第30話「転生しすぎた勇者の最後の戦い」

「肉体強化、魔力倍増、……よし、これで完璧だ」


 最後にもう一度、自分の状態を入念に確認する。何か一つでも抜けがあったら、それだけで今までの苦労が水の泡になってしまう。

 あれから肉体がなかった俺は、もう一度ある世界に転生し、そこで最後の戦いに挑むための準備をした。

 一刻も早く彼女を救いたかったが、そのためにはあの最後の魔王を倒さなければいけない。

 急いだつもりではあったが、万全を期すために結局二十年ばかりかかってしまった。

 

「すごいですね、勇者さま……。普通の魔王なら一瞬で決着がつきます」


 普通の魔王なら、確かにそうだ。だが、今回のはそれまでとは全く違う。

 

「魔王百人と一気に戦うようなものだからな」


 今までの経験を総動員しての準備をしたおかげで、今回の戦いに全てを最適化してある。故に逆に言ってしまえば、今回にしか通用しない。

 

「これが終わったら、もう俺に魔法は使えないだろうな」

「……そうでしょうね。これだけ無理のかかる魔法をかけていたら、勇者さまでなければもう既に身動き一つできなくなっているでしょう」


 現時点で常に力んでいないと、肉体が吹き飛びそうだった。

 その意味では、最後の戦いに相応しいのかもしれない。

 

「それじゃ、そろそろ行くよ」

「はい。どうか彼女を、よろしくお願いします」

「…………」

「どうかしたのですか?」


 これが最後だということがわかっていた。

 最後の異世界転移で、それはつまりもう二度と女神様と会うことがないということ。

 

「これから、女神様はどうするんだ?」

「やめてくださいよ、その呼び方は。私はただの人形に過ぎないのですから」

「いや、俺にとってはずっと女神様だよ。女神様がいなかったら、こんな風に俺は魔王と戦えなかった。あのまま俺は死んでいたんだから」


 本来の目的だった魔王討伐を終えてから既に一万年近く経っていた。その間女神様はずっと俺の魂を現世に残し続けてくれた。その恩はどうしたって返せそうにない。

 

「それに、最後だし言っておきたいんだ」

「えっ?」

「ありがとう。本当に長い間、たくさん世話になった」

「いえ、勇者さまもこんな至らない人形と一緒に、よくここまで戦ってくださいました。礼を言うのはこちらの方です」


 深々と頭を下げる女神様。

 

「これから、ですね。どうしましょうか……。勇者さまを見つけて世界を救わせる以外の私の存在意義が、今の自分にはわかりません。それに――」

「それなら、いっそのこと女神様が転生してみたらどうだ?」

「えっ?」


 女神様には人を転生させる力がある。その力を使って他の誰でもない自分自身のための人生を送ることができたら、それこそこれ以上ない存在意義になるだろう。

 

「何なら俺たちのいる世界に来たらどうだ? きっと楽しいと思うぞ」

「……そうですね。そういうのも、悪くないかもしれません」

「?」


 一瞬表情が曇ったように見えたが、女神様はそう言って笑った。

 

「めが――」

「さぁ、いつまでここで油を売っているつもりですか? 助けるのでしょう? そのために今まで頑張ってきたのでしょう?」


 その声は優しくも強い意志を感じて、それ以上何も口にできなかった。

 

「……ああ!」

「転移魔法(フィラー)!」


 女神様が呪文を唱える。飽きるほど聞いたこの声も、この感触も、これが最後だと思うと名残惜しく感じた。

 二度とこの場所の風景を見ることはないのだ。

 俺の体がバラバラになっていく。少しずつ、この世界から消えていく。

 

「向こうで、彼女にこう伝えてください」


 ほとんど消えかかった時、突然女神様の口が開いた。

 

「私を作ってくれて、ありがとうって」


 何か言おうとした。

 けど、そのための口がもうなかった。

 俺が完全にこの世界から消滅する寸前、最後に見えたものは穏やかで、しかしどこか泣きそうにも見える女神様の笑顔だった。


――――


 生きている。

 今、俺の目の前にいる。

 

 波揺美奈が確かにそこにいた。

 

「しょうたろ――」


 身体がひとりでに動く。ただ美奈の存在を確かめたくて仕方なかった。

 

「ひゃっ!?」


 俺は美奈の体を抱きしめた。

 強く、強く、抱きしめた。

 あたたかい。

 彼女が生きていることを告げる脈動が聞こえてくる。

 

「生きている……、生きているんだ……っ!」


 ずっと、こんな日が来るのを待っていたんだ。

 彼女がすぐそばにいて、こうして息をして、声を出して、立っていて。その全てが愛おしくてたまらなかった。

 嬉しくて、本当にただそれだけのことが嬉しくて、涙が出そうなくらいに幸せだった。

 

「しょ、正太郎くん、苦しいよ……」


 笑いながら美奈はそう言って、そして俺の背中に手を回してくる。

 そうだ、俺は正太郎という名前だったのだと今更になって思い出す。

 もうそう呼ばれなくなってどれくらいの時が流れたのだろうか。――いや、そんなことはどうでもいい。

 

「ありがとう、正太郎くん。ずっと、私のために……」

「本当に長い間待たせて――」

「ううん、謝らないで」


 俺の言葉は美奈に遮られる。その代わりに少しだけ俺を包む力が強まった。

 

「私だって謝らなくちゃいけないこと、いっぱいあるよ。でも、もうお互いわかってるんだから、ね?」


 美奈の言う通りだった。

 既に俺は美奈のことを、そして美奈は俺のことを知っている。二人がそれぞれ想像を絶する苦難を歩んだから、この場所にたどり着けたことも。

 だから、俺が美奈に伝えるべき言葉はこうであるべきなのだ。

 

「待っていてくれて、ありがとう」


 ずっとこうしていたいと思った。もう美奈の傍から片時も離れたくないと。

 でも、いつまでもそうしてはいられない。まだ、俺には役目が残っている。

 

「さて、と」


 美奈を抱きとめる力を緩め、後ろを振り返る。その先には禍々しい瘴気を漂わせた巨大な魔王の姿がある。

 尋常でない魔力の瘴気に、背筋が震え上がるようだった。これだけの魔力を、この魔王は至る場所から吸収し、溜め込んでいたのだ。

 しかしそれが放出された今、この世界でも俺は魔法をいつも通り、いや、それ以上に使うことができる。

 

「じゃあ、行ってくる」


 後ろにいる美奈にそう伝える。ここに来てすぐに最上級の回復魔法を使ったおかげで傷こそないものの、衣服がボロボロに破けていたり髪はグシャグシャになっていたりと、見ていて痛々しかった。

 

「うん。あなたなら、きっと倒せるよ」


 ずっと見たかった笑顔が、そこにあった。

 だが、俺があの魔王を倒せなければ、それもまたすぐに失われてしまう。極限に強化された現状でなお倒せるかどうかは五分五分といったところだ。

 

「ああ」


 美奈に一言だけ返して、飛行魔法で山の頂上と同じ高さまで一気に上昇する。

 禍々しく重い瘴気が周辺に充満しているせいで、呼吸することすら苦痛に感じられるほどだ。

 紫と黒の入り混じった光の中に、一際強い魔力を感じる。その中枢に位置する場所に、一人の魔王の姿が見えた。

 

 虚空を見つめる瞳。そこに最早意志は宿っていない。

 だがこの魔王が今までずっとこの世界の魔力を吸収し続けていたのだ。

 

「やっと会えたな」


 俺が108の世界で戦ったせいで生まれた、魔王の怨恨の塊。

 それは『世界の憎しみ』のようにも思えた。

 

「今、ここで終わらせる」


 自らを鼓舞するように呟いて、強化魔法のかかった剣を構える。そこに俺の全ての魔力を注ぎ込む。

 これを倒す、いや消滅させるためには、こいつが自らを守る結界以上の破壊力を以て、一気に叩く他ない。

 だから、そのための準備をしてきた。

 

 一気に魔力を一点に集中させるための魔法。それをさらに倍以上に高める魔法。

 そして、それにこの肉体を耐えさせるための守護魔法。

 つまりは、一点集中型で、この戦いにしか役に立たないと言ったのは、その一瞬以降においては俺は普通の人間以下にまで弱体化してしまうからだ。

 他の世界だったら、この方法で魔王を倒したとしても、その後に他の魔物に簡単に捻り潰されてしまうだろう。

 

「覚悟は、いいな」


 自分の中で魔力が、それ以外の力の全ても、最高潮にまで高まったのを感じる。

 細胞一つ一つが悲鳴を上げている。腕の筋が脈打つ度に、膨大なエネルギーが体内を循環する。

 

 これで、終わる。

 何千年にも及んだ俺と魔王との戦いに、ようやく終止符が打たれる。

 俺が狙いを定める魔王が、大きな雄叫びを上げた。もしかしたら、この魔王とは直接面識はなくても、取り込まれた魔王の魂が俺という存在を覚えているのかもしれない。

 

「いくぞ」


 構えた剣を一気に振り下ろすと、強烈な黄色い閃光が空を走った。反動で自分まで吹き飛びそうになるのをどうにか堪えて、今の自分が持てる力の全てを放つ。

 巨大な稲妻が空を裂き、瘴気を吹き飛ばしながら突き進む。

 魔王の結界が閃光を弾き返すと、轟音が空を強く打ち付けた。しかしそれでもなお俺の剣からは膨大な魔力が放出され、そこにドデカい穴を空けようと少しずつ削っている。

 

「うぉぉぉぉおおおおおおおおっっ!!!」


 まだだ。まだ足りない。

 もっとだ。もっと、自分の全てをかけろ。

 

 魔王の虚ろな目がカッと見開かれたかと思うと、形容し難い叫び声を上げた。

 結界が光で満ちる。蓄えた魔力を用いて強化したのだ。

 しかし俺の剣は留まることを知らずに、中枢を守る鉄壁を削り続けた。

 それは言うなれば神話の世界の戦いのようだ。巨大なエネルギー同士のぶつかり合いが、この世界全体を大きく揺り動かしている。

 

 自分の肉体が悲鳴を上げていた。激痛はとうに通り越して痛覚が遮断されている。莫大な魔力がこの肉体を飛び出そうと内部から圧迫してきて今にも破裂しそうだ。

 

 バリッ。

 ガラスが割れるような音がした。

 結界にヒビが入ったのだ。

 

 あと少しだ。あれさえ割れれば、あとは――!

 

 その次の瞬間――!

 

「……あれ?」


 全身の力が、ふっと抜けた。

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