第50話 可愛い子には旅をさせよ

「あら、めぐ、どうしたのそんなに血相変えて、お菓子食べる?」

「あ、うん、食べる」


 猛然とリビングに突進をかけてきたお姉ちゃんではありましたが、母に手渡されたクッキーを手に取るとそのままパクリと食べました。


「あ、美味しい」

「でしょう? お隣さんが海外旅行に行ったみたいでお土産にってくれたんだけど、丁度いい甘さでついつい手が伸びちゃって」


「もう一個貰っていい?」

「どうぞ~、あんまり食べ過ぎてもお母さん太っちゃうから」


「って! そうじゃなくって!」

「わっ、びっくり」


 強烈な既視感を覚える光景ではありますが、実は我が家ではごくりありふれた光景だったりします。


 流石に私とお姉ちゃんが一緒にいる時はありませんが、母は良いと思ったものを同じような文言で私達に勧めることが多いのです。


 それに加えて姉妹、というのもあるのでしょう。性格は真反対なのに何故か反応が似たりよったりになるのでこうなってしまいがちでして。


「お母さん旅行なの旅行! 何であっさりりんの旅行を許可してるの!」

「? 別にいいじゃない旅行くらい、めぐだってしてるでしょ?」


「そ、それはまあ……私は大学生だから」

「それはそうだけど。でもちゃんと近況報告はするって言ってるんだから心配いらないわよ、めぐは相変わらず心配性ねえ」


 これもまたいつものことなのですが、母はほんわかしていると言いますか、とてもマイペースに会話を進める人です。


 ただ、取り留めのない会話ならいいのですが、ちょっとしたトラブルが起きるとこのマイペースは非常にやり難いものがありまして……。


 その割に的確に物事の芯を突いてくるので私達姉妹はいつも苦戦を強いられます、なので今この時ほど母が味方であるのを心強いと思ったことはありません。


「た、確かにそこだけを聞くと問題はないかもしれないけど……でもりんは大事なワードを口にしてないことが良くないの!」

「大事な……? りん、何かお母さんに隠し事してるの?」

「う……」


 お姉ちゃんに向いていた母の視線がぐるりと私の方へ、優しい微笑みは崩れていませんがそれが逆に少し怖く感じてしまいます。


 で、ですが、私はここで屈する訳にはいきません。


「な、何も隠し事なんてしていません……ただお友達と旅行に行きたいというだけの話で……それ以上でも以下でも……」

「別に普通のことよね、めぐはそれの何処が隠し事っていうの?」


「お母さんよく訊いて……りんはきっと男と旅行にいくつもりなの!」

「きっと?」


「え、た、多分……」

「may be?」


「め、めいびー……」

「じゃあ本当かどうなんてわからないじゃない、りんにちゃんと聞いたの?」


 お姉ちゃんには三国先輩のことは一度も言っていないのであくまで匂いだけの推測に過ぎません、それでもかなりの鋭さではありますが。


 しかしそこは流石に母親、と言った所でしょうか、お姉ちゃんのことをよく分かっているようで僅かな隙を瞬時に突いてきました。


 ですが、お姉ちゃんも中々引き下がりません。


「く、詳しくは聞いてないけど……で、でも否定もされてないし、何よりりんの布団からはお父さんとは違う男の匂いがしたから!」

「お父さんの匂いがしたら洒落にならないけど、でも布団?」


「そうなの! あのりんの布団から男の匂いがしたの!」

「でも何でそれをめぐが知ってるの?」


「え? りんの布団嗅ぎたかったから」

「え?」


 部外者ではないのに第三者の視点で話を聞いていると何だか妙に恥ずかしくなってきました、顔も赤くなっている気がして思わず俯いてしまいます。


 ただ母はそれ聞いても特に驚いた様子はなさそうでした。


「ま、まあそんなことはいいの! つまりねお母さん、りんは旅行と言っても男と行くつもりなの! これは紛れもない不純異性交遊なの!」

「ふうん」


「ふうんって……お、お母さん――」

「りん? その旅行に行くという友達の中には男の子はいるの?」


 お姉ちゃんの発言が色々飛躍し過ぎているように聞こえたのか、母は途中で話を打ち切ると真に迫る質問をして来たので、私は口籠ってしまいます。


 い、いえ口籠っている場合ではないのです。三国先輩とも行くつもりだと言わなければ真の意味で許可を貰えたとは言えません。


 それにここで嘘をついてでも否定をしてしまえば、後で家族会議になってしまいかねません、同じ轍は踏んではいけないのです……!


「…………」


 し、しかし母にそれを伝えるのは非常に恥ずかしいもので……喉の奥が熱くなって言葉を出したくとも出せずにいてしまっていると――


 母はすっと立ち上がると私の下に近づき――突然私の頬をぷにっと両手で触ったのでした。


「ふぇ……お、お母さん……?」

「あらあら、こんなに顔を真っ赤にして、貴方恋をしているのね?」


「えっ! え、ええと、そ、それは……」

「まあ! なんて可愛い愛娘なの!」


「へっ……?」


 てっきり怒られるのかと思っていたのですが、母はとても嬉しそうな表情を見せると私の身体をギュッと抱き寄せて来ました。


 こんなことを母に言うのもなんですが、胸が大きいので顔にグイグイと当たって少し息苦しくなります、し、しかしこれは……。


「そういうことならちゃんと言ってくれれば良かったのに~! 大好きな人と旅行がしたかったのならお母さん大歓迎よ!」

「はっ!? ちょっとお母さん何を言って――!」


「何を言っているもないわよ。いいめぐ? 大人しかったりんが好きな子と一緒に旅行に行きたいって言ってるのよ? こんなに嬉しいことはないわ!」

「ぐ、それは……」


「それに昔から可愛い子には旅をさせよと言うでしょう? この子が小さな殻を破って懸命に羽ばたこうとしているの! ならそれを見守ってあげるのが母の役目というものよ! 嗜めるなんてとんでもない!」

「お、お母さん、ということは――」


 最早訊くべきことはでなかったかもしれませんが、それでも逸る気持ちを抑えきれず私は尋ねると、母は優しく微笑んでこう言ってくれました。


「りん、旅行、楽しんで行ってきなさい。例え上手く行かなかったとしても後悔するんじゃなく、次に活かすようにするのよ?」


「は……はい! ありがとうございます……!」


「わ、私の愛すべきりんが……」


 お姉ちゃんの乱入によって反り返り立つ壁と化したハードルではありましたが、母の力強いバックアップによって無事乗り越えられたのでした。


 ……本当に、今度こそホッと一安心です。これで皆さんと――三国先輩と旅行に行けるかもしれないという算段が立ちました。


「おおまいが……」


 すぐ側で打ち拉がれるお姉ちゃんには申し訳無さを覚えますが……、ですが豊中先輩やつぐ先輩に先を越されたくはありませんので……!


「私……頑張ります……!」



「ふ、ふふふ……で、でも私は……私はまだ諦めないから……」


 ……? 何だか一瞬お姉ちゃんが不敵な笑みを浮かべて何か呟いたような気がしたのですが、気のせいでしょうか……?

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