第63話 屋台の味は恋の味
この温泉街には夏になると定期的にお祭りが開催されます。
といってもそこまで大層なものではないのですが、温泉街の一角が歩行者天国となり屋台が並び、盆踊り会場もあったりと、割と本格的です。
「本当に来てしまいました……」
お姉ちゃんとの一悶着で飛び出してしまい、皆さんにご迷惑をかけたにも関わらず、迎えに来て下さった三国先輩を突発的にお祭りに誘うなど褒められた行為ではないのは分かっています。
ですが今の状況で先輩と二人きりになれる瞬間は万に一つもありません、だから、つい気持ちが先行してしまったと言いますか……。
「へえ、意外と賑わってるんだな、夏祭りなんて小学生以来だからちょっと懐かしい気分になるなあ」
「そ、そうですね……私も懐かしいです」
しかし先輩は私が冒した行為と、お姉ちゃんに関してのことも何も言ってきません、お祭りのお誘いも2つ返事で承諾して下さいました。
ただ気を使って頂いているのだとすれば……申し訳ない気持ちになります。
「それにしても、川西の浴衣っていうのはちょっと新鮮だな」
「えっ、そ、そう……ですか? に、似合っているでしょうか……?」
「うん似合ってるよ。川西に合った色で可愛いと思う」
「か――あ、ありがとうございます……」
少し紅潮したような気がして、顔を思わず下に向けてしまいます。
実は浴衣は用意してはいたのですが、現状取りに戻る訳にも行かず、結局浴衣のレンタルをしているお店に行きました。
わざわざ浴衣を持ってくる観光客もいませんから、意外に種類も豊富でして、その中から水色を基調に、紫陽花があしらわれた浴衣を選びました。
本当は自分には合わないピンクにしようとも思ったのですが……可愛いと言って頂けたのでこっちにしたのは正解でした。
「日も落ちて、大分涼しくなってきたな」
先輩の仰る通り涼しさを感じる風が靡いていて、お団子ヘアにしてあらわになったうなじを少し擽ってきます。
すると、同時にその風に乗って焼きそばの匂いも漂ってきて、不覚にもお腹が鳴ってしまいました。
「お腹が空いたなら何か食べるか?」
「ひぇっ! あ、ご、ごめんなさい……」
「別に謝るようなことではないって。あーでも夕飯とか考えるとあんまり食べ過ぎる訳にもいかないか」
「で、では……たこ焼きを2人で割って食べるというのはどうでしょう」
「それはいいな、あとは――かき氷ならそんなにお腹も膨らまないだろ」
「そうですね、私もそれでいいと思います」
先輩との2人きりのお祭りに、もっと緊張するかと思っていましたが、恥ずかしさは覚えるものの、思いの外スムーズに会話は進んでいきます。
やはり先輩といると落ち着くからでしょうか、先輩と後輩という立ち位置であれば私も自然体でいられるようです。
無論、そこで終わってしまってはいけないのですが……。
そんな形でお話が纏まると、私達は早速屋台で購入を済ませ、歩行者天国の脇に設置されているテーブルに腰掛け、食べ始めました。
「はっ……! はふいでふ……!」
「ははは、たこ焼きって絶対そうなるよな」
たこ焼きというのは末恐ろしいもので、どれだけ冷ましたと思っても中の熱はそう簡単に抜けてはくれません。
私は熱さと恥ずかしさに悶ながらもたこ焼きを飲み込むと、慌ててかき氷を手にとってそれを口へと運びます。
馴染み深い味がじんわりと口の中にあった熱が下がっていきほっと一息――ですが、そこでふと記憶が掘り返されました。
「つぐ先輩と食べたかき氷……」
「ん?」
「あ、いえ……な、何でもないです」
私は――もしかしたら今人生の幸せの絶頂にいるのではないでしょうか。
こうして先輩と学校内やお家だけではなく、旅先でデートに近いようなことも出来てしまっている、これ程贅沢なことはありません。
けれど――それだけではないと思ってしまったのです。つぐ先輩連れていって貰ったあのお店はとても美味しいかき氷でした。
きっと以前の私でしたらかき氷というのはこういうスタンダードなものこそがと決めつけていたでしょう、つまりつぐ先輩が私の見聞を広げてくれたのです。
それに、恋敵ではありますが、私が一番好きな作者の1人と言ってもいい上尾藍先生――もとい豊中先輩とも知り合うことが出来ました。
それは間違いなく部屋に閉じ籠もって、本を読んでいただけでは決して得られることのなかった経験ばかりです。
それなのに――私はお姉ちゃんを突き放してまで、これ以上欲張っていいのでしょうか、そんなことをしては、いつかバチが当たるのではないでしょうか。
「…………」
夕日が山に隠れるにつれて、人の喧騒も大きくなり始めますが、私の気分はそれに相対して小さくなってしまっていました。
「おまたせ――――川西?」
「…………」
「川西? 大丈夫か?」
「――えっ! あっ、はい、どうかしましたか?」
つい物思いに耽ってしまっていた私は、先輩が私を呼ぶ声に引っ張られてはっと意識を取り戻します。
折角先輩と2人でいられる時間なのに――と、私は慌ててモヤモヤした気持ちを振り払うと先輩に向けて笑顔を――
「――って、せ、先輩、これは……?」
テーブルに目をやると、いつの間にか沢山の屋台料理が並んでいます。
焼きそばに、焼きとうもろこし、唐揚げ、イカ焼き、フランクフルトと、一つ一つの量は少ないですが、テーブルが料理で埋め尽くされています。
更に先輩を見れば右手に巨大な綿あめまで、まさに子供の夢を叶えてしまったような、そんな贅沢な光景でした。
「さ、冷めない内に早く食べようぜ」
「あ、ありがとうございます……で、ですけど先輩、こんなに食べてしまったらお腹が一杯になってしまいますよ」
夕食のことを考えればどう見ても多過ぎる量です。それに食べ過ぎたらと良くないと言ったのは先輩でしたのに――
「んー、まあ別にいいんじゃないか? その時はその時でまた考えよう」
「へ? いや、ですが……」
「いやさ、お腹が空くとつい余計なことを考えちゃったり、まともな考え方が出来なくなると俺は思うんだよ」
「は、はあ……」
「でもさ、お腹が満たされれば心も満たされるって言うだろ? そしたらきっと落ち着いた考え方も出来るんじゃないかと思ってさ、だから――」
先輩は私に巨大な綿あめを突き出すと、優しい笑みを浮かべこう言うのでした。
「だからまあ、まずは沢山食べよう、それから一緒に考えよう」
「せ、先輩……」
きっと先輩は、お姉ちゃんとのことを心配して下さったのだと思います。
無論、私の中にあった迷いの気持ちはそれだけではありません。
なのに、その言葉は私の中にストンと落ちて、全てのモヤモヤとした気持ちを晴らしてくれたような気がしました。
きっと先輩が好きだから、その言葉が甘言に聞こえただけかもしれません。
ですが。
「そうです――忘れていました」
私の幸せの絶頂を運んできて下さったのは、他の誰でもない三国先輩なのです、先輩と出会わなければ幸せは無かったのです。
だから私は先輩の言葉に同意すると、下品ではありますが、綿あめを片手に焼きそばを口いっぱいに頬張りました。
その味は、今まで食べたどんな料理よりも美味しいような気がしました。
「先輩、屋台の料理って何でこんなに美味しいんでしょうね」
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