第5話「転生しすぎた勇者と少女の小さな冒険」
グシャリ。
音がした。
音。
皮膚を貫かれ、中で臓器が捻れて千切れる音。
それをかき消すように笑い声が響き渡る。
雄叫びだ。
勝利を悦ぶ声と、痛みに叫び散らす声が混ざり合って、耳を手で塞ぎたくなる。
でも、それはできない。
だって、私は祈り続けなければならないから。
この組み合わせた二つの手のひらを、決して離してはならない。
祈る。
来るかもわからない、その日のために。
奇跡でも起こらない限り訪れない、あの日のために。
私は、祈る。
――――
「ん……。朝……」
瞼の隙間から入り込んでくる太陽の光で目を覚ました。
慣れないカーペットの感触。背中が少し痛い。
美奈は特にそういうのは気にしない性質なのか「一緒に寝よう」なんて言ってきたけど、流石にそれは自分の方から丁重に遠慮させてもらった。
いや、本当に。それは流石に、問題があると思う。
「すぅー、すぅー……」
傍らから小さな寝息。
このまま寝かせておくべきか迷ったが、肩を小さく揺らす。
「おい、起きろ。朝だぞ」
思ったよりも軽い手応えのせいで、かなり強めに揺らしてしまい、がくんがくんと細い首が揺れる。
「あ、ごめん」
「うーん……、んー……」
しかしうなり声のようなものをあげるのみで、全く目を覚ます気配はない。
「むにゃむにゃ……」
「起きない……」
適当に声をかけてみることにする。何かしらに反応を示してくれるかもしれない。
「もう昼だよ」
「えっ、うそ! 朝ごはんは!?」
バッとものすごい速さで白い布切れが舞う。お腹にかかっていたブランケットが彼女の跳ね起きる勢いで吹っ飛んだのだ。
「……あれ?」
目をパチクリさせながらぽかんと僕の顔を見つめる。そもそも目が覚めたら僕が目の前にいる状況を、美奈はきちんと理解できているのだろうか。
「嘘」
真実を伝えると一瞬げんなりとした表情を浮かべたかと思いきや、自らのマヌケさに気づいたのか一気に赤面する。
いやはや、表情の変化が何とも忙しい。
「ずるい、卑怯! 鬼! 人でなし!」
「そこまで言うの?」
「しかも、まだ六時じゃない。せっかく夏休みだからあともう少し寝ていたかったよ……」
「昨日言ってたのは嘘だったの?」
そう言われると美奈はハッとしたように目を丸くした。もしかして忘れていたのか?
「寝てても起きてても同じ一日なら、面白いことをした方が有意義だと思うけど」
「忘れてなかったんだ」
「忘れないよ。僕の宿がかかってるし」
ひとまずこの世界に留まることにしたからには、野宿でも耐えられないことはないけど、最低限の宿があるに越したことはない。
「でもそう言うってことは、もう何か案があるってこと?」
「……大体は」
それから食事(とうもろこし)を摂り、美奈は準備があるとのことで部屋で待つこと三十分。
のんびりと窓の外の雲を数えていると、勢いよくドアが開いた。
「いざ、出発!」
三十分かけたとは思えないほど、簡素な格好。Tシャツに短パンといった、動きやすさに特化した服装だ。
長い髪は後ろで縛られていて、昨日までとは違って活発的な少女のような印象を受ける。
「その荷物は?」
美奈の右手には風呂敷が握られており、中にはそれなりに重量のあるものがあるようだ。
「これ? うーん、内緒」
「重くない?」
「大丈夫! たぶん!」
「たぶん」
まぁ、満面の笑顔でサムズアップを決めているのに水を差すのも悪い。
それにキツければ僕に渡してくるだろう。そういう役回りは得意だ。
「それで、どこに行くの?」
「とりあえず、村の方かな……?」
――――
彼女の祖母に僕の存在を気づかれないように、また窓から倉庫を経由して外に出る。少しずつ悪いことをしている感覚が薄れていっている気がして、慣れは怖いなと思うがこれも僕の当面の宿のためである。そうしなければ飢え死にするから、って何かの本であった気がする。
もう日光は辺りを照りつけ始めていて、それに合わせて気温もだいぶ高い。背中から汗が少しずつにじみ出てくるのを感じる。
蝉がしきりにそこら中から鳴いていて、ただでさえ暑いのが余計に煩わしい。
「お、坊主!」
と、前から手を上げてこっちに歩み寄る、三十代くらいの麦わら帽子を被った男が見えた。つい昨日出会ったこの辺りで農家を営んでいる男で、僕にぶどう飴をくれた人物でもある。
「おはようございます」
「女の子と一緒なんて今日はデートかい? いいねぇ、羨ましいねぇ」
「デ、デートなんて、ち、違いますよ! そもそも付き合ってもいませんしその……!」
デートという単語に早口で美奈が反応し、両手を慌ただしく振って否定の意を示す。それでは逆効果だと思うが、口にするのも野暮だしやめておいた。
「はっはっはっ、楽しそうで何よりだ! 仕事は見つかったか?」
農家の男は美奈の反応がツボに入ったらしく、声を上げて笑う。美奈は自らの弁明の無意味さを悟ったのか、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「いえ……。今日はちょっと別の用事が……」
「まぁ、デートだもんな! 仕事なんてサボってもいいもんさ!」
すると、突然別の声が会話に入り込んできた。
「あら、聞き捨てならないわね」
「げっ!」
「お仕事さぼって一体何をしているのかしらねー」
「ち、違う! 誤解だ!」
また同じく麦わら帽子を頭に乗せた、男より少し若く見える女性だった。会話の雰囲気から、この二人は夫婦なのだとすぐに察しがついた。
冷たい視線が男を貫く。思わず関係ない自分まで身震いしそうになるほどだったが、このまま夫婦喧嘩(いや、一方的な気がするが)を続けられても困る。恐る恐る会話の合間を見計らって声を掛けた。
「あの、聞きたいことが……」
「え? どうしたの?」
それまでの冷酷な目が嘘のように、あたたかな眼差しがこちらに向けられる。ギャップが余計に怖い。
「この村には、ま、守り神がいるって、聞いたんですけど……」
「守り神?」
「それって、あれのことじゃねぇか?」
ふいに農家の男が指差す。その先は――。
「山?」
「あれって……あっ」
そこで奥さんの方も思い至ったのか、納得するような声を上げた。
「でもどうしてあんなとこに? もう誰も近づかんし、行ったって面白いものなんてないと思うぞ?」
「僕たち二人とも、い、一ヶ月くらい、ここでお世話になるので、だから、そういうのがあるなら、一度お参りした方が……って」
思わず言葉がうわずってしまう。記憶のある状態でこんなに人と話すことが僕にとっては久しぶりだったせいだと思う。
美奈とこれだけ自然に話せる方が不思議なくらいだ。
「へぇ。今時珍しいな」
「そうね。村の人だって行くのは、おじいちゃんやおばあちゃんばかりなのに」
二人とも感心したようにへぇ、と声を合わせた。見事に息ぴったりで、結構夫婦仲はいいのかもしれない。単純に夫が妻に頭が上がらないだけのようだ。
「まぁ、ちょっとした旅みたいな、冒険みたいな、そんな、感じ、です」
「ぼ、冒険……!」
僕の隣で興奮のあまり少し背伸びしてしまう少女。見ると目がキラキラと輝いている。
「ふむ……。ま、別にいいか。荒らすなんてことしないよな?」
「も、もちろんです」
ごほんと一つ咳払いをしてから、さっき指差した方を向いた。
「ほら、あそこに山があるだろ? ふもとのあの辺りに祠に繋がってる道がある」
どうやらそれはこの辺りで一番大きな山の中にあるらしい。その中のどこかにあるのだとしたら迷う可能性が懸念材料だったが、道があるのならある程度それは軽減される。
「道なりに歩いていきゃすぐだが、あんまり整備されてねぇし危ないから、気をつけろよ?」
「はい」
「あと、そんな奥の方には行かないと思うけど、入り込むと熊とかも出てくるからな。念のために祠よりも奥には行くなよ」
「そうね。それに暑いから水分補給もしっかりね」
「「ありがとうございます」」
と、僕と美奈の声が綺麗に重なり合う。
「「あっ……」」
思わずお互いの顔を見合わせるところまで見事にセット。これではさっきのこの夫婦のことを言えない。
「ふふっ。仲が良いのね」
言われてしまった。僕まで妙に恥ずかしい。
「ああ、昔のオレたちみたいだ」
「……そんなことあったかしら?」
「あっただろ!?」
――――
「塩飴までもらっちゃったね」
奥さんの方から熱中症対策にと、何粒かもらった。一粒一粒が包装されていて、改めてこの世界の便利さを実感する。
「けっこーおいしいんらねー」
「もう食べてる」
頬を膨らませて満喫しているようだ。あれ、それを美味しいって感じるって結構まずい状況なのでは?
「でもびっくりしたよ。もう顔見知りみたいになってたし」
「一応一通りは回ったから……」
「えっ、もう村中回ったの?」
「そうだけど?」
当然のことだと思っていたが、美奈は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「ということは、村中の人と顔見知りになったりも?」
「全員に会えたかはわからないけど、でも、大体の人は知ってると思う」
「すごい……、コミュ力の塊だ……。コミュ障っぽいのに……」
「そんな大層なものじゃないよ」
それが結局一番手っ取り早かっただけ。
まずよそ者としての不信感をなくすために会話は有用だし、情報も手に入る。逆にここを疎かにすると近道どころか、かなり遠回りになってしまうことがほとんどだった。
とは言え、今の僕じゃすぐに言葉に詰まってしまうし、余計な不信感を買ってしまう。そういう意味では子供の姿というのはラッキーだったと言わざるを得ない。
「じゃあ、守り神さまだっけ? その話も昨日聞いたってこと?」
「そう」
「ふーん。それ、面白いの?」
「うーん。面白いことを神様に祈ってる」
「その神様に会いに行くのに何言ってるの?」
――――
木々の生い茂る山の中で、木の葉が風になびく音が重なり合う。それを背景音にして蝉の声がけだましく鳴り響いていて、この広い山全てを覆っているようにすら感じられた。
あんなにも眩しかった太陽の光はそれらに遮られて、この場所は外よりも幾分涼しい。
「はぁ……はぁ……」
僕の背後から美奈の息が切れる音がした。さっきからそれは断続的に続いていて、彼女の疲労を物語っている。
「大丈夫?」
振り返ると美奈は木の幹に右手をついて、肩で息をしていた。
「こんなの、全然、平気だから」
「少し休んだほうが……」
「平気だってば」
もうそろそろ登り始めて二十分が過ぎる。傾斜が急で、なおかつ足元も不安定なせいで、子供には結構厳しい場所をだ。
まして美奈は女子であることも考えれば、一旦休憩を挟むほうが良いのだが、聞く耳を持たない。
「正太郎くん、本当に東京から来たの……?」
「!」
ドキッとした。まさか、僕の素性に勘付いたということなのだろうか。
「な、なんで」
「だって、東京から来た人にこんなに体力あるなんておかしいよ」
「なんだ……」
ホッと胸をなで下ろす。
「東京の人っていうのはもっとひ弱で体力なくて――」
「それは、偏見じゃない?」
「そんな貧弱そうな見た目で、ひょいひょい先に進んでくの、本当納得いかない!」
「独善的すぎる……」
これでも何度も魔王を倒してきた勇者なのだから、我慢強さにも自信はある。この身体も全盛期には足元にも及ばないが、まだまだ動かせるだろう。
とは言え、疲れを感じないのかと言うとそれもまた嘘になる。
「なら、僕が疲れたから休もう」
「えっ?」
ぼっこりと浮き出た木の根の表面を払って座ると、美奈は不審そうな視線を向けた。
「どういうつもり?」
「疲れたんだよ。僕が」
「何それ? 私をバカにしてるの?」
徐々に美奈の眼に不機嫌が混じり始めた。どうやら僕が嘘をついているように見えるらしい。
「してないって」
「してる」
「本当だって。それに……」
どうやらこれでは納得してもらえないらしい。辺りを見渡して何かしらの理由を見つけようと思うも、見えるものは木と土くらいなもので、特段目をひくものはなかった。
その時――、
『……ま』
「……えっ?」
耳の奥を、何かに撫でられたような感覚。
錯覚と言われればそのまま信じてしまいそうなくらい、か細く不明瞭な音だった。
「今の……美奈?」
「何のこと?」
「……まさか」
考えるよりも先に体が動いていた。
「えっ!? ど、どこに行くの!?」
――もしも。
「そこで待ってて!」
もしも、僕の勘が鈍っていなければ――。
「ちょっと!? 置いてかないでよ!!」
――――
「はぁ……、はぁ……」
不安定な足場の中を駆け抜けてきたせいで、疲労が特に足に溜まってきている。思ったよりもこの体は貧弱らしい。
美奈の声は最初に聞こえたきりだった。随分と遠くまで離れてきてしまったようで、今更になって申し訳なさが頭の中に浮かんでくる。
申し訳ないことをしてしまった。あとで謝らないと。
だけど、今の声は――。
『……さま』
再び、また鼓膜の奥を撫でるような声。
物理法則を無視して聞こえてくるその感覚に、僕は覚えがある。
「その声……!」
『……さま? ……すね!?』
この声は――。
『勇者さま!!』
「女神様!?」
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