第5話 敵と味方

「ふーん。じゃあ、今夜は、その貴族のお屋敷に行くのか」


「うん」


 シルヴェスの部屋。エリスに猫好き貴族の情報を教えてもらった晩、シルヴェスは早速アーサーにそのことを報告していた。


 アーサーは椅子の上に座り、背中に首を回して毛繕いをしている。シルヴェスは猫の姿で、下からその様子を見上げていた。


「それで……あの……」


 シルヴェスは尻尾を揺らし、もじもじしながら口を開く。すると――


「ひょっとして、一緒に来てほしいなんて言うんじゃないだろうな? お前が行こうとしている場所は俺様のテリトリーの外だ。行くなら一匹で行け」


 つっけんどんに断られてしまった。そうか。テリトリーの存在を忘れていた。でも、もう一押し……。


「にゃーん」


 子猫を思わせる声でねだってみる。


「そんな声を出しても無駄だ。せいぜい知らないオスに絡まれんなよ」


 ちぇー駄目かー。シルヴェスはすごすごと引き下がり、扉の方に歩いていった。


 後ろを振り返ると、アーサーが我が物顔で椅子の上に香箱座りをしてこちらを眺めている。


「一応言っておくけど、そこは私の部屋だからね! ベッドの脚で爪とぎしたりしないでよ!」


 強い口調で注意するシルヴェス。しかし、アーサーはどこ吹く風で目を細めて答えた。


「なーに言ってんだ。この家は一階から三階まで全部俺様の縄張りだぜ?」


 あーもう。ふてぶてしい。猫のこういうところは嫌いじゃないけれど……。


「じゃあ、いってくる」


「気を付けてな」


 シルヴェスはドアノブにぶら下がり、扉を開けて部屋の外に出た。


 廊下に出ると、階下の話し声がはっきりと聞こえてくる。――今夜は晩御飯を食べてからの外出なので、バーはちょうど営業中なのだ。


 さすがにバーを通り過ぎる時には人の姿の方がいいよね。


 シルヴェスはポンと音を立てて変身を解き、乱れた服と髪を整えた。たまに猫耳をしまい忘れることがあるので、頭の上は入念にチェックする。


 たんたんと階段を下りると、カウンターでワインを注いでいたハバがシルヴェスに気が付いて振り返った。


「おや? こんな時間にお出かけかい?」


 ハバがワインをお客さんに渡しながらシルヴェスに尋ねてくる。


「はい。ちょっと用事があって……」


 お客さんはカウンター席に女性が一人と、テーブル席に男性三人グループが一組である。


「おいおい。嬢さんみたいな可愛い娘が、こんな時間に外を歩いちゃ危ないんじゃないのかい?」


 男性の一人がからかうような調子で声を掛けてきた。シルヴェスはその赤い顔を見て苦笑する。


「大丈夫です。猫に変身して行くので……」


 シルヴェスが答えると、カウンターの女性が美しい眉をひそめた。


「猫に変身していた方が危ないんじゃない? 最近は物騒だし……。昼間に行くのじゃ駄目なの?」


「それが、どうしても夜に行かなきゃいけない事情があるんです……」


「いや、でも、もしものことがあったら……」

 

 女性がなおも言いつのろうとした時、ハバが優しく彼女の肩をたたいた。


「リーナさん。私たちに彼女の行動を制限する権利はありませんよ。あの子は危険を承知で、やるべきことをやろうとしているのだから」


「むう……。確かに、マスターの言う通りね……。分かったわ。気を付けていってらっしゃい」


 女性はちょっと口を尖らせたが、シルヴェスを振り返ると笑いかけ、ひらひらと手を振った。


「はい。ありがとうございます。いってきます」


 シルヴェスは頭を下げると、その場で変身呪文を唱え、黒猫に姿を変える。男性グループから歓声が上がった。


「おお。変身術か。こりゃ珍しい。変身薬も使わずできるとは才能だね」


 その代わり、他の魔法は何も使えないんだけどね。


 シルヴェスは心の中で付け加える。折しもドアベルが店内に響き渡り、シルヴェスは扉の方を振り返った。


「はあー。ただいまー。今日も残業でくたくたですよー」


 ヨラさん! 


 その姿が目に入った瞬間、シルヴェスは反射的に逃げ腰になった。


「あーっ! シルちゃん! ひょっとしてお出迎え!?」


 ぎゃーっ!


 顔の上から覆いかぶさるようにヨラの腕が迫ってくる。シルヴェスはヨラの足の間をくぐり抜け、出口に向かって突進した。


「あああー。待ってー」


 後ろから泣きそうな声が聞こえてくるが、シルヴェスは構わずに店の外に脱出する。

 

 またもみくちゃにされては、たまったものではない。とはいえ、私、ヨラさんにはいつも悪いことしちゃってるな……。


 夜の空気はひんやりとして、ピンと張り詰めている。


 シルヴェスは気持ちを引き締め、店の前の道を全速力で渡った。


 とにかく、人の目につく開けた場所に長時間いては危険だ。


「さて……」


 路地裏に入り、シルヴェスは少し落ち着いて辺りを見回した。


 お城を左手に見ながら真っ直ぐに進めば、件の貴族のお屋敷にたどり着けるはずである。


 シルヴェスは頭に叩き込んできた地図のルートを復習しながら、城の尖塔の方向を見定めた。


「よし。こっちね」


 安全を考え、シルヴェスは塀に上ると、人の手が届かない高さの場所を歩き始める。


 時々知らない猫のにおいがするので落ち着かないが、とりあえず順調だ。よほど凶暴な猫に襲われなければ、このままたどり着けるだろう。


 シルヴェスは全神経を研ぎ澄ませ、目的地に向かって足を急がせた。


 猫がお屋敷に集まるのは十時ごろだという。その前には着いておかないと意味がない。


 ――シルヴェスがお屋敷に着いたのは、ちょうど十時の十分前だった。


「ほおー。これが貴族のお屋敷かー」


 シルヴェスは屋敷の向かいの建物の屋根から門の向こうを見遣って呟いた。


 門から玄関までのアプローチが長く、その間は芝生の間を馬車が通れる幅の道が走っている。芝生の周りには庭木が生い茂り、目隠しになっていた。


 その奥の建物も、一般的な民家とは一線を画している。


 素材は分からないが壁は真っ白で、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がって見えた。恐らく二階建てだろうけれど、あんな大きな家に一人暮らしだと、かえって寂しいのではないだろうかとシルヴェスは想いを馳せる。


 今夜のシルヴェスの目的は、屋敷の主人が果たして本当に猫好きなのかを確認することであった。


 猫が集まっているということは、その貴族のおばあさんが猫にごはんをあげている可能性が高い。が、これだけ広い屋敷だと、敷地が猫集会の会場になっているだけかもしれない。


 シルヴェスは、おばあさんが猫に餌をやっているのなら、猫の姿で接触を試みようと思っていた。おばあさんの外見や猫に対する態度などは、間近で観察しておいた方がいいだろう。


 屋敷の庭には少しずつ猫が集まってきている。シルヴェスは香箱座りをして、おばあさんが出てくるのを待った。


 と、その時――


「あれ? そこにいるのはシルヴェスさんっすか?」


 不意に後ろから声を掛けられ、シルヴェスは飛び上がった。屋敷の方に集中しすぎて、背後の警戒がおろそかになっていたらしい。猫は同時に二つのことに集中するのが苦手なのだ。


「だっ、だだ誰っ!?」

 

 シルヴェスが振り返ると、そこにいたのは二匹の茶トラの兄弟だった。シルヴェスの黒い瞳が真ん丸になる。


「あっ。ルイちゃんとロイちゃん! どうしてこんなところに?」


 シルヴェスが問うと、兄弟はそろって首を傾げた。


「それはこっちのセリフっすよー」


「一応ここは俺たちのテリトリーっすよー?」


「あっ! そうだったんだ! ごめん!」


 シルヴェスは慌てて耳を伏せて謝る。


「別にいいっすよー。シルヴェスさんは人間って分かってますしー」


「それより、シルヴェスさん、今日は一匹なんすねー。シルヴェスさんもあのお屋敷にごはんをもらいに行くんすか?」


 ごはん!


 シルヴェスはその言葉に反応し、ピンと耳を立てて、顔を輝かせた。


 やっぱり! 猫たちはごはん目当てでお屋敷に集まってるんだ!


「人間なのに、猫のごはんが好きなんすか?」


 シルヴェスの反応が肯定と受け取られてしまったらしい。兄弟が不思議そうな顔をして尋ねてくる。


「あ、いや、私は違うよ?」


 シルヴェスは慌てて否定した。


「私はね、お屋敷に住んでるおばあさんとお近づきになりたくて来たの」


「へー。人間同士のお付き合いっすかー」


「それにしては猫の姿なんすねー」


「うん。いきなり人間の姿で行ったら怖がられてしまうかもしれないからね」


「ふーん。色々と面倒なんすねー」


「じゃあ、俺たちは先に行きますねー」


「あっ。ちょっと待って、私も……」


 自分の隣を通り過ぎて屋根から降りようとする兄弟をシルヴェスは追いかけた。


 おばあさんが猫に餌をやっていることが判明したので、もう屋根の上から様子を伺っている必要はない。


 ルイとロイと一緒に地上に降り立つと、シルヴェスは庭に集まっている猫を素早く目で数えた。


 五……いや、十匹はいるだろう。


 みんな思い思いに毛繕いをしたり、寝そべったりしながら、おばあさんが屋敷から出てくるのを待っている。


 その中、一際目を引く白黒の長毛猫が一匹。


「ほらほら。私のご主人様に会うんだから、みんな身だしなみを整えなさい! 私の毛並みがお手本よ!」


 うるさく鳴きながら猫の群れの中を歩き回っているが、ことごとく無視されているように見える。あの子は確か……。


「――シャルロットちゃん、よね? このお屋敷の子だったの?」


 ルイとロイが同じタイミングで鼻を鳴らした。


「そうっすよ」


「いっつもあの調子っすよ」


 なるほど。飼い主が猫界の有名人だったから、あんなに気位が高そうだったのか。


 シルヴェスは一人で納得した。


「あんまりあっちには近づかないでおこう」


「そうだね。なるべくシャルロットには気づかれたくないし」


 ルイとロイは短く鳴き交わし、抜き足差し足で門をくぐると、庭に入ってすぐの茂みに近づく。


 シルヴェスも、知り合いがほとんどいない猫の群れに受け入れてもらえるか不安だったので、ルイとロイの後に続いた。


 しかし、茂みにたどり着く前に、三匹は茂みの裏に不審な人影を見つけてぴたりと足を止めた。


 黒い覆面を被り、棍棒を手にした男が、屋敷の方を向いてしゃがみ込んでいる。


 何者!?


 シルヴェスはその男のただならぬ雰囲気に、胸がざわつくのを感じた。


「あの人間、何してるんすかねー。分かります? シルヴェスさん」


 ルイかロイのどちらかが尋ねた瞬間、覆面の男はバサッと音を立て、勢いよく立ち上がった。


 シルヴェスがその視線の先に目を向けると、ちょうど屋敷の扉から腰の曲がった白髪のおばあさんが出てくるところだった。その手に握られた袋を目がけ、猫たちが殺到している。


「まさか!」


 シルヴェスの頭の中を恐ろしい考えがよぎった。庭の周囲に目を走らせると、他にも複数人の男が武器を手に立っているのが見える。


 刹那、茂みに潜んでいた目の前の男が動くと同時に、庭を取り囲んでいた男全員が一斉におばあさんに向かって走り出した。


「魔女めぇー!! 死ねえーっ!!」


 男たちが叫んだ。


 おばあさんに群がっていた猫たちが悲鳴を上げ、あっという間に散り散りになる。


「夜な夜なこんなに猫を集めやがって! 次は誰を呪い殺すつもりだ!?」


 男の一人が怒声とともに、棒でおばあさんを殴りつけるのが見えた。


 シルヴェスは血の気が引くのを感じた。


 これは狂気だ。男たちは、本気でおばあさんを殺そうとしている!!


 ――危ないことはしないでね……。


 フェルの言葉が一瞬脳裏によみがえる。しかし、シルヴェスはすでにおばあさんに向かって走り出していた。


「シルヴェスさん!?」


 ルイとロイの驚く声が背後から聞こえる。


 男は五人だ。その足元でシャルロットが必死に威嚇をしているのが見える。


 おばあさんの額に血が流れているのが目に入った。痛みに呻く声が鼓膜を震わせる。


 シルヴェスの後肢が地面を蹴り、その小さな体が覆面の男の頭上に舞った。


「ファーッ!」


 爪が一閃。


「いてーっ!」


 男が首筋を押さえ、大声を上げてのけぞった。


「な、なんだこの猫っ!」


 男たちが怒りを露わにして、シルヴェスに視線を集中させる。


 シルヴェスは男たちに向き直り、その覆面からのぞく目を睨み返した。


 とりあえず注意は逸らせたけど、猫の姿でこの男たちに勝つことは不可能! ならば……。


 シルヴェスは素早く頭を回転させ、その場で変身呪文を唱えた。ポンと音を立て、人間のシルヴェスが姿を現す。


「こっ、こいつ、人間に化けやがった!」


 男たちがどよめいた。


「そう。魔女は私よ! ここに猫を集めていたのは私!」


 そう叫ぶや、シルヴェスは身を翻して一目散に逃げ出す。フェルからもらったペンダントが胸の上で跳ねた。


「待てっ! 逃がすな!」


 必死で駆けながら、シルヴェスが首を回して後ろを振り返ると、五人の男は全員こちらを追いかけてきている。


 よし! 何とか男たちをおばあさんから引き離すことができた!


 シルヴェスは顔を正面に戻した。


 庭の外縁の茂みに駆け込んで、敷地の外に出よう。猫に変身して路地に逃げ込めば何とか撒けるはずだ。


 そうシルヴェスが思った刹那、彼女の右ふくらはぎに焼けるような痛みが走った。


 飛び道具!?


 シルヴェスは苦痛に顔を歪めて足元に目を落とす。服を貫いて、大きな針が突き刺さっているのが見えた。


「その吹き矢には毒薬が塗ってある! もう逃げられんぞ! 魔女め!」


 追ってくる男の歓喜した声が聞こえる。


 シルヴェスは顔を歪めて針を引っこ抜いた。再び走り始めるが、傷口はすでにしびれ始めている。


 シルヴェスは思うように動かない足に鞭打ち、茂みに飛び込んだ。


 小枝が折れ、葉っぱが宙に舞う。シルヴェスは構わずに、無我夢中で庭の外を目指した。


 背後から、すぐそばに迫る男たちの気配を感じる。


 後先考えずに助けに行くんじゃなかった!


 シルヴェスは臍をかんだ。しかし、しびれは今や腰のあたりまで広がってきている。もう手遅れだ。


 シルヴェスは足をもつれさせながら、庭の外に転がり出た。頭や服にはちぎれた葉っぱが無数についている。


「うう……」


 シルヴェスは這うようにして庭に面した小道を渡ると、道沿いの壁に手をつき、何とか身を起こした。


 茂みをかき分け、男たちが庭から出てくる音が聞こえる。


 シルヴェスは壁を背にもたれかかり、肩で息をしている。駄目だ。これ以上逃げることはできない。


「追い詰めたぜ。魔女さんよ」


 男たちが武器を見せびらかしながら、じわじわとにじり寄ってきた。


「やめて……」


 シルヴェスの口からかすれた声が漏れる。


 ああ。こんなところで殺されてしまうのか。あっけない人生だったな……。


 シルヴェスの視界が滲んだ。

 

 猫たちを救うなんて言いながら、結局、私は自分の身すらも守ることができなかった……。


 男たちは極度の興奮状態で武器を構えている。一斉に襲い掛かってくるつもりなのだろう。


 覆面の口元が動く。何かを叫んだ。刃物と鈍器が迫る。シルヴェスは目を閉じた。


 キン!


 甲高い音。


「……え?」


 シルヴェスは薄目を開けた。目の前がきらきらと光っている。――シルヴェスと男たちとの間に、分厚い氷の壁が立ち現れていた。


「おい。あんたら。何をしている」


 聞き覚えのある声。シルヴェスが振り返ると、白銀の髪をした青年が近づいてくるところだった。


 同級生のラーク!


 体から力が抜け、シルヴェスは壁にもたれたまま地面にへたり込んだ。


「黒と紫のコート……。宮廷魔導士か!」


 覆面の男たちが怯えと怒りの入り混じった声を漏らす。


「……俺は、何をしていると聞いている」


 ラークは真顔のまま、威圧するように少し首を傾げて繰り返し問うた。男たちが慌てて弁解する。


「ま、魔女狩りでさあ! そ、そいつは魔女なんですぜ! だから……」


「ほう……? この女が魔女だという証拠は?」


 ラークは冷静な口調で質問を重ねた。


「証拠はありますぜ! さっき、そいつが猫から人に姿を変えるのをこの目で見たんでさあ!」


「なるほど。猫から……ね」


 ラークは、足元で座り込んで息を荒げているシルヴェスを冷たい目で見下ろした。


 う……。面目ない。


 シルヴェスはその目を見返し、申し訳なさそうに口元を歪める。

 

 ラークは無表情のまま、視線を男たちに戻した。


「事情がどうあれ、俺の仕事は街の治安維持だ。人が殺されそうになっているのを見過ごすわけにはいかない。この女は俺が保護する。その後で、公正な魔女裁判を行うことにしよう」


「いや、でも……」


「悪しき魔女に対抗する戦力として宮廷魔導士は存在する。異論はないな?」


 大気が凍り付く音とともに、ラークの手から氷の槍が現れた。男たちは驚いて後ずさる。


「けっ。本当は魔女と同じ穴のむじなのくせによ」


 男たちは最後に吐き捨てると、一斉に走り去っていった。


 シルヴェスは霞む目で、その後姿を追う。かなり毒が回っているらしい。頭が朦朧としてきている。


「はあ。相変わらずだな。あんたは」


 意識が薄れていく中、シルヴェスはラークに抱きかかえられるのを感じた。


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