第11話 血の月の下で

 まだそんなに時間がたっていないお陰で、ザーラ、ジャック、マリシアのにおいの痕跡を辿ることは難しくはなかった。


 シルヴェス、アーサーに、ルイとロイを加えた四匹は、街の外れに向かって足を急がせている。


 チビちゃんが殺されてしまうのが先か、カラス仮面が駆けつけるのが先か――。いずれにしても、猫か人のどちらかが死ぬことは必至だ。そんな状況に自分が飛び込んで、何かできるだろうか?


 シルヴェスは必死に思考を巡らせたが、良い考えは全く浮かんでこなかった。


 また後先を考えずに飛び込む結果になってしまうのではないかという懸念が頭をよぎるが、こうなってしまった以上、何もせずに見過ごすことはできない。


「おい」


 不意に、隣を走るアーサーが声をかけてくる。


「お前の希望通り、とりあえず現場には向かうが、どうしようもない状況だったら絶対に手を出すなよ。相手はあのカラス仮面だ。敵に回すと命に関わる」


「……うん」


 シルヴェスは少し間をおいて、返事を絞り出した。そう、私は無力なのだ。最悪、何もできずに悲劇を見守る覚悟もしておかねばならない。


「分かったな?」


 シルヴェスの答えに迷いがあることを察したのだろう。アーサーが再び念を押してきた。


「うん。分かった」


 今度こそきっぱりと答えたシルヴェスは、胸の内がすっと冷たくなるのを感じる。自分の感情に蓋がされたのだと分かった。


 四匹は住宅地の隙間を縫うように走り、屋根の上に上ったり、塀を越えたりして進んでいく。


 前を行く三匹との距離が近づいてくるにつれ、そのにおいがだんだんと強くなってきた。ほのかに子猫特有の甘い香りも漂ってくる。


「向かっているのは、おそらく『粛清の広場』――か」


 アーサーが鼻の頭に皺を寄せて唸った。


「粛清の広場?」


「ああ。捕らえられた魔法ギャングのアザンバークとその手下がまとめて処刑された場所だ。まともな神経の人間なら近づかないが、魔女狩りを支持している奴らにとっては聖地みたいなところなんだろう。今でもよく惨殺された猫の死骸が捨てられているらしい」


「ええっ! それじゃあ……」


「そうだな。あんまり良い展開は期待できない。――急ぐぞ!」


 アーサーはルイとロイを振り返って叫び、一段と速度を上げる。


「ちょっと、待っ……!」


 シルヴェスは咄嗟に引き留めようとしたが、今回はチビちゃんの命がかかっていることを思い出して口を閉じた。オス三匹の全速力について行くのはさすがに無理があるが、ここで足を止めるわけにはいかない。


 シルヴェスは必死の思いで駆け、彼女の心臓は今にも張り裂けそうになった。


「……ここだ」


「はあ、はあ、つ、着いたの……?」


 闇に沈んだ荒れ地のような場所。ようやく足を止めたアーサーの後ろで、シルヴェスは息も絶え絶えに崩れ落ちるように伏せた。石畳を突き抜けて生い茂った雑草に顔を沈めて呼吸を整える。


「やはり草丈が高いな。あまり見通しが良くない」


 一方のアーサーは全く疲れを見せずに草陰から顔をのぞかせた。


「……いたぞ。人間どもだ。処刑台跡地に集まってやがる」


「マリシアたちはどこっすか?」


 ルイとロイもアーサーの傍で首を伸ばす。


「分からん。奴らもどこかに伏せて隠れてるんだろう」


「わ、私にも、見せて……」


 シルヴェスは力の入らない足でよろめきながら身を起こした。全身が火照って目が回りそうだ。やはり、こういう時に毛皮のせいで汗をかけないのは不便である。


「離してー!」


 不意に、子猫の甲高い悲鳴が聞こえた。そちらに目をやると、チビが男の手に尻尾をつかまれ、宙づりにされているのが見える。


 ひどい……。


 シルヴェスは絶句した。痛みに近い感情が彼女の胸をえぐる。


「ピーピーうるせえ。一思いに黙らせてやろうか!」


 男の苛立った声が聞こえた。


「まあ待て。子猫とはいえ、こいつも邪悪な魔力を持っているはずだ。ちゃんとした手順を踏んで駆除しないと、何が起こるかわからない」


 別の男が答えた。


「どうするんすか? 早く助けないとチビが殺されちゃいますよ!?」


 ルイかロイのどちらかが切迫した声でアーサーに囁く。


「分かってる。だが、無策で飛び込めば、俺たちまで捕まっておしまいだ!」


 アーサーは苦悶の表情を浮かべた。男たちの会話は続いている。


「邪気を払うなら、やっぱり火あぶりか? それとも首を切り落とすか?」


「そうだな……。今回は一匹だから、刃物で始末しよう」


「ふん、そうと決まれば、さっさと済ませようぜ。ほら、猫を台の上に押さえつけろ」


 だめ!!


 シルヴェスが思わず変身を解こうとしたその時、


「にゃあ!!」


 どこからか、鋭い猫の鳴き声が響いた。


「何だ? 他にも猫が?」


 チビを取り囲んでいた四人の男たちが手を止めて周囲を見回す。数秒とかからず、彼らの視線は一点に集まった。


 闇が凝縮したかのような黒い衣装の影。


 嘴のようなマスクから漏れる微かな呼吸音。


 月の光を受けて赤く反射する二つの円形ガラス。


 ――カラス仮面!


 振り返ったシルヴェスは思わず声を上げそうになった。


「な、何だ貴様! こんなところに何しに来た!」


 男の叫び声には怯えが滲んでいる。


 カラス仮面はその問いかけには応じず、無言のまま草を踏み分けて処刑台の方へと進む。シルヴェスはその足元にキールの姿を見つけた。さっき鳴いたのはあの子に違いない。


「そ、それ以上寄るな! こっ、この子猫がどうなってもいいのか?」


 男たちが喚く。――カラス仮面は黙って黒い手袋に覆われた右手を掲げた。


「ぐ……ああ……!?」


 刹那、男たちが悶え苦しみながら、ばたばたと崩れ落ちる。


「わあっ!」


 男の手から解放されたチビが短く鳴き、処刑台から転がり落ちて石畳の上に着地した。


 男たちの体は小刻みに震えると、糸が切れた操り人形のようにぱったりと動きを止める。


「死んだ……。あっという間に……」


 シルヴェスは目を見張った。


 あんな魔法見たことない……。一体何が起こったの?


 得体の知れない恐怖に、シルヴェスの背筋が凍り付く。その時、彼女の耳にマリシアの鳴き声が飛び込んできた。


「坊や!」


「あっ、お母ちゃん!」


 茂みから飛び出したマリシアに、チビが短い足をばたつかせて駆け寄るのが目に入る。


「キール。よくやった」


 この声はジャックだろう。そう思うと、草が揺れてジャックとザーラが姿を現した。


「間に合ってよかったよ」


 キールがカラス仮面の傍から鳴き返す。カラス仮面は手を下ろし、ゆったりと処刑台の方へと近づいた。


 マスクにはまったガラス越しに、転がる四体の骸を見下ろす。


 三体は地面の上、一体は上体が処刑台の上に載ったままこと切れていた。


「あっ」


 シルヴェスが驚きの声を漏らす。カラス仮面が無造作に死体を処刑台から蹴り落し、空いた場所に悠然と腰かけたからだ。


 その行動からは人間らしい感情が一切感じられない。


 シルヴェスたちが隠れて見守る中、過激派三匹と親子猫がその前に集まる。


「ありがとうございます! お陰でうちの子が助かりました!」


 マリシアがカラス仮面に向かってにゃーにゃーと鳴いた。


「マリシア、このお方に猫語は通じないわよ」


「あ、そうだったわね」


 ザーラに指摘され、マリシアは恥ずかしそうに耳をかく。すると不意に、


「通訳なら任せて。この中では俺が一番、人の言葉が得意だから」


 とキールが言って、カラス仮面の膝の上に飛び乗った。キールは仮面の嘴に耳を寄せ、何かを聞き取っている様子である。


 やがて、キールは他の猫たちに向き直った。


「礼はいらない。それより、『魔法使い解放軍』に力を貸さないか――だって」


「魔法使い解放軍?」


「ああ。魔法使いの地位向上を目指す団体のことだ」


 すかさずジャックが説明をつけ加えた。


「そして、このお方は魔法使い解放軍の急先鋒……。組織の中では新入りにも関わらず、その類まれな実力で、『首領』並みの存在感を示しているそうだ」


「へえ……。そうなのね……」


 心酔しきった口ぶりで語るジャックに対し、不安げなマリシアの返事には迷いの色があった。無理もない。目の前であっさりと四人もの命を奪った人間なのだ。子猫を救ってもらった恩があっても、仲間になるのは躊躇するだろう。


「あの……力を貸すって、具体的に何をすれば……」


 マリシアは視線をジャックからカラス仮面に移した。カラス仮面は再びキールとひそひそ言葉を交わす。


「……簡単だ。この街にいる虫や動物を捕まえてきてくれればいい。そいつらを実験台にし、最適な『キャリアー』を探す――だってさ」


 キールがカラス仮面の言葉を代弁する。すると、すぐさま、


「僕、虫取り得意だよ!」


 と、チビがマリシアの足元で可愛らしい声を上げた。しかし、マリシアは戸惑いがちに首を傾げている。


「た、確かに、私たちにとって小動物を捕まえるのは難しくはないけれど……。本当に、そんなことだけでいいのかしら……?」


「心配しないで。そんなことだけでいいのよ。猫想いの主が私たちを虐めるわけがないわ」


 カラス仮面の答えを待たずにザーラが口を挟んだ。ジャックが苛立った口調でその後に続く。


「大体お前、人間との融和を謳ってばかりじゃ誰も救えないって、今夜身をもって学んだばかりだろ? 今更何を迷うことがある?」


「…………」


 マリシアはちょっと黙り込んだが、すぐに決心がついたらしい。顔を上げてこう宣言した。


「分かったわ。私と息子は可能な限り、カラス仮面に協力することにしましょう。猫たちの明るい未来のために」


 そんな……! 


 マリシアの返事を耳にして、シルヴェスは雷に打たれたような衝撃を受けた。


「ちっ。親子があっちに引き込まれちまった」


 隣でアーサーが小さく唸り声を上げる。


 カラス仮面は膝の上のキールを手で軽く叩いて地面に降りさせると、満足げにズボンのほこりを払って立ち上がった。


「頭を下げろ!」


 アーサーが慌てて囁く。シルヴェスたちは首を引っ込め、草陰に身を潜めた。カラス仮面が広場から去っていく気配を感じる。


「よし。俺たちも撤退するぞ。ここであいつらと鉢合わせするのはごめんだからな」


 アーサーは処刑台の近くに残された五匹の猫を顎でしゃくって言った。


「おっす」


 ルイとロイが短く応じる。


「おい。聞いてんのか? 行くぞ」


 アーサーは黙ってうつむいているシルヴェスの背中をとんとんと叩いた。


「……うん」


 シルヴェスは重たい足取りで広場に背を向ける。


 空を見上げると、月はいつの間にか分厚い雲に隠れていた。



 シルヴェスたちは、再び物寂しい路地に戻った。


 四匹は全く言葉を交わさずに、黙々と足を進めている。


 シルヴェスの頭の中では、様々な考えがるつぼで溶けたようにぐちゃぐちゃになって渦巻いていた。


 人が殺されるのを前にして、何もできなかった無力感。それと裏腹に、罪のない子猫が救われた安堵感。


 カラス仮面を非難したい一方で、あの人を支持する意見も、確かに自分の中には存在していることが分かる。


 ザーラはカラス仮面を「猫想い」だと言った。


 それはきっと間違いではないだろう。カラス仮面は、私と同じく、魔法使いや猫の迫害を止めようとしているはずだ。


 だからこそ、カラス仮面を悪だと決めつけてしまうことには抵抗があった。


 なのに――どうして。


 どうして、こんなに心が疼いているんだろう。


 本当に、革命は血を伴わないといけないものなのだろうか?


 絶望感が彼女をさいなんだ。


 しかし、シルヴェスは挑戦的な気持ちでその考えを否定した。


 いや、そんなことはないはずだ。私は希望を捨てない。憎しみでこの街を変えようとしているカラス仮面と、愛でこの街を変えようとしている私。どちらが強いか勝負だ!


 シルヴェスは大きく欠伸をして、体をぶるっと震わせた。全身を血液が駆け巡り、気合いのスイッチが入る。


 それに気が付いたアーサーが、フンと鼻を鳴らした。


「今回は立ち直りが早かったな。猫焼きを見た時みたいに、ずっと塞ぎこむかと思ったぜ」


「大丈夫。私だって『もふもふ革命』の急先鋒だもの。カラス仮面には負けてられないわ!」


「何だよ。その『もふもふ革命』ってのは……」


 アーサーは呆れ顔になった。しかし、後ろで二匹の会話を聞いていたルイとロイは、すぐさま興味津々の表情で食いつく。


「シルヴェスさん、何か作戦があるんですね! 俺たちも協力するっすよ!」

 

 シルヴェスは兄弟を振り返ると、驚いて目を丸くした。


「えっ! ありがとう。でも、あなたたちはどうして私を応援してくれるの?」


「そんなの決まってるっすよ」


 兄弟は澄み切った瞳でシルヴェスを見つめて言う。


「シルヴェスさんが気に入ったからっす!」


「私が、気に入ったから……?」


 なんというシンプルな返答。しかし、これほどまでに嬉しい言葉があるだろうか。


 シルヴェスはむずがゆいような気持になると同時に、胸が熱くなるのを感じた。


「おーし! いい機会だ。お前ら二匹とも、猫カフェで保護してやる。良かったな。従業員が増えたぜ。これで本格的に営業を始められるんじゃねーか?」


 アーサーがシルヴェスの肩を前足でポンと叩いた。


「うん!」


 シルヴェスはぐいっと顔を上げて背筋を伸ばす。


 よし、やるぞ!


 天を仰ぐ。雲間からのぞいた月は、いつの間にか元の白い輝きを取り戻していた。

 



 

 


 


 


 




 

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