第31話「転生しすぎた勇者へ、女神と呼ばれた人形から」

 何が起こったのかわからない。

 俺の剣から放出されていた閃光は、嘘のように消えてしまっていた。


「嘘、だろ……」


 力が、入らない。

 向こうの結界はヒビだらけになりながらも、まだ辛うじてその形を保っている。

 俺の魔力が足りなかったのだ。

 最早飛行魔法すら保つことができず、視界がゆっくりと下降していく。どうにか魔王を掴もうと手を伸ばそうとするが、それすらかなわない。


「そんな……っ」


 あと少し、ほんの少しだけなのに……。

 落ちていく。俺の体が空から地面へと、どんどん落ちていく。


「く……っ、そぉ……っ!」


 何のために今まで生きてきたんだ。

 美奈を、この世界を救うためじゃないのか。

 俺は、勇者だ。今まで何度世界を救ってきた?

 どんな逆境だって乗り越えてきたじゃないか。なのに、どうして最後の最後で体が動かない?

 俺はそこまで無力な男だったか? 違うだろ?


「う……ごけ……っ、うご、けよ……っ!」


 しかし無様なうめき声を出すのが精一杯で、俺の体は落下し続ける。

 魔王の姿が遠のいていく。

 あれはこれからこの世界をまばたきする間もなく滅ぼすだろう。あの魔王に意志なんてものは存在しない。ただ、破壊するのみだ。


 もう、ダメか。

 油断なんて少しもなかった。俺にできる最良の手段を用いたはずだ。それでも、届かなかった。

 次はない。

 一度目は美奈が奇跡を起こしたおかげで、この世界は凍結された。だから俺は結果的に間に合うことができた。

 そんな奇跡が二度連続で起こるはずもないのだ。

 否が応でもわかっていた事実が、頭の中を回る。


 その時だった。


『勇者さま!』

「えっ?」


 声が聞こえたと思った次の瞬間、世界がその色を失った。

 上下が逆転したような感覚に陥った。まるで、時間が止まってしまったかのように、全てがゆっくりに感じられた。


「な、なんだこれは……?」


 突然眩いばかりの光が俺を包む。その感覚は女神様が俺に転移魔法をかける時のそれに少し似ていた。

 しかし俺の体は転移しない。この魔法は――


「……回復、魔法?」


 しかもただの回復魔法じゃない。いや、最早そんな次元の代物でもなかった。

 指先から熱が自分の流れ込んでくるのを感じる。それは体の中を循環し、さっきまで動かすこともできなかった腕が持ち上がった。


『私が存在するためのエネルギーを勇者さまに与えました。これで結界を壊してください』

 何度も耳にした声は、そう口にした。


「存在って、それじゃ女神様は……!?」

『もちろん消えてしまうわけですが……。でも、いいんです。これで』

「いいわけ――」

『元々、私は世界に干渉できませんから』

「干渉、できない……?」


 意味がわからない。女神様は俺と一緒にいろんな魔王と――。


「ま、まさか……!」


 思い出せ。最初に女神様に会ったときに、何と言っていた?


 ――どうして、あなたがそうしないんだ?

 ――……できないのです。

 ――できない?

 ――先程申した通り、私にできることは限られています。私という存在が関わることのできる事象が、ほとんどないと言って等しい。

 ――理由は自分でもわからないのですが、こうしてあなたと接触できたことが、奇跡と言ってもいいのです。


 あの時にも、女神様は同じことを言っていたじゃないか。


『そうです。その理由も、今となってはあたりまえのことだったんですよ』

「あたりまえって……?」

『彼女は、祠に残ったあなたの力を使ってこの世界を結界に、自分の中に閉じこめました』


 美奈の記憶が流れ込んできたあの時に、俺は全ての真実を知った。

 ずっと前、俺がまだ勇者でなかった頃に、美奈の祖母である陽菜を助けるために強固な結界魔法を張り巡らせた。その時にあの小さな道祖神のような祠に、俺の魔力が残留したのだ。


 だからあの場所で女神様と連絡を取ることができた。

 そして、美奈がその魔力に触れたことにより、世界全体を凍りつかせて自らの中に閉じ込めることができた。


『人としての理を破った彼女は、他の世界との繋がりが勇者さま以外とは切れてしまったのです。今はもう人に戻っているようなので、心配ないでしょうけど』

「だから、女神様も……」

『その通りです。彼女の創作物である私も、勇者さま以外の世界に触れることは、できないのです。たとえ、彼女が人に戻ったとしても、私という存在が世界から切り離されていることには、変わりありませんから』


「そんな……っ」

『だから、これでいいんですよ。勇者さまのために、彼女のために、命をくれた二人のために、この命を使えるのですから』


 なんて無神経だったのだろうか、俺は。


 ――何なら俺たちのいる世界に来たらどうだ? きっと楽しいと思うぞ。


 頭の中で自分の言った言葉が何度も繰り返される。

 女神様はきっとわかっていた。自分がこの先、ずっと一人であの世界に残る未来を。

 それなのに女神様は、俺のために笑ってくれたんだ。


『……もしも、二人と同じ世界に生まれることができたら、きっと楽しかったんでしょうね』


 訪れるはずのない未来に、思いを馳せる声。

 一体どんな気持ちで今女神様は俺に話しかけているのか。

 考えるだけで胸が張り裂けそうになる。


『それを勇者さまが提案してくれたこと、本当に嬉しかったですよ』

「えっ……?」


 予想外の女神様の言葉に、動揺を隠せない。

 嬉しい? どうして?

 俺の言葉は女神様を傷つけてしまったのだと思っていたばかりに、その真意が読み取れなかった。


『だって、私がいる世界を勇者さまは望んでくれた。ただの人形に過ぎない私を、勇者さまは一人の人間として見てくれた』


 いつの間にか、全身の体力と魔力が、半分以上も回復していたことに気づく。

 それは、とどのつまり女神様が、自らの存在を俺に分け与えたことのこれ以上ない証左だった。


『本当に嬉しかったんです。勇者さま』

「…………」


 何も声にならなかった。何て言えばいいのか、わからなかった。

 ずっと俺の傍にいてくれた存在だった。確実に彼女の支えなしには俺はここまでたどり着けなかった。

 俺の境遇を知って、その上で共に笑い、共に悲しみ、共に苦しみを乗り越えてきた。

 時には俺を叱ってもくれた。心が壊れかけた俺に強引に休暇を取らせたりもした。


 そんな女神様のことが、俺は好きだった。

 だからこの最後の魔王を倒したあとは、自分の人生を生きてほしくて、幸せになってほしくて、それなのに彼女の気配はどんどん遠のいていく。


『最後、別れるときの挨拶をしていませんでしたね。忘れていました』


 クスッと笑い声が聞こえる。胸が痛くて仕方ないのに、そのおかげで俺も少しだけ笑えた。


 二人で笑い合う。

 今まで何度もあった光景で、そしてこれが最後になる。

 なら最後も、今までのように別れを告げよう。そのために涙を必死に堪える。


『さよなら、勇者さま』

「……さよなら、女神様」


 姿は見えなかったけれど、安心するように微笑んだのが見えたような気がした。


――――


 音が戻ってくる。風景に色彩が戻る。

 俺は今もなお落ち続けていて、涙が上に向かって流れていく。

 魔力がみなぎってくる感覚が、その人が存在していたただ一つの痕跡だった。


「女神様……。その命、絶対に無駄にしない……!」


 飛行魔法を唱え、一気に空へと上っていく。

 流した涙を追い越し、さらにその先まで。

 長い時間が過ぎたように感じていたが、実際に流れたのはほんの数秒ほどだろう。まだ結界はほとんど修復されていない。

 これ以上、余計な時間をかけてはいられない。


「今度こそっ!」


 まだ微かに剣に魔力が残っているおかげで、集中はすぐに完了した。

 女神様がくれた魔力を、一気に中枢へと向かって放つ。

 黄色い閃光が再び空を駆け巡り、結界に当たって砕け散る。


「おおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおっっっ!!!」


 今度こそ。

 もう失敗は許されない。

 もうこれは俺だけの思いじゃない。


 今まで俺が救ってきた命。

 奪ってきた命。

 数百年に渡って研究を助けてくれたリーナたち。

 そして美奈と女神様。


 たくさんの人たちの命と助けがあって、俺は今ここにいる。


「だから、負けられないんだよっ!!」


 そう叫び、さらなる魔力を一斉に放出した。光の束は結界に当たって四散するが、こっちのエネルギーを防ぎきるほどの耐久はもう残っていない。

 

 バリッ!

 

 そしてついに、中枢の周りに張り巡らされた結界は、粉々に砕け散った。光の破片が辺りに飛び散る。

 中枢の魔王の体が光る。もう一度結界を張ろうとしているのか、俺に対して攻撃をしようとしているのかはわからない。


「させるか……!」


 空を蹴り、魔王の懐へと飛び込む。


「うぉおおあああああああっっ!!!」


 魔王が次に何かをするよりも、俺がその胸に剣を突き刺すほうが早かった。

 剣を通して残った魔力をありったけ注ぎ込むと、中から真っ白な光が溢れ出てくる。

 俺の魔力とこいつの中の魔力が混ざり合い、連鎖反応的に自分自身を破壊しているのだ。


 もう、崩壊するのは時間の問題だった。

 このままここにいても、崩壊に巻き込まれるだけで、もうこの場に留まる理由はない。


 が、もう俺の体は動かなかった。


 元々かなりの無理をしていたのに、それにさらに合わせて強引に外部から大量の魔力を流入したのだ。普通ならとっくに死んでいてもおかしくないほどの無茶苦茶だった。

 魔王の体が次から次へとボロボロと崩れ落ちていき、その崩壊はやがて他の部位にも侵食していった。ひび割れた隙間から漏れる光がさらに強まる。


「これで……やっと」


 意識が消える直前に、爆音が轟いたのが聞こえた。


 それが最後だった。


 そしてもう、何も感じなかった。

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