない問いですね⋯⋯。自分に何らかの価値があってほしいものです。
作者からの返信
雨の弓様、コメントを下さりありがとうございます。
約十年位前に人生に失敗してから、自分が生きてきた価値があったのかということを考えるようになりました。
このまま死んでしまったら、この世に何も足跡をを遺せないとの焦りの気持ちです。
カクヨムへの投稿は読者に私という存在を知って欲しいという思いの現れなのでしょう。
第1話 幸せとは……への応援コメント
「幸せ」という感情の正体は、私が創作をする上で一つのテーマになっています。
形がないからこそ、難しい。その在り方も人それぞれ。
けれど、決して幸せを「独り占め」することはできないと私は思っています。きっと、本当に幸せになると、他の誰かの幸福を願うようになると思うのです。幸せについて改めて考えさせられる作品でした。
作者からの返信
雨の弓様、コメントを下さりありがとうございます。
幸せを実感できないのは、旦に見えていないだけなのかも知れませんね。
そんな見えない幸せを探しながら人生を歩んでいます。
第1話 幸せとは……への応援コメント
レビューを見て来ました。
なるほどと頷く私がいましたw
不幸な時は気付くけど、幸せは後になって気付くような気がします
作者からの返信
あいる様、コメントを下さりありがとうございます。
幸せは自分で気付いていないだけかも知れませんね。
でも我儘な私は気付ける位明確な幸せを望んでしまいます。
第1話 幸せとは……への応援コメント
まあ、明日が楽しみなら幸せなんじゃないかな?
作者からの返信
ハイロック様、コメントを下さりありがとうございます。
そうですね。不幸せとも言えないと思えること自体が幸せなのかも知れません。
第1話 幸せとは……への応援コメント
こんにちは!
大木さんは優秀な方なんだろうなーと推察させて頂きました。
そういう走り方では、これ以上タイムは伸びない。走れない。
そういう岐路に差し掛かって、あれ?という状況でしょうか?
有名なボトルネックで、イノベーションの時期とは分かっているものの、さて?どうしたものか?
感受性が運動不足で固まっているのかもしれませんね。
でも、こうしてカクヨムで書かれているのを見ると、実は前にしっかり進まれているのだと思います。
今はまだ気がついていないだけで、新しい大木さんに変わっていっているのかも。
個人的には幸せは感じるものではなく、生み出し人に与えるものであると定義しています。
でも、人を幸せにするのは超難関問題。
故に、本を読んだり、書いたりしつつ、日々学んで行くしかない……
死ぬ時には、あなたがいて良かったと誰かに言われたいものです。
作者からの返信
麒麟屋郁丸様、コメントを下さりありがとうございます。
幸せって、人によって感じ方が違うので難しいですよね。
もちろん人を幸せにすることも自身の幸せに繋がります。でもそうは言いながら、自身が不幸せでは人の幸せにまで思考が回らないのも事実です。
願わくば私が死ぬときに、私自身も人生に憂いを残すことなく、誰かに『貴方がいてくれて良かった』と言われるようになりたいと思うのですが……。
叶わないでも現在、それを目指しています。
叶うかどうかは分かりませんが、そうなれば良いのなという、漠然とした期待を隠し通すことはできません。