第51話 独善的主従関係
「旅行……か」
人生において最後の旅行をしたのは恐らく小学生だった気がする。
あくまで学校行事を除けばの話ではあるが、それ程までに縁のないイベントであったとのは事実。
「そもそも親が共働きに加えて休日もあんまり関係ないしな」
小学校の時夏休みが終わった後に何故か『◯◯君はご家族の都合で5日間ほどお休みになります』と先生から言われたことがあっただろう。
親の都合で夏休みの後に休暇を取って海外に行く子供という奴だ。要するに俺はその類で小学校の時に何度かそれで家族旅行に行ったことがある。
しかし中学高校ともなればそうはいかない。それに俺も旅行より家でグータラしたい人間になっていたのでかれこれ5、6年は縁がなかった。
「しかし初の旅行が黒芽先輩と二人いうのは……」
最早彼氏彼女のデート旅行。しかもどんどん話も進んで行ってしまっているし、流石に素直に喜んで訳にもいかない……。
「保護者同伴にするとか……? いやでもこの歳になってそんな防御壁を準備するのはみっともなさしかない……」
一応蛍が羨ましがっていたから連れて行くのもアリかもしれないが、黒芽先輩の気持ちを分かっていてそんなことをするのもあまりに忍びないし。
「しかしやはり何があるのか分からな過ぎるのが……貞操を失うくらいで済むなら安いものだがもっと別の――――ん?」
なんてことを考えていると、自室の窓の外から何やら物音がしていることに気づき、椅子から立ち上がる。
一応この家は一軒家であり、俺の部屋は丁度玄関から真反対の位置に属しているのだが、反対側には川しか流れていない。
夏の勢いに任せて花火で遊んでいる野郎でもいるのかと思いながら、クーラーで締め切っていた窓を開けた瞬間だった。
「ぎええええええええええええええええええっ!!!!?? むぐぐ……!」
「さ、上尾先生、お入り下さい」
窓から出てきた人影に反射的に悲鳴を上げたのも束の間、瞬時に口を押さえつけられ、身動きも封じられてしまった俺は為す術もなく侵入を許してしまう。
「ふぁ、ふぁっとりさ……!?」
やっていることがあまりに忍の者過ぎて服部さんがハットリさんに見えてくる――いやそんなことを言っている場合じゃなくて!
だがそれに対する異議も唱えられずにいてしまっていると――俺の眼前に更に飛び込んできたのは、黒髪を夏風に靡かせた深窓の令嬢であった。
まあ深窓と言っても窓の外側で佇んでいる黒芽先輩なのだが。
「服部さん、昌芳くんに乱暴な真似はしないで」
「はい、申し訳ありません」
事態が想像の範疇を通り越し過ぎていて理解が追いつかないのだが、取り敢えずこの二人はどうやって二階から侵入して来たんですかね……。
何なら魔女なのかと思わせる出で立ちを見せる黒芽先輩はどういう方法でその場で立っているのかが謎過ぎる、マイクラかな?
「昌芳くんごめんなさい急に押しかけてしまって……その、お家に上がらせて頂いても宜しいでしょうか……?」
果たして人生においてこんなお邪魔の仕方を要求されたことがあっただろうか、というか服部さんは完全に入っているんですけどね。
とはいえここで丁重にお断りしておかえり頂けるような話でもあるまい……、身動きが取れない俺は首肯することでその返事をした。
「ありがとうございます……! そ、それでは――」
と、奇妙過ぎる形で黒芽先輩を招き入れた所で服部さんの拘束からも開放された俺は、如何ともし難い気分のまま口を開いた。
「あの……普通に玄関から入って貰って大丈夫だったんですけど……」
確かに蛍は家にいるが、まあ特に気にしないだろう。それに黒芽先輩に至っては一応親公認という話にはなっているようだし……。
「昌芳くんごめんなさい……あの、怒って頂いても構いませんので……」
「ちょっと嬉しそうに言わないで下さい」
黒芽先輩が厄介なのは怒られるのを望んでいる節すらある所である。いやだからといって怒らないけど、黒芽先輩じゃなかったら普通に事件だからね?
というか昼とはいえちゃんと窓の鍵は施錠しておいた筈なんだが――
「服部さん、周囲の警戒を怠らないように」
「イエス、ユア、ハイネス」
「二人共何があったんですか……」
どう考えても編集と作家の関係ではなくなっているのが――でもつい数日前は穏やかではない関係だっただけに増々訳が分からない。
「昌芳くん、窓からお邪魔したのには理由があるんです」
「正当な理由だといいんですけど」
「も、勿論昌芳くんのお顔が見たかったというのもありますが……」
「あ、私もです」
「服部さん」
「ご容赦下さい」
服部さん……?
「そ、その――実は私達の行動は可能な限り内密でないといけないのです」
「内密?」
「昌芳くんを巣食う魔物に嗅ぎつけられてはいけませんから――」
「ま、魔物……ですか」
俺からすれば決して魔物ではないのだが、大凡検討がつかないこともない、黒芽先輩は問答無用で敵視する側面があるし……。
それだけに服部さんの挙動が不審なのだけども、取り敢えず話を聞くことに。
「勿論一番の理由は取材旅行のお話をしたかったからです。あの、昌芳くんは何処か行きたい所はありますか?」
「え? う、うーん……やっぱり近場とか……ですかね」
「! そ、そうですよね! 昌芳くんと同じ考えだったなんて……嬉しいです」
「? いや……こ、こちらこそ……」
「そこでなんですが、実はここが良いのではと思っていまして」
「ここ……? ああなるほど」
黒芽先輩が床に広げたパンフレットにあったのは近場の温泉街だった。
まあ近場と言いながら滅多に行かない地ではあるのだが、割と有名ではあり、癒やしという名目で見ればかなり良い選択肢だろう。
取材という名目では上尾先生は一体次はどんな作品を……? と思わなくもないが、都心からも然程離れてないので幾らでもやりようはある。
「凄くいいですね、距離を考えてもベストだと思います」
「本当ですか……! ありがとうございます!」
流石に海外と言われたらどうしようと思っていただけに、この距離は安堵感すら覚えてしまう、これならいたずらに心配を増やすこともない。
それに理由は不明だが服部さんも付いてくる? (仕事の面は気になるけど)みたいだし、事情を知っている存在がいるのも心強い。
「で、では諸々の準備は全て私が行いますので――日にちは恐らく週末の金曜日の朝になると思います。なので当日昌芳くんはこのお部屋にいて下さい」
「……へ? それってまさか――」
「私が三国さんのお家の裏側に車を用意致しますので、申し訳ありませんが窓から移動して頂くことになります、ウィンドウ・トゥ・ドアです」
「いやそのやり口は完全に誘か――」
「昌芳くん」
「は、はい」
「絶対に楽しい旅行にしますので――どうか宜しくお願いします」
そして見せられる屈託のない笑顔に、流石に俺は何も言えなくなってしまう。
ううむ……旅行一つにここまでグレーを貫かれては不安しかないのだが、意外と大丈夫かも、と思ってしまっている自分がいるのもまた事実。
だが、こういう時は大体『この軽率な考えが後に』となるパターンが殆ど、やはりなるべく服部さんとは連絡は取るようにした方が良いかもしれない――
「…………」
とはいえ、二人して窓から帰っていく姿を見ていると、やはり信じるべきは己のみと、思わずにはいられない俺なのだった。
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