第27話「全ての希望は、祈りは、今この瞬間に」
「……行くのですね」
転移魔法で女神様の目の前に現れた瞬間に、女神様はそんなことを口にした。
全てを見通している彼女は、俺がこれから為そうとしていることを知っている。その危険性も、まだかなりの部分が不確定な要素に包まれていることも。
「ああ」
女神様はただ不安げな眼差しを俺に向けてくるのみで、止めようとはしなかった。
「ごほっ、ごほっ」
その時、女神様が手を口元に押さえて咳をこぼした。驚いて思わずその華奢な肩を押さえる。
「どうしたんだ? 具合が悪そうだが……」
「いえ、何でも、ありません……」
珍しいこともあるものだ。と言うよりも初めて見たかもしれない。
「そ、そうか……。女神様でも具合が悪いってことがあるんだな……」
「ええ。自分でもよくわからないのですが、そのようです……。それよりも、もう何を言っても聞かなそうですね」
女神様は俺の手を払いながら、半ば諦めたような視線を送ってくる。
「ああ。……すまないな。こんなになるまで付き合わせてしまって」
「いえ、勇者さまには今までずっと頑張ってきてもらいましたから、このくらいのことはしないと、ですよ。ただ、私が心配なのは――」
「俺のこと、か」
「その通りです。もう勇者さまの魂は擦り切れる寸前まで来ているでしょう。そのうち、完全に壊れてしまいそうで……、それが心配で……」
「それなら心配しなくていいんだ」
「どうして、そう言えるんですか……?」
108回も世界を救って、その後も今度はさらに長い間、存在するかもわからない方法を求めて世界中を旅した。
俺にだって、もうダメかもしれないって挫けそうになることはある。
「勇者さまは一度だって諦めたことはなくて、その目から希望の光は失われなかった……。どうして……っ」
心底理解できないと言いたげだった。
確かに、自分でも異常なのかもしれないと思ったことはある。
でも、それには明確な理由がある。これ以上ないくらいに、大切な理由が。
「宝物が、あるからだ」
「宝物……?」
「そうだ。決して豪華だとかそんなものじゃないが、キラキラと輝いていて、何にも代え難い、そんな、ものが」
今でもつい昨日のことのように思い出せる。
あの日見た夜空の星々を。
痛いくらいに眩しかった陽射しを。
風景いっぱいを埋め尽くした蝉の声を。
それらの全てにあった、彼女の笑顔を。
だから俺は、今まで歩いてこられた。
だから俺は、これからも歩いていける。
どんな絶望が立ちはだかろうとも、その輝きは決して失われないから。
――――
目の前に広がるのは、以前と変わらずひたすら暗闇のみ。
「ここにくるのも、もう何百年ぶりか……」
ここへは何度も来た。何度も来て、いろんなことを試して、その度に絶望を片手に去ったものだ。
今度もそうならない保証はない。何も起こらなかったら、ただ無意味に、この肉体が爆破に巻き込まれて木っ端みじんになるだけだ。
既に最上級の結界は張り巡らせてある。全生命を一瞬にして焼き尽くすような炎の玉ですら、傷一つつけられないくらいの頑丈さを誇る究極の守り。
その中で、今の自分が出せる最大火力の爆破を起こす。恐らく瞬時に自分の今の肉体は粉々に吹っ飛ぶ。
そのほんのわずかな一瞬の間に、何が起こるのかを見極めなければならない。
爆破魔法の呪文を唱える。より強力な爆破を起こすために、詠唱はちゃんと短縮せずに最初から最後まで。
自分の中で魔力がどんどん練り上げられていくのを感じる。これほどまでに高めたことは今までにないのではないだろうか。
今まで勇者として培ってきた全てを、この瞬間にぶつける。
どうか、うまくいってくれ。
そう願いながら、最後の呪文を唱えた。
――――
だから私は人形を作った。
私の代わりになる人形を。
私はここから出られないけれど、人形ならこの牢獄の外でも行動できるから。
今までの祈りのほとんどを費やして、彼女に託す。
大変な役目を担わせてしまうことには胸が痛むけれど、他に方法は思いつかない。
ずっと、ずっと考えてきたけど、私の頭ではわからなかった。
だから、祈り続けた。
たくさんの命が苦しみの中で失われていくのを目にしながら。
大好きな人の心が壊れていくのを、ただ傍観することしかできない悔しさに涙を流しながら。
だから、どうか――。
お願い。みんなを、助けて。
私を見つけて。
私を、助けて。
――――
まどろみの中に、俺はいた。
はっきりとしない意識が浮かんでいた。何もない空間の中を、ゆらゆらと揺れ動く。
身体が軽い。この感覚は知っている。今の自分は肉体を失い、魂のようなものだけの存在になっているのだ。
これが単純に爆破によるものなのか、時空の歪みが生じたせいなのかはわからない。
――いや、後者だ。
直感でそう確信した。この状態がこんなにも長い間続いたことは、今までに一度もなかった。
俺は、成功したのだろうか。それとも、取り返しのつかない失敗を?
誰も答えてくれない。
ただ自分は虚空の中を揺れ動く何かになったのだと、今や形のない俺の意識が認識した。
『…………♪』
その時、声が聞こえた。
気のせいだろうか。もうとっくのとうに自分はおかしくなっていて、そんな幻聴が聞こえるくらいになってしまったのか。
もしそうだとしても、驚く理由はどこにも見当たらない。これだけの無茶をしてきたのだから、何があったって不思議じゃない。
どうせなら、走馬灯のようなもので、記憶の中の風景でもいいから、そんなものを見せて欲しかったとは思うが。
『……♪』
もう一度、声がした。この暗闇の中に溶け合って、そのまま消えてしまいそうな、か細い声が。
その声は歌声のように聞こえる。そしてその歌に、俺は聞き覚えがあった。
もしかして、そこにいるのか?
そう問いかけようとした。しかし肉体のない俺の言葉は、声にならずに自分の中で反響する。
何かの声が大きくなる方へと、俺は進んでいく。
するとそのうち、辺りがほんのりと明るくなっていくような感じがした。
感覚するための器官がないからそんなものが見えるはずがないのだが、俺はそれを光だと認識した。
小さくて、淡い光だった。
片手で握ったら見えなくなってしまいそうなくらい、儚く弱い光。
それにそっと触れる。
あたたかくて、ほのかに懐かしいにおいがする。
その歌を、俺は覚えていた。
彼女がいつも歌ってくれていた。
悪夢にうなされる俺のために。
そして知らない情景が自分の中に流れ込んでくるのを感じた。
その光の中で一体何があったのか。それを経験した者の記憶が、自分には見えた。
…………。
……………………。
あ……。
ふいに、涙がこぼれそうになった。
だってそこには、ずっと探し続けていた彼女がいたのだから。
こんな場所にいたのか。ずっと、一人で。
ごめんな、なかなか見つけられなくて。
声にならないことはわかっていたが、こう口にせずにはいられなかった。
やっと、見つけたよ。
――――
その瞬間、全ての因果は結実した。
あらゆる空間において。
あらゆる時間において。
あらゆる次元において。
途方もない苦しみを重ねた二人がもたらした、奇跡という単語では到底表しきれないほどの所業。
今この瞬間に歯車はかみ合い、そして動き出す。
自己修復の機能が、完全に作動したのだ。
――――
「ただいま」
彼女にそう告げる。すると、女神様は優しく微笑みながらこう返してくれる。
「おかえりなさい。勇者さま」
女神様の表情にはもう不安の二文字が含まれていない。
むしろ憑き物が落ちたように、晴れ晴れとしていた。
「……やっと、全部思い出しました。全ての因果が確立されたからなのでしょう」
「ああ、わかってる」
互いにもうこれ以上の言葉は必要なかった。次に自分たちがすべきことも、わざわざ口にせずとも明白だった。
「勇者さま、お願いしますね」
「わかってる」
居場所はもうわかった。ただ、これから俺はあれを倒せるくらいにならないといけない。
「ええ、そうですね。これが、最後の転生になるように」
そう言って女神様は、俺に最後の転生魔法をかけた。
もう少しだけ待っていてくれ。
すぐに行くから。
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