第10話 猫たちの事情

「ふう……」


 五つ目の植木鉢を天井から吊るし、台にしていた丸椅子の上から降りると、シルヴェスは猫カフェの店内を満足げに眺めて額の汗を拭った。


「うん。いい感じ!」


 シルヴァンメイトの改装は一階が終わり、二階の仕上げに入っていた。


 森をコンセプトにした以上、二階のインテリアにも観葉植物はほしい。でも、鉢植えを床に置くと、猫たちが悪戯するかもしれない。そこで、シルヴェスは植木鉢を吊るすことを思いついたのである。


 二階の広々とした部屋には、猫が登って遊べる足場が何か所も組まれ、猫の手が届かないところに緑やガラス細工が飾られている。


 立体的な空間を効果的に使ったデザインはエリスの発案だ。お陰で、人にも猫にも居心地の良い空間を作ることができた。


「姫、どうでしょう……?」


 シルヴェスは、さっきからソファの上で彼女の作業をずっと観察していたシャルロットに尋ねる。シャルロットはさりげなくシルヴェスから視線を外し、ふわふわの尻尾を数回揺らして返事をした。「まあ、悪くないんじゃない?」と言ったところだろう。


「やった、オッケー? ああー、やーっと終わったあー」


 シルヴェスは大きな声を漏らし、床の上に大の字に寝転がった。


 横になると、急に体が重くなるのを感じる。――連日の作業で、さすがに疲れがたまっていたらしい。しかし、心は静かな達成感に満ちている。  


 シルヴェスが感慨に浸って動かずにいると、すぐにシャルロットがソファから降り、シルヴェスのお腹によじ登ってきて、その上で丸くなった。


「ちょっと、重いんですけど……」


 呻きながらゆっくりと身を起こす。シルヴェスの上から飛び退いたシャルロットは、すごく納得がいかない表情を浮かべた。


「いや、あのね? 私は姫のクッションじゃないのよ?」


 苦笑してシャルロットのピンク色の鼻をつんと指でつつく。するとシャルロットが猫パンチで応戦してこようとしたので、シルヴェスは慌てて出した手を引っ込めた。


「みゃあ!」


 不意にシャルロットが何かを訴えるような声で鳴く。


「はいはい。何? ……ごはん?」


「みゃああ!」


「え? 違う? どうしたの?」


 シャルロットが自分の後ろを見つめていることに気が付いたシルヴェスは、振り返って曇りガラスの窓に目を向けた。


 フェルの工房で作られた窓にはつたが絡まったデザインの繊細な模様が浮き彫りになっている。外はすでに薄暗くなっているが、辛うじてガラスの向こうに、黒い二つの影がたたずんでいるのが見えた。


「猫!?」


 そのシルエットから、シルヴェスはすぐにその正体に気が付く。


 とんとん。


 外にいる猫がガラスを叩いたので、シルヴェスは急いで走り寄り、その窓を押し開けた。


「あ! アーサー!」


 途端に庇の上でむすっとした顔をしているアーサーと目が合う。その隣にいるグレーの子は、猫集会で会った覚えがあった。


「えっと、確か……アルル! どうしたの?」


 二匹はシルヴェスの問いかけには構わず、窓枠から飛び降りて部屋の中に滑り込んでくる。


「店の完成を見に来た……のかな?」


 二匹は部屋の中をぐるぐると歩き回った。アーサーの迷惑そうな表情から察するに、アルルは勝手に彼についてきたようである。――そういえば、猫集会の時も、二匹は仲が良さそうではなかった。


 とりあえず猫語で話を聞こう。


 シルヴェスは変身呪文を唱え、猫に姿を変えた。


「トレビアン! 素晴らしいカフェだね!」


「相変わらずうるっせーな。てめーは」


 たちまち、アーサーとアルルの会話が理解できる言葉となって耳に入ってくる。


「久しぶり! アルル。突然どうしたの?」


 シルヴェスは早速にゃーにゃーと問いかけた。


「シルヴェスー! また会えて嬉しいよ! 君を探してきたんだ!」


「嘘つけ。俺様をつけてきただけだろ」  


 甘ったるい響きで鳴いたアルルに、アーサーがぴしゃりと言い放つ。


「ひどいなあ。僕も猫カフェには興味があったんだよ?」


「ああ、そうかい。じゃあ、もう気が済んだだろ。帰れ」


 アーサーが仏頂面でアルルに詰め寄ると、アルルは耳を伏せてひらりと後ろに跳んだ。


「おお怖い……。分かった。帰るよ。勝手に家から抜け出したことがばれたら、またご主人様に怒られちゃうしねー」


 アルルは尻尾を一振りして別れの挨拶をすると、窓枠の上にジャンプして、そのまま外に姿を消す。


 シルヴェスは呆気にとられてその姿を見送った。本当に何しに来たんだろう。あの子。


 アルルが去っていく音が完全に聞こえなくなると、アーサーは深いため息をついた。


「あの野郎……。年頃のオスのサガとはいえ、あんな風にあちこちほっつき歩いてたら、そのうち人間に捕まるぞ」


 すると、シルヴェスの後ろからシャルロットがすかさず、


「そういう貴方もこうして外に出てきてるじゃない。私はお外が怖いって分かってからは、大人しく室内で暮らしているわよ?」


 と突っ込んだ。アーサーはじろりとシャルロットを横目で睨む。


「俺様は遊びに出歩いてる訳じゃないんだよ。俺様はこの界隈の顔役だから、我が身可愛さに引きこもっている訳にもいかねえ」


 そう言ってフンと鼻を鳴らすアーサーからは、まるで王者のような風格が滲み出している。


 おおお……。


 シルヴェスは口を半開きにして感嘆した。さすがアーサーだ。飼い猫は飼い主に似るというが、ロウザとハバに飼われているだけのことはある。


 そんなことを思っていると、「おい」と言ってアーサーがシルヴェスの方を振り向いた。


「お前、なに間抜け面してんだ。そろそろ猫カフェが完成する頃かと思って来てみたら、店内の猫はまだこいつ一匹だけなのか?」


「あ……。はい。仰る通りで……」


 シルヴェスは思わず目を伏せて答えた。


「改装に手間取ってたのか? まあ、それならそれでいい。俺様と猫集会に猫を雇いにいくぞ」


「ええ? 今から!?」


「ああ。今からだ。最近、人間の猫狩りがさらにエスカレートしている。野良猫を保護するのは早ければ早いほどいい」


 アーサーの気迫に押されてシルヴェスが息をのむと、アーサーはシルヴェスから顔を逸らし、独り言のように呟いた。


「実は、昨夜、長老が人間に殺されたんだよ。時計台の上から投げ落とされてな」


「えっ? 長老って、猫集会の時の――」


「ああ。人間嫌いの過激派三匹の思想に反対し、人間と猫の融和を目指していた方だ。この辺りでは一番の年寄り猫だった……」


「そんな!」


 よりによって、あのおじいさん猫が人間にやられてしまうなんて……。


 絶望感がシルヴェスを襲う。


「長老が死んだの? じゃあ、ザーラ、ジャック、キールは手がつけられなくなるんじゃない?」


 シャルロットも危機感を覚えた口調で口を挟んだ。


「ああ。その危険性は高い。もし、奴らが今夜の猫集会を欠席していると、かなり不安だな」


「よし! 行こう、アーサー!」


 シルヴェスはいてもたってもいられない様子でアーサーにせっついた。


「そう喚かなくても連れて行ってやるさ。じゃあな、シャルロット。留守をよろしく頼むぜ」


 アーサーはさらりと別れを告げて、窓枠に飛び乗る。シルヴェスは自分のセリフを取られた気分になった。


「また明日ね! 留守番をよろしくね!」


 仕方がないので同じことを繰り返してから、シルヴェスはアーサーの後を追って窓の外に出る。


「今日は満月か……。なんだか嫌な予感がしやがるぜ」


 庇の上で夜空を見上げたアーサーが唸るように呟いた。


 シルヴェスもアーサーの隣に腰を下ろす。――中天に浮かんでいたのは、血のような色をした赤い月だった。



 しばらくのち、二匹は薄汚い裏路地を歩いていた。猫カフェを出てから、一度も人とすれ違っていない。アーサーは以前にも増して用心深くなっている。


「いいか。人を見たら猫狩りだと思え。一時でも油断したらやられるぞ。飛び道具の餌食になる」


「はい」


 アーサーの指示に、シルヴェスは真剣な面持ちで答えた。無鉄砲に動いたらどのような目に合うかは、ルーマおばあさんを助けた時に身をもって知っている。


 ……とはいえ、今歩いているところは、決して進んで通りたい道ではない。


 異臭を放つ水たまりがそこかしこにあるし、両側から迫るボロボロの壁面にはところどころ穴が開いていて、そこからネズミの蠢く音がずっと聞こえている。


 いくら猫に変身しているとはいえ、半分人間の感性を残しているシルヴェスとしては、不潔なネズミに遭遇するのはごめんこうむりたい。


 猫の本能に抗えず、反射的に捕まえて口に入れてしまったらと思うと、それだけでぞっとする。


「前はこんなにネズミが多くはなかったんだけどな。最近のこの街はやっぱり狂ってるぜ……」


 アーサーが吐き捨てるように言った。純粋な猫でも、これだけ獲物の数が多いと辟易するらしい。


 ぴちゃん。


「ひゃっ!」


 耳の上に冷たい雫が落ちてきて、シルヴェスは短く声を上げて飛び上がった。慌てて前足でくしくしと耳の後ろを撫でつける。


 うう。もう何なの、この道……。


「ねえ、これ、本当に猫集会に向かってるの?」


 シルヴェスはとうとう痺れを切らしたように、前を行くアーサーに尋ねた。


「ああ。人目を避けるためにかなり大回りしているけどな。だが、このルートで人に見つかったことはない。一番安全だ」


「そっか。やっぱり」


 シルヴェスは力なくうなだれる。早く着きたいのはやまやまだが、それなら仕方がない。


「それにしても、猫ってよくこんな抜け道を見つけるよねー。私だったらすぐに迷っちゃう」


「ふん。お前は所詮、猫の皮をかぶった人間だってことだな。俺様はテリトリー内の道は全て覚えてるぜ」


「うぐ……」


 シルヴェスは悔しそうに尻尾で地面を叩いた。


 アーサーの言うとおり、シルヴェスは猫の潜在能力を最大限に発揮できている訳ではない。いや、むしろ、方向感覚は並の人間より劣っているほどである。


「それじゃあ、どうやったら道を覚えられるか教えてよ!」


 シルヴェスが強い口調で言い返すと、それを聞いてアーサーが「はあ?」という顔になった。


「なんで俺がお前に教えてやらなけりゃならねーんだよ」


「お願い! すぐ迷子になる癖を治したいの」


「知らん。自力で何とかしろ」


「そう言わず! お魚あげるから!」


 そうシルヴェスが詰め寄った次の瞬間――


「しっ。ちょっと黙れ。向こうに誰かいる」


 アーサーの大きな前足が、シルヴェスの頭を上から押さえつけた。顔をひしゃげさせたシルヴェスが通りの奥を見遣ると、そこには月明りを浴びて輝く白い影がたたずんでいる。


「あ! この前の白猫!」


 シルヴェスの言葉に、アーサーは眉をひそめた。


「そういえば前の猫集会の時にお前、白猫を見たとかなんとか言ってたな。そうか、あいつか……」


 二匹はその場に伏せ、白猫の観察を始める。


 こちらが影になっているからか、相手はまだこちらに気が付いていない様子だ。


「……俺様の縄張りで何やってんだ。あいつ」


 アーサーは敵意を露わにして、喉の奥で小さく唸った。白猫はしきりに地面のにおいを嗅いでいる。


「何かを調べてる……のかな?」


「分からん。だが、怪しい奴だということに変わりはない」


 そう呟くや、アーサーは前足に力を込めて少し体を浮かせた。その鋭い爪が指先からのぞいて地面に食い込んでいる。


「ちょっとアーサー!? いきなり喧嘩するつもりなの?」


「これはオスの宿命だ。縄張りに無断で入ってきたやつは叩きのめすのみ」


 シルヴェスが驚いて振り返ると、アーサーは目をらんらんと光らせて答えた。戦闘本能が疼いているのだろう。


「ただでさえ猫の数が減ってるんだから、とりあえず話し合おう? あの子にも何か事情があるのかもしれな……」


「うにゃああああ!」


 シルヴェスが言い終わる前に、アーサーは弾丸のように飛び出して行ってしまった。


「待ってって言ってるのに!」


 シルヴェスは慌ててアーサーの後を追う。


 白猫はすぐさまこちらに気が付き、通路を猛ダッシュで遠ざかり始めた。


「一本道だ! 貴様に逃げ場はない!」


「アーサーってば!」


 アーサーの耳にシルヴェスの声は届いていない。興奮した猫を落ち着かせるのは至難の業である。


 筋肉の塊ような逞しいアーサーと、華奢なシルヴェスとの距離はどんどん開いていく。


 もう追いつけないと判断したシルヴェスは速度を緩め、アーサーの追跡の行方を見守った。


 白猫もなかなかに逃げ足が速く、あっという間に路地の出口に迫っている。


 二匹は路地を抜けるとすぐ直角にカーブし、シルヴェスの視界から姿を消した。


「もう……。あんなに私に用心しろって言ってたのに、アーサーが我を忘れちゃってるじゃない」


 シルヴェスはぼやき、小走りで二匹が消えた地点まで駆け寄った。


 通りに顔をのぞかせると、すぐそばにアーサーの後姿が見える。


「あれ? 白猫ちゃんは?」


 アーサーは息を荒げて首を横に振った。


「見失った。奴め、こつぜんといなくなりやがって。この道には隠れる場所はないはずだが……」


 アーサーの尻尾が落ち着きなく揺れている。


「こつぜんと? 不思議だね」


 シルヴェスは辺りを見渡して首を傾げた。小売店が立ち並ぶもの寂しい通りだ。明かりがついているのは数軒しかない。


「もしかして、お店に入ったとか?」


「馬鹿言え。野良猫を入れる店がどこにあるんだよ」


「それもそうか……」


「畜生。あいつ。今度見つけたら絶対に捕まえてやる」


 語気を強めるアーサーに、シルヴェスは渋い顔を向けた。


 猫のこういう性質は、彼女にも理解できないところである。


「それより、猫集会の場所は? もう近いの?」


 シルヴェスが問うと、アーサーは我に返って通りの向こうを鼻先で示した。


「ここまで来れば広場はすぐそこだ。行くぞ」


 さっきまでの自分の勝手な行動を忘れたかのように、シルヴェスを先導する。シルヴェスは内心で苦笑しながらも、「はーい」と調子を合わせて答え、素直について行った。


「――あれ? こっちの道から出てくるのね」


 ほどなくして見覚えのある騎士の銅像を広場の中央に見つけ、シルヴェスは意外そうな声を上げた。


 広場からは放射状に道が伸びているのだが、前回出入りした道は今いる場所の真反対だったからだ。今夜通った道に見覚えがないはずである。


 二匹はきょろきょろしながら広場に足を踏み入れた。


 同心円状に並んだ石畳は月明かりで深紅に染まっている。


「予定よりも少し遅れたが、まだ集会は終わっていないはずだ」


 と、アーサー。しかし、それにしては……


「猫の気配がないよ……?」


 シルヴェスが言う。と同時に、銅像の台座の下から二匹の猫が姿を現した。


「先輩! やっと来たんすね!」


「先輩! 待ってたっすよ! やった! ちょうどシルヴェスさんも一緒っすね!」


 一目散にこちらに駆けてきたのはルイとロイの兄弟だった。


「お前ら二人だけか? 他の奴らはどうしたんだ?」


 アーサーが尋ねると、二匹は堰を切ったように口々にまくし立て始める。


「聞いてください! マリシアのとこのチビが人間に連れ去られたんです!」


「チビを捕まえたのは四人組だったらしいっす!」


「それでキールが助けを呼びに走っていったんです!」


「ザーラとジャックはチビを探しに行きました!」


「落ち着け! 同時に喋るな! 順を追って話せ!」


 アーサーはポカポカと続けざまに兄弟の頭に肉球を振り下ろした。


 話を整理すると、こういうことだった。


 先ほどまでこの広場には、ザーラ、ジャック、キールの過激派三匹と、ルイとロイが集まっていた。するとそこに、母猫のマリシアが息せき切って駆け込んできたのだという。


 聞くと、猫集会に向かう途中で親子は人間に襲われ、子猫のチビちゃんが捕まってしまったらしい。


 たちまち過激派三匹はいきり立ち、ザーラ、ジャックはマリシアの案内でチビをさらった人間の元に直行。キールはカラス仮面を探しに行った。


 しかし、ルイとロイはカラス仮面に頼るのは気が進まなかったので、広場にとどまってアーサーが来るのを待つことにしたそうだ。


 アーサーにシルヴェスの居場所を聞こうと思っていた。と兄弟は言う。


 誰かに助けてもらおうとした時に、真っ先に頭に浮かんだのが、ルーマおばあさんを身を挺して守ったシルヴェスだったらしい。


「なるほど。事情は分かった。さて、どうする? 小娘」 


 振り向いたアーサーに、シルヴェスは険しい顔つきで答えた。


「今すぐザーラ、ジャック、マリシアを追いかけよう。なんだか、胸騒ぎがする!」

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