第48話 恋する乙女は良いものだ

「へんひゅうしょう……ひゃすみを……ひゃすみをくらさい……」

「服部、飲みすぎだ」


 頭は至って冷静ではあるのですが、どうにも呂律が回らないでいると、目の前にいる上司に肩をポンと叩かれ窘められました。


 彼女の名は曽根真悠子そねまゆこ編集長、私の所属する編集部のトップであり、私よりもよっぽどキャリアウーマンと呼ぶに相応しい方でもあります。


 年は私よりも更に一回り上……くらいだったと思いますが、劣化など微塵にも感じさせない美貌は、まだまだ女を捨てるつもりはないのでしょう。


 まあ精々エステに通い詰めてヒアルロン酸でも打ち倒しているのでしょうが、そうでなければ吸血鬼としか思えません。


「あと3週間踏ん張ればお盆休みに入るのだからそれまでの辛抱だ、休みを取らせてやりたい気持ちは山々ではあるが……」

「ほんらこといってひゅうきゅうなんへいっひょうとれないらしょ」

「服部、せめて日本語を喋って貰わんと会話にならん」


 月に一度あるかないかの仕事の早終わりに乗じて、加えて明日が休日ということもあり、私は珍しく曽根さんを誘い夜の街へと繰り出していました。


 小洒落たお店で仕事の話をしながらお酒を煽り、気づけばもう三軒目、終電も目前に迫っているのにどうやらバーのカウンターで私は酩酊模様。


「しかし服部が休暇を求めるなんて珍しいな」

「わらひくらいやひゅみをもとめるころくらいありまふ」


「それをいかんと言っている訳じゃない、ただお前は何も不平を述べること無く黙々と仕事をこなす人間だったからな」

「そりゃしおとをこいひととおもっへやっひぇひまひたからね」


「ははは、そう思ってしまうのはまだお前には早いよ」


 曽根さんはそう笑うと度数の強いカクテルに口をつけます。


 昔から思っていたことですがこの人は本当にお酒が強い、きっと若い頃はモテたのでしょうがこのお酒の強さでは男は太刀打ち出来ないでしょう。


 女の子というのはやはり酔ってナンボというものです、しかしそれを好きな人間以外の前でするのは節操の無いことですが。


「しかしお前は本当によく頑張っている。忙しい中上尾先生の担当になっても進行を遅らせず、彼女を看板となりうる作家へと成長させたのは凄いことだよ」

「ふぁい、ありがとうごさいまふ」


 曽根さんにお褒めの言葉を頂けるのは光栄ではありますが、とはいえ同時に中々厳しい人でもあるのであまりに素直には喜べません。


 社会人にもなって何をと言われても致し方ありませんし、飴と鞭を使い分けられるだけ十分素晴らしい上司なのですが、私はもっと甘やかされたいのです。


 具体的に言えば三国さんに偉いね頑張ったねと言われたいのです。


「だが服部の頑張りを鑑みれば休みを与えたい気持ちがない訳でもない、それも酒の勢いに任せられてはな。何か理由があるのか?」

「へんひゅうしょう……わらひは……こひをしているんれふ」


「ほう! それはとても良いことではないか」

「ふぉいといふのはおんなをよりつひょくするのれです」


「うむ、確かに恋は素晴らしいものだ。最早ドーピングと言ってもいい」

「それふぉはひねんふりのふぉいれす」


「8年ぶりか、随分と期間が空いているな、以前はどんな恋だったんだ?」

「……? いあつひあっれはないれふけど」


「?」


 確か大学生くらいの頃の話だったと思いますが、同じサークルの先輩を一度気になっていた時期がありました。


 当時の私は今よりも更に地味で、当然ながら彼には歯牙にもかけられていませんでしたし、人当たりの良い方でしたのでよくモテていらっしゃいました。


 今にして思えばそんな雰囲気に呑まれていたのでしょう、一方的にモテる彼に不満を覚えた私は一重に蛮族的な行為に走りました。


 まあその最たるものが自宅侵入という奴です、当然ながら警察を呼ばれかけ、サークルも追放されたので、完全に奇人変人犯罪者となりましたが。


 それ以来心を入れ替えた、というのは言い過ぎですが人間とは恋をしないと心に決め、今の今まで仕事に没頭してきたのです。


 ですが――やはり女の子は人に恋をする生き物なのです。


「まあ……あれれふ、このままれふといきおくれるんれす」

「成る程……そう言われると私としても敵わないな」


「ししゃもえんひょりなんれす、これはひひょうにまるいんれす」

「遠距離だと? まさか担当の先生か誰かか?」


「……いへ、そのごゆうじんれす」

「ほう、そういう縁もあるのか」


 別に嘘は一切ついていないので何の問題もありません、まあそれ以上掘り下げられると色々と洒落になりませんが。


 しかし幸い曽根さんは「それは大変だな」とだけ呟くと度の強いカクテルをぐいっと飲み干しバーテンダーに次のカクテルを注文しました。


 私は酔い醒ましにチェイサーで水を飲みつつ、乾物を口に放り込みます。


「しかしそうなると、確かに日々の仕事をこなしつつでは無理があるな」

「そうなんれす、だから休みがふぉしいのです」


「今の時代スマートフォン一つあればそれなりにやり取りも出来るが、やはり直接会うに勝るものはない、そうだな――」


 曽根さんはスケジュール張らしきものを鞄から取り出すとペラペラと確認をし始めます。そしてややあってびっしりと詰まったその予定とにらめっこを終えると、私の方を向いて口を開きました。


「服部、休みが欲しいのいつ頃かな?」

「へ……? は、八月の上旬くらいに、休日と合わせて4日ほろ」


「ふむ、進行具合は大丈夫そうか?」

「そう……れすね、問題ないです、最悪休みのあいらもやります」


「いいやそれは駄目だ。想い人との時間に仕事を挟ませるつもりはない、急を要する場合は私が対応する、それ以外滞りなく終えられるのであれば、の話だ」

「? ……へ、編集長……それってまさか……!」


 私は一気に酔いが覚めた気がして、つい曽根さんに対し前のめりになります。


 そして、そんな私を見た彼女は優しい笑みを浮かべると、こう言うのでした。


「仕事に恋に頑張る乙女は美しい、偶には思いっきり羽根を伸ばしたまえ」


 お、おお……! 何ということでしょう、到底無理なお願いをしていると分かっていただけに、そんな慈悲を頂けるとは思ってもいませんでした。


 まさか曽根さんがここまで恋に理解のある方でしたとは……いつも猫背になりがちだった背筋がぐぐっと伸びる思いがします。


 まさに僥倖。これで私は保護者同伴という名目を手にすることに……!


「三国さん……いま会いにゆきます……!」



「ん……? 三国……? はて、何処かで聞いたことのあるような」

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