第12話「転生しすぎた勇者は水着に弱い」
「ほら、起きて。朝だよ」
また、何日か過ぎていった。
劇的な出来事なんてものはもちろん起こるはずもない。
「うーん……。おはよー」
朝起きて、朝食を食べて、外で遊んで、昼食を食べて、また遊びに行って。
日が沈んだら帰ってきて、夕食を食べて、眠る。
言葉にしてしまえば、これだけで終わってしまう。魔王を討伐する日々と比べたら、何倍も薄い一日のはずだ。
「ほら、寝ていたらそれだけ今日が過ぎる。早く起きよう」
なのに、なぜだろう。
朝が来るのが、待ちきれなくなっている自分がいる。
――――
「はぁ……暑い……」
畳の上に寝転がりながら美奈が愚痴をこぼす。そよ風が縁側に吊るされた風鈴をちりんと揺らした。
「クーラーとかないんだもん、ここ」
「風抜けが良くて涼しいと思うけど」
外は日差しが眩しいくらいにカンカンに照っていて、蝉の声がいくつも重なり合って壮大なオーケストラのように響き渡っている。
こんなにも、蝉の声とはうるさいものだっただろうか。以前にこの世界に来たときの自分の記憶との間に、若干齟齬があった。
「ねぇ」
「なーにー……?」
美奈がごろんと転がって僕の方を向く。
「美奈って、携帯とか持っていないの? 中学生なら結構みんな持っていたと思うけど」
「ケータイ……。ああ、持ってるけどねー。あんまり使わないよ」
「へぇ、珍しいね」
「よく言われるけど、何かとめんどくさいし。SNSとか」
「……?」
聞き慣れない単語が出てきたが、ほんの些細な違いということにして先を促す。
「最近音しないし、もう電源切れてるんじゃないかな。スマホ最後に充電したのいつだっけ……」
「すまほ?」
全く聞き覚えのない単語に思わず聞き返してしまった。
「えっ?」
「えっ?」
美奈は僕が何を聞いているのかわからないようで目を丸くしている。
どうやら『すまほ』というのはこの世界では知っていて当然のブツらしい。携帯電話と関連しているようだが、その正体が皆目見当がつかなかった。
「……あの、すまほって、何?」
「えっ?」
「えっ?」
信じられないといった目だ。ここまで来ると世間知らずでは通らないくらいに常識のようだということが伝わってくる。
「それって、何かのギャグ、なのかな?」
「いや、極めて真面目な質問」
「あなた、何十年も山に引きこもってたの……?」
「そんなレベル?」
もしかして僕が勘違いしているだけで、この世界は僕が以前救った世界とは違うのだろうか。ところどころが似ているだけで実は全く違う気がしてくる。
「ちょっと待ってて」
と美奈が言って二階に駆け上がっていく。
しかしもうこの波揺に来てから数週間は経っているが、『すまほ』という単語に出くわしたのは今日が初めてだ。そう考えると必需品ではないのかもしれない。
そんなことをボンヤリと考えていると、美奈の足音がまたここに向かってくるのが聞こえた。
「ほら、これ。見たことくらいはあるでしょ?」
美奈が手にしているのは、手のひらに収まる程度の大きさの一枚の板だった。実際に持ってみると自分の知っているものとさして重さは変わらなかった。
「なに、この板?」
「あなた本気!? 見たこともないの!?」
俺がそう聞いた瞬間、美奈はものすごい勢いで立ち上がった。信じられないと言いたげな目だ。
「えっ……。だって、携帯の話がどうしてそんな……」
「これがケータイでしょ?」
「いや、それはスマホってやつだって……」
「だから、これがスマホでケータイなの! てか、ケータイなんて言葉、使ってる人いないよ」
携帯電話というのは古い言い方で、今はスマホと呼ぶのが主流みたいだ。それにしても僕の知っているものとは大きく形が異なっていた。
「ケータイって言ったら、こう、パカッと開いてボタンを押してくやつだと思ってたんだけど」
「それ、もうずっと前の話だよ……。ほとんど絶滅危惧種だよ……。おじさん臭いっていつも言ってるけど、もしかして本当はおじいちゃんなんじゃないの?」
「なっ……」
唐突に確信を突かれて汗が噴き出す。もちろん本気でそう口にしているはずがないのだが、それにしたって心臓に悪い。
「そ、それ、どう使うの?」
「こうやって、あ、まだ電源ついた。こんな感じで……」
美奈が板の表面を指でなぞると、まるで魔法のように光を灯した。
「触って画面が反応するんだ! てか画質がすごい綺麗!?」
「え、え、えええ~?」
「すごい……。まるで別物だ……」
「正太郎くん、反応がおじいちゃんだよ……。でもまぁ、男の子だったら、そういう流行とか興味なかったら、知らないのかな。……それでもあり得ないけど」
時代の流れで認識に齟齬があったようだ。どうりで話がかみ合わないときがあるとは思っていたが。おそらく、僕の知っている世界とここは、何年かラグがあるのだろう。
それにしてもこの『すまほ』というものはすごい。僕が以前持っていた携帯電話とはスペックが段違いなのが、ほんの少し触って挙動を見るだけでもわかる。何なら少し欲しくなってしまった。
携帯とあまりサイズが変わらないのに、技術の進化は恐ろしい。
「スイカ切ったわよー」
美奈に『すまほ』の機能を見せてもらっていると、縁側から祖母の声がした。
「やったー! スイカだーー!!」
「おっとと!」
飛び出していく美奈の手からこぼれた『すまほ』を、飛び込んでキャッチ。
「もう少し物は大事に扱おうよ……。こんなの落としたらすぐ壊れちゃうでしょ」
「ん~~~! おいしい~~~!!」
聞いていなかった。
「焦らなくても、スイカはなくならないからねぇ。君もどうぞぉ」
白い皿の上には既に切られたスイカがいくつも並べられている。乾いた喉がスイカの魅力を引き上げる。
「いただきます」
真っ赤なトンガリをかじると、甘くそして冷たい汁が口の中を満たした。
「甘い、おいしい……!」
「よく冷やしといたからねぇ」
「暑いのも忘れちゃいそう……」
「うん、本当に」
湿度が高く蒸し暑い気候と対照的に、みずみずしいスイカは脳がしびれるほどにたまらない。
いつも自分が行ってる世界だったら、これだけのために暴動、下手したら戦争が起きそうだ。
~~~~
「隣国の王は我らからスイカを奪った! 許せるか、この暴虐を! 見過ごすことができるか、この理不尽を!!」
「許せぬ! 許すわけにはいかぬ!!」
「我らが目的はただ一つ! スイカの奪還だ!!」
「ウォォオオオオーーー!!!」
後にスイカ戦争と呼ばれる戦いの始まりであった。
~~~~
「……ぷっ」
我ながらくだらなさ過ぎて吹き出してしまった。
「な、なに? いま笑うとこあった?」
突然笑いだした僕に美奈は訝しげな視線を送ってくる。
「い、いや、なんでも。……ぷっ、くくっ」
「一人で笑ってる……。こわ」
――――
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまー」
「お粗末さま」
大量にあったスイカはほとんど僕と美奈で平らげてしまい、残ったのは皮だけになってしまった。
「美味かった……」
「美味しかったねぇー」
縁側に三人で座って特に何もせずに時間を持て余す。食後なのもあって体を動かす気にもなれなかった。
「暑いー……」
美奈がぼやく。
「暑いね」
僕がそれに同意する。
「そうねぇ、いい天気だもんねぇ」
祖母がお皿を片付けようと立ち上がる。
「いや、それくらい僕が……」
慌てて立ち上がろうとすると、僕の肩はしわくちゃの手によって制された。
「いいから。子どもがそんな気を遣わないの」
穏やかな笑顔を向けながらそんなことを言われてしまったら、素直に座るしかない。申し訳なさが消えないが、祖母の満足そうな表情が少しだけ解消してくれた。
「そうだ、二人とも海に行ってきたら?」
お皿を洗い終えた祖母が、縁側で時間を弄んでいる僕たちにそう言った。
「海!」
そう叫ぶと同時に美奈の体が勢いよく跳ね上がる。今までだらけきっていたのが嘘のようだ。
「波揺の海は綺麗だし、人もほとんどいないしねぇ」
「そうだよ! 海に行こう! あー、なんで思いつかなかったんだろ!」
「海、か……」
夏に海というのは定番だが、海水浴なんてするのは初めてだということに気づいたのは、美奈が準備するために自分の部屋に向かったあとのことだった。
――――
青い空。白い雲。
夏の真っ只中である湿った空気に乗って潮騒が流れる。
きっとこれ以上ないくらいに、平和な夏の日だ。
「あ、暑い……」
太陽カンカン照りの下で、長時間待たされていなければ。
水着に着替えるのって、こんなに時間がかかるものだろうか。海水浴なんてイベントはこれまで経験がないから、勝手がわからない。
「この程度で音をあげるなんて、まだまだだね」
「やっと来――」
その姿を見た瞬間、思わず声が詰まる。
「水着、ど、どう、かな……?」
美奈が身につけていたのはビキニタイプの白い水着だった。元々白のワンピースをよく着ているから、イメージが崩れることはなくむしろぴったりだとも言える。
長い髪は後ろで結ばれていて、普段より活発的に見えた。
「え、えーと……」
ただ、上手く言葉にならない。その、何と言うか、露出が。
「やっぱり変かな……」
「そ、そんなこと! ただ、こう、その……!」
悲しそうに美奈がうつむいてしまい、慌てて弁明しようとするもうまく言葉が回らなかった。
「ふふっ。顔、真っ赤になってるよ?」
さっきまでの顔はどこへやら、ニヤニヤしながら僕の焦る姿を楽しんでいるような顔。思いっきりからかわれてしまっていた。
「ふふんー。初めて正太郎くんに勝てた気がするね」
「ぐぅ……」
何なんだ。ちょっと素肌が出ているだとか、その程度の露出なんて今までの冒険で見慣れていたはずだ。何ならこれより際どい格好しているのだって、日常茶飯事だった。なのに――。
「…………」
なぜ、直視できなくなっている?
「ほらほら、もっと見てもいいんだよ?」
「やめなさい、はしたない」
「わ、耳まで真っ赤」
「やめなさい!」
――――
美奈が我先にと海へと飛び込み、水飛沫が上がる。
「うひゃー、冷たい! きもちいー!!」
まるで子どものようなはしゃぎようだ。いや元々子どもだった。
「ふぅ……」
肩まで浸かると水の冷たさがこの暑さを拭い去ってくれるようだ。長い間待たされていただけに、海の中は楽園のようにすら感じられる。
「なんか幸せそうだね」
「暑いから……」
「へんなとこ貧弱だよね、正太郎くんって」
そうだろうか、と思ったが改めて自分の言動を省みてみると、以前よりも耐えるということができなくなっている。いや、耐えようという意識が薄れているんだ。
ただ、こんなふうに一方的に言われ続けるのも少し癪だった。
「……くらえ」
両掌を間に空洞を作るように合わせて、そのまま美奈に向かって水を発射する。
水鉄砲による逆襲である。
「きゃっ!? 手でそんな威力出る普通!?」
手の間から放たれた水の柱は、見事に直線を描いて美奈の額に命中した。
「コツがあるんだ」
さらに何発も連続で撃ち続けてやる。避けようと体をよじらせるも、僕のコントロールと動きの読みからは逃れられず全弾命中した。
「わ、わわっ!? なら……」
美奈は海中に沈んでいく。
「どりゃあっ!!」
「うわっ!?」
そして次の瞬間目の前に現れると同時に、大量の水が僕に襲いかかった。両手ですくい上げられた量と勢いには、水鉄砲では敵わない。
「あはははは!」
「それは、反則じゃない?」
「あら、びしょ濡れになって怒っちゃった?」
「……む」
――――
「ひぇ……あちぃ……。今年の夏は一段と暑いな……」
「毎年そんなこと言ってるわよ?」
「そうかぁ? ……おっ?」
「どうしたの?」
「あれ」
「ん? ……あら、あの子たちじゃない」
「海水浴かぁ。若いってのはいいよなぁ」
「そうねぇ」
「あ、そうだ。おーい!」
――――
「あれ? どこから呼ばれたような……」
聞き覚えのある声だ。だが美奈ではないのは確か。
「あ。ほら、あっち」
先に気づいたらしい美奈が僕の背後を指さしてそのまま頭を下げた。
「よー! 今日も暑いねぇ」
見るとそこにはいつぞや、僕たちに山の中の祠のことを教えてくれた農家の夫婦の姿があった。
「こんにちは」
「おかげで水が気持ちいいですよー」
「だろうなぁ……。おじさんも一浴びしていくかな」
美奈の言葉に誘惑されて旦那さんの方が担いでいた荷物を下ろそうとすると、すぐさま奥さんからのチョップが飛んできた。
「こら」
「いてっ! じょ、冗談。冗談だって」
「まったくもう……。でも汗かくし、ちゃんとお水飲むのよ?」
「はーい!」
美奈が元気よく返事をする。
「うん。よろしい♪」
「ほれ。これ食えよ」
旦那さんがカゴから何かをたくさん鷲掴んで小さなザルの上に転がす。真っ赤なさくらんぼの山が出来上がっていた。
「さくらんぼだ!」
美奈が飛沫を上げながら飛び上がる。
「いいんですか?」
「ああ! 前にいろいろ手伝ってもらったしな!」
「またいつでも遊びにおいで。お菓子とか用意してあげるから」
「「ありがとうございます!」」
二人の声が見事に重なる。
「「あ……」」
しかも二回連続。
「ぷっ!」
「ふふっ。相変わらず仲良いわね」
農家の夫婦が顔を見合わせて、それから微笑ましいというように笑った。
「もう……」
美奈は恥ずかしいのか、少し顔を赤らめて口をとがらせる。その反応が何だか可笑しくて、同時に可愛らしかった。
二人と話していると次々とまた別の村の人が僕たちを見つけて話しかけてきた。
「おや、坊主。こんなとこで何やってんだ?」
「あら、海水浴なんていいわねぇ」
「波揺さんのお孫さんでしょ? これもよかったら食べてよ!」
とうもろこしにスイカにトマト。
本当に次から次へといろんな人が代わる代わる僕たちに何かしらを手渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
「あわ、あわわわわ……」
その結果。
「なんかすごい量になっちゃったね……」
小さな八百屋を開けるんじゃないかというくらいに大量の夏の野菜や果物の山が出来上がっていた。
「いろんなとこ行ってたもんね、僕たち」
今話しかけてくれた人たちはほとんど、この夏の間に僕と美奈の二人で何かしらの手伝いだったり、遊びに行った人たちだった。
いつか美奈の祖母が口にしていたように、この村には子供が少ない。だから余計に僕たちに良くしてくれるのだろう。
「みんな、いい人たちだね! そろそろお昼だし、一回おばあちゃんちに帰って、これも置いてこよっか」
――――
それから昼食に冷やし中華を食べて、また午後も海で二人で遊んだ。
午後もこの村で知り合った人と時々会って、夕方にはまた両手にいっぱいのお恵みを持って帰ることになった。
「今日も楽しかったなー」
「それなら、よかった」
「正太郎くんは?」
「もちろん、僕もだよ」
「それならよかった」
「真似しないでよ」
「えへへー」
「まぁ、いっか」
「あはは! …………」
美奈は快活に笑う。しかしその後に残る不自然な沈黙。
不思議に感じて彼女の顔を覗き込もうとするが、夕日が逆光になっていてその表情を見ることができない。
「……でも、それも」
ふいにぽつりと言葉が漏れる。
「ん?」
「えっ? あ、ううん! 何でもないよ!」
僕が聞き返すと美奈は僕の方へと振り返ったが、その時には既にいつも通りの美奈だった。
「それよりお腹が空いたし、早く帰ろうよ!」
美奈は早足で僕を追い抜いていく。
気のせいだったのだろう。
そう思うことにして彼女を追いかける。
「……なわけ、ないか」
ぽつりと独り言が漏れてしまう。きっと美奈には聞こえていない。
わかっている。
美奈がたった今言おうとしたことを。
でも、口にはしない。だから俺も何も言わない。
ひぐらしの声が、遠くからしていた。
終わりが近いんだと告げているように。
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