第3章
第23話「終末の日」
『 』は生命の進化を見届け、果てにそれらは二種類に別れた。
それが人間と、魔物。
どう調整しても、それらが争い世界は崩壊するばかり。
だからその存在は、その世界を見捨てまた新たな世界を作った。
何度やっても、同じことの繰り返し。
その回数は108。
――――
静寂が包んだ城の広間に、外から微かに歓声が聞こえてくる。
きっと戦いが終わったことを知ったのだ。
終わった。
幾年にも及ぶ人間と魔族の戦いが、ようやく終わりを告げた。
平和が訪れたのだ。
もう魔族の者と戦う必要も、いつ殺されるかもわからない夜を過ごすことも、闇を恐れて生きる義務も、今となっては不要の長物だ。
その日、人間と魔物の間で平和条約が締結された。
――――
条約の署名が行われている部屋を出ると、一人の男が眼の前にいた。
「やったな、勇者さま」
そう言って笑う彼は、ずっとこの日のために俺と世界中を飛び回ってくれた仲間だった。
「ああ、もうこれで人間と魔物が戦うことはない。やっと、平和が訪れたんだ」
ここが最後の世界だった。
長かった旅路もこれでようやく終わり。
そう思うと肩の荷が下りるようだった。
「まさか、こんな形でほとんど血を流さずに戦争が終わるなんて、勇者さまが来るまでは思ってもなかったぜ」
「俺だけのおかげじゃない。いろんな人たち、魔物たちの願いが、今という瞬間を実現させたんだ」
「まったく、欲がないからいけねぇお前さんは」
「別にそんなんじゃないさ」
もうこの世界は大丈夫だ。
人間と魔物が手を取り合って、互いが互いを尊重し合える。そんな未来が訪れることだろう。
人間が魔物を滅ぼすことも、魔物が人間を滅ぼすことも、きっとあるまい。
「長かったな……」
もうあれから、何年が、何十年が、経ったことだろう。
あの世界では、どれだけの月日が過ぎ去っているのだろう。
「これから勇者さまはどうするんだ? きっとどんなポジションにだってつけるぞ? これまで苦労した分、少しくらいいいことがあったっていいもんだ」
「いや、俺は……」
労ってくれる言葉は本当に嬉しい。だがそうのんびりもしていられない。
「帰る場所があるんだ。そこで俺を待っている人がいる」
ずっと、ずっと昔から。俺の帰りを待っている人。
俺の最愛の人。
その人を、これ以上待たせている訳にはいかない。
「たぶん、もう会うこともあるまい」
「そうか……。じゃあ、寂しくなるな……」
「ああ。だから頼んだぞ。この平和がどうかずっと続くようにな」
俺が彼の肩を叩くとただ一言、任せとけと返してくれた。
――――
飛行魔法を用いてグルッと世界を見て回る。
人々と魔物達は皆笑い合いながら、酒を飲んだり踊ったりしている。
もう、大丈夫だ。
やっと終わったんだ。
これで、帰れる。
あの世界に。
時間のズレから考えるに、おおよそ向こうでは十年ほどの月日が過ぎているはず。
まだ、待っていてくれているのだろうか。
十年。
俺からしたら大した長さではないが、待たされている彼女にとっては途方もない長さに感じられたことだろう。
もしかしたらもう待ちくたびれて、そこにはいないかもしれないが。十年も待たせてしまったんだし、その時は仕方ないと割り切らないといけない。
その時だった。
唐突に眩いばかりの閃光が眼前を走った。
その現象には覚えがある。女神様からの通信だ。
「女神様か。ちょうどよかった。今、終わったところ――」
「勇者さま!!」
女神様の声を耳にした瞬間、背中の産毛がゾクッと逆立つのを感じた。
こんな焦燥に満ちた声は、今まで聞いたことがない。
「な、なんだ? どうし――」
「今すぐ……! 今すぐこちらに戻ってきてください……!」
――――
何が何だかわからないまま、俺は女神様のいる空間へと帰還した。
この場所に特段変化は見られない。一体何があったというのか。
「女神様、一体何が……?」
「落ち着いて、聞いてください」
ひどく焦燥しきった声だった。人に言う前にまず自分が落ち着いてほしい、なんて軽口を叩こうとしたが、どうやらそういう雰囲気でもない。
「あなたの故郷だった世界のこと、まだ覚えていますね?」
「あ、ああ。それがどうかしたのか?」
「あの世界がついさっき突然……」
女神様の言葉が詰まる。どう口にすればいいのか迷っているように見えた。
「……消滅、しました」
「…………えっ?」
間の抜けた声が出てしまった。
何を言っているんだ、女神様は。
消滅?
消滅って、なんだ? どういうことだ?
「消えてしまったんです。跡形もなく」
「な、何言ってるんだよ……。やっと戻れると思ってたのに、冗談キツい――」
「冗談などではありません! これを見てください」
女神様が何かの呪文を唱えると、突然周りの風景が変化した。
「私が見た記憶です。この場所、見覚えありますね?」
目の前に広がるのは、俺の故郷。あの頃と何ら変わりないように見える。
「……ん? なんだこれは?」
奥にそびえる山の頂上が微かに光っている。禍々しい色を放ちながら、それは急速に強まっていく。
そして突然、それは強烈な閃光を放った。
「な……っ!?」
次の瞬間、隣の山が弾け飛んだ。
轟音が鳴り響きながら、その破片が辺り一面に降り注ぐ。
逃げ惑う人々の姿。その多くは顔見知りだった。
「逃げろ……。逃げてくれ……」
無意識にそう声に出してしまう。
「あれ……?」
見当たらない。誰よりも一番先に見つけるはずの人物の姿が、逃げる人たちの中に見つからない。
人々の服装からやはり季節は夏のようだ。となれば彼女はこの村にいるはず。
「あ……!」
いた。
一人だけ、その服をはためかせながら他の人たちとは逆方向に走っていく姿。
大人になっているが、遠目でも微かに感じられる面影は、見間違えようがない。
波揺美奈は、光をはなつ山の方へ向かって必死に走っていた。
「バカ!! 逃げろよ!! 君が行ったって何もできないのに!!!」
「勇者さま……。これはあくまで過去の記憶です。そんな風に叫んだって届くはずが……」
「あ……」
女神様はただ悲しそうに目を伏せる。過去の中の彼女は必死に走り続ける。
俺は、何もできない。
そして次の瞬間起こった現象は、文字通り理解不能だった。
美奈が山の中に足を踏み入れると、幾多の魔物達が姿を現したのだ。
この世界には魔物なんていなかったはずだ。しかも一体二体どころの話ではない。その山全体を魔物が占拠している。
『な、なに……? 何なの……? 一体何が……』
彼女の声だった。紛れもなく、昔聞いた彼女の。
逃げろ。
そう伝えたいが、届かない。
『きゃあっ!?』
魔物の振るった腕が美奈を吹き飛ばす。
「……げろ」
言葉が漏れる。届かないとわかっているのに、それでも声に出さずにはいられなかった。
「逃げろ……!」
『はぁっ……、はぁっ……。だ、誰か……助け……っ』
足を引きずらせながら、美奈は逃げる。しかし退路を絶たれた彼女に残された道は、ただひたすら上へと登り続けるのみ。
『きゃっ!?』
石に躓いて美奈が転び、彼女の服が泥まみれになってしまう。
『どうして、こんな……っ。嫌だ……っ、死にたく、死にたくないよぉ……!』
「なら、一人で危険なところに行くなよ……! バカ野郎……!」
『やっと……、あの人に会えると思ってたのに……っ』
「え……? あ……」
彼女は俺が勇者であることを知っていた。
ならば、魔物が現れるような状況になったら、それは俺が戻ってきたと連想してもおかしくはない。
「あ……、ああ……っ」
俺の、せいじゃないか。
『痛い……。痛いよ……っ。やめて……、来ないでぇっ!』
最後にたどり着いたのは、俺の見覚えのある場所だ。
いつだったか、女神様と交信した祠が端に映る。
その場所のことはよく知っている。あるのは断崖絶壁で、それ以上逃げる先がないことを。
『いや、いやいやいやいやぁっ!!』
魔物達が武器を振るう。鋭い刃が彼女の素肌を斬り裂いた。
『きゃあああああああっっ!!! 痛い痛い痛いいたいぃぃっ!!!』
鮮血が傷口から一気に噴き出る。血が顔にかかった魔物はそれをペロリと舐めると、ニヤリと笑った。
「くっ……!!」
これ以上、見ていられない。
しかし目を背けても、彼女の叫び声が嫌でも耳に入り込んでくる。
「ちく、しょう……!」
『うぐぅっ! やめて、やめてぇ……っ! いたいいたいいたいいたいぃっ!!』
魔物達はいたぶるように、彼女を傷つけていく。
『あ……っ、ぐぁ……っ』
彼女の骨が砕かれる。腕があらぬ方向へねじ曲がる。
腹部を貫かれ、血と一緒にドクドクと内蔵が溢れ出てくる。
必死に飛び出した内臓を元に戻そうとするも、曲がった腕では上手く集めることもできないのだ。
「くそ……っ、くそっ、くそっくそぉっ!!」
俺が、俺がいれば、その程度の魔物は一瞬で斬り伏せることができるのに。
湧き上がる怒りにどうにかなりそうになった、次の瞬間――。
視界が黒に染まった。
地の底から湧き上がってくるような轟音。
そのすぐ後に、今度は真っ白な光が一帯を覆い、また世界は真っ黒になった。
「な、何が今起こった……?」
「わかりません……私にも。ただ確かなことは、この瞬間に、この世界は消滅したのです」
「……はは。そんなこと……。あんな一瞬で、空間ごと全部消えたって……?」
声が震える。こんなの今まで見たこともない。
世界の全てを一瞬で消滅させるなんて、そんなの、あり得ない。
「そう、言っているのです。にわかには信じられないことですが……」
「女神様が、ただ見れなくなっただけじゃないのか!?」
「否定はできませんが、可能性は――」
「なら、俺をあの世界に転移してくれ! 今すぐにだ!」
何かの間違いなんだ。あんなこと、起こるわけがない。
だから俺が直接見に行く。
きっと女神様が何かの障壁とかで見えなくなってしまっただけだ。
「冷静になってください、勇者さま! もしも何もなかったら、空気も何もない場所に飛び込んでいくようなもので――!」
「俺の周りを結界魔法で守ればいい! いいから早く俺を転移しろ! 今すぐにだ!!」
「勇者さまをそんな場所には――」
「もういい! 女神様がそう言うんなら……!」
俺は呪文を唱え始めた。もう耳にタコが出来るくらいに聞いたそれを、なぞるように言葉を紡ぐ。
「勇者さま、一体何を……はっ!?」
「転移魔法(フィラー)!」
「勇者さま!?」
今まで何回も目の前で見たんだ。嫌でも覚えている。
自分がやるには、女神様よりも長めの呪文を唱えなければならないが、効果は変わらないはずだ。
あの世界をイメージする。彼女がいた、俺の故郷。
女神様の声がどんどん遠のいていく。やがて聞こえなくなり、俺の肉体は異世界へと転移した。
――――
何も、見えなかった。
恐ろしく真っ暗で、辺りの様子が何もわからない。
「炎魔法(フレイヤ)」
せめて光さえあればと思い、結界の外に向けて炎魔法を放つ。
しかしそれはほんの一瞬で、そこにあったのが嘘のように消えてしまった。
何も、ない? 本当に?
炎を維持するための酸素すら?
「嘘、だ……」
高速移動の魔法で動き回るも、ただ暗闇の中をさまようだけだった。それ以前に移動できているかもわからない。
この空間にはもう、何も残っていない。
たった一つの原子すらも、見つけることはできないのだろう。
すべて、消えてしまったのだ。
「なんだよ……。なんなんだよ……」
結界を感情のままに殴りつける。鈍い痛みを感じたがそれすらも煩わしくて何度も何度も拳を叩きつける。
「やっと、やっと約束を守れると……思ってたのに……っ!」
バリッ。
何かがひび割れるような音。
きっと結界が内からの気圧に耐えかねて崩れかけているのだ。あるいは俺が今殴ったせいもあるのかもしれない。
『勇者さま!! 何をしているんですか!? そのままでは勇者さまも無に飲み込まれてしまいますよ!?』
ああ、女神様の声が聞こえる。だが、言っていることの意味を理解できない。思考するだけの余裕も俺には残されていなかった。
『もういいですね!? こちら側に転移させますよ!』
何かが砕け散る音が聞こえた瞬間、俺の意識は暗闇へと飲み込まれていった。
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