第2章

第46話 本日モ晴天ナリ

「な」

「つ!」

「や」

「す!」

「み」


「夏休みー!」

「喰らえ! フルハウス!」


「フォーカード」

「え?」


「フォーカード」

「あ、はい」


 夏休み、それは学生にとって神より与えられし至福の一時。


 それは無論俺にとってもそうである、毎日昼前までぐっすり眠り、起きたらこうしてゲームに興じる、ああなんと幸せなことか!


 帰宅部って本当に最高だとつくづく思わざるを得ない、何が悲しくてこの夏休みに学校で運動に励まなければならないのか。


 いや、しかしそれもまた青春の1ページ、そこを否定するつもりはない。だが俺は家で朝からガンガンにクーラーをかけ、アイス片手にゲームをしている方がよっぽど性に合っている。


 まあ早速妹である蛍にオールイン勝負で敗北を喫し、ハーゲンダッツの権利を奪われる直前まで追い込まれているのだが。


「それにしても兄はこの時期はホント生き生きしてるね」

「当たり前だろう、宿題だけは面倒だがこう見えても面倒事はさっさと終わらせるタイプだからな。二日後にはゆっくり夏休みを謳歌するつもりだ」


 だからといって成績が良いという話でもないが、その話は置いといて。


「宿題ねえ……なんかもう聞いてるだけで憂鬱になってくるワードだよ」

「学生の本分ではあるが、楽しくなけりゃ地獄でしかないからな」


 勉学を楽しめる人間こそ学業の覇者となれるのかもしれないが、そんなことよりゲームやら読書が楽しい俺には到底無理としか思えない。


 勉学がそれを上回る日など果たしてくるのだろうか、いや来ないな。


「お前は部活動もあるから余計に時間がないだろうしな」

「まあね、でもそういう兄は今年の夏休み、果たして時間はあるのかな?」


 やけにニヤニヤと表情を浮かべた蛍は、そんなことを言いながら俺から奪い取った山盛りのチップの一部をじゃらりと中央に置く。


 それと同時に俺は手元の二枚のトランプを確認、ポケットエース、よし……これならまだハーゲンダッツの権利を取り返すチャンスがある。


 ポーカーフェイスを装いながらも、俺は蛍の言ったことに対し返答する。


「どういう意味だよ?」

「そりゃあ勿論、それ以外の意味があると思うならって話だけど、やっぱり夏休みはイベントが盛り沢山だからねえ」


「イベントな――確かに盛り沢山ではあるが――レイズ」

「まさか『俺には全く縁のない話だ』とか言うつもりはないよね? ――コール」


「そうだなぁ……もし縁がないって言ったらどうなる? ――レイズ」

「んー? 今の状況からよくそんなこと言うね、しばくぞ、かな――コール」


「妹の口の悪さが大いに心配」


 とはいえ実際本当に何一つお誘いは来ていないのだからそう言う外にない。


 二年生となった一学期、俺は三人の美少女とお近づきになった。


 山中棗、川西凜華、豊中黒芽――全員が俺にはとても勿体ない人ばかりであり、俗に言う所のモテ期というものに突入したのである。


 平々凡々と家でグータラするのも勿論楽しい、だがこの未知なる経験は俺の人生に新しい色を塗り込む程の大きな転換期にもなった。


 今はその色を、俺の人生という名のキャンバスにどう綺麗に彩るかを模索している真っ最中、だが色があまりに個性的過ぎる為塗り間違えると一瞬で汚くなる諸刃の絵の具といっても過言ではない。


 そんなにっちもさっちもいかない一学期を、俺は過ごしてきた訳なのであるが……彼女達からの夏休みにお誘い的なものは全く無かったのである。


「まあでも案外、そういうものなのかもな――レイズ」

「? コール」


 山中は確か部活動があった気がするし、川西は――どうなんだろう、あまりアウトドアでは無さそうだからイベント的なものに興味はないのかもしれない。


 黒芽先輩に至ってはこの数ヶ月で上尾藍という名が本読み好きの範疇を超えて一般の人にも浸透しつつあり、増々忙しくなっているという話を聞いている。


 今やどの書店に赴いても彼女の本は置いてあるのだから、その内100万部突破なんて踊り文句が出てきてもおかしくないだろう、彼女はそういう立場だ。


「はー……俺の将来って……どうなってるんだろうなぁ……レイズ」

「え? ヒモじゃないの? ――オールイン」


「馬鹿いえ、いくらダラダラしている俺でも流石に適当に夢だけ語って小遣いせびるような男にはならんぞ――って、オールイン?」

「うん、オールインだけど」


「…………コール」

「はいフォーカード」


「……負けました」

「兄っていいカード引いた時、絶対口角上がるよね」

「え、マジで」


 俺カモ過ぎるだろ……ああハーゲンダッツが……じゃなくて。


「ま、いずれにせよ今の所は本当に何にもねえよ。だからって俺から誘うのも変な話だしな……何もなけりゃ家でダラダラ過ごすだけだ」

「ふうん……? それこそ嵐の前の静けさって感じな気がするけど――おっと、噂をすればチャイムが」


「多分俺の注文した奴だ、夏を有意義に過ごす為に色々買ったからな」

「兄ってそんなにお金あったっけ?」


「お前は散財を厭わないかもしれないが、俺は毎年得たお年玉をここぞというタイミング以外では使わないタチでな、結構溜まってるんだよ」


 これでも俺の口座には数十万程度の額はちゃんとあるのだ、黒芽先輩から見れば微々たる金額かもしれないが。


 何にせよ長い休みはやるべきことが山のようにある、とても日々のお小遣いでは足りないのだと判子片手に階段を降りた意気揚々と玄関を開けた。


「お待たせしました――いつもご苦労さまで――」


「あ、昌芳くん! お気遣いありがとうございます……でも私は昌芳くんなら何億光年待たされてもその時間を苦とは思いませんよ」


「三国さんご無沙汰しております――おや、その判子は私が持ってきた婚姻届に押印して頂けるという意味でしょうか」


「服部さん何故そんなものを持ってきているんですか、手出しはさせないと言いましたよね大体どうしてここにいるんですか」

「婚姻届を常に持ち歩くのは淑女の嗜みですから、あと本日も出張です」


「出張多過ぎませんか、不必要に経費を使ってると密告しますよ」

「勘弁して下さい」


 ……うむ、どうやら本日も阪急宝塚戦線は異常なしのようだ。


「ええと……黒芽先輩こんにちは、あとは服部さんもお久しぶりです――お仕事の途中……ですかね」

「いえ、違うんです。その――実は昌芳くんをお誘いにと思って……」


「? お誘い……ですか?」

「はい、取り敢えず私、そこのラブホテルを取っているのでお誘いをと」


「服部さんは黙ってて下さい、通報します」

「許して下さい」


 ……何というか、前見た時はこの二人もっと淡々とした間柄って印象だったけど、服部さんの言う通り本当によく話をするようになったんだな。


 まあ……あまり建設的な風には見えないけど。


 そんな状況をぼんやりと見ていると、あからさまにしょぼくれた服部さんをよそに黒芽先輩はいつもの優しい笑顔に戻り、俺にこう言うのだった。


「えっとその……お誘いというのは――昌芳くんと取材旅行したくて……」

「しゅ、取材旅行……?」


「はい! 勿論お金は全て私が出しますので、そ、その是非ご一緒に――」

「成る程、ですが未成年が二人で旅行とは羨ま――けしからんですね、保護者同伴で私が着いて行った方が、いえ行かないといけませんね」

「仕事しろ」


 黒芽先輩と……旅行……?


 てっきり誘われるにしても花火大会と思っていただけに、まさかの旅行の二文字に思わず面食らってしまう。


 ……行きたいか、行きたくないかで言えば勿論行ってみたい、しかし彼女の言葉が意味するのは勿論二人で、という意味であろう。


 そう思った瞬間、頭をよぎるのはあの未遂事件――


 ……どう考えても大丈夫ではい、だが断りを入れる理由も――


「…………」


 思考が落ち着かなくなり始め、加えてじりじりと照りつける日差しに呼応するようにして鳴り響く蝉時雨が、徐々に二人の声を遠ざけ始める。


 そんな中で唯一聞こえたのは、背後から様子を見に来た蛍の「え? また増えてない?」の一言だけであった。

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