第60話 天国という名の修羅場
「ごめんなさい……でも昌芳くんに塗って欲しいんです」
露天風呂の岩が敷かれた床にタオルを敷くと、そこでうつ伏せになった黒芽先輩はお胸様を包み隠していた背中の紐をシュッと外した。
「く、黒芽先輩……幾ら何でも露天風呂でサンオイルを塗るのは……!」
手で顔を覆いつつ俺はそう答えるが、指の隙間から黒芽先輩の横胸様を凝視してしまう、な、なんてけしからん……。
「でもサンオイルは一人では塗れませんから……大丈夫です。私は昌芳くんになら何処を触られても……何ならココも塗って頂いて――」
「うぐぐ……そ、そこまで言うのでしたら――」
「三国先輩!」
頬を赤らめ、恥ずかしそうにしながらもそんなことを言う黒芽先輩に完全に欲が負けかかっていると、背後から川西の声が聞こえてくる。
「か、川西……! い、いや違うんだこれは――」
「そんなことより先輩、私の名札が取れかかっているんです……あ、あの、付け直してくれませんか……?」
「つ、付けてって……そのまま……!?」
振り向いた先にいるスク水姿の川西は俺の所まで駆け寄ってくると張り裂けんばかりの『川西』の文字がほつれて取れかかっているのを見せてくる。
「はい……その、私裁縫は苦手なので……先輩に……」
「い、いやでもそのままは危ないって……」
「私、先輩にでしたら触られても……嫌じゃありません……」
「そ、そういう意味じゃなくて……針とか使うし怪我って意味で……」
「あ、そ、そうでしたね……じゃあ脱ぎます」
「いやいやいや! なにサラっと凄いこと言ってるの!」
「三国くん!」
本気で脱ごうとする川西を必死で留めていると今度は横から山中の叫び声。
最早嫌な予感しかないが一応振り向くと、あろうことか彼女は手ブラ同然のような格好で俺の方へと近寄ってきていた。
「水着が温泉の波に攫われちゃって……三国くん助けて」
「そんな状況があり得るのか……?」
いやしかし現に温泉の水面には山中の水着が漂っている。でもおかしいな……川西の別荘の温泉ってこんなにデカかったっけ……?
「三国くん……取ってくれたら私、何でもするから……」
「な、何でもだと……?」
「三国さん」
手で胸を隠した状況でうるうるとした表情が妙に扇情的で、しかも何でもというワードに完全に取り乱されてしまっていると――今度は正面から服部さんの声。
「こ、今度はなんですか……」
「三国さん、水着のゴムが緩んでいますよ」
「え?」
そう言われて視線を降ろすと、確かに海パンのゴムが緩んでおり、しかも少しズレてしまっている、これは恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます……いや助かりました。ではこのままという訳にはいきませんし、そろそろお風呂から上がりましょうか……」
「いえ、私が直します」
「は!? いや大丈夫ですから! だから水着を掴まないで……」
「はあ……はあ……心配いりません……これでも裁縫は得意なので……」
「そ、そういう問題じゃ――」
立て続けに起こる事態に何から手を付けていいのかも分からず、完全にパニックになるが、いつの間にか黒芽先輩も川西も山中も、怪しげな目をじっと俺に向け、何ならじりじりとその距離を縮めて来ていた。
「昌芳くん……」
「先輩……」
「三国くん……」
「はあ……はあ……」
「も、もう……限界だ……」
こうなったら……どうなろうが知ったこっちゃない……。
俺は人として最底辺へと落ちるぞ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!
◯
「――――――はっ!」
何かから引っ張り上げられるようにして目を開いた俺は、自分が仰向けになって天井を見上げていることに気づく。
この感覚以前も何処かで……と思いながら取り敢えず首を左右に傾けると、そこには黒芽先輩と服部さんの姿。
「……これも夢か?」
「現実だけどね」
「うおおっ!」
別に何一つして疚しいことはしていない(これが現実だとするならば)のだが、意識をしていない所からの声に俺は思わず飛び上がってしまう。
「な、何だ、や、山中か……」
「大丈夫? うなされてたみたいだけど」
「えっ、ああそうだな……全然身体は軽いよ」
「良かった――それなら体調は崩れて無さそうだね」
目一杯取り繕ってみせるが、山中は珍しく安堵と、しかし神妙さを崩せずにいるままの表情を俺に見せる。
ふと、周囲を見渡すとどうやら川西が充てがってくれていた部屋のキングサイズのベッドで眠っていたようであり、椅子に座っていた山中はコップを差し出す。
「はい、これ経口補水液、飲めそう?」
「ああ、助かるよ」
そう答えてコップを受け取ると、それをぐいっと飲み干す。流石に喉が乾いていたのか身体にじんわりと染み込む感じがした。
するとそこでようやく、徐々に記憶が掘り起こされ始める。
「ああ……もしかして俺、湯あたりしたのか」
「三国くんごめんね……体調悪いのに無理矢理連れ回しちゃって……」
「ん? いやそんなことはねえよ、寝不足なのは自業自得だし」
まあ寝不足が一番の理由ではない気はするけど、湯あたりをしたのは自分が要因なのだから山中が責任を感じる必要なんて全く無い。
「寧ろ楽しい旅行を台無しにしてこっちこそ申し訳なかった」
「そんなことは……」
そう言って明るく振る舞うものの、山中の表情はまだ暗い。
まあ……今すぐに気を取り直して、という訳にもいかないか。
窓の外を見てみるとまだ明るいが、空は朱色に染まりかけ、ひぐらしも鳴いている。恐らくもう夕方――となると気を失っていたのは数時間くらいか。
「ま、お陰で寝不足が少し解消されてラッキーって感じだよ、もう俺はもうこの通りだが――服部さんと黒芽先輩はどうしたものか……」
「ああ……そうだね……」
落ち込んでいていた山中ではあったが、その二人の名前を聞くと急速に顔を顰め始める。
まあね。この状況ならそりゃそうかという感じではあるが……。
だが、彼女から出た言葉は意外なものであった。
「ベッドはじゃんけ――いやアレだけど、服部さんも豊中先輩も、凄く心配して色々奔走してくれたから」
「え――? そっか、それは悪いことしたな……」
「衣服を変えてくれたのも服部さんだしね」
「えっ、そ、それは……」
「大丈夫大丈夫、ちゃんとタオルで身体は隠して、私達全員で見張ってたし」
「なにその死体見分」
とはいえ気を失った俺をここまで運んでくれたなんてかなりの労力だったに違いない、後で御礼をしないとな……と二人の寝顔を見ながら、ふと気がつく。
「あれ? そういえば川西の姿が見当たらないけど、何かあったのか?」
「ああ……実はそれもそれで今ちょっとした面倒事になっててね……」
山中は妙に歯切れの悪い感じでそう答える。
「まさか俺のせいで何かトラブルが……?」
「いや、というより三国くんが見つけた人が……と言うべきなのかな」
はて、俺が見つけた人……?
湯あたりで記憶が定かでないせいか、今ひとつその意味を見つけられずにいると、山中が意を決した表情で椅子からスクっと立ち上がると。
渋い顔でこう言うのだった。
「まあ……百聞は一見に如かずって言うしね、ご挨拶がてら行ってみる?」
「ご、ご挨拶……?」
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