第6話「転生しすぎた勇者と少女の小さな冒険~その2」

 この声は間違いなく女神様だ。しかしそれがどこから聞こえてくるのか、皆目見当がつかない。


「声だけ聞こえるけど、一体どこに……」

『わかりません……。ここが数少ないこの世界に干渉できる場所なのですが、どうしてここがそうなのか……』

「……ん? これは?」


 ふと、道の脇に小さな石の人工物のような物が目に入った。微かに魔力のような気配も感じられる。

 これは、祠?


『どうやらそこにある物体が、この世界でただ一つ神性を帯び、そして通すことができるようなのです』

「声はここから聞こえてくる……。村の人が言ってた祠ってこれのことかな?」

『なるほど。村の人からの信仰を得て、それでこの場所は辛うじて神性を保てているわけですね。納得しました』


 それにしては、寂れているような気もする。魔物すら存在しない世界で、こんなちっぽけな祠で本当にそんなことが可能なのだろうか。


「それよりも」

『はい、なんでしょう?』

「これは一体何なの? そろそろ説明してくれてもいいと思うけど」

『……あはは~』

「誤魔化さないで」

『ダメですか』

「ダメ」


 キッパリ言い切ると、観念したように小さなため息をついたようだった。文句を言いたいのはわけもわからない状況に突き落とされたこちらの方なんだけど。


『えー、どこから説明しましょうか……』

「最初の異世界転移は失敗だったってこと?」

『えっ、えっとー……、あはは~』


 また誤魔化すような笑い。どうやら図星らしい。


「最初に言ってたバカンス計画は何だったの」

『そ、そんなものないに決まってるじゃないですかー』

「僕を騙したの?」

『あっ! 嘘ですよ! 本当はあります!!』


 もう何が本当なのかわからなくなってきた。

 正直なところ、あのバカンス計画には全くの魅力を感じなかったので、そこのところはどうでもいい。


「じゃあ次の質問」

『あれ、失敗だったことになってませんか?』

「ここはどこ?」

『無視なんて……』

「質問に答えて」

『ひどい……勇者さま……』


 嘘泣きめいた声が聞こえてくる。ああ、面倒くさい。


「失敗だと思ってる」

『無視しないでくれたのに悲しいのはどうしてでしょう……?』

「それで、ここは?」


 僕が苛立っているのが伝わったのか、嘘泣きはピタリと止んで元の澄んだ調子に戻った。


『ええと……、推測の範疇を出ませんが……』

「それでいいから」


 何もわかっていないよりは、不確定な仮説という何かしらの縋れるものがある方が、精神衛生的に良い。


『どこかの時空に存在する世界……としか言いようがありませんね。今まで勇者さまが行った世界でも、これから行く予定だった世界でもありません』


 それまでとは打って変わって流暢に言葉を紡ぐ。こっちの方が話がスムーズに進むし自分的にも好ましいのだが、この女神様は時折ふざけるところがあるからよくない。


「どうしてそんなところに?」

『……それはわかりません』

「わかりませんって……」

『でも、一つだけ確かなことがありますよ』


 確かなこと。

 不確定な要素が入り交じる現状の中に、突如現れたその単語に思わず胸がざわつく。


『幸運にも、そこには魔王はいません』

「やっぱりそうなんだ」

『だから、休暇はそこでとれますね!』


 思わず叫びそうになった。

 この女神様はシリアスを一分以上維持することができないのだろうか。


「いや、その理屈はおかしい」

『何が不満なのですか?』


 あっけらかんと口にする女神様。爆発しそうな感情を寸前で押さえ込んで、どうにか応対する。


「第一に、強制的に休暇を取らされることになったけど、そもそも僕に休みなんて必要ない」

『それは却下、と何度も言ったと思いますが』


 そういえばそうだった。それに反論するだけの材料がないから、強引に休暇をとらされる羽目になったんだ。


「……第二。ここでは休みになんてならない。逆に衣食住にすら困る」

『そうですか? 少なくとも後の二つについては、どうにかなっていると思いますよ』

「?」

『心優しい女の子の家に泊まっているんでしょう?』


 頭の中が一瞬真っ白になった。なんでそれを女神様は知っているんだろう。

 すると、そんな僕の思考を読み取ったのか、女神様はさらに言葉を続けた。


『ここからこの村で起こっていることのおおかたは見ることができますから。……まぁ、見ることしかできないんですけど』


 随分と都合のいい不都合だと思った。今までの魔王討伐の時にはもう少し支援らしきものがあったのに、この差は一体……。

 などと愚痴を漏らしたところで、また嘘泣きで煙に巻かれるのがオチなのは目に見えてるけど。


『それはともかく、ちょうどいいことになりました』

「ちょうどいい?」

『勇者さまをすぐにこちらに戻すことができないんですよ。こちらから魔力を送るための道とでも言いましょうか、それが極端に狭いのです』

「つまり、僕を転移させるのに時間がかかると。どれくらいかかる?」

『およそ一ヶ月ほどです。だからその間、勇者さまはそちらで羽を伸ばすことができますし』

「一ヶ月……」


――――


 森の中をただ歩く。晴れているおかげで土は滑っていないものの、それでも都会っ子の私には歩きづらいことこの上ない。

 確かこっちの方に走っていったはずなのだが、正太郎くんの姿はどこにも見当たらず、ただ木と葉の群ればかりがあるのみ。


「どこ行っちゃったの……?」


 蝉の声がうるさい。これでは正太郎くんを呼ぶために声を張り上げたとしても、届く前にかき消されてしまう。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 ……。

 …………。


 大体正太郎くんのせいだよね。勝手に女の子をこんなところに置いていくなんてありえない。

 その時、足元から葉が大きく揺れる音。

 心臓が口から飛び出してきそうになる。


「きゃっ!?」


 しかし草の中から飛び出してきたのは、山吹色の小動物だった。恐らく狐か何かだろう。


「な、なんだ……。狐か……。びっくりしたぁ……」


 狐らしき動物はそのつぶらな瞳でこっちを見つめてくる。あ、可愛い。

 そして一つあくびをすると、ゆっくりと振り返ってどこかへ走り去ってしまった。


「あらら……。ん、あれ?」


 ふと、改めて辺りを見渡す。

 あれ、これって……。


 ……。

 …………。


「……はっ!」


 スッと我に返る。いけないいけない、ボーッとしてた。

 もう一度気を取り直して、自分の周りを見渡す。

 嫌な予感が、じわりと頭の中を過った。


「……ここ、どこ?」


――――


「はぁ……」


 本格的にここに一ヶ月いることになってしまった。

 一体どうしたものか。さすがにそんなに長い間、彼女の家に厄介になるわけにもいくまい。というか、確実に彼女の祖母に見つかることになるだろう。


「……いやいや」


 つい昨日、彼女に最高の夏休みにすると口にしたばかりではないか。そう考えればちょうどいいとも言える。


「ちょうどいい……」


 そういえば女神様もそんなことを言っていた。もしかして僕と彼女との約束も知った上で、あんなことを言ってきたんじゃないだろうか。まぁ、今となってはもうわからないことだけど。

 あれから女神様はこの世界へ魔力を転送するのに注力するとのことで、一方的にこの世界とのリンクを切ってしまった。

 僕があれこれ聞き出そうとするのから逃げたようにも思える。


「それにしてもこんな祠が魔力を帯びているなんて」


 見れば見るほど本当にちっぽけな祠だ。道端にある道祖神とさして変わらない。しかしそこが小さな魔力源となっているのは確かだ。残滓と呼んでもいいくらいに微かだが、この世界においては異常だった。


「ん?」


 ふと、祠のすぐ裏に巨大な石碑が建てられていることに気づいた。幾多の文字が刻まれていて、よく見てみるとそれらは人の名前だった。

 所々が劣化しているせいで読めないけど、一番上に書かれた文字はどうにか読める。

 波揺空襲戦没者慰霊碑。

 そこにはそう刻まれていた。


「空襲が、あったんだ……」


 かつて東京にいた頃の記憶によると、この国はかつて海外の大国相手に戦争をしたことがあったらしい。とはいえ僕が転生した時にはその戦争が終結してから数十年もの時が過ぎた後だったから、あまり詳しいことは知らない。

 数えきれないくらいにたくさんの名前が並んでいて、それだけの命がここで失われたことを無言で告げていた。

 今は亡き人たちの名前をぼんやりと眺めていると、一瞬視界の隅に何かが映った。ゾッとするような、何かが見えた気がした。

 再びその場所へと視線を移すと、それはすぐに見つかった。 


「……えっ?」


 心臓を冷たい手に握られるような感覚。

 目を凝らしてもう一度その名前に近づくが、見間違いではなかった。

 古堅正太郎。

 それは、間違いなく僕の名前だった。


「どう、して……?」


 それは僕が何の気なしに適当に名乗ったものだ。その、はず。

 いや、それは本当に何の気なしに名乗ったのだろうか?


「僕は……」


 本当にここに刻まれているのだろうか。そう思って慰霊碑に触れると――

 

 ――シャラン。

 

 鈴を鳴らしたような、そんな音がした。

 そして次の瞬間――


「ぐっ!? が……っ、あぁ……っ!!」


 脳味噌を棒で強引にかき混ぜられたような、そんな激痛が僕に襲いかかる。その痛みに耐えかねて地面に伏せてしまった。


「あ、が……ぁ……っ! ぐぁ……ぎぃっ!!」


 痛みには慣れていた。勇者として魔王と戦う中では避けられない道だ。だが、この痛みは尋常ではない。これまで経験したことのない激痛、いやこれは最早強烈な『苦痛』そのものを頭の中に押し込めたような感じだ。


「うっ……、はぁ……はぁ……つ」


 気づくとその痛みは嘘のように消えてしまっていた。

 しかしまだ僕は立ち上がることができない。極度の緊張から解放されたせいで、全身に力が入らない。


「僕は……」


 その次を考えようとしたのと同時に、木々の奥から叫び声が聞こえてきた。


「み、な……?」


 間違いない、この声は美奈のものだ。

 魔の気の類は感じられないから、魔物はいないだろう。

 しかし、野生の動物の類なら話は別だ。この山の中にはいくつもその気配を感じる。


「くっ……!」


 最悪の未来の予感が脳裏をかすめた。もしも奥の方に入り込んで、狂暴な獣などに一人で出会してしまった場合、きっと無事ではすまない。

 重い体を無理矢理二本の足で持ち上げる。まだ、動ける。

 この山の中にいる何かに美奈は襲われた。あるいは襲われている。


 助けないと。


 頭が回っておらず、ただその思考だけが僕の体を引きずるように動かしていた。


――――


 道を踏み誤る、とはまさについさっきのようなことを言うのだろう。

 もしもあの時に自分一人で出歩こうとしなければ。

 あるいは、正太郎くんが走り出した時に、その服の袖でも掴めていたなら。

 数多のこうしていたなら、が頭の中にいくつも浮かんできては、消えていく。


 だが、今まで経験してきたのはどれも小さな出来事。普段生活している中でふとした時に思い出して、ああ、あの時こうしてればよかったななんてぼんやりと考えるレベルで。


「がうぅ……」


 決して今この瞬間のように、文字通り死ぬほど後悔しているのとは話が桁違いだ。

 目の前を巨大な黒い毛皮が覆っている状況以上に、過去の自分の過ちを悔やむ瞬間があるだろうか。


「うそ……っ。く、熊……!?」


 そう、私は今、人気のない山の中で、熊と遭遇してしまっていた。


「ぐわぉっ!」


 熊は耳が痛くなるくらいの雄叫びを上げると、勢いよくこちらに向かって四本脚で駆け出した。

 圧倒的な巨体が自分へ一心不乱に向かってくる。

 恐怖が足をすくませるよりも先に、本能による反射がその場から私の体を動かさせた。


「いやああああっ!? きゃああああっっ!!」


 今更になって恐怖が口からドッと噴き出す。

 それを威嚇と受け取ったらしい熊の動きはより激しさを増していく。


「ぐぉっ! ぶおおっ!!」

「助けてぇっ!!」


 何かがつま先にぶつかる。と、一気に上半身が前につんのめった。


「きゃあっ!?」


 衝撃が全身を突き抜ける。

 どうしてこんな時に転んでしまうのか。恐怖で足が震えていたのかもしれない。膝を擦りむいたのか、ひりひりとした痛みに顔がひきつってしまう。


「いたた……。ひぃっ!?」


 しかしすぐに痛みはどこかへ飛んでいった。熊の姿はもうすぐ目の前にまで来ている。

 全身をどす黒い恐怖が覆う。


「ぐぉぉ……」


 よだれをダラダラと垂らしながら、今にもその豪腕を振り下ろそうとしている。

 もしもあのヒヅメで引っかかれでもしたら、確実に無事では済まない。たった一回だって当たったら……!


「いや……っ。誰か……!」


 助けて……。

 落ちてくる。

 太い腕が、今、まさに。


 全てがスローモーションに見える。

 死の間際に走馬灯が見えるという話を聞いたことがあるけど、これもそういうものなのかもしれない。


 もうダメだ……!

 そう思った瞬間――。


「ぶぉんっ!?」


 ――閃光が、走った。

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