第59話 夏にしてブラックアウト

 露天風呂というのは、中々本格的な造りであった。


 サイズはそこまで大きいものではないが、しっかりとした岩風呂であり、壁として使われている竹は風景こそ遮られるものの、和を意識した拘りを感じる。


 宿の温泉にも勝るとも劣らない、温泉街に別荘を置く川西家の癒やしの系譜らしきものが垣間見えるようだった。


 まさか先祖代々そういう家系なのか……?


「わあ……凄いね」


 一軒家にこんなに質の高い温泉があるとは思っていなかったのだろう、露天風呂へと出た瞬間に山中から感嘆の声が上がる。


「そうですね。本当に素晴らしいです、しかもこれがタダなのですから川西さんには頭が上がりません」

「私ではなく父親のお陰ではありますが、そう言って頂けると嬉しいです」


 謙遜しつつも少し誇らしげな表情を見せた川西はそう言って胸を張る。


 それと同時にぐぐっと大きな伸びを見せる『川西』の文字。


 胸の名前が伸びるなんて光景生まれてこの方漫画等でしかみたことがなかったので思わず目を見張ってしまう。


 というか、そのスク水は一体何処から持ってきたんだ……? 高校のものとは若干違う気がするし、中学……いやまさか小学――?


「では早速お背中を流させて頂きますね、昌芳くん」

「へっ? うおっ!」


 未だに腕を掴まれたままでいる俺は黒芽先輩にそう言われるとぐいっと腕を引っ張られ、あれよあれよと洗面台へと連れて行かれてしまう。


「わ、私も……!」


 しかし川西もそれに負けてなるものかという感じなのか、振り切られずに俺の腕にしがみつくとそのまま付いて来ようとする。


 くそっ……俺も俺で欲に抗うことが出来ない……!


「で、では……豊中先輩がお背中ということでしたので、御前を――」

「おんまえ……?」


「は? 駄目です、御前こそ私が洗います」

「でしたらお背中は誰が洗うんですか?」


「お背中も私が流します、大体昌芳くんのお身体くらい一人で十分です」

「いや誰もいらないんですけど……」


「そんな言って三国先輩のことを独占したいんじゃないですか」

「そうですが何か」


 最早包み隠すご様子もないお風呂場での猛攻の一方で、俺は欲と自制の狭間に囚われたままで頭がぐわんぐわんとしてしまう。


 いっそのことタイル床に仰向けになって「もう好きにしてくれー!」と叫びたいくらいの気持ちはあったが、その先にあるのは暴徒のみ。


 しかも絶妙にこれ以上は駄目だと言えない範疇を責められているのが……いやもしかしたら俺は既にアウトの範疇すら判断がつかなくなっているのか……?


「邪魔をするのでしたら容赦は致しませんよ」

「では邪魔にならないよう勝手にさせて頂きます」


「何を――――!?」


 そう言うが否や川西は風呂桶を手に取ると、そこにボディーソープと少量の水を入れ速やかにかき混ぜ始めたではないか。


「か、川西……?」


 何だろう……今までに一度も見たことはない光景な筈なのだが、イケナイ雰囲気が漂っているのは気のせいだろうか。


 ただこんな妙技を元より川西が身に付けていたとは到底思えない……何か本から知識を得てきたとでも……?


「あ、泡が出来上がりました……で、では失礼させて頂いて――」

「待て、川西、その……タオルはどうした」


 最早身体を洗って貰うことが前提になのもおかしな話ではあるが、泡を手に持ったままこちらを振り向いた川西に俺は制止をかける。


「へ? いえ……ありませんけど」

「何故あるのがおかしいみたいな顔を……」


「ではタオルを使わないのが当然な頭を洗いますね、くんくん……」

「黒芽先輩、今何を嗅いで――ぶっ!」


 少し不満げにも取れなくない黒芽先輩の声に反応した瞬間、俺は頭にシャワーのお湯かけられてしまう。


 横暴、という程でもないが温水が顔にまで及んだことで当然ながら目を開けておくことが出来ず、状況は増々判断不能に。


「昌芳くん……ではまずは頭からいきますね……」

「で、では……?」


「む……わ、私も……!」

「川西、そ、そっちはまずはタオルを――ふぉう!?」


「で、ですが、先輩には癒やされて頂きたいんです……」

「こ、これは癒やしとは少しちが……あがが……」


 こうなってから思い出したことではあるのだが、俺は昔からめっぽう胴部を触られるのが得意ではないのだ。


 理由は簡単である、兎に角擽ったくてしょうがないのである。


 しかしそんな俺の状況などいざ知らず、彼女達の勢いは更に増していく。


「く、くうう……」


 腹部から胸部へと肌と泡の感触が伸び始めたかと思うと、今度は頭部から背中へと同様の感触が流れ始める。


 それでも必死に煩悩を振り払い、無の境地へと至ろうとするが、擽ったさと、目を閉じているせいで変に妄想が掻き立てられ脳内は完全にパニックに。


「こ、こそば……誰か助け――」


「おやおや……目を離したスキに全く……」

「ホント、すぐ抜け駆けをするから気が抜けないったらない」


「ですがまあ、やらない訳にはいかないでしょう」

「黙って見ていられる程、穏やかじゃないしね」


「へ? ……ま、待て……ぐぎぎっ!?」


 助けの声も虚しく、増えるのは新たな同じ感触ばかり、増える掌は右肩左肩から右手左手の爪先へと這うようにして同時に広がっていく。


 最早どんな境地の至った僧侶でも耐えられないだろう。いつしか思考回路は消滅し、脳を構成する器官が片っ端から死んでいく音がしたような気さえした。


 そしてそこから幾数分。


「はい、三国くん、お疲れさまでした!」


 とザバリと水の流れる音で自分の身体が綺麗になったことは理解出来たが、そこに俺の意識など最早なし。


 完全になすがまま水着の美女たちに引かれて連れて行かれてしまうと、どうやら温泉へと浸かったようであった。


「おおこれは……疲れた身体に染み渡る良いお湯ですね」

「一応銀泉ですので、色々と効能はあると思います」


「いやあ本当に贅沢な温泉だねえ、天気もいいし、極楽かな」

「昌芳くん、お湯加減は如何ですか?」


「ふぁい……」


 俺を囲むようにして口々に話をしているが、どうにも声が届いて来ない。


 かろうじて異様に皆との距離が近いことだけは分かるが……お湯加減? どうだろう、特に熱くも温くもないというか――


「三国先輩? 随分とお顔が赤いですが……大丈夫ですか?」

「少し熱いからでしょうか、三国さんあまり無理はなさらないよう」


「…………」

「昌芳くん……?」


 いや、しかし皆が楽しそうにしてくれているのであれば何よりである。


 皆が啀み合わずに旅が終わってくれれば、それが一番なんだけどなぁ……。


「…………んん?」


 そんなことをぼんやりと思った途端、急に視界が白くなり始め、黒芽先輩と川西に捕まっていた時は違う、身動きの取れない感覚に襲われ始める。


 腕で岩も支えきれない……おや、まさかこれは。



 と思った時にはブラックアウトしていた。

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