第22話「少年と、少女と、花火と、休暇の終り」
ドンッ。
重く大きな音が、胸の奥に響く。
赤い大輪の花が、夜空にパッと咲き上がる。
「綺麗だ……」
あまりにも突然の出来事に、思考が追いつかない中、無意識にそんな声が漏れた。
この村で花火を打ち上げるなんて話は、今まで聞いたことがなかった。
「あ……」
噴射台の方に何度か話したことのある人が見えた。都市の花火大会用の花火を作っているって、言っていたっけ。
「でもあの人、ここで打ち上げる用の花火は作ってないって言ってたような……」
「お祭りだから、じゃない?」
地面がピカッと一瞬閃光を放ち、かん高い音を鳴らしながら地面から空へと上っていく。
それはまた開く。青色の光の粒が四方八方に広がる。
ドンッ。
遅れて響く、爆発音。まるで空を思いっきり殴りつけたようだ。
花火は次々と打ち上がって、空を赤、黄、緑とそれぞれの色彩で染めていく。
「綺麗だねー」
「ああ」
ふと、思い出す。
昔、もう気が遠くなるくらいに長い時間が過ぎる前、今と同じようなものを見た。
両親がいて、兄弟がいて、友達がいて、みんなで今みたいに空を見上げていたのだ。
大切だった。本当に、心の底から。
だから、もう失いたくない。次は、次こそは。
「……あ」
「あ」
そんなことを考えながら彼女の方を見ると、見事に目が合ってしまう。そのまま俺は聞いた。
「さっき、何て言おうとしてたんだ?」
「……さぁ?」
美奈はそう言って目を逸らした。
「さぁって……」
「もう忘れちゃった。たぶん大したことじゃないよ」
「そんな風には聞こえなかったが」
「だって、本当に大事なことなら、後からだって言うでしょ?」
花火が打ち上がる。空が明るい白で染まって、また暗い藍色に戻る。
「言わないってことは、忘れるってことは、それくらいくだらない、どうでもいい話だってことだよ」
美奈はそう言って黙ってしまった。そう言われてしまっては、これ以上問いつめることもできない。
だが、その方がいいのかもしれない。
もしも。
もしも、そういうことだったら――。
「……もう、お祭りも終わりだね」
美奈がポツリと呟く。見れば少しずつ人も少なくなり、屋台の明かりも弱くなってきている。
「明日の今頃は私はもう……」
「そっか……」
明日の昼には美奈はこの波揺を発ってしまう。残された俺がここから去るのもそう遠い話ではない。
「あなたも、また戦いに戻るんでしょ?」
「ああ。休暇はおしまい」
「そうだよね……。ここに戻ってきたりもしないのかな」
「……わからない。最後まで終わるのにあとどれくらいかかるのかも。そもそも終わるのかどうかも」
俺が行く世界はあと、十個くらいだったはずだ。つまりはあと十回は魔王と戦わなければならなくなる。
でも、今の俺はそれまでの俺とは違う。
「今度は、違うやり方で世界を救おうと思ってるんだ」
「違うやり方って?」
「血を流し合うことなしに、平和な世界を作り上げたいんだ」
人と魔物が戦わなくてもいい、互いを憎み合って争うようなことがない。そんな方法で世界を救いたいと思っていた。
きっとそれは想像以上に厳しい道程になるだろう。
「できるかわからないけど、やってみようって思ったんだ」
だが、今までの経験を全部フルに活用すれば、どうにかなるかもしれない。
何十回も人間を勝利に導いてきたのだから、最後には何も考えずに魔王を倒せるようにすらなっていたのだから。
「大丈夫だよ」
少しの沈黙の後に美奈は微笑みながらそう言ってくれた。
「あなたなら、きっとできる」
なぜだろう。彼女がそう言ってくれただけなのに、本当に実現するのだと自分の中で強く信じられそうな気がした。
「だって、今まで何百回も世界を救ってきた勇者なんでしょ?」
「桁が一つ違うよ」
「あ、何十回だったっけ。それでも、もう世界を救うことに関して言えば、大ベテランなわけで。正太郎くんなら……ううん、きっと正太郎くんにしかできないことだよ」
まっすぐな瞳が、俺に笑いかけてくれる。口にする前は自分でも不安だったはずなのに、美奈の言葉がすごく心強い。
「ありがとう」
「……じゃあ、もう会えないんだね。当分」
「たぶん。少なくとも十年くらいは帰ってこられないかな」
彼女の祖母との記憶を思い出したことによってわかったこと。
この世界と、魔王と戦ってきた世界では時間の流れ方が違うのだ。
俺が女神様と出会って世界を救い始めてから、恐らく何百年という途方もない時間が流れている。しかしここではせいぜい数十年といったところ。残っている世界の数から考えれば、十年やそこらで戻ってこれてもおかしくはない。
だが、それでも十年。
「……そっか」
俺にとっての十年と彼女にとっての十年では、感覚も重みも違う。
そんな彼女に待っていてほしいなんて、あまりにも軽薄で自分勝手な願いだ。
「じゃあ、向こうでも頑張ってね」
「ああ、ありがとう。君も、こっちで頑張れよ」
「えっ? 何を?」
「そりゃ、何かをだよ」
「……ぷっ、何それ」
美奈が小さく吹き出した。
「説得力あるだろ? 人に頑張れって言ったなら、そっちも頑張らなきゃな」
「説得と言うより、それ脅迫だよ」
「あはは! 確かに!」
「ふふっ!」
二人の笑い声が風に乗ってどこかへ流れていく。
そうだ。終わり方はこんな感じがいい。
こんな感じで、いい。
「…………」
――本当に、いいのか?
「さ、帰ろ? 明日も朝早いし」
「……ああ、最後に寝坊なんてのもな」
「うん」
彼女が俺の先を歩いていく。雑草を踏む音を等間隔で鳴らしながら。
言えるわけがない。言っていいはずがないんだ。
そんな自己中心的で身勝手な言葉を。
なのに、心は今もなお叫び続ける。
「……なぁ、ちょっといいかな」
「…………」
足音がやみ、彼女の動きが止まる。
「……なに?」
振り返らずにただ声だけを返してくる。そのせいで今どんな表情をしているのかがわからなかった。
でも、たとえどんな感情を抱いていようと構わない。息を軽く吸って、吐いて、それからもう一度吸った。
「好きだ」
口にしてしまった。
言ってはいけないと、あんなにも自分に言い聞かせていたはずなのに。
でも、離したくないと思ってしまった。
強く、強く、思ってしまった。
こんなにも何かを欲しいと思ったのは、何百年も生きていてきっと初めてだった。
彼女はこっちを振り向くと、ポカンと口を開けて呆然とした。
まさか完全に予想外だったのだろうか。
俺がそういう感情を抱いていないものだと思われていたのかもしれない。いつだったか十年女を磨いてから出直してこいなんて言ってしまったせいだとしたら、あの時の自分を殴ってやりたい。
「それって、どういうこと……?」
「そのままの意味だよ。俺は、君のことが好きなんだ」
「……それ、本当?」
「こんな時に冗談なんて言わないよ」
「そっか。あなたは言うような人じゃないね」
「そうだよ」
俺と美奈とでは何人分の寿命ほどの年齢の違いがある。相当なロリコンだと思われてしまっても否定はできない。
が、それを言い出してしまっては、この世にいるほとんど全員が何百年も年下の人間となってしまう。
そういう問題もあるが、それだけではない。
「……私で、いいの?」
「えっ?」
長い沈黙の後に彼女が発した言葉は、俺の心配から外れた内容だった。
「だって私、普通だよ? あなたみたいな勇者じゃないし、何もない、平凡な人生を送ってきた、普通の女の子だよ?」
「そんなことないだろ。それに今は関係……」
「あるよ。だって私じゃ、あなたには釣り合わないし……っ。それに、これからあなたは、またいろんな世界に行くんでしょ? そしたら、きっと私よりも綺麗な人も、すごい人もいっぱいるだろうし、だから……!」
美奈はそう必死にまくしたてる。そんな、俺からしたらどうでもいいことを、美奈は心配していたのだろうか。
もっと、それ以外の心配はなかったのだろうか。
年の差もそうだし、それよりも重大な時間の問題。
魔王と戦う使命がある俺は、少なくとも十年はここに帰ってこられない。
「えっ? あ、あれ?」
「だって、俺が言いたかったのは――」
「私、あなたのためなら待つよ?」
思わず声を失った。
あんなに俺が気にしていたことを、美奈は簡単に肯定してみせたのだ。
頭の中が混乱でいっぱいになって、次の言葉が思いつかない。
「さっきは十年なんて言ったけど、そもそも何年かかるかもわからない……! もしかしたら君が生きている間に終わらないかも……」
「それでもいいよ」
「なんで……、わからない。君の考えが理解できない……!」
「どうしてわからないかなぁ。もしもあなたが私の立場だったら、同じ風に考えないの?」
「俺が、君の?」
「うん。理由は簡単」
美奈は笑いながら両手を後ろに回して、そしてこう言った。
「私も、あなたのことが好き」
自分と向かい合う少女は、少しだけ頬を赤く染めながらもあっけらかんとしていた。
「あなたなら、きっと終わらせて帰ってくる。そう信じているもん」
「なんでそんな……」
「あなた自身だってそう思ってるから、私に好きって言ってくれたんじゃないの?」
返す言葉もない。言われてみれば確かにそうだ。
「それにさ、世界を救うために戦ってるなんてそんなカッコいい人、他にいないよ」
その目には一点の曇りもなく、嘘をついているようでも自信なさげでもない。
「あはは、なんだか恥ず――」
次の瞬間、体が勝手に動いていた。
その行為は衝動的で、理性は押し止めようとするも役に立たなかった。
「わっ!」
俺は彼女の体を抱きしめていた。
どうしようもないくらいに愛おしかった。
「きっと、いや絶対、ここに戻ってくる。俺は、君に会いに、また」
すると、美奈の腕もまた俺の体を抱きしめてくれた。
か細くて小さい。けれど、あたたかい。
「……うん。あんまり待たせないでね。でも、無理はしないで」
「ああ。わかってる」
「その時、私何歳なんだろうなぁ……。前にあなたに十年女を磨いてこい、みたいなこと言われたけど、十分過ぎる時間だね」
十年後。きっと美奈は今よりもずっと綺麗な女性になっているだろう。
そんな彼女を待たせてしまうのは、本当に忍びない。
絶対に帰ってくる。
そう強く心に決めた。
そして――
「戻ってきたら、ここで二人で暮らそう。死ぬまで、ずっと一緒にいよう」
その言葉は誓いだった。
絶対に自分が今抱きしめている女の子を幸せにすると。
絶対に、絶対。
「……それって、プロポーズ?」
「かもな」
「ロマンティックなんだか、そうじゃないんだか、わからないなぁ」
クスッと美奈が笑う声が聞こえて、それに釣られて俺も笑った。
ふいに美奈の力が弱まる。
「……そうだ、じゃあ、ロマンティック追加ということで」
「ん?」
何をするつもりだろう、と首を傾げていると、突然頬にやわらかい感触。
美奈が、俺の頬にキスをしたのだ。
それは瞬きよりも短い刹那の間の出来事だったが、電流が流れて脳が痺れたような感覚に襲われた。
「な……っ!」
思わず彼女の顔を見ると、ゆでダコのように耳まで顔を真っ赤にしながら、してやったりと笑っていた。
「私、毎年夏になったらここに来るから。その時に、また、ね?」
そういうところが、本当に美奈らしい。思わず笑みがこぼれる。
だから、俺は彼女に恋をしたんだ。
「……あ」
危ない、忘れるところだった。
ポケットの中に入れていたものを取り出して、美奈の手のひらに乗せる。
「君に、持っていて欲しいんだ」
「何これ?」
美奈が乗せられた透明な球形を指でつまんで星に透かす。キラキラと光が中で反射して輝いていた。
「ビー玉だよ」
「いや、それはわかるけど」
「お守りなんだ。俺の」
それはずっと昔、この村に俺がいた頃にずっと持っていたビー玉だった。いつでもポケットに忍び込ませて、何か緊張したり、怖いことがあったらそれを握って心を落ち着かせていた。
いつの間にかなくしてしまったと思っていたが、美奈の祖母である陽菜を守るために肉体が消滅した時に、ビー玉だけはこの世界に残って拾われたのだ。
今にして思えばあの時に俺が結界魔法を使うことができたのは、これのおかげだったのだろう。なければそんな魔法を使うほどの精神力を保つこともできなかったはずだ。
「ボロボロだけど、きっと美奈を守ってくれる。そんな気がするんだ」
「……わかった。大切にするね」
嬉しそうにビー玉を握りしめると、再び俺に対して向き直った。
「じゃあ、何年か先の夏で、また」
さよなら、じゃない。また、だ。
「うん。また夏に」
――――
噴水の流れる音に混じって、カツ、カツ、と大理石を靴が鳴らす音が部屋の中に響き渡る。
その部屋の奥に女神様がいる。もう何度も見た光景だったが、こんなにもこの部屋は明るかっただろうか。
同じはずなのに、別の場所のように俺の目に映った。
「お久しぶりですね、勇者さま」
「ああ、久しぶり」
たったの一ヶ月。
もっと長い間、あの世界にいたように思えるが、そんなことはもちろんない。
「随分と、人間らしい顔に戻りましたね」
女神様は嬉しそうにそう言った。こんな表情を見るのも、本当に久しぶりだった。
「そんな感じのことを言われると思ってたよ」
「あら。何だかその話し方、懐かしいですね」
「話し方?」
何の話をしているのか、さっぱりわからなかった。
「……いえ、なんでもありません。それより休暇も悪くないでしょう?」
「ああ、確かに」
「だから今まで何回も、休むように言っていたのに。勇者さまは聞く耳持たないですし」
「悪かったって」
「ふふっ」
久しぶりに来たせいで、自分の心象の変わりようが如実にわかる。
前はもっとここは暗く淀んで見えていた。こんなにも明るい場所なんだと改めて気づかされた。
「それと、ありがとう。全部、偶然なんかじゃなくて、女神様が仕組んだんだろう?」
「あら、どこまで知っていますの?」
不思議そうに女神様が首をこくんと傾ける。その仕草が少しだけ美奈に似ているな、なんてことを思った。
「全部だよ。あれ? 知らなかったのか?」
「ええ! だって魔力を送るのに精一杯でしたもの!」
「いや、逆ギレされても……。それよりもだ」
そんな無駄話を聞いている暇はない。俺には待たせている人がいるのだから。
「休暇は終わり。じゃあ、一刻も早く次の世界を救いに行かなきゃな」
「そうですね!」
もう女神様もそんな俺を止めることはない。きっと今の話だけで大丈夫なんだとわかったのだろう。
「あと、10だっけ?」
「11です。勇者さま」
「11か」
一つ大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
俺は再び戻る。
あの世界に。
必要なのは古堅正太郎ではなく、勇者だ。
「……よし」
「では、次の世界に勇者さまを転移させますね」
「頼んだ」
「転移魔法(フィラー)!」
女神様が転移魔法を唱えると、少しだけ久しぶりな感覚に包まれ、そして、俺は、消えた。
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