第49話 敵に味方あり身内に敵あり

「昌芳くんと……旅行……」


 これはかねがね私がしたいと思っていたことの一つでした。


 学校行事等は留年をすることで活路を見出すことに成功はしました。まあ、現状はまだ論理的に説き伏せている真っ最中ではありますが。


 しかしそれ以外の物事は別に留年をしなくとも可能なのです、そういう意味では夏休みは目一杯昌芳くんの側にいれるチャンスでもあります。


 作家の利点は原稿さえ書ければ何処にいてもいいということです、実際月の半分を旅行しながら執筆する方がいるそうですし。


 無論私は昌芳くんと過ごす時間を原稿に囚われたくはないので、事前にほぼ全て終わらせてから向かうつもりではありますが。


「問題は――私と昌芳くんの二人きりには限界があるということです」


 服部さんに言われるのは癪ですが、高校生という縛りはなにかと物事を不便にします、海外はまず難しいですし、国内でも長期となれば通報、なんてことも。


「私は問題無くても昌芳くんのご両親を心配させる訳にもいきませんし……」


 本来ならは夏休みが終わるまでずっと昌芳くんといたいです。ただそれはそれは私の家であっても不可能でしょう。


「となれば最低でも一泊二日、可能でも二泊三日が限度でしょうか」


 だとすればその間に出来ることは全てしてあげたいです、加えて邪魔者は誰一人として介入させたくありません。


 図書室の女や同級生など以ての外、服部さんは密告を盾に上手く利用することも出来なくもないですが……。


「何か良い方法はないのでしょうか……」


 ただ暑いだけで鬱陶しいものでしかなかった夏を、昌芳くんと一緒にいることで全てを美しい青春の色に塗り上げることが出来る。


 ですが一つ間違えば――それは夕暮れの豪雨へと姿を一変させる。


 物語のように、作者の匙加減で都合よく進めることは出来ないのです。


       ◯


「どうしましょうか……非常に困ったことになりました……」


 私は自室の椅子に座って珍しく頭を抱えていました。


 こういう時は本を読みその世界に沈み込むことで心を平静に保つのが一番いいのですが、今はその時間すら残されてはいません。


 もしつぐ先輩の言うことが正しいのであれば、豊中先輩は近い内に三国先輩を雲隠れにしてしまう可能性があるということです。


 それは彼女に大きなリードを許してしまうことを意味します、それは誰の目から見ても豊中先輩の勝利を意味するでしょう。


 自分の歩幅で、とはいいましたが、布団という武器がない以上新たなものを探すしかありませんし、ですがそれすら使えなくなるのは最悪とも言えます。


「やはりつぐ先輩の言う通り、裏をかく行動に出るしか……」


 そう、今はそれしか手段がないのです、幸いつぐ先輩が一時的な共闘関係を提案して下さっているので、一人で慌てふためくことはないと思います。


 ただ――


「旅行に行くというのを、果たして私は許して貰えるのでしょうか……」


 見ての通り、私は今まで遠出をしたり、誰かのお家に泊まったりといった経験を一度もしたことがありません。


 流石に家族で旅行に行ったことはありますが、親族以外では皆無というのが正直な所です、まあそういう方のほうが多いと思うのですが……。


 ですから、親に旅行をしたいなんて言ったら卒倒されそうです……。


「ですが悩んでいる暇はありません。先輩の連絡先を教えて貰える以上、旅行の許可を得られるかだけでも確認をしないと……」


 私は決意を新たに収まることのない緊張感と闘いながら自室の扉を開けると、階段を降りリビングへと向かいました。



 リビングに辿り着くとそこでは母が一人で珈琲片手にバラエティ番組を見ていましたが、私の存在に気づくとふっと微笑んでくれました。


「あら、りんどうしたの? お菓子食べる?」

「あ、頂きます」


 テーブルの上に置かれたクッキーを手渡されたので私はそれを口に運びます、甘すぎず、かといって薄味でもない絶妙なチョコの味が舌を優しく刺激します。


「おいしいですね、このクッキー」

「でしょ? お隣さんが海外旅行に行ったみたいでお土産にってくれたんだけど、丁度いい甘さでついつい手が伸びちゃって」


「あ、もう一個貰ってもいいですか」

「どうぞどうぞ、あんまり食べ過ぎてもお母さん太っちゃうから」


「って! そうじゃありませんでした!」

「わっ、びっくりした」


 自分の親を褒めるというのは少しこっ恥ずかしいものがありますが、私の母はとても美人です。


 気品が漂っているといいますか、ミドルくらいの髪型にカールが掛かっており、とても温厚そうな、柔和な顔立ちをしています。


 それでいて非常に社交的といいますか、交友関係も広いそうで、そういう部分の遺伝はお姉ちゃんに受け継がれたんだろうなといつも思っていて。


 ――と、そんな話をしている場合ではありませんでした。


「なあにりん? そんな大きな声出しちゃって」

「あ、ご、ごめんなさい……そ、そのりょ、旅行なんです」


「旅行? あーそういえば今は夏休みだもんね。そうねえ、ここ数年行ってないし、お父さんにお盆休み空いてないか訊いて――」

「そ、そうじゃなくて……あ、あの実は私……お、お友達と……」


「お友達? りん、もしかしてお友達と旅行に行くの?」

「あ、あくまでよ、予定……ですけど……」


「まあ!」


 お隣様の海外旅行に乗じてつい勢いで言ってしまったので、急な話に怒られるじゃないかと少し恐々としていたのですが、母はとても嬉しそうな表情を浮かべると両手をポン叩いて声を上げたのでした。


「りんがお友達と旅行に行きたいだなんて! 凄く良いと思うわ! そんな言葉を貴方から聞ける日が来るなんてお母さん嬉しい~!」

「え、あ、あの」


「あんまり遠方だと心配しちゃうから諸々相談した上で、の話にはなるけどね。ああでも別荘を使うのは悪くないかしら」

「お、お母さん!」


「あら、ごめんなさい一人で舞い上がっちゃって」

「い、いえ、あのえっと、つまりあの、旅行はしても……いいんですか?」


「勿論じゃない! りんが一緒に旅行をしたいと思うお友達ならお母さん大歓迎よ、楽しい夏の思い出を作ってくるといいわ」

「……!」


 まさかこんなにもあっさり許可を貰えるなんて思ってもおらず、私は嬉しいと同時に驚いてしまい、うまく声を出せなくなってしまいました。


 で、ですが、母から公認を得たのであれば一番の障害をクリアしたことになります――ああ、ホッとすると足から崩れ落ちてしまいそうです。


「一応お父さんにも訊いてはみるけど、まあ心配はいらないわ。ただちゃんと予定が決まったら教えて頂戴ね」

「は、はい! お母さんありがと――」


「お母さん待って! そこには重要なワードが抜けているわ!」


 と、安堵したのも束の間。


 私は親という壁以上に高い、鉄壁の城塞の如く強固な壁があることを、すっかり忘れてしまっていたのでした。


 そうでした――私はこの最大級の壁を乗り越えないと、外の世界へ出ることは出来ないのです……!



「お、お姉ちゃん……!」

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