第4話 猫好きネットワーク再始動!
「んなーお」
野太い猫の声。
「んー」
シルヴェスは小さく唸ると、目を瞑ったまま、布団を頭の上まで引っ張り上げた。
「んなー」
もう一度猫が苛立った声を漏らす。シルヴェスは、布団の上に何かが飛び乗って来るのを感じた。――重い。
「もう……。いくらなんでも鮭まるごとは食べきれないってー」
寝ぼけているのか、シルヴェスは訳の分からないことを口走っている。
「うにゃあお」
三度目。鳴き声のトーンがさっきよりも高い。
「うーん。もうちょっと寝かせて……」
「んにゃあ!」
「わあ!」
ボスッと布団越しに顔に猫パンチを受け、ようやくシルヴェスは目を覚ました。
寝ぼけまなこで布団を跳ね上げて身を起こす。窓の外からは朝日が差し込み、街路樹では小鳥たちが賑やかにさえずっていた。
ベッドの脇では、布団の上から飛びのいたアーサーが怒った顔でこちらを見上げている。――「いつまで寝ているんだ」という表情だろう。
「あー。ごめん。起こしてくれたのね。私、いつも朝が弱くって……」
シルヴェスはぼーっとしたまま、ふわふわした口調で言った。
昨晩、シルヴェスはなかなか寝付くことができなかった。
猫に変身すると体内時計が夜行性から戻りにくくなる副作用があるが、昨日はそれが直接的な原因ではないのは分かっている。
この街に暮らす猫たちの現実――それが頭の中を駆け巡り、目が冴えてしまっていたのだ。
シルヴェスはおぼつかない足取りでベッドから降りると、カーテンを開けた。窓の外では人々の頭が通りを行きかっている。
「……よし!」
シルヴェスは自分の両頬をポンと手の平で叩いた。
大丈夫。たっぷり寝たお陰で、気持ちはすっかり前向きになっている。
この街に来て二日目の今日は、魔法学校の友達に会いに行くつもりにしていた。
シルヴェスは通信魔法が使えないので、街に着いたら同期の二人とすぐ再会することにしていたのである。実は、この二人とシルヴェスを合わせた三人こそ、猫好きネットワークの発足メンバーであった。
「とにかく協力者を探さないと!」
シルヴェスは窓ガラスに映った自分の顔に向かって力強く頷く。お店の確保、改装、料理と飲み物の調達――どれもシルヴェス一人ではできないことばかりである。まずは人間関係の構築が不可欠であった。
シルヴェスはカーテンを閉め、水色の寝間着を脱ごうと裾に手をかける。……それをまくり上げようとした刹那、アーサーと目が合った。
「…………」
シルヴェスはその格好のまま、数秒間固まる。
「一応、男の子だから……ね」
シルヴェスは照れ笑いしながらアーサーを抱き上げると、納得がいかない様子でもがく彼を部屋の外に閉め出した。
しばらくのち、次にシルヴェスが部屋から出てきた時には、彼女はいつもの黒い服に身を包んでいた。
扉を後ろ手に閉め、シルヴェスは廊下の端から端をきょろきょろと見回す。
いつの間にか、アーサーは廊下から姿を消していた。
隣の部屋に人の気配はない。ヨラさんはとっくに出勤したのだろう。
階段を下りても、バーはすっかり閉店した後で、誰一人いなかった。
挨拶する人がいないのは少し寂しいな……。とシルヴェスは心の中で呟く。
仕方がないので、シルヴェスは代わりに扉の前で両の拳を握りしめ、一人で気合を入れた。
「黒猫魔女、出陣!」
*
青果店の売り声、道端で奏でられている弦楽器の音色。バルコニーに干された色とりどりの洋服。大通りを駆け抜けていく馬車――。
シルヴェスはきょろきょろして歩きながら、露店で買ったバゲットのサンドイッチを頬張った。
さすが王都だ。昼間の活気は夜とは比べ物にならない。
しかし、何だろう。シルヴェスは何となく街の中に不穏な空気が漂っているのを感じていた。
時々、数人で集まってひそひそ話をしている集団が目に入る。
何かあったのかな?
シルヴェスはすれ違いざま、彼らの会話に耳をそばだてた。
「また街の中で人が亡くなったみたいよ」
「今度も死体が黒くなっていたらしいわ。きっと魔法使いの呪いね……」
「猫焼きをしてたんですってね。やっぱりあの時の復讐なのかしら……」
猫焼き!?
シルヴェスは驚いて、思わず足を止めそうになった。
まさか、昨晩見た若者たちが殺されたの?
――不審に思われないよう、なるべく自然に前を通り過ぎる。しかし、シルヴェスの額からは冷や汗が噴き出していた。
あの若者たちに良い印象は持たなかったけれど、自分が目にした直後に殺されたと聞くのは気持ちの良いものじゃない。
もしかして、これもカラス仮面の仕業……?
シルヴェスは無意識に手の甲を口元に近づけていることに気が付き、慌てて手を下げた。猫に変身していた時の癖で、落ち着かなくなると、すぐに毛繕いを始めそうになってしまう。危ない危ない。
早く二人に話そう。
シルヴェスはいてもたってもいられず、少し歩調を速めた。最初に向かうのは、同期の一人、フェルのガラス細工工房だ。
住所のメモを確認しながら、細く曲がりくねった路地に入っていく。ところが、シルヴェスはあっという間に迷子になってしまった。まるで迷路のような街並みだ。
「フェルちゃんらしいけど、何もこんなところに工房を構えなくても……」
方向感覚を失い、三回も同じところに戻って来たシルヴェスは、膝の上に手を置いてため息をついた。
通行人がいれば道を聞けるのだが、よりによって、路地に入ってからは誰ともすれ違っていない。
いよいよ手近な民家の扉を叩くしかないかと思い始めた時、シルヴェスの目に、「ガラス細工」と書かれたステンドグラスの看板が飛び込んできた。
「やっと見つけた!」
思わず口に出し、工房の前まで駆ける。
漆喰の壁に丸い小窓。入り口は洒落た木製のドア。小さくて可愛い建物だった。
ドアの張り紙を見ると、ここで販売もしているようである。
「もうお店を持っているなんてすごいなあ……」
シルヴェスは同期が仕事を始めていることを再認識し、改めて呟いた。実際は、シルヴェスが友達に比べて出遅れているだけなのだが。
魔法学校では希望の職業が決まり次第、教員のアドバイスを受けながら、就職活動や店づくりを行うのが普通だ。しかし、シルヴェスは猫カフェという前代未聞の店を開こうとしていたので、卒業前にほとんど準備が出来なかったのである。
「お邪魔しまーす」
シルヴェスは遠慮がちに小声で言うと、扉を開けて中に顔を覗かせた。ドアベルがチリチリンと澄んだ音を立てる。
中には腰の高さくらいの棚が壁際に並べられ、その上に、色とりどりのガラス細工が所狭しと置かれていた。
一見するとキラキラしていて綺麗だが、よく見ると、一つ一つの作品は得体のしれない形をしているものが多い。何に使うものなのかも不明だ。
相変わらずフェルちゃんは芸術家だなー。
シルヴェスはクスッと笑って店の中に入った。ギャラリーの奥には目隠しのレースが掛かっている。きっとあの向こうが工房なのだろう。
「フェルちゃーん、いるー?」
シルヴェスが声を掛けると、レースの向こうでごそごそと音がした。
「あ……。シルちゃん……?」
聞きなれた声が返ってくる。フェルは喋るのが苦手なので、いつも話すのがぽつりぽつりなのだ。
「そっちに行ってもいい?」
「いいよ……。今、猫……作ってる」
「猫!?」
興味津々の表情で、シルヴェスはレースをくぐった。
工房の中にはたくさんの木箱が積まれている。フェルは作業台の前の丸椅子に座っていた。
「久しぶり……」
ガラス職人らしからぬ白いワンピースを着たフェルが、シルヴェスを振り返らずに言う。
フェルは小柄なシルヴェスよりも小さい。波打つ灰色の髪が、肩の上で切り揃えられている。
その両手の先には、真っ赤に溶けたガラスの塊が浮かんでいた。――フェルが指を動かすと、塊が細長く変形する。
「全部魔法で作ってるんだ。さすが――」
シルヴェスは目の前で繰り広げられている大魔術に魅入った。
フェルの得意技は念力だ。しかも、それは強力かつ繊細で、物体を目に見えないほど小刻みに震わせて加熱することもできる。
実はフェルは魔術の名門、カトゥス家のお嬢様なのだ。本来なら文句なしで宮廷魔導士になれる実力者なのだが、本人はアートにしか興味がなく、結局、周囲の反対を押し切り、ガラス細工職人になってしまった。
もったいないと言われても無理はないかもしれない。でも、シルヴェスはそんな風に、自分のやりたいことを貫くフェルが好きだった。
みるみるうちにガラスは複雑な形になり、冷えて固まっていく。
「……できた……」
フェルは恍惚とした表情で、浮かんだガラス細工をそっと作業台の上に下ろした。球と突起が組み合わさった謎の造形物である。
「えっと……これ、猫だよね?」
シルヴェスは苦笑し、その完成品を指さして言った。
「うん……」
フェルは無邪気な緑色の目でシルヴェスを見上げて頷く。
「そっか」
シルヴェスはちょっと困った表情で答えた。正直、フェルの作品は前衛的過ぎて、いつも理解に苦しむ。面白いには面白いのだけれど。これ……お客さんは買ってくれるのだろうか。
「あのね……フェル。こんなところでお店開いて、お客さん来るの?」
シルヴェスはずっと気になっていたことを口にした。
「来ない……。だから、売り子に蚤の市に出してもらおうと思ってる……」
「あっ、なるほど」
あれだけ人通りの多い場所に出していれば、フェルの個性的な作品を気に入ってくれる人も見つかるに違いない。そうでなくても、フェルのガラス細工の技術自体は一級品なのだ。お金に困った時には、万人受けするグラスや花瓶を作って売れば生活には困らないだろう。
そういえば……と、シルヴェスは思い出す。
「さっき大通りで噂してた人たちがいたんだけど、この街って人殺し魔法使いが出るの?」
シルヴェスの言葉に、フェルはピクッと体を動かして反応した。
「うん……。そうみたいだね……」
「犯人に何か心当たりはある?」
シルヴェスが問うと、フェルはうつむいてしばし考え込んだ。
「分からない……。でも、もしかしたら……『魔法使い解放軍』……っていう団体が関係してるかも……」
「魔法使い解放軍?」
「そう……。魔法使いの地位向上を目指してるんだ……。魔法使いの間では、有名だよ……」
「その団体が、最近になって活動を激化させたかもしれないってこと?」
「うん……」
予想以上に事態はややこしそうだ。シルヴェスは顎に手を当てて唸った。
昨日、三毛猫のザーラに脅されたこともあるので、なるべくその解放軍とやらには関わりたくはないが、人殺しを見過ごすのも不本意である。
「シル……」
「あっ。ごめん。何?」
フェルに呼ばれ、シルヴェスは我に返って慌てて目を落とした。
「シル……。お願い……危ないことは、しないでね……」
「…………」
懇願するような目で見つめられ、シルヴェスは言葉に詰まった。余計なことに首を突っ込もうとしていることが見透かされたのだろうか? シルヴェスが答えられずにいると、
「そうだ……シル、贈り物があるの……」
フェルはふいっと工房の奥に姿を消し、小さなものを手にして戻って来た。
「お守り……。私が作ったの……」
シルヴェスの目の前に両手を差し出す。それは、白い雫型をしたガラスのペンダントだった。
「綺麗……。ありがとう。フェル……」
シルヴェスは微笑んで受け取ると、つるつるした雫を手の平の上で転がした。顔を上げると、フェルはまだ不安そうな顔をしてこちらを見つめている。
シルヴェスは苦笑した。そんな顔をされたら、言うことを聞くしかない。
「分かった。危ないことはしない。約束する」
シルヴェスはフェルの頭の上にポンと手をのせて言った。
「その代わり、私は、私のやり方で解放軍に立ち向かうわ。もふもふの力でこの街をどれだけ変えられるか、挑戦してみる」
「もふもふ革命だね……」
「もふもふ革命!」
シルヴェスは声を出して笑った。なんという平和な響きだろう。フェルもシルヴェスにつられて微笑む。
「私も……協力する……。調度品の提供は任せて……」
「本当!?」
シルヴェスはぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう! 代金は猫カフェがオープンしたら返すね!」
「お金はいらない……。それより猫カフェ通い放題が……いい」
「分かった! じゃあ、フェルちゃんは猫カフェ料金無料にしてあげる!」
シルヴェスが提案すると、フェルはキラキラした目でこくりと頷いた。同い年なのに、この可愛さは反則だとシルヴェスは思う。
こうして、シルヴェスは一人目の協力者をゲットしたのであった。
「そうだ。私、これからエリスのところに行こうと思うんだけど、フェルも来る?」
工房からギャラリーの方に戻ると、シルヴェスはフェルに向かって尋ねた。
「うん……。行く……」
フェルがこくりと頷いたので、二人は店の外に出る。
今度はフェルの先導で、シルヴェスはあっという間に迷路を抜けることが出来た。
「フェルと一緒でよかった。私、一人じゃこの路地を出られたか分からない」
シルヴェスが笑って言うと、
「ごめん……。人と会いたくないから……ここにした……」
フェルは申し訳なさそうに答えた。
「フェルは人ごみ苦手だもんね」
「うん……」
大通りに出ると、フェルは道の端っこを小走りで駆け始めた。シルヴェスは置いていかれないように必死について行く。
何度も通って、道は憶えているのだろう。フェルの足取りに迷いはない。
ほどなくして、二人はエリスの店にたどり着いた。大通りから一本小道に入ったところに、「エリスのハーブ店」と看板がかかっている。
外観は黒っぽい木の梁や窓枠が壁の外に見えていて、洗練されたお洒落なデザインだった。ドアの横にはドライフラワーがぶら下げられている。
「ほー。立派なお店だねー」
そう呟いてシルヴェスがドアに近づこうとすると、フェルが「待って」と言って彼女を呼び止めた。
「えっ?」
聞き返すシルヴェスに、フェルが耳打ちする。
「こっちは一般客用入り口……。魔法使い用は裏……」
「そうなの?」
シルヴェスはびっくりして目を丸くした。
一般客と魔法使いで入り口を分けるとは……。さすがエリス。抜け目がない。
「こっち……」
シルヴェスはフェルに手を引かれ、建物の脇の狭い路地に入った。ぶん、とミツバチの羽音が聞こえたので、シルヴェスは慌てて首を引っ込める。
路地の向こうには、フェルの頭越しに陽光が燦燦と降り注ぐ小さな空間が見えた。
「わあ。すごい」
路地を抜けると、そこは手入れの行き届いた裏庭だった。狭い場所なのに、多種多様なハーブが身を寄せ合って生い茂っている。よく見ると、物騒な毒草も混ざっているけれど……。
「これは魔法薬用かな? 確かに、毒草を一般客に売るわけにはいかないね」
「うん……」
庭から建物の方に目を移すと、裏庭に出る通用口と思われる扉が壁についていた。
「魔法使いはあそこから入ればいいの?」
シルヴェスが尋ね、フェルが頷く。二人は扉の高さまで数段の低い階段を上り、そっとドアノブを押し開けた。
「エリ……」
名前を呼ぼうとして、シルヴェスは慌てて口を閉じた。中に一人、先客がいたのだ。
建物全体を「表」と「裏」に分け、真ん中は壁で仕切られているのだろう。魔法使い用の「裏」薬草店の中は横幅が広く、奥行きが狭い形状になっている。店内には天井のランプが一つだけしかないので、全体的に薄暗い。
奥の壁には天井まで届く棚が並べられており、瓶詰の花びらや、紐で束ねられた枝、葉っぱの粉末などがぎっしり詰まっていた。
棚の前にはカウンターが置かれ、カウンターを挟んで奥側にエリス、手前側にその客が立って話している最中だった。
客は小柄な男性で、白髪に黒い毛束が筋のように混ざっている。見覚えのある髪型だ。ひょっとして……とシルヴェスが思ったのと、彼が振り返ったのは、ほぼ同時だった。
「や、どうも……って、あれっ? シルヴェスとフェル!?」
「セグ! やっぱり!」
シルヴェスは明るい声を上げた。
セグは彼女たちの同級生で、彼もまた、猫好きネットワークのメンバーだったのだ。
カウンターの向こうから、エリスが微笑んで手を振る。
「おはよー。シルヴェス。やっと下宿先が決まったのね。ようこそ。私の店へ」
「エリスー。久しぶりー」
シルヴェスとフェルはカウンターに近寄り、セグの隣で、エリスと向かい合った。
三人が並ぶと、セグ、シルヴェス、フェルの順に、身長が階段状になる。しかし、エリスは背が高いので、目線がセグとほぼ同じだった。背中まで伸びたさらさらのブラウンヘアーと美しい所作が、エリスの大人っぽさをより際立たせている。
「どう? シルヴェス。この街にはもう慣れた?」
とエリス。
「いやー。全然ー。だって私、ここに来てまだ二日目だもん」
シルヴェスは情けない表情で答え、カウンターの上にぐてっと突っ伏した。
「そっかー。シルちゃんは卒業前に開店準備ができなかったもんね。俺たちは今までに何回も来てるから、だいぶ馴染んできたけど」
隣からセグの声が聞こえる。
「セグは何のお仕事をするんだっけ?」
シルヴェスはカウンターから顔だけを上げて尋ねた。
「左官屋! 明日が初仕事!」
セグは誇らしげに親指を立てて見せる。
「俺は液体を操るのが得意だから、『塗る』仕事は天職ってわけさ。それに、俺が作業をすれば、猫の犠牲を減らすこともできるしね」
「……どういうこと……?」
「あれ? フェル、知らなかったのか? この街の人間は、魔除けに猫を壁に塗り込めることがあるんだぜ」
「魔除けに!?」
シルヴェスは信じられないという表情でがばっと身を起こした。
セグは顔をしかめて頷く。
「ああ。そんなことをする人間の方がよっぽど魔物だよな……。全く。非魔法使いの考えることは狂ってるぜ。昨夜は猫焼きをしていた奴らが殺されたらしいけど、正直せいせいしたね」
セグはフンと鼻を鳴らした。それを聞いて、エリスが眉をひそめる。
「セグ。人が亡くなったのを喜ぶのは不謹慎よ」
「あー。ワリー」
セグは頭をがりがりとかいた。セグの腕が上がると同時に、カウンターに積み上げられている薬草の束がシルヴェスの目に入る。
「セグ。それ全部買うの?」
シルヴェスは目を丸くして言った。
「ん? そうだよ。今月は開店セールって聞いたから、買い占めておこうと思って」
「セグがお客さん第一号よ。お陰で新しいハーブを入荷する資金ができるわ」
どうやら会計をシルヴェスたちが中断してしまっていたらしい。エリスは改めてセグに代金を告げてお金を受け取ると、嬉しそうに言った。
すると、なぜかフェルが落ち着かなくなり、もじもじし始める。それに気が付いたエリスが、にやっと悪戯っぽく微笑んだ。
「おや? ひょっとしてお客様も、何かご入用ですか? なーんてね。分かってるわ。フェルちゃんは、お気に入りのハーブティーが欲しいんでしょ?」
「うん……。買う……」
「はいはい。今用意するわね」
エリスはカウンターに背を向けると、棚から瓶を選び出し始めた。
「さて、と。じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
買った薬草を麻袋の中にまとめたセグがエリスの背中に声を掛ける。
「あら。もう帰るの?」
「うん。この後も行かなきゃいけないところがあるからね」
エリスの問いに、セグは手を振って答えた。
「またねー」
シルヴェスたちと挨拶を交わし、セグは店を出て行く。
「セグも何だか忙しそうだったねー」
シルヴェスはカウンターに頬杖をつき、エリスが数種類のハーブを順番に秤にのせるのを眺めながら呟いた。
「左官屋さんは新しいコミュニティに根付くまでが一番大変らしいわよー。ほら、セグは卒業前にもしょっちゅうこの街に来てたじゃない」
「そういえばそうだったねー。あまりに往復してたから、実は街で好きな子でも見つけたんじゃないのかって、みんなにからかわれてたっけ」
「まあ実際、その可能性もゼロではないけどね」
エリスはふふっと笑うと、測ったハーブを平皿に入れ、木の匙で手早く混ぜ合わせた。
ハーブを平皿から紙袋に移し、カウンターの上に置く。ほんのりと甘い香りが袋から立ち昇った。
「よし。できた。フェルちゃん用のスペシャルブレンド」
「さすがエリスね。ハーブティーまで作れるなんて」
シルヴェスが感心して言うと、エリスは照れ笑いを浮かべた。
「私が得意なのは魔法薬作りだけだから、これくらいは……ね。もしシルヴェスのお店でハーブティーを出すなら、茶葉は私が提供できるわよ」
「ほんとに!? ありがとう!」
シルヴェスはパッと目を輝かせた。すると、エリスは人差し指を唇に当ててニヤッとする。
「ただし、これは取引よ。シルヴェスのお店が軌道に乗るまではタダであげる代わりに、茶葉はずっとウチから買って下さいな」
「あっ。そういうこと」
やっぱりエリスは抜け目がない。
シルヴェスはわざと悔しそうな表情を浮かべ、エリスとフェルの笑いを誘った。
笑いの波が静まると、エリスは真剣な顔に戻って口を開く。
「とはいえ、まずはお店を開かないことには始まらないわよねー。どう? シルヴェスの猫カフェ計画は上手くいきそうなの?」
「うーん……。正直、まだ分かんない」
シルヴェスは自信なさげに肩をすくめた。
「まさか猫の迫害がこんなに酷いものだとは思っていなかったから……。やっぱり簡単にはいかないもんだね」
「この国の王様は……猫嫌いだからね……」
とフェル。
「そうなんだ」
シルヴェスはため息をついた。道理で国を挙げて猫を排斥しているわけだ。
「魔女と猫はどうしても結び付けられてしまうからね。二十年前にアザンバーク率いる魔法ギャングが大暴れして宮廷魔導士に掃討された事件から、魔法使いの評判はますます悪くなっているし」
エリスは眉根に皺を寄せ、髪を指でくるくるして言う。
「猫たちに罪はないのに……」
シルヴェスは頭を抱えて唸った。
「でもね……」
エリスはカウンターをコンコンと叩き、シルヴェスに顔を上げさせた。
「――街の人みんなが猫嫌いって訳じゃないみたいよ」
「そうなの!?」
「ええ。シルヴェスが来る前に確かめておきたかったから、開店準備に並行して、ちょっと調査をしておいたの」
エリスは自慢げにウインクすると、カウンターの下から小さな卵型の宝石を取り出した。
「通信魔法石?」
シルヴェスは首をかしげる。通信魔法石は、通信魔法を補助するために使われる魔法具だ。同期させた魔法石同士で、音声や映像などの情報を共有することができる。シルヴェスは通信魔法が使えないので、もちろん持っていない。
「……これがどうかしたの?」
シルヴェスが問うと、エリスは反応を楽しむように二つ目の道具をカウンターの上に出した。さっきのものより小ぶりな通信魔法石がついた首輪である。
「なんと、この二つの魔法石を同期させて首輪を猫ちゃんにつけると、その子の現在位置が分かる仕組みです」
「へえっ!」
画期的! シルヴェスは思わず感嘆の声を漏らした。通信魔法石をこんな風に利用した人はこれまでいないだろう。
「そして、今までに調査した猫ちゃんの移動ルートを書き込んだ地図がこちら!」
「すごい!」
「……わあ……」
シルヴェスとフェルが歓声を上げる。エリスは両腕を広げたくらいの幅がある大きな地図をカウンターの上に広げた。これは魔法使いの間で流通している精巧な地図で、小さな建物や路地まで載っている。そこに、色のついた線で猫の足取りが記入されていた。
「見てほしいのはここ。ほら。猫ちゃんが立ち寄るお家が何か所もあるでしょ?」
エリスは地図を指さして言う。
確かに。線が民家の中や、庭先に入って出て行くのが分かる。
「後で確認すると、この中には魔法使いじゃない人の家も少なからずあったわ」
「ということは、魔法使いじゃなくても、猫を受け入れている人がいるっていうこと?」
「そう考えられるわね」
「そうだったんだ……」
シルヴェスは感極まって、目頭が熱くなるのを感じた。微笑むエリスが女神のように見える。
「それから、特に気になるのはこの人ね。夜の十時頃に猫ちゃんがたくさん入っていくこのお屋敷に住んでいるのは、街に何か所も土地を持っている貴族のおばあさんよ。魔法使いではないけれど、もし猫好きなら……」
「ひょっとすると、協力してもらえるかもしれない……?」
エリスとシルヴェスは顔を見合わせた。
「エリス! ありがとう!」
シルヴェスはエリスの手を取って握りしめた。
「いいわよ。このくらい。私もこの街の猫嫌いを憂いている一人なんだから」
エリスは苦笑して、シルヴェスの手を握り返す。そして、もう片方の手で、シルヴェスの肩をポンポンと叩いた。
「だから、頼んだわよ。シルヴェス。絶対に猫カフェを開いてみせてね」
「うん。分かった!」
シルヴェスは目を潤ませ、力強く頷いたのであった。
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