第24話「行く先もわからない旅立ち」

 その霧のようなものが晴れると、いつの間にか俺は女神様の前に戻ってきていた。


「勇者さま……」

「……んで。なんで、こんなことに……?」


 あの世界には、魔王どころか魔物すらいなかったのに。どうしてあんなことが起こってしまったのだろう。

 そしてその後のことも奇怪だった。跡形もなく消えてしまった。

 美奈と一緒に、何もかもが。


「あ……」


 女神様が何かを言おうとして手を伸ばすも思い留まる。


「……なんだよ」

「いえ、なんでもありません」

「何か、知ってるんだな?」

「いえ……」


 苛立ちが募り、胸倉を掴んでしまいたくなるのを堪える。震えそうになる声で女神様にさらに問う。


「いや、わかっているはずだ。何年、いや何百年の付き合いだと思ってる」

「わからないのです。推測……いえ、最早予想としか言いようがありませんが……」

「何だよ」


 しかしまだ言い淀む。推測であるとしてもあるとないとでは大違いだ。

 なのに、なぜそれでも言おうとしない?


「言えってば!」


 我慢も限界に近づいて立ち上がろうとした瞬間、女神様が胸の前で手を開いた。

 すると、ぼんやりとした光が現れる。


「……これを。あの世界が消滅した時の莫大なエネルギーの残滓が、あなたの身体に残っていたので」

「うん……?」


 その光に触れる。別段変わったことは――、いや、確かに何かを感じる。


「なんだろう。この感覚は、どこか知っているような……」

「恐らく……魔王です」

「はっ? 魔王だって?」

「勇者さまが、今まで倒してきた、魔王。彼らが纏っていたものと似ているような気がしませんか?」


 言われてみれば、そんな感じがしなくもない。

 魔王と呼ばれる存在はどういうわけか他の魔物とは異なる瘴気を漂わせている。

 それに似ていると女神様は言うのだ。


「……それが一体何の関係が?」


 そう問うと、女神様の目が俺の目をじっと見つめた。


「ショックを受けないでくださいね」

「これ以上ショックを受けることなんて――」

「いえ、この事実はきっと勇者さまをひどく傷つけることになります。だから、言うべきかどうか迷ったのですが」


 女神様の声音がその先にある絶望を予感させる。

 その正体はわからないし、恐ろしい。

 だが、そうと言って目を背けるわけにはいかない。


「……わかった」


 そう頷くと、女神様はゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐いた。


「今まで、あなたは何回も、何十回も魔王や魔物と戦ってきましたね」

「そうだな」

「その死んだ者たちの魂や思いは、一体どこへ行くと思いますか?」

「あの世とか……? それとも――」


 そこでふと気がつく。女神様の言わんとしている可能性。


「ま、まさか……?」

「そうです。彼らの魂や力、果てには最後の怨念までも、負のエネルギーは全てあの世界に集められていたんです」


 あくまで、推測の域を出ませんが、と続けるが、その可能性の恐ろしさに俺は震えざるを得なかった。


「そんな……。そんなこと……ありえない……っ!」

「あなたを転移させるために魔力を送る道が、極端に狭いという話をしたことがありましたね」


 ただ、頷くことしかできない。かなり昔のことになるが、波揺で過ごした日々はどれもこれも俺の頭に刻み込まれている。


「あれは恐らく道が狭かったわけではないのです。絶えずあの世界には異世界からの魔力が注ぎ込まれていて、それがほとんどを占めていたために私が魔力を送れなかった……」

「な、なら……! それなら、どうしてあの世界にはほとんど魔力がなかったんだ!?」


 そんなに膨大な量の魔力が送られていたのなら、そんなことが起こるわけない。

 女神様の言わんとしていることは早々に気がついてしまった。

 だが、認めたくない。

 その仮説は、俺という存在の否定にほかならないからだ。


「あの山に全て集められるようになっていた……、いえ、あの山自体が周りから魔力を吸い取っていたのではないでしょうか。それこそ、他の世界からの魔力すら奪うくらいに」

「そんなの……、ありえ……っ」

「あれは、いくつもの魔王や魔物たちの死を集めたもので、それが限界に達しあの世界自体をも死に至らしめたんだと思います」

「嘘だ……」


 しかし、そう言われてみれば納得できてしまう。心当たりがいくつも思い浮かんでくる。

 違和感はあった。あの世界で過ごす中でいくつも兆候はあったはずだ。


 あの夜突然現れた魔物の異様なまでの弱体化。魔力が極限まで搾り取られていたと考えれば納得できる。

 それにあの麓まで下りてきていた熊。

 あれは、ひょっとしてあの山に溜まる膨大な魔力の存在に気づいていたんじゃないのか?

 もしも俺があの時、もう少し上まで登っていたら、その兆候に気づけたんじゃないのか?


「じゃあ、俺が……」


 いや、そんなことよりも。それよりも――!


「俺が、魔王と戦って倒したせいで、あの世界は、消滅したって……?」

「か、可能性の話です!」


 推測だと女神様は口にしているものの、とてもそうだとは思えない。

 こんなにも現状と合致する根拠がある。むしろそう考えないほうが不自然だ。

 村を壊され、彼女は魔物によって嬲られるように傷つけられ、果てには空間ごと消されてしまった。

 それもこれも、そうなってしまうきっかけを作ってしまったのは、自分だ。


「ごめんなさい!」


 女神様が深々と頭を下げる。その肩が少しだけ震えているのに気がついた。


「なんで、女神様が謝るんだよ」

「勇者さまを魔王と戦わせたのは、他でもない私だからです……! それに、もっと注意深くしていれば、気づけたかもしれないのに!」


 女神様は、泣いていた。こんなにも心をすり減らしている彼女を見るのは、何百年と一緒にいて初めてのことだった。


「本当にごめんなさい! 謝っても許されないのはわかっています……。それでも――」

「そんな謝らないでくれ」

「でも……!」

「魔王と戦うことを選んだのは俺だ。それに、俺だって同罪なんだ」


 女神様とは違うけど、兆候はあって気づけたかもしれない。

 どれもこれも今更すぎる話で、だから油断していた自分に余計に腹が立った。


「女神様。何か、案はないか?」

「案……。あの世界はもう消滅してしまいましたし、どうしようも……」

「……そうか。なら、俺を最初の世界に転移させてくれ」

「えっ?」

「約束、したんだ。絶対に戻るって」


 何か手はあるはずだ。どこかに、何か。

 こんな現実、俺は認めない。


「世界を復活させる術なんて、今まで見たことも聞いたこともありません……!」

「俺だってない!」


 思わず怒鳴ってしまい女神様がビクッと肩を震わせた。

 それは怒りというよりは焦りによるものだった。

 今までのような『魔王を倒す』みたいな明確な目的があるわけではない。

 暗闇の中を突き進むような、そんなほぼ不可能な道程だ。


「でも、それ以外に何ができるって言うんだ……?」


 女神様はもう何も言わなかった。ただ不安げな眼差しを俺に向けてくるのみ。

 ふと視線を下げると、自分の手は震えていた。それは恐怖故か、怒り故か、悲しみ故なのか、俺にはわからない。


「女神様、頼む」


 ただ、こう口にするしか俺に道は残されていないんだ。


「最初の、ということは、今まで救ってきた世界で探すということですか?」

「ああ。全ての世界を、端から端まで探しに」


 必ず、君を助けてみせる。その術を見つけてみせる。

 きっと今までの比にならないくらいに、長い旅路になるだろう。


 それでも、俺は絶対に、諦めない。

 絶対に。

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