第16話「転生しすぎた勇者は魔王となった」
「魔王様!」
魔物の怒号が王宮内に響き渡る。その声は一つだけではなく大勢によるもので、それらはどよめきの粋を超えて喧騒と呼んでもいい程のものにまで達していた。
最早その様相は一つの国家が崩壊する一歩手前のように見えた。
「人間愛護派によるデモは日増しに酷くなる一方です! 何か手立てを……!」
「わかっておる、わかっておる……!」
魔王は手を頭に押さえつけながら、大きくため息をつく。その姿にかつてのような屈強さや尊大さは見受けられない。ただ疲弊しきった巨大な肉の塊があるのみだった。
「なぜわからぬのだ……。人間など保護するに値せぬ存在だと……!」
数年前から、俺が魔物軍の幹部となってから、片隅の小さな村でとある運動が始まった。
人間愛護。
その四文字を掲げて彼らは動き始めた。内容は読んで字のごとく、絶滅しかけている人間を保護しようという運動だ。彼らの言い分によると魔王軍による人間への攻撃は魔物のエゴでしかないらしい。
人の身でありながら魔王軍の幹部となった俺の存在が、その運動を加速させたのは言うまでもない。愛護派は半数を超える勢いで増え続け、魔物内で紛争が起きている状況だった。
逆に魔王を筆頭とする反人間派閥は、徐々に魔物内で固執するに値しない考えであるとされて魔物たちの信頼を失っていく結果になった。
それも無理はない。ここ数百年魔物と人間による大きな争いは起こっていないからだ。過去の悲劇を知る者は魔王をはじめとする、ごく少数の魔王軍の幹部のみ。
「ユダ様だったらなぁ……」
そんな声が群衆の中からポツリと漏れてきた。
魔物たちが望むのは人間でありながら魔王軍の幹部であるユダ、すなわち俺による統治。無論そのような状況に仕向けたのも他ならぬ俺だが、その事に気づいている者は皆無だ。
「魔王様。あなたの考えはいささか古い」
俺が魔王の耳元でそう囁くと、キッと鋭い視線を向けてくる。
魔王にとって俺は目の上のこぶでしかない。しかし今更俺を排除することは不可能だ。俺が魔物たちの信用を得たために、表立って処罰を与えようとすれば余計に信用を失うだろう。故に裏で暗殺しようと刺客を向けられた回数は数えきれない。
「貴様……誰に向かって口を聞いている?」
わなわなと震える手を手すりにかけながら魔王が立ち上がると、魔物の群衆のざわめきが静まった。
「人間はもう魔物がわざわざ手を下すほどの価値もない存在だと、彼らはわかり始めています。それを認めないのはあなたたち古い考えの持ち主だけだ」
「違う! 奴らは一人残らず滅せねばならぬのだ。その存在が無に帰すまで、わずかな油断も許されぬのになぜわからぬ……!?」
「今の人間にはもう何もできません。それでもまだそれに拘るのは、魔王様のエゴなのでは?」
わざとらしくため息をつく仕草を見せて、さらに魔王を挑発する。
「黙れ……っ!」
「……これ以上は何を言っても無駄なようですね」
これでいい。
疲労と怒りは思考を奪う。
そして、その後魔王は人間愛護派を弾圧し始めた。
その行為の意味することを、真に訪れる悲劇を考えることもなく。
――――
また時は流れ数年後。
あれから至るところで人間愛護派と魔王軍の衝突が勃発し、魔物の数は面白いくらいに急減少した。
「ふ……ふふふ……っ」
魔王軍の戦力が数値化された資料を見ていると、そのあまりの滑稽さに笑いが抑えきれなかった。
流石にあのマヌケな魔王でも気づいた。あの瞬間の無様としか言いようのない顔は今でも忘れられない。
魔物の戦力は今や人間の数倍程度に収まる程度。最早人間を完全に見くびることができない状況に陥ってしまった。
『王。もしも全てを、文字通り何もかもを失う覚悟があるとしたら、この国を、民を救う方法がたった一つだけあります』
その全てが、自分があの日に思い描いた筋書きだった。無論いくつも確実性に欠けた要素があり、運に賭けた部分があった。それらの一切が上手くいったわけでもなく、帳尻合わせに奔走した十数年だった。
そして最後に一つ、俺は賭けた。
サミュエル。
今は人類の主導者として国をまとめる騎士となったようだ。あとは彼の動くタイミングに、彼の手腕に全てがかかっている。
「ユダ……『魔王』様!」
俺の部屋が勢いよく開け放たれる。そこには息を切らせたトカゲの魔物が一匹。
「どうした?」
「大変です……。人間どもが、反旗を……!」
開いた口が塞がらない。
その報告を聞いた俺は呆然としたまま、ただその場に突っ立っていた。
「完璧だ……」
「はっ?」
自分ならいつ動くか。そのタイミングが完全に一致していた。
戦力が拮抗してからでは遅い。それでは対等な戦いを繰り広げることになり、勝敗は言ってしまえば五分だ。むしろ戦力にまだ差がある時に仕掛けて、その混乱に乗じて一気に叩き潰す方が結果的に勝算がある。
現状で魔王軍の中はもうグチャグチャで、士気も最低にまで落ち込んでいる。さらにそれに重なってつい数日前に今までの魔王が死に、新たな『魔王』が誕生したばかりなのだ。叩き潰すならむしろ今しかない。
「『魔王』様……? 今、なんと……?」
トカゲの魔物の声が震える。声に出してしまったのは失策であるが、どちらにしろ好都合だ。敵が増えた混沌の中では突然消えたとしても気づかれまい。元々この魔物は最初から俺のことを疑い、いろいろ嗅ぎ回っていた危険人物であったのだ。
消してしまったら俺に疑いが向きかねない。ただそれだけで生かせておいただけのこと。
「ま、お……っ!?」
片手をかざし呪文を詠唱する。それは転移魔法だ。しかもただ場所を移動するだけの転移魔法ではない。
「き、さま……っ! やはりうらぎ……っ、ぐぅっ!」
俺に掴みかかろうと突進してくるのを蹴り伏せた。詠唱は既に終わり転移が始まっている。
「お前は殺すには少し骨が折れる。だが、この世界から別の世界へ追放する程度なら大したことはない」
「裏切り者め……!! ユダ、貴様は……っ、ユダァァアアアアッッ!!!」
喉が張り裂けんばかりの断末魔を残して魔物は姿を消した。どこへ飛ばされたのかなんて想像もつかないが、あの程度の魔物が一匹放り込まれたところで何かできるわけもない。
「消える時くらい静かにしてくれよ」
届くはずもない言葉を投げかける。何も返ってきやしない。
さて、これからは『魔王』として行動を起こさなければならない。
そう、俺は人間が討ち滅ぼすべき『魔王』となったのだから。
――――
王宮の最奥へとひた走る音が廊下から聞こえてくる。窓の外では魔王軍と人間の最後の戦いが繰り広げられているが、こちらの敗色が濃厚だろう。ただでさえ愛護派との戦いによって疲弊が限界を迎えているのに、それでもまだ戦おうとするのは愚策としか言いようがない。
その策を講じた当の本人でなければ、笑える話だったのだが。
扉がゆっくりと開かれる音が響き渡る。その向こう側に立つのはたった一人。
金色の柄の剣を手にした屈強な男がそこにはいた。
その顔を俺は知っている。
「ようやく来たか」
俺は巨大な魔王の椅子に深く腰掛けながらそう言った。
ようやくだ。本当に長かった。
それは彼も同じだろう。
「久しぶりだな、サミュエル」
「ユダ……っ!」
怒りと憎しみが込められた声と共に、手に握られた刃の切っ先を俺に向ける。ずっとこの日のために鍛錬を続けていたのだろう。その姿は最後に会った時に比べてずっとたくましく成長している。それが少しだけ嬉しかった。
「ほう、呼び捨てとは。今は騎士団長だったか? 隠密部隊の隊長が随分と出世したものだ」
「答えろ、ユダ。なぜ我らを裏切った?」
「愚問だな、サミュエル。人間に勝ち目などなかったからだ」
「嘘だ」
迷いのない一言だ。賢しいサミュエルのことだから、もしかしたら少しくらいは勘付いているのかもしれない。だとしてもこれから起こることが変わりはしない。
俺がこれまでしてきたことも。
「だとしたらどうなんだ? そんな問答に意味はない」
椅子に立てかけておいた剣を握る。今の俺は同胞を殺された王だ。その役目は、彼らの復讐を果たすこと以外にない。
「行くぞ、サミュエル」
「待て、ユダ! 話はまだ――」
言い終わるよりも先に床を蹴る。次の瞬間にはサミュエルの懐に潜り込み、胴体を一刀両断する勢いで剣を振った。
ガキィンッ!
金属がぶつかり合うカン高い音が鼓膜を突き抜ける。俺の攻撃は瞬きよりも速かったはずだが、サミュエルの剣は俺の攻撃を弾き返した。
互いに距離を取り相手の出方を伺う。俺はいつだったか、サミュエルに剣術を教えていた頃を思い出していた。あの頃よりも隙はずっと減っているものの、基本形は変わっていない。
「炎魔法(フレイヤ)!」
サミュエルがまばたきをしたのと同時に、俺は炎魔法を繰り出す。拳大の炎の球が高速で飛び出し、一瞬反応が遅れたサミュエルは避けきれずに全身でそれを受けることになった。
しかし大した火傷は負っていない。守護魔法を事前に張っていたようだ。
その間に距離を詰め、再び心臓をめがけて刺突するも、やはりそれは払われてしまった。そこから続けて致命の技を出して攻撃するが、一度の例外もなくそれらを受け切ってさらには反撃すらもしてきた。
「ここまでとは……」
ついには今の俺の本気の攻撃を、サミュエルは全て防いでみせてしまった。
彼の成長度は正直予想以上だった。人の身でたった十年ちょっとでここまで強くなるには、それこそ尋常ならざる量の鍛錬が必要だったはずだ。
やはり、王も俺も見立ては正しかった。
サミュエル。
彼こそが、勇者の名にふさわしい。
――――
静寂が部屋の中を支配する。ついさっきまでの剣技の応酬する音は嘘のように鳴り止んでいた。そして、ポタリ、ポタリと、鮮血が剣を伝って地面に落ちる音が、静かにこだまする。
「ぐぼぉ……っ」
体の奥底から血の入り交じる吐瀉物が湧き上がってきて、地面にドッと吐き出される。俺の心臓はサミュエルの黄金の剣に貫かれていた。
魔王が勇者によって打ち倒されたのだ。
「ぐ……っ、ぬぅ……っ!」
足に力が入らずに体勢が一気に崩れ落ちる。いつの間に出来上がっていた血溜まりが、勢いよく落下した膝で飛沫を上げた。
これが、敗北なのか。
長いこと、何百年も忘れていた感覚だ。
体の中に押し込まれていた剣が抜き上げられると、さらにバランスが保てなくなり俺は地に伏した。
「魔王ユダ、これで終わりだ。……ただ」
剣を俺の首に当てながらサミュエルが問う。
「最後に一つ聞かせてくれ。さっきと同じ問いだが」
「…………」
「なぜ、裏切ったのですか?」
急にその声音からさっきまでの圧が消え去った。口調がガラリと別人のように変わった。
サミュエルは恐らく気づいている。俺の裏切った理由も、どうして魔王となったのかも。
ただ、口にしてはならない。それはこの世界の人間にとってのタブーとなった。
「俺は何も言わない。何も」
それは半ば『答え』だった。
彼の中での仮説が固まっているのなら、否定したところでそれは無意味に等しい。
「サミュエル、君もだ」
首を上げるとすぐ目の前にサミュエルの顔があった。あの頃と変わらない純真で優しさに満ちた瞳が俺を見つめる。その瞳に映っているのは、酷く疲れ切っていてさらに感情のカケラもない、そんな一人の人間とも言えない何かの姿だった。
俺は人間がこの先で生きていくために、人間を裏切り、魔物を裏切った。
最終的に俺は何者になったのだろう?
「ユダ、様……っ」
「違う、……サミュエル。俺は『魔王』だ」
それだけは確かだった。そして人間の宿敵に相応しい末路を、俺は求めている。
「だから、君の手で俺を殺せ。そして、人々を救うんだ」
それが『魔王』と呼ばれた男の最期の言葉になった。
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