第15話「転生しすぎた勇者に王女は叫ぶ」

 その世界に降り立った時、俺は妙な感覚に包まれた。

 あまりにも奇妙な感覚。この世界は魔の瘴気が他の世界に比べて異常なまでに濃過ぎる。人間が完全に滅んでしまって、魔物だけの世界となってしまったと説明されても信じてしまうほどに。

 そこら中に魔物が闊歩していて、こちらを見るなり襲いかかってくる。いくら倒してもキリがなく、すぐさま俺は飛行魔法を用いて撤退。こんなことは初めてだった。


 その頃はまだ異世界転移と転生を繰り返す勇者としての記憶を持ったまま、魔王討伐をしていた。そしてこの世界以降、俺は記憶を一部なくして転生、転移をすることになる。

 世界を救った回数は既に数えること53回。必要な魔法は全て出揃っていて、故にその世界の情勢を大まかに知る魔法ももちろん覚えていた。


 戦況は絶望的としか言葉にできなかった。戦力は魔物たちは人間の何千、何万倍以上にまでのぼり、残された人間の国は小さな国が一つのみ。

 その国は歴代の大魔術師によって構築された強固な結界で守られていたが、それが崩壊するのは時間の問題と言ってもよかった。

 民に最早戦う気などなく、いずれ訪れる最期の時に怯えながら日々を過ごしていて、動いていること以外はほぼ死人だった。

 それまで数多の劣勢を覆した俺にも、もうお手上げとしか言いようがない。


 だが、ただ一人だけまだ希望をなくしていなかった人物が残っていた。彼は国家の、人類の存続と繁栄を諦めていなかった。


 他でもない人類最後の国の王だった。


――――


「……なるほど。話は理解した」


 俺の話を一通り聞くと威厳を示すかのような髭を弄りながら、国王は目を閉じ一つ、二つ頷いた。

 王宮は既に老朽化しており、全体的にもうボロボロだと言ってもよかった。改修する余裕すらもこの国には残っていない。


「そなたが所謂異次元からの来訪者だということは信じよう。既に幾百年も前にこの国以外の人間は完全に滅んでおる」

「やはり、そうなのですね」

「だがしかしだ」


 王は大きくため息をつく。周りの従者も同じように顔を伏せた。


「この国には最早魔国と戦うほどの力はない。いくらそなたが幾多の戦場を超えた一騎当千の戦士であろうとも、この戦況を覆すことは不可能だ」


 そう、不可能。

 いくら国王の希望の灯火が潰えていなくても、普通に戦って勝てるような戦いではない。だが、それは――


「ええ、不可能でしょう。戦争を起こせば負けるのがこちらなのは、火を見るよりも明らかです」


 ――普通であれば、の話だ。


「なら、私たちのことは諦めてくれ」

「……もしも、の話ですが」

「なんだ?」


 この世界を見ているうちに、俺の中に一つの案が浮かんでいた。正攻法なんて言葉からは遥かに程遠い、勝算はほとんどない、だが成功すればこの状況をひっくり返せるような奇策。

 確実に多くのものを失うことになる。途中で人々の意志が打ち砕かれてしまうことになりかねない。

 だが、全てがうまく上手くいった暁には、人類の勝利が見える。


「王。もしも全てを、文字通り何もかもを失う覚悟があるとしたら、この国を、民を救う方法がたった一つだけあります」

 

――――

 

 それから王は国内の若者を集めて、一つの部隊を作った。数は少ないが俺が訓練をさせることによって、小さな村なら殲滅させられる程にはなった。

 国民の支持は得にくいかと思われたが意外にもそうでもなく、対魔物軍の部隊を作ることに関しての反対は少なかった。彼らもまた諦めてはいても希望までを失ってはいなかったのだ。


「ユダさん」


 自分を呼ぶ声にハッと我に返る。どうやら考え事をしていたら周りが見えなくなっていたらしい。


「ああ、サミュエル。すまない」


 この世界では俺はユダと名乗っていた。どこかの世界の神話が何かに登場した人物から拝借していた。


「いえ。とりあえず今日の分の訓練は一通り終わりましたが」

「ならもう今日は休んでいい。そう他のみんなにも伝えてくれ」

「わかりました」


 金髪の青年、サミュエルはすぐに仲間のもとへと駆け出していった。その先で集結していた数十人の男たちがサミュエルの言を聞いて、ゾロゾロとボロボロの体を引きずっていく。

 この世界に来てもう一年になる。その間に随分と彼らは強くなった。このままあともう半年もすれば、立派な戦力にもなり得るだろう。

 と、サミュエルは帰る方へではなく、また自分の元へ走り寄ってきた。律儀に挨拶でもしに来たのかもしれない。


「サミュエル、どうした?」

「今日もご指導ありがとうございました」

「ああ。キツいだろうが時間は少ないから許してくれ」

「いえいえ。…………」

「サミュエル?」


 何かを言いたげな様子だった。目を合わせようとするも逸らされてしまうことから、それが話しづらい内容であることも察しがつく。


「すいません。こんなことを聞くのも差し出がましいのかもしれないのですが」

「なんだ?」

「僕らは、本当に勝てるのでしょうか?」


 サミュエルの声に疑念の色は含まれていなかった。むしろそれは不安という意味合いが強いように見える。

 当たり前の話だ。あまりにも戦力の差が大きすぎる。いくらこの少数の若者を鍛えたところで、それは焼け石に水としか表現し得ない。


「いつだったか、話してくれましたよね? この国が滅びないための方法があるって」


 一度話し始めたからかもうサミュエルの目はまっすぐと俺を見つめてくる。


「まだ、教えてくれないんですか?」

「……すまない。ただ、今は俺を信じていてほしい。それだけだ」


 嘘は言っていない。現時点でサミュエルたちが俺を信じてついてきてくれなければ、話が破綻してしまう。


「す、すみません! 困らせてしまったみたいで……!」

「いや、サミュエルがそこに疑問を持つのは至極当然だ。思考を停止させていない分、むしろそこは褒めるべき点だ」


 それはお世辞でもなんでもない、純粋な評価だった。

 だからこそ、彼には何が何でも最後まで生きていてもらわなければならない。

 この国を救うのは俺ではなく、サミュエルなのだから。


「そ、そうですか?」


 あまり褒められ慣れていないのか、サミュエルは照れたように後頭部をかく。


「ああ。だが、サミュエルは少し頑張りすぎだ。この後も一人で訓練を続けるつもりなのだろう?」

「な、なぜそれを?」

「そのくらいはわかる。だがな、休息をとるのも戦士には必要なことだ。言いたいことはわかるな?」

「はい!」

「よろしい。なら話は終わりだ」


 サミュエルはハキハキと返事と礼をして帰途につく。純粋でまっすぐな青年だと心から思う。彼くらいの年齢だった時の自分とは大違いだ。


「ふぅ……」


 ようやく声をかけられる。ずっとその人物の気配は感じていたが、出てこないのには理由があると思い話しかけずにいた。


「王」

「気づいていたのか」


 物陰から王が姿を表す。そしてその足元には小さな影が一つ。


「ええ。でもどうして王女まで?」

「ゆーしゃさまがくんれんしてるの、みたかったから」


 王の娘であるアリア王女が答える。どうやら王はそれに付き合わされた側らしい。本来なら従者がその役回りになりそうだが。


「そうですか。それでどうでした?」

「かっこよかった!」

「それは光栄です、アリア王女。彼らも喜ぶでしょう」


 小さなお姫様に片膝をついて忠誠の意を示すと、アリア王女は訓練の光景に興奮したのか少し頬を染めながらニッコリと笑った。


「でもどうして王まで?」

「なに、私も一度見ておきたくてな。この国の後を担うことになる男たちを」

「……そう、ですね」

「特にあのサミュエルという青年は良い目をしていた。彼が部隊長なのだろう?」

「ええ」


 常に一生懸命訓練に励んでいて、その誠実さから周りの仲間からも慕われている。これ以上ないくらいに彼は適任だ。


「サミュエルなら、きっと……」

「ああ、そうだな」


 もうずいぶんと小さくなってしまったサミュエルの背中を見送る。夕日をバックに駈けていくその姿に、どこか希望すら感じられた。


「ねぇ、なんのはなしー?」


 アリア王女が俺の服の裾を引っ張りながらそう聞いてくる。


「きっとアリア王女もいつかわかりますよ」

「えー? いましりたいー」

「アリア。ユダを困らせるな」

「はーい」

「いい子だ。もう王宮に帰ってなさい」


 王はそう言ってアリア王女の頭を優しく撫でる。その眼差しは愛に満ちていて、だが少しだけ悲しげにも見える。


「じゃあね、ゆーしゃさま! こんどわたしにもくんれんおしえて!」


 アリア王女は俺に手を振りながら王宮に向かって走っていった。彼女はまだ何も知らない。世界のことも、この国のことも。だからこそあそこまで無邪気に笑えるのだ。

 だがいつかは現実を知り、現実に打ちのめされることになるだろう。それは避けようのない既定事項だった。


「あと、何年だ?」


 王女の姿が見えなくなると、ボソリと王は口を開いた。主語はなかったがその意味は嫌でもわかる。


「三年ほどかかるでしょう」

「そうか、あとたったの三年か」


 時間の余裕はあまり残されていない。この結界は保ってあと五、六年が限界だろう。そうなると、あと三年以内には準備を完遂しておかなければ、そもそもの土俵に上がることもできない。


「王。私は一ヶ月ほどここを空けます」


 そう告げると王は何も問うことなくただ頷いた。

 

――――

 

 時間はまたたく間に過ぎ去り、ついに三年が経った。この世界に転移してからは四年もの月日が経過している。魔王討伐に幾年かけることは珍しくないが、転移から数年が経過してもなお表立った行動を起こしていないのは初めてだった。


 だが、これからは違う。

 ようやく、計画を実行に移す時が来たのだ。


「ユダ」


 俺は王の首筋に剣をあてる。死を目前にしても王の顔色が変わることはない。もう、ずっと前からわかっていたのだから。


「後のことは、この国のことは頼んだ」

 王は静かにそう告げた。その声はどこか安堵の息のように聞こえたのは気のせいではないのだろう。

 ようやく『王』という責務、重圧から解放されるのだ。自らの死という最後の責務を終わらせることにより。


「王」

「なんだ? まさか今になって躊躇っているのではあるまいな」


 冗談めいたセリフと共に王は笑った。


「あなたこそ、真の『王』でした」

「……ああ。ありがとう」


 彼はこの国のために、この地で生を営む民のために、自らの身を犠牲にするという選択をした。

 自己犠牲という意味ではない。彼の命は民と共にあるということを、身をもって表すだけだ。


「……何か最期に言い残すことは?」

「アリアを、娘のことを頼んだ。私の宝だからな」


 深く頷くと王は安心して微笑みを浮かべた。

 剣の柄を握る力を強める。これ以上の言葉は無用だ。あとは互いの使命を果たすのみ。

 剣を大きく振りかぶり、まっすぐにその刃を振り下ろす。


 赤い、花が咲いた。


――――


 王の首を片手に携えながら俺は巨大な扉の前に立つ。

 俺の両脇は二体の魔物で固められていて、片方は俺の一挙一動に動揺を示す。


「おい、こんな奴を信用していいのか?」


 巨大なトカゲのような魔物が訝しげな視線を俺に向けながらもう片方に話しかける。すると杖をつきながら歩くひどく老いた魔物がニヤリと口元を歪ませた。


「無論じゃとも。儂の隷属魔法が信じられんか?」

「信じてないわけじゃねぇ。だが事がこうも上手くいくと……」

「それは慎重になり過ぎじゃ。むしろ今までの方が異常だったのじゃよ」


 カッカッカッと喉を詰まらせているような笑い声をあげる。そのマヌケさが滑稽で思わず笑ってしまいそうになった。


「どうだかな……」


 トカゲの方はいまいち信用していないのか、ふんと鼻を鳴らして扉に手をかける。

 この奥に魔王がいるのだ。今まではただ魔王を倒せばよかったが、今回に限っては違う。むしろ魔王の忠実なる下僕になるのが俺の役割だ。


「貴様か。人間の王の首を持ってきたという若者は」


 聖堂のような広い空間の奥に、巨大な魔物が椅子に肘をついて座っていた。明らかにあの魔物が魔王なのだろう。

 その鋭い視線が俺の全身を貫く。あくまで俺は人間でしかない。


「はい、魔王」


 その場に片膝をつき、忠誠の意を改めて示す。

 トカゲの魔物が俺の手元から王の首を奪い、魔王に手渡す。魔王はそれを手に取りマジマジと眺めると、再び俺の方をジッと見つめた。


「望みは何だ?」


 単刀直入に魔王が俺に問う。そう聞かれるのは初めから想定済みだ。


「この国の幹部にしていただきたいと考えています」

「なぜ?」

「人間に未来はないからです。このままでは魔物によって討ち滅ぼされるのも時間の問題」


 しかし魔物たちは今もなお人間を恐れている。どのような状況においても、その逆境に抗いそして時にはとてつもない力を発揮する。その諦めの悪さを彼らは嫌というほどに思い知らされてきたのだ。

 だからこそ、あの滅びかけの最後の国にすら容赦はしない。未だに周りに魔物軍が配備されているのは、人間の監視のためだ。


「導き手なき国に先はありません。私は人間の体を持ちながらも、この魂は魔物そのものなのです」

「ふむ」


 魔王は静かに頷く。考えを頭にまとめているようにも見えるが、どうにもそれはポーズのようにしか思えない。


「あれを」


 魔王が近くの部下にそう告げると、邪悪な笑みを浮かべた。何かを企んでいるに違いないが、何を言い渡されても驚きはしない。

 そう、思っていた。


「どうしてですか、勇者さま……っ!?」


 そんなこと、思ってもみなかった。

 彼女は結界のうちにいるはずだ。


 魔物に引きずられるように連れられてきたのは、紛れもなくアリア王女だった。


「お父様も、他のみんなも、あなたを信じてたのに……!」

「うるさいぞ、女。魔王様の前だ」

「きゃっ!!」


 手錠を握る魔物がアリア王女を突き飛ばす。羽根のように軽い彼女の体は簡単に吹き飛んだ。


「おい、貴様。ユダとか言ったな。この女はどうやらお前を追って城を出たらしいぞ」


 魔王が醜悪な笑みを向けてくる。心の動揺を抑えるのに必死な俺は何も答えられずにただ頷いた。


「国王の首を持ってきたことは褒めてやる。もしも貴様が本当に我らの側につくと言うのなら、この場でこの女を殺してみよ」

「ひっ……!?」


 アリア王女の目が大きく見開く。自らの命のやり取りをこの場でされるとは思ってもなかったに違いない。


「お言葉ですが、魔王様。この者は儂の隷属魔法で操り人形のようなもの。わざわざそんなこと――」


 さっきの老いた魔物がそう言い張ろうとするも、魔王の言葉に遮られた。


「わかっておる。だから、やれ」


 そしてニヤリとまた口角を歪めるように笑う。

 この場で俺がアリア王女を殺さなければ、それは隷属魔法がかかっていないということを如実に示すようなものだ。


『アリアを、娘のことを頼んだ。私の宝だからな』


 王の言葉が頭の中をよぎる。

 俺は約束を守るために、約束を破らなければならない。優先すべきがどちらかなんて、あまりにも明白だ。


「魔王様の仰せの通りに」


 腰に挿していた剣を抜き、王女の上に振りかぶる。


「う、嘘だよね……? 勇者様……」


 アリア王女の目が恐怖の色で染まる。

 逃れようと身をよじらせるが、他の魔物に押さえつけられていてビクともしない。


「いや、やめて……っ! 目を覚まして!」


 目はずっと覚めている。この選択は俺自身の意志に他ならない。


『アリアを、娘のことを頼んだ。私の宝だからな』


 うるさい、黙れ。

 俺が救わなければならないのはアリア王女一人ではない。王、あなたでもそうしたはずだ。


「いや、いやぁ……! ま、まだ、死にたく……っ」


 ああ、なんて愚かな。

 俺を追って来さえしなければ、こんなことにはならなかったのに。


「裏切り者っ、あなたは……っ、っ!」


 何も考えない。


『ゆーしゃさま! くんれんおしえて!』

『まだ王女には早すぎますよ』

『えーー!?』


 嫌でも脳裏に浮かんでくる彼女との思い出を、必死に頭から追い出す。

 この女は、今の俺の目的の為には邪魔なだけだ。

 邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ。

 ただその言葉だけを頭の中で繰り返しながら、剣を振り下ろす。


「きゃあっ!?」


 首を一刀両断しようと下ろしたその剣先は、中途半端にしか斬れずに首の骨で止まってしまった。

 一体どうしたことだろうか。


「いや……っ、痛い、痛い、痛いぃっ!」


 首元から鮮血が勢いよく吹き出す。血溜まりが俺の足を侵食していく。

 あまりの痛みに彼女はのたうち回ろうと手足をバタつかせるが、やはり押さえる魔物の力には敵わない。


「どうして、うっ! こんな、こ、とを……っ」


 アリア王女の顔が痛みで歪む。余計な躊躇のせいで無意味な苦痛を与えてしまった。

 今度こそ。

 一切の躊躇を捨てて一気に剣を振り下ろす。


 半端に斬り裂かれた首は、簡単に胴体から離れてゴトッと音を立てて地面に落ちた。


「終わりました、魔王様」


 虚ろなアリア王女の目が、ジッと俺を見つめていた。そこに意志はもうない。


 だが、その目は俺から離されることはなかった。

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