第21話「少年は心の灯火を再び灯す」

「なぁ」

「なに?」

「いろいろありがとうな」

「どうしたの、急に」

「言っておきたくなったんだ」

「あはは、らしくないなぁ」

「茶化すなよ」

「そうだね、ごめん」


 彼女は遠くをぼんやりと見つめる。

 その横顔は、繊細な筆致で描かれた水彩画のように美しく、思わず見惚れてしまう。

 そして、なんだか気恥ずかしくなって、視線を外して彼女と同じ方を向く。そこにあるのは夜空だけ。

 数え切れないくらいに小さな光の粒が敷き詰められた、一面の黒。

 満天の星空に、自分たちが包み込まれたようだった。


「……俺さ」

「うん?」

「思い出したんだ。前に聞かれてたこと」

「それって……」

「どうして、俺が勇者になったか」


 そして――


「どうして、魔王と戦おうと思ったか」


――――

 

 自分たちが住んできた村が、どんどん焼けてなくなっていくのを、見ていることしかできずにいた。


『燃えちゃう……。全部、なくなっちゃう……』

『くっ……!』


 自分の無力を呪う。

 ここにいる女の子一人、もしもあの火がここに飛んできたら、守ることができない。

 何もできない自分が、嫌で仕方なかった。自分の身体の中が少しずつ熱を帯びていくのは、怒りのせいだと思った。


『私たち、これからどうなるのかな……』

『大丈夫だよ』

『そう、なのかな……。どうしてそんなこと言えるの?』

『どんなことがあっても、君だけは、俺が――』


 その時だった。

 耳をつんざくような爆音が、自分の背後から轟いた。


『きゃあっ!?』

『うわっ!!』


 一瞬で辺り一面が火の海となる。

 頭上を見上げると、巨大な鉄の塊がその元凶なのだとわかった。


『クソ……っ!』

『ど、どうするの?』

『どうするって言ったって……!』


 逃げ場はない。このままだと二人とも焼け死ぬのが目に見えていた。

 神様でも何でもいい。自分たちを、せめて陽菜だけでも救って欲しい。

 そう叫んでいた。


『熱い……っ、死にたくない……っ!』


 陽菜が俺の服の裾を引っ張る。

 どうにかしないと。

 ただ焦燥感が頭の中を駆け回る。

 上に逃げ場なんてないのに、また空を見上げた。鉄塊は今もなおそこにあって、するとその時、また黒い塊が落ちてくるのが見えた。


『嘘だろ……?』


 さっきのと同じものだと瞬時に理解した。

 あれはいま自分たちがいる場所に落下してくる。そうすればどうなるのか。


 守らないと。

 絶対に、陽菜だけは――!

 こんな火さえ、こんなものさえなければ――!


 ――――!


 その時、何かが弾ける音が、自分の中で響き渡った。


――――


 次に意識が覚醒した時、俺は宙に浮いていた。妙に身体が軽い、まるでなくなってしまったかのように。


『気がつきましたか?』


 声がした。

 鈴を鳴らしたような、透き通っていて綺麗な声だった。こんなにも美しい声を、いや音を俺は今まで聞いたことがない。


『あ、あれ……? 俺は……? てか落ち……っ、ない?』

『よくあんな上級魔法を使えましたね。こんな魔力の薄い世界で、魔法の知識もゼロのあなたに』

『魔法……? えっ……?』


 そこでようやく自分が気を失う寸前のことを思い出し飛び上がった。いや、正確には飛び上がろうとしたが、地面がないから空中で足をジタバタしたという方が近い。


『あ、あの火は!? 俺は、陽菜はどうなったんだ!?』


 辺りを見渡すと、自分がついさっきいた山の少し上の方で浮いているのだとわかった。


『あれ……? 火は?』

『覚えていないのですか? あなたが消したんですよ?』

『俺が……? どうやって……?』

『無意識であれだけのことを……』


 そこでようやく自分の目の前にいる人物の存在に気づいた。


 白。

 純白のドレスを纏った女性が、俺の前に立っていた。

 ひらりと舞うそのドレスはきめ細かく刺繍がなされていて、繊細でありながら優雅な雰囲気を醸し出している。


 しかし何よりも目を見張るのは、彼女自身の美しさだった。

 容姿端麗だとか、美人だとか、女性への褒め言葉の大凡が彼女には当てはまらない、いや足りないのだ。人間の認識では到達し得ない領域に達していて、人間ではないと言われた方が納得できるくらいだ。

 そんな俺を置いてけぼりに、彼女は話を始める。


『あなたは結界魔法を使って、爆弾と火を消してしまったのです。その魔力の代償として、あなたの肉体は消滅してしまいましたが……』

『ちょ、ちょっと待って。何を言って……』


 そう問おうとした時、どこかから陽菜の声がした。


『どこに行ったの……ねぇ……っ!』

『!』


 見つける。俺から遥か下方の平地に陽菜はいた。


『おい! 俺はここだ! おーい!!』

『ねぇ……、ねぇってば……!』


 上からではあるが声は届くはずだ。それくらいの大声で叫んだはずだ。

 なのに陽菜はそれに反応せず、不安そうに辺りを見渡すばかり。


『聞こえて……いない……?』

『あなたの肉体は、もうありません。今のあなたは、魂だけの状態なのです』

『うるさい、あんたは黙ってろ!! おい! 俺はここにいるぞ!!』

『どうして……? どこにも行かないって約束したばかりなのに……!』

『違う、俺は――!』

『現実を認めてください。あなたは死んだのです』


 女性の声音が強まり、思わず俺は言葉を失ってしまう。


『あの子を守って、あなたの身体は消滅したのです』

『……嘘、だろ?』

『事実です』


 それから彼女は語った。

 俺は本来使えないはずの魔法を使うという、まさしく『奇跡』に近い現象を起こして陽菜を爆撃から守ったことを。

 しかしそのせいで俺の肉体は滅び、消滅してしまったようだ。それはもうどうしようもないことで、そもそもの話、もしそれがなかったとしたら陽菜と一緒に俺も結局死んでいたらしい。

 ショックじゃないと言えば嘘になる。だが未だに実感が湧かないせいで、すんなりと聞き入れてしまう。

 彼女に人を生き返らせることはできない。消滅した肉体を戻すことも、そこに再び魂を結びつけることも。

 だが、そんな彼女にも唯一できることがある。


 それは、転生。

 命をもう一度別の肉体に宿し、新たな世界で新たな生命として生まれ直すことなら、彼女にはできる。

 そしてそれを用いて、俺に為してほしいこと、いや為さねばならないことがあると告げた。


『お話するよりも実際に見てもらう方が早いでしょう』


 それから俺が見せられたのは、魔物という存在と、それと戦う人々の姿だった。

 その光景はあまりにも凄惨で、救いようのない地獄だった。

 人同士の戦争が可愛く見えるくらいに、歪んだ憎しみがぶつかり合い、傷つけ合うおぞましい世界。


 曰く、転生の勇者としての素質のある俺に、これらの世界を救ってもらいたいのだそうだ。

 そんなものはないと返したが、本来魔法が使えないはずのこの世界で使ったことが何よりの証左らしい。そんなバカなと思ったが、彼女の表情を見るに全くの嘘というわけでもなさそうだった。


『あなたのステータス、能力値が私には見えますが、どれも底なしです。きっとどんな魔王が相手だろうと、あなたならたくさんの世界を救えることでしょう』


 その人の言っていることは、ほとんど理解できなかった。けれど、ただ一つだけわかったことは――


『俺が、世界を……、この人たちを、助けられる……?』

『ええ』


 彼女は静かにゆっくりと頷いた。


『一つ、聞きたい』

『なんでしょう?』

『どうして、あなたがそうしないんだ?』


 当然の質問だと思う。俺自身に自覚がないのもあるが、むしろ今こんなことを起こしている彼女の方こそ適任であるように感じられたからだ。


『……できないのです』

『できない?』

『先程申した通り、私にできることは限られています。私という存在が関わることのできる事象が、ほとんどないと言って等しい。理由は自分でもわからないのですが、こうしてあなたと接触できたことが、奇跡と言ってもいいのです』


 話の半分も理解できた気がしないが、とにかく彼女には不可能なようだ。随分と都合の良い不都合な気もしなくもないが。


『だから、あなたにお願いしたい』


 改めて俺に対して向き直る。


『彼らを、世界を、救ってもらえませんか?』


 彼女が俺に問う。

 あまりにも途方もない問いだ。ちっぽけな俺という存在が、世界という壮大なものを救えるなんていまいちピンと来ていない。

 だが、それでも答えはすんなりと出た。


『わかった』

『えっ?』


 俺は、救えなかった。

 火によって焼かれる自分の村を、見ていることしかできなかった。

 目の前で人々が死んでいくのに、ただ、立ち尽くすことしか。


『やるよ。その勇者というものに、俺はなってやる。それで、たくさんの人を俺は、救いたい』


 だから、そんな自分に救えるものがあるのなら、俺は――。


――――


「俺は、守りたかったんだ。今、俺たちの目の前にあるような光景を」

「光景?」

「ああいうものをさ」


 祭りの方を指差す。村中の人たちが集まって、いろんなことをして笑い合っている。

 ああいう平凡で、でも幸せな毎日を、俺は守りたかった。


「一度、たくさん失ったから、だから、今度は守りたいって」


 遠い記憶の彼方にある情景。

 赤い炎に包まれて炭になっていく、たくさんの大切なもの。


「でも、いつからかそれすらも忘れてしまっていた」


 ただ魔王を倒す。人間を守るとしか考えられなくなっていた。

 プログラムされた機械がタスクを自動的に実行するように、俺は魔物を殺し続けた。


「本当はそうじゃなかった。俺が守りたかったものは、少し違っていたんだ」

「……そっか」


 ひとしきり言い終わると、美奈は小さく声を漏らした。


「正直、私にはよくわからないけど、でも、あなたの顔を見てると、それでいいんだって思うよ」

「それも、君のおかげだ」

「えっ?」

「ここに来て、初めて綺麗だと思ったのはこの星空だった」


 彼女は何も言わないが、微かに瞳が頷いたように見えた。


「あの瞬間、俺は自分が少しだけ人間になれた、いや、戻ったと思えた」


 美奈が初めて俺に見せてくれたもの。俺を救ってくれた瞬間。

 その時の感覚は今でもこの胸から離れない。


「今になって思えば、俺の心はもう人間じゃなくなっていたんだ。目の前で誰かが泣いていようが、苦しんで死のうが、何も感じなかった。何かがきっと麻痺してたんだと思う」


 そんな俺をまた一人の人間にしてくれたのは、美奈だ。


「君と過ごしたこの時間が、俺を救ってくれたんだ」

「そんな、大げさだよ」

「大げさなんかじゃない」


 そう強く言い切る。だって、少しも美化した言葉ではないから。


「美奈と過ごす毎日は、俺にとって……、俺にとって……」


 だが、言葉は詰まってしまう。次に口にする言葉はわかっているのに、どうしても声に出せない。


「……いいよ。たぶん、私も同じだから」


 そう微笑んでくれる。

 俺たちの間にあるその『言葉』は、きっと一致しているのだろう。


「だから、私からも言わせて」

「君、から?」

「私ね、正太郎くんから教わったの。大事なこと」

「教わった? 俺から?」

「うん。そうだよ」

「何か説教した記憶は……、早起きくらいしか思いつかないな」

「ぷっ、あはは! それもかもね!」


 俺の言葉に美奈は少しだけ笑って、また一つ呼吸をおいてから話し始める。


「私ね、ここには、何もないと思ってた」


――――


 動物園も遊園地もプールもなくて、いるのもおじいちゃんやおばあちゃんばかりで、私と同じくらいの歳の人はいなくて。だから、あなたが来た時、本当にすごく胸が躍ったんだけど。


 でもね、違ったの。

 ここに、何もないんじゃなかった。私が探そうとしていなかっただけだったの。

 山に行けば冒険が待っていたし、海に行けば海の家やたくさんの人がいなくても楽しかった。

 それだけじゃない。つまらないと思ってた畑仕事とかも、実際にやってみたら結構面白かったり。見つけようと思えば、いっぱいのものがあったんだ。

 それを教えてくれたのは、正太郎くんなんだよ。


 それに、そもそもの話だけど。

 あの日、正太郎くんさ、私に約束してくれたよね。覚えてる?

 夏休みが終わるとき、最高の夏だったって言わせてみせるって、言ったよね。……はは、そんな照れなくてもいいのに。

 あれ、本当に嬉しくて。それから毎日が楽しみだった。あんなに明日が来るのが待ち遠しい毎日なんて、生まれて初めてだった。

 で、過ごす毎日は全部が私の想像を超えて、本当にすごく楽しかった。

 こんな言い方するのは、ちょっと恥ずかしいけど……。


 宝物、なんだ。


 この夏休みは、私にとって一生の宝物。


 だからね、ありがとう。

 

――――

 

「……あはは。あなたに比べたらちょっとスケール小さいね」


 照れているのを隠すように美奈は笑う。


「そんなことないし、お礼を言われるようなことなんて」


 どうしてこんなにもまっすぐなんだろう。

 俺が言い淀んだ言葉を、簡単に口に出来るんだろう。

 そんなまっすぐな彼女だったから、俺を救ってくれたんだ。

 そんな君だから、俺は、君を――


「いいの、私が勝手にあなたに感謝してるだけ。あなただってそうだよ。お互いにそうしようと思ってたわけじゃないんだから」

「……そっか。そんなもんなんだな」

「うん、そんなもん」


 それからまた会話は途切れた。

 二人とも言いたいことはもう十分に言い切ったし、それで互いに理解できた。

 だから、これでいい。


 ――いや、まだ言い足りないことは、ある。


 だがその言葉は今まで何度も心の中に浮かび上がっては、自重で沈んでいった。


「ね、ねぇ」

「ん?」

「あ、あの、ね……」


 心なしか、彼女の声が震えているような気がした。


「私、しょうたろ――」

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