第11話「転生しすぎた勇者は日本食がお好み」

 覚えている。

 その光景を、覚えている。


「はぁっ……、はぁっ……」

「だ、誰か……助け……っ」


 地の底から響いてくるような轟音に、背中を突き飛ばされた。

 宙を舞う感覚。

 そして衝撃。


「きゃっ!?」

「どうして、こんな……」

「嫌だ……っ、死にたく、死にたくないよぉ……!」


――――


『……る……い……』


 脳裏に声が現れる。

 まただ。覚えている。何もかも鮮明に、覚えている。

 覚えている、覚えている、覚えている、思い出す。

 思い出す、思い出す、思い出したくない、思い出す、思い出す、思い出す。


 人の皮膚を切り裂いた残響が、感触が、頭から離れない。


――――


「ぐ……、うぅ……。はっ!?」


 視界が真っ白に染め上がった次の瞬間、体が反射的に跳ね上がった。

 虫の声が窓の外から聞こえてくる。どうやらいつの間にか自分は眠っていたらしかった。


「大丈夫?」


 すぐそばから美奈の声がした。見ると僕の隣りに座っていて心配そうな視線で見つめていた。


「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん。今おばあちゃんから解放されたところ」

「あー」


 ということは本当にうたた寝のようなものだったのだろう。床に直で何も敷かずに眠ってしまったからか、背中の辺りがポキポキと音を鳴らせた。


「どうしたの? うなされてたけど」

「いや、別に……」

「怖い夢でも見た?」


 見透かされたかのような言葉に思わず全身がすくむ。何か寝言でも発していたのかもしれない。


「わかりやすいよね、正太郎くんって」

「……まぁ、ただの夢だよ」


 だが、肝心な内容について呟いたわけではないようだった。自分が勇者であることだとか、異世界転生を繰り返してきたことだとか。

 たとえ口走っていたとしても、美奈からしたらただのこの年代によくある妄想癖にしか取られないだろうけど。


「でも、普通じゃなかったよ。すごく苦しそうだった」


 一体、自分はどうなってしまったのだろう。

 僕は勇者だ。魔王から世界を救う勇者。だから、今まで幾多の命を殺めてきた。

 魔物も、人間も。

 罪の意識は、なかったと言えば嘘になる。だが、たくさんの世界を救う旅を続けていくうちに、それもいつしか消えていった。命を失うことに対して、何も感じなくなった。

 そのはず、なのに……。どうして今になって……。


「……大したこと、ない」

「あなたがそう言うなら、そうなんだ、としか言えないけど。でも、もしも何か悩んでいるなら相談してね。私じゃ頼りないかもしれないけど」

「そんなことないよ」

「ふふっ。そう言ってくれるなら、いつか、ね?」

「うん」


 説明したとして理解を得られるとも思えないが、そう言ってくれるだけで自分の心があたたかいものに包まれるような気がした。


――――


 たまに深夜にふと目が覚めることがある。

 特に何かに起こされたわけではないんだけど、突然意識が覚醒する。

 いつもならそのまま寝ちゃうけれど、今日はなんとなく隣で眠っている男の子のことが気になった。

 すやすやと寝息を立てている彼の表情は、前に比べて少し安らかなものになったような気がする。気のせいかもしれないけど。


 寝顔、可愛いなぁ。

 そんなことをボンヤリと思う。起きている時はもっと難しそうな顔をしているからか、余計にそう感じる。


「おなかの辺りつついてみよ。ツンツン」


 指先で軽くつついてみる。正太郎くんは私と違って少し筋肉質だから硬い感触が不思議だ。


「む? うぅーん……」


 正太郎くんはくすぐったいのか私の指から逃げるように体勢を反対にする。なんだかおかしくなってきて、その背中をさらにつつく。


「ツンツン、ツンツン」

「ぐっ、ぬぅ……」

「ふふっ。面白い」

「……い」


 面白がって今度は脇腹でもつついてみようかな、なんて考えていると正太郎くんの声が漏れ出る。

 流石に起きちゃったかな……?


「……な、さい」


 寝言だろうか。何かを呟いているようだが上手く聞き取ることができず、もう少しだけ耳をすましてみる。


「ごめんなさい」

「えっ?」

「……な、さい。ごめん、なさい」


 また、謝っているんだ。

 正太郎くんは眠っている時に本当に聞き取れないくらいの小声で寝言を言う。

 その内容はいつも変わらない。同じ六文字の謝罪の言葉を何度も繰り返す。

 何度も、何度も、繰り返す。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 正太郎くんは一体誰に謝っているのだろう。誰から許されたくてこんなに苦しそうになっているのだろう。

 知りたい。

 けれど、知ったところで自分に何ができる?

 何も思い浮かびやしない。だから頭をそっと撫でた。ほんの少しでも正太郎くんの夢が優しさに包まれるように。


「~♪」


 ずっと昔に聞いた唄を口ずさむ。

 小さい頃にお母さんに唄ってもらったような気がする。その優しいメロディに安らぎを感じながら私は眠っていた。

 今はその旋律を私が奏でる。あなたのための子守唄が、今日も部屋の中で小さく響き渡る。


――――


 カーテンを勢いよく開くと、眩しいばかりの朝日が部屋の中に射し込む。心地よい風が部屋の中に流れ込み、夜に淀んだ空気が入れ替えられていく。


「ほら、朝だよ」


 日光をあてながらそう語りかけると、美奈はその光から逃げるように寝返りをうった。


「うーん……。あとちょっと、ちょっとだけ……」

「なんでそんなに眠いの? 同じ時間寝てるのに」

「きっと私はロングスリーパーなんだよ……。人よりいっぱい寝ないとダメな人なの……」

「それ以上寝てるなら、美奈の分まで朝食を食べちゃうよ?」

「それはひどい!!」


 僕が言い終わらないうちから美奈は跳ね起きた。


「食い意地がすごいね……」

「だって朝逃したら、次は昼まで待たなきゃいけないじゃない! そんなの、耐えられる気がしない……っ」

「……君から一食抜いたらどうなるのか、少し気になるな」

「きっと太陽で干からびて死んでるね」

「君は吸血鬼なの?」

「むしろミイラになるよ」


 そんな何の実にもならない会話を交わしながら階段を降りると、居間からいい匂いが漂ってくるのに気づいた。思わずヨダレが出そうになる。


「この匂いは……」

「あら、おはよう。二人とも早いのねぇ」


 祖母はキッチンに立って味噌汁を温めているところだった。匂いの元はその鍋だったようだ。


「おはようございます」

「おばあちゃんおはよー……」

「眠そうねぇ」


 少し呆れたようにこっちを振り返ると美奈が一つあくびをする。


「そりゃそうだよ……。普段より一時間は早いもん……」

「遅起き……」

「ま、まだそれでも午前中に起きてるもん!」


 午前中ほぼ寝ているとすると一時間どころか、三時間以上は早い計算になってしまう。というよりも午後まで眠っていられる神経の方が理解しがたい。


「それ、ダメ人間が言うセリフだよ」

「そんなにダメダメ言わないでよ! 本当にダメ人間になっちゃうよ!?」 

「……手遅れかも」

「ひどいっ!」


 ポカポカと背中を叩いてくる美奈を置いて、朝食の食卓に並べるのを手伝うとする。


「すいません、少しくらい手伝えば……」

「いいよぉ。そんなこと気にせんで」

「わ、私も!」

「うふふ、ありがとぉ」


 ここ数日の食事と比べると、テーブルに並ぶ料理は壮観と言う他になかった。

 朝食はご飯にお味噌汁に納豆。さらに漬け物の盛り合わせと、これ以上ない朝食だった。


「こ、これは……」

「なんかすごい目が輝いてる……!」

「どこぞの誰かさんが、とうもろこししか用意してなかったからかねぇ……?」

「うっ、やぶへび……」


 丁重に両手を合わせてありがたく朝食をいただく。なるべく顔に出さないようにしていたつもりだったが、声が震えてしまう。


「いただきます……!」

「はい、どうぞ」

「いただきまーす」

「……お」

「お?」

「おいしい……!」

「それならよかったわぁ」


 そうだ、この味、シンプルさ。やはり日本人なら白飯なしに食事を語れない。

 味噌汁もダシや味噌のバランスが絶妙。空っぽの胃にどんどん吸い込まれていくようだ。

 あれ? どうして僕はこんなに詳しいんだろう? いつかここに近い世界を訪れた時に魅了されたのだろうか? そうとしか考えられないが、どこか違和感がある。

 この感じは、なんだ? この胸を締め付ける感情は、一体……。


「……あれ?」


 頬をなにか熱いものが伝う。そこに指をあてると小さな水滴がついた。

 無意識のうちに、目から涙がこぼれていた。


「しょ、正太郎くんどうしたの!? そんなにおなか空いてた!? 本当にごめん!」

「い、いや、これは違くて……! な、なんでだ……!?」

「ごめんね、本当にごめんね!」


 止めどなく涙が溢れてくる。わからない。なぜ泣いてしまっているのか、自分の感情と関係なしに漏れ出す感情の雫の正体がわからない。


「ほら、ゆっくりとお食べ。おかわりも用意してあるから」

「ありがとう……ございます……」


 祖母の優しさに余計に拍車がかかってしまいそうになるのをどうにか堪える。なんて情けない姿だ。

 こんな男が世界を救おうなんて大層なことを口にしていたのか。


「……これ食べたら、またどこかに行こう」

「えっ。大丈夫なの?」

「大丈夫。ごはんが美味しすぎて感動して……」

「へんなの……」

「そう言ってもらえて嬉しいわぁ」


 涙を拭ってまた白飯を口に含む。

 あたたかい。

 そしてどこか、懐かしい。

 知らないはずなのに、知っている気がする。

 そんな僕の様子を美奈は心配そうに、祖母は少しだけ嬉しそうに見ていた。

 

――――


「もう夜になっちゃったね」

「今日は、どうだった?」

「農家のお手伝いなんて言って、正直、正気を疑ったけど。でも、すごく楽しかったよ! 普段私たちが食べているものがあんなふうに作ってるなんて、全然知らなかったから」


 今日は例の祠のことを教えてくれた夫婦の元へ手伝いに行った。好奇心旺盛な美奈には、都会では見られないであろう光景こそ、最も興味関心が惹かれると思ったから。

 予想は的中。最初は乗り気でなかったものの、作業を始めてから夢中になるまで、数分もかからなかった。果てには――。


「将来農家になろうかなー」


 こんなことまで口にする始末である。


「毎日早起きになると思うけど」

「うっ……。それはちょっと」

「心折れるの早くない?」


 それに農家にならなくても、早起き云々はあまり大差なさそう。


「あー、疲れたー。シャワー浴びてくるー」

「うん」


 数歩進んだところで美奈の足音が止んだ。立ち止まったまま完全に動きが硬直している。何か忘れ物でもしたのだろうかと思っていると、ゆっくりと美奈は振り返った。


「……一緒に入る?」


 少しだけ頬を紅潮させながら美奈はそう言った。


「えっ?」


 その意味を噛み砕くのに少しだけ時間がかかったけど、すぐに理解が追いついた。ただ単純に僕をからかいたいだけらしい。


「ああ、なんだ。そういうこと」


 だが美奈はまだ子供である。誘惑しようにもいろいろと足りていない。


「むぅ……。動揺しないか」

「じゃあ、本当に一緒に入る?」


 と聞くと美奈の顔が一気に赤くなり、素っ頓狂な大声を上げた。


「えっ? えっ、えっ、えええええっっ!?!?」

「冗談だよ」


 本当に美奈の反応は面白い。純粋な子供ではないが、まだ精神的に未熟だからかこういう話には耐性がないようだ。


「や、やり返された……っ!」

「もう十年女磨いてから出直してくれば?」

「なんで同い年のあなたにそんなこと言われなきゃいけないの……」


 美奈は悔しそうに頬を膨らませながら、風呂場に向かっていく。


「十年後、か」


 その先にきっと僕はいないけど、きっと美奈は綺麗な女性になるだろう。いいお嫁さんにもなれるだろうし、普通の人として幸せな人生を歩むに違いない。

 ぐぅー。

 ふと、腹が鳴る。全身にかかる適度な疲労感から、今日は充実した一日を過ごせたと思う。働いたお礼にと、昼食までごちそうになってしまった。夏の昼にそうめんというのは反則的だ。


「今日の夕飯は何だろ……って、作ってもらえるのを当たり前みたいなのは……」

「そんなことないよ?」


 唐突に背後からした祖母の声に心臓が飛び出しそうになる。


「うわっ!? き、聞いてたんだ……」

「ええ、ええ。昨日も言ったけど、子供がそんな遠慮をするものじゃないからねぇ」

「でも……」

「泣くほど喜んでもらえて、作っているこっちも嬉しいくらいだから」

「あ、はは……。そんなもの、なの、かな……?」


 今朝の自分の醜態を思い返すと、実に意味不明で奇怪だった。久しぶりに人として普通の日常を送っているからなのかもしれない。


「そんなものそんなもの。あの子は?」

「シャワー、浴びてる」

「あら、ほんとねぇ。そう言えば昨日までお風呂とかはどうしてたんだい?」

「広場にある水道で、水浴びを」


 この世界では清潔な水を、まさしく湯水のように使える。それで水浴びをすることができるのだから、文明の高さを改めて思い知らされたものだ。


「それもあの子に?」

「汚い、不潔だのさんざん言われて」

「まったくあの子はもう……。ごめんなさいねぇ」

「あっ、いや、そんなことは全然……」


 だが、その行為自体がこの世界の基準から大きく外れていることを思い出したのは、割と最近になってのことである。よく考えたら以前『東京』で魔王と戦っていた時期にそんなことは一度もなかった。


「ところで、つかぬことを聞くけどね」

「?」

「あんた、ここに来たことはないかい?」

「ここ? 波揺に?」

「うん、この波揺村に。お父さんとか、お爺ちゃんとかでもいいから」


 こんな一風変わった世界に来ていたなら、僕が覚えているはず。今まで一度だって魔法が存在しない世界に飛ばされたことはなかった。

 ……いや、僕の記憶もあてにはならない。これまで何百年、何千年という月日をかけて、何十という世界を回ってきたのだ。もしも最初の頃に来た世界だったとしたら、可能性はゼロではない。


「……いえ、たぶんない、と思う」

「そうかい……」

「どうして、そんなことを?」

「いんや、大したことじゃないのよ」


 そう言うと祖母は居間の方へ行ってしまった。

 少しモヤモヤとした感覚が胸の中に渦巻く。

 外の風景に目を移した。夜空には星々が所狭しと敷き詰められていて、その中心に半分以上欠けた月がぼんやりと浮かんでいる。波のさざめく音が潮風に乗ってここまで届く。

 この光景に見覚えはない。ないはずだ。


「…………」


 もしも、覚えていないだけだったら?

 いつだったかの僕の名前が刻まれた慰霊碑を思い出す。僕がこの世界を訪れたことがある、その可能性を否定できる材料が一つもなかった。

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