第2話 新生活!

 魔法使いという職業は気味悪がられやすい。


 ここ、シャランド王国でも、魔法使いは疎まれ、公的に認められている宮廷魔導師を除くほとんどの魔法使いは、正体を隠し、別の仕事で収入を得て生活していた。


 そのため、魔法学校という組織も、一種の秘密結社のように、一般市民の目からは隠されていたのだ。


 すなわち、魔法学校は未熟な魔法使いが自分の身を守れるようになるまでのシェルターの機能を果たしていたのである。


 魔法使いにとって、魔法学校の卒業は独り立ちを意味していた。


 そして、この年もまた、五百人もの新たな魔法学校卒業生が王国中に解き放たれていたのであった──。




「レピーネ通りの三番地……。えーっと、私の新しい下宿はどこ?」


 耳が隠れるくらいの長さの黒い髪。暗闇で大きくなった猫の瞳のような黒い目。黒いブラウスと、これまた黒いスカートに身を包んだ娘──シルヴェスは、さっそく石畳の街角で迷子になっていた。


「ほんと、『王都』っていうだけのことはあるなー。郊外でもこんなに建物があるなんて……」


 シルヴェスは途方に暮れた表情で道の両側に並ぶ三、四階建ての集合住宅を見上げた。


 魔法学校の寮を引き払って出てきたのが今朝だったのに、もう日が傾いてきている。


 彼女はよろめくように大きなトランクを道の隅に下ろすと、その上に座ってポケットから紙の束を引っ張り出し、その中の手書きの地図を開いた。


「うーん。確かにこのあたりのはずなんだけど……」


 シルヴェスはひとしきり唸ってから、地図を畳みなおす。同時に、地図の下からのぞいた封筒が、彼女の目に留まった。


 シルヴェスは封筒を引っ張り出すと、それを夕日の下に照らした。


 ――シル。魔法学校を卒業したら、一旦実家に帰ってきてもいいのよ?


 手紙に書かれていた母の言葉を思い出す。


「やっぱり、無理せずに実家に帰った方が良かったかなー」


 シルヴェスは肩を落とし、ため息をついた。


 その時――


「あんた、シルヴェスかい?」


 突然声を掛けられ、彼女は驚いて弾けるように顔を上げた。いつの間にか、目の前に気難しそうな白髪の女性が立っている。


「えっ? あっ、はい!」


 シルヴェスは慌てて返事をして立ち上がった。


「ふん。ルベルから聞いた通りのポンコツっぷりだね。あんたが探している下宿はあたしのとこだ。ついてきな」


「えっ? ルベル先生から?」


「そうだよ。あんたはどうせ迷うだろうからって、迎えを頼まれたんだ。その地図にも、あたしからあんたの居場所が探し出せるように魔法がかけてある」


 女性が手をかざすと、シルヴェスの手の中で、地図の紙がほのかに青白い燐光を発する。


「それじゃあ、あなたも魔女……!」


 シルヴェスが目を丸くすると、女性は呆れたように片眉を上げた。


「当たり前だろう? 魔法学校が『普通の』下宿を紹介する訳がないじゃないか。ほら、荷物を持ちな。行くよ」


 女性はエプロンを翻し、すたすたと歩き始める。シルヴェスは急いでトランクを抱きかかえ、小走りで追いかけた。


「あの、お名前を伺っても?」


「ロウザだ」


 追い付いたシルヴェスに、ロウザは短く答える。


「――そういえば、あんた、この街で猫カフェを開きたいんだって?」


「はい!」


「ふーん。まあ、せいぜい頑張んな。あたしは基本的に放任主義だからね」


 ロウザの返事はさっぱりとしている。


 ――カッコイイ……。なんて度量の大きい人なんだろう。


 シルヴェスは思わずその姿に見惚れた。


 放任ということは、私を一人前と認めて、私の意思を尊重してくれるということだ。余計なお節介を焼かれて自由を奪われるより、はるかにありがたい。


 だが、その代わり、自分の責任は自分で取らないといけないということでもある。


 シルヴェスはぐっと口を引き結び、力強く頷いた。


「……さて、着いた。ここが今日からあんたの住まいだ」


 不意に、ロウザが縦長の三階建ての建物を指さして言った。


 一階の外には丸テーブルと椅子が二組置かれており、黄色い布でできた雨除けの庇が張り出している。


「一階はバーになってるんだ。会員制で、魔法使いしか入れないことにしてるから安心しな。あんたの部屋は二階だよ」


 開店前だからか、客がいる気配はない。ロウザは木製の扉を引き、シルヴェスを連れてバーの中に入った。


 ドアベルが鳴り響き、カウンターでグラスを拭いていた口ひげの男性が顔を上げる。


「帰ったよ。マスター」


「おう、ロウザ。その子が新しい入居者かい?」


 男性は落ち着いた渋い声で言うと、柔和な笑みを浮かべた。


「シ、シルヴェスと言います! はじめまして!」


 シルヴェスは一生懸命お辞儀を返す。


「これはこれは、可愛らしいお嬢さんだ。私の名はハバ。よろしく」


「あいつはあんたみたいなには甘いからね。また酒でもおごってもらいな」


 ロウザが親指でハバを指すと、ハバはばつが悪そうに苦笑した。


「あはは。うちの店にはあんまり若い子が来てくれないからね……」


「ふん。若者受けを狙うなら、魔法で光るおしゃれなカクテルでも売り出せばいいのさ。大体このバーは地味なんだよ」


 ロウザはレンガ壁の内装を指でコンコンと叩く。


「いやいや、この趣がいいんじゃないか。このテーブルだって、三百年ものの……」


「はいはい。シルヴェス、骨董マニアはほっといて二階に上がるよ」


 ロウザはハバの言葉を遮ると、すたすたとカウンターの横を素通りし、酒のボトルが並んだ棚の後ろに消えた。――どうやらあそこに階段があるらしい。


「あっ! はい!」


 シルヴェスは再びトランクを抱え、ロウザを追いかけた。カウンターの近くで、ハバと目が合う。


「私はこのお店の雰囲気好きですよ!」


 シルヴェスは一言フォローを入れてから、細い階段を上っていった。


 階段を上り切ると、短い廊下と扉が二つ見えた。


「二階には部屋が二つあるんだ。あんたの部屋は手前の方だよ。奥の部屋には、あんたの五つ上の先輩が住んでいる。ちなみに、三階はあたしとハバの居住スペースだからね」


 ロウザは扉を順番に指さし、手短に説明した。


「あと、この街の猫事情はアーサーがよく知っているはずだから、あいつに聞いてみな」


「アーサー?」


「ここに住んでる看板猫だよ。あたしは猫語は分からないけれど、あんたは猫に変身すれば、猫とコミュニケーションが取れるんだろう?」


「あ、はい!」


「ただし、猫の姿でいる時に、人間に捕まったりしないよう気を付けな。魔女狩りに遭わないように、外で魔法を使う時には細心の注意を払うんだよ。――じゃあ、私は上に戻るから、適当なタイミングで先輩に挨拶しときな」


 ロウザは手をひらひらさせ、階段の上に消えた。


「──えーっと……」


 取り残されたシルヴェスは、しばし辺りを見回す。二階は漆喰の壁で、簡素なデザインだ。


「とりあえず、荷物を置こうかな」


 シルヴェスは自分の部屋の扉を開けて荷物を運び入れた。息をついて、トランクをベッドの前に下ろす。


「あ、かわいい」


 ベッドの上の掛布団の模様が黒猫のシルエットであることに気が付いたシルヴェスは、思わず顔をほころばせた。きっとシルヴェスの好みに合わせてくれたのだろう。


 枕もとには小さなランプが置かれ、空いた窓からは爽やかな風が吹き込んでカーテンを揺らしている。


 部屋の中にはほのかに花の香りが漂っていて、窓際に駆け寄ったシルヴェスは、その出所が、窓の外に置かれた鉢植えのラベンダーであることに気が付いた。


「うん! 気に入った!」


 シルヴェスは笑顔を弾けさせ、窓枠に手を置いて外に身を乗りだした。


 いつの間にか太陽は沈み、街燈が通りを照らしている。


 涼しい夜風が彼女の黒髪をさらった。


 向かいの建物の上の星空には、王城の尖塔がのぞいている。


 シルヴェスはしばらく街の景色に見惚れていたが、やがて、その視線は真下の黄色い庇へと吸い寄せられた。


「とん、とん、とん……」


 おもむろにシルヴェスは通りを見下ろすと、呟きながら何度か頷くように顔を上下させる。そして、にやっと悪戯っぽい表情を浮かべた。


 猫に変身すれば、窓から直接通りに下りられるルートを見つけたのだ。


「おっと、いけない」


 シルヴェスは恥ずかしそうに苦笑して、そっと窓を閉めた。


 こういう場所では、ついつい猫目線で物事を考えてしまう。高所の足場は猫にとって遊び場でしかないのだ。


「よし。次はお隣さんに挨拶に行こう!」


 シルヴェスはポンと手を打つと、窓から離れ、部屋の外に出た。


 初対面の相手だ。ちょっと緊張する。


 さっきは詳しく聞かなかったけど……一体、どんな先輩なんだろう?


 シルヴェスは思わず忍び歩きになった。


 奥の扉が近づいてくるにつれて、胸がどきどきしてくる。


 扉の正面に立ち、シルヴェスは深呼吸した。


 そしてノックしようと手を伸ばした次の瞬間――


「あっ! アーサー! 待ってー!」


「わっ!?」


 突然扉が開き、中から一匹のずんぐりとしたキジトラ猫が飛び出してきた。


 「みっ!」というような鳴き声を漏らし、キジトラはシルヴェスの足に思い切り激突する。


「だっ、大丈夫!?」


 シルヴェスは慌ててしゃがみ込み、キジトラに声を掛けた。


 キジトラはむすっとした表情でシルヴェスを見上げる。……顔は大きくて、鼻もひしゃげている。この子が看板猫のアーサーなのだろうか?


「ごめんなさい! その子、撫でてたら不機嫌になって逃げだしちゃって!」


 シルヴェスが部屋の中に目を移すと、丸眼鏡をかけたブロンドの長髪の女性がベッドに腰かけ、申し訳なさそうにこちらを向いていた。


 シルヴェスと目が合うと、女性の顔がぱっと明るくなる。


「ひょっとして、今日からうちに来るシルヴェスちゃん!?」


「は、はい。シルヴェスです」


 シルヴェスは若干たじろぎながら答えた。


 何だろう。この人、理由は分からないけれど、本能的に危険な感じがする!


「噂には聞いてたよー。母校で『猫好きネットワーク』を設立した後輩がいるって。私も卒業してなかったら絶対入るのにって思ってたの!」


「そ、そうですか……」


「そんなところでつっ立ってないで入って入って!」


 シルヴェスは心の中で一瞬ためらった。入るべきか、いや、人の好意を無下にする訳には……。


 ちらと振り返ると、キジトラのアーサーがこちらに憐憫の目を向けている。


 嫌な予感! でも、踏み出しかけた足を引っ込めるわけにはいかない。


 おそるおそる部屋に入ると、女性はぱっと立ち上がり、立ち尽くしているシルヴェスにいきなり抱き着いた。


「はじめましてー! これからよろしくね! シルちゃん!」


「えっ!? あ、あの、ちょっと……!」


 シルヴェスは慌てて、一方的な抱擁から逃れた。


「あっ。ごめん。つい」


 照れた様子で謝る女性。シルヴェスは息を荒げ、じりじりと女性から距離を取った。


「シルちゃん、猫っぽくて可愛かったから思わず……。あああ、ごめん。そんなに警戒しないで」


 女性はあたふたしている。


 ああ……。この人、猫が好きすぎて、猫に嫌われるタイプの人だ……。


 シルヴェスは悟った。


「ね、猫は、あんまり構いすぎると駄目なんですよ」


 シルヴェスは腰を引き、いつでも逃げられる体勢で言った。女性はしゅんとして悲しそうな顔になる。


「そうなのよねー。驚かせちゃってごめんねー」


「いいですよ。ちょっとびっくりしただけなので」


 シルヴェスはようやく肩の力を抜いた。女性は、今度は遠慮がちにそっと手を差し出してくる。


「じゃあ――改めまして、私はヨラ。中央銀行で働いてるわ。よろしくね」


「銀行!? 珍しいですね」


 シルヴェスは女性の手を取り、意外そうな声を漏らした。魔法使いは通常、一般人が多い職場で働くことは避ける傾向にある。もちろん、正体がばれることを防ぐためだ。


 ヨラはシルヴェスの反応を見てくすくすと笑った。


「変わってるでしょ? 確かに周りは魔法使いじゃない人たちばっかりだけど、何とかやれているわ。私、錬金術は得意だから、偽造硬貨は一発で見破れるしね」


 ヨラはちょっと得意げに片目を閉じてみせる。


「へえー。すごい」


 シルヴェスはヨラに尊敬の眼差しを向けた。言われてみれば、部屋の壁際に並んでいる本棚の上の小物は、どれも錬金術に使う魔法具ばかりである。


 しかし、ヨラは苦笑して、ベッドに倒れこむように座った。


「でも、ストレスの多い職場よー。お金を計算して、事務作業に追われ……。ホント、アーサーをもふもふして、癒してもらわないとやってられないわ」


「大変なんですね」


「まあねー。自分で選んだ仕事だからそうも言ってられないけどね。ところで、シルちゃんはこれからどこで働くつもりなの?」


「私は──」


 シルヴェスはちょっと間を置いた。その顔に、思わず気合が入る。


「私は、この街で猫カフェを開こうと思っています」


「猫カフェ?」


 ヨラは身を乗り出すようにして聞き返した。どうやら、「猫」という単語のせいで、再び興奮のスイッチが入ってしまったらしい。


「カフェに猫がいっぱい? なにその夢のような空間!! そんな店ができたら、私、絶対通い詰めるわよ」


 シルヴェスの説明を聞き、ヨラは眼鏡の奥で目をキラキラさせて立ち上がった。シルヴェスは笑顔を顔に張り付けたまま半歩後ずさる。


「分かったわ! 私も協力する! 困ったことがあったら、いつでもこのお姉ちゃんを頼りなさい!」


 ヨラの両手がシルヴェスの肩の上に置かれた。どうやら、いつの間にか勝手に妹分に認定されてしまったらしい。


「イチから店を作るのは大変だと思うけど頑張って! ほら、きっと、魔法の面でもサポートしてあげられると思うわ! そういえば、シルちゃんはどんな魔法が使えるの?」


 うっ。一番困る質問が来た。


 どうしよう。正直に答えるととんでもないことになりそうな気がするが、嘘をつくわけにもいかない。


「え、えーっと……私が使える魔法は、実は一つだけで……」


 シルヴェスはちょっと口ごもり、目を泳がせながら躊躇いがちに言った。


「あの――ね、猫に変身できます……」


「すごい! シルちゃん、変身術が使えるの!?」


 急にヨラの声のトーンが上がり、肩に置かれた手に力が入った。顔を上げると、ヨラの目には狂気じみた光が浮かんでいる。


 しまった! 


 シルヴェスの顔からさあっと血の気が引いた。


「お願い! シルちゃん! もふもふさせて!!」


 思わず逃げ出そうとしたシルヴェスの腕に、ヨラがしがみついた。


「ちょっと!? ヨラさん! 私たち、初対面ですよ!? いくら何でもいきなり……」


「そんなの知らない! シルちゃんが可愛すぎるのが悪いの!」


「それは無茶苦茶です!」


「お願い! 十分、いや、五分だけでいいから!」


 ヨラは無我夢中である。簡単には引き下がってくれそうにない。


 シルヴェスは思い余って、咄嗟にその場で変身呪文を唱えた。


 ぐにゃりと服ごとシルヴェスの輪郭が歪み、ヨラの手から黒猫の前足がすり抜ける。


 空中で一回転した猫シルヴェスは、四本の足で軽々と床に着地し、扉に向かって一目散に駆け出した。


「あっ。シルちゃん、待って!」


 シルヴェスは全身をばねのように使って跳躍すると、ドアノブにぶら下がって体重をかける。


 勢いそのままに扉が外に開き、シルヴェスは空いた隙間からするりと部屋の外に抜け出した。


 結局逃げちゃった……。今度謝ろう。


 シルヴェスは心の中でため息をついた。


 猫の姿のまま、とことこと廊下を歩き始める。


 すると――


「よお」


 不意に声を掛けられ、シルヴェスはびっくりして振り返った。見ると、壁際の床でアーサーが前足を胸の下に折りたたんで座っている。――いわゆる香箱座りだ。


「お前さっきの魔女か? 猫に変身できたんだな」


 そう言ってアーサーは大欠伸をすると、身を起こして背をそらして伸びをした。


 猫目線で見ても、アーサーは毛並みがいいわけでもないし、格好よくはない。でも、体はシルヴェスよりもずっと大きいので、彼女は少しだけ恐怖を覚えた。


 後ろ足を蹴り出すようにして伸ばしてから、アーサーはシルヴェスににじり寄ってくる。


 シルヴェスは思わず背中を丸めて身構えた。アーサーはフンと鼻を鳴らす。


「そう怯えるな。俺様はお前みたいな小娘に手出しはしない」


「こ、小娘っ!?」


 シルヴェスは憤慨した。アーサーは構わずに近づき、彼女のにおいを嗅ぐと、気が済んだとでも言うようにあっさりと離れる。


 何なのよ。もう……。


 シルヴェスは動揺を隠そうと、前足で数回顔を拭った。


「おい。小娘。俺様はこれから猫集会に行くが、お前も来るか?」


 思い立ったように、アーサーがシルヴェスの方を振り返って言う。


「猫集会……!」


 シルヴェスは目を輝かせた。


 これはいい機会だ。地域の猫の顔ぶれをチェックすることもできるし、上手くいけば、何匹か猫カフェにスカウトできるかも……!


「おい。お前が何を企んでいるのかは知らねえが、世の中はそんなに甘くねえぜ」


 アーサーはシルヴェスの考えを読んだかのようにもう一度鼻を鳴らした。


「えっ?」


「まあ、ついて来いよ。お前にこの街の猫の現実を教えてやる」


 アーサーは尻尾を揺らすと、シルヴェスに背を向けて歩き出す。


 何なのよ。一体……。


 シルヴェスは再び顔を拭う。そして、すたすたと先を行くアーサーの後を追いかけたのであった。

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