第43話 川西家の平凡な日常

 休日の雨の降りしきる日は、読書をするに限ります。


 雨音は雑音にはならず、心地よいBGMのような役割を果たしてくれますので、自然と読書ペースも早まり、気づけば5冊目を読み終えてしまっていました。


「ふう……流石に少し読み過ぎてしまいました」


 本というのは素晴らしいものです。漫画も勿論嗜んだりするのですが、小説の良い所はまるでその世界に自分がいるかのような錯覚に陥られることです。


 人物と自分を重ねて読むからでしょうか、この点は人によって違うようですが、どうやら私はそうやって読んでしまう癖があるようです。


 机に置いてあった、冷めきった紅茶を手に取ると、私は喉を潤します。


「りんー? またなんか届いてるんだけどー?」


 すると自室の扉がコンコンと叩かれ、お姉ちゃんが大きめの箱を持って入ってきました。


「あ、お姉ちゃん、ごめんなさい部屋まで持ってきてくれて」

「かわゆい箱入り妹の為でござんすからね、気にせんでよいよい」


 私のお姉ちゃんの名前は川西恵かわにしめぐみと言います。


 年は私より4つ離れていて、今は大学2年生。


 大学生らしい、という表現はあれですが髪は明るめの茶色に染まっていて、首下まで伸びた髪型に、活発な明るい表情をしています。


 例えるなら……つぐ先輩が大学生になったらこんな雰囲気になりそうでしょうか、昔から私とは対極とも言えるくらい、とても明るい性格をしているのがお姉ちゃんです。


「それにしても何が入ってるのこれ? 結構重みがあるけど」

「あ……えっと、それは枕です」


「枕? そんなのお母さんに言えば買ってもらえるじゃん、合わないの?」

「え、ええと……まあそんな感じで……」


 お姉ちゃんは私とは正反対の世界を生きている人ですが、基本的に姉妹仲は悪くないと思います、寧ろ面倒をみ過ぎてくれる一面があるというか……。


 なので、三国先輩のことに関しては到底口にすることは出来ません、先輩の身になにかあってからでは遅いですし……。


「まあ良質な睡眠が日々の活動に重要とは言うしねー――でもその割には色々と寝具を買い過ぎているような気がするのはお姉ちゃんの気の所為かな?」

「へ……! い、いや……そんなことはないと思いますけど……」


 先輩の安眠を考えて最近は色々と寝具を購入しているは事実ですが、それをお姉ちゃんに話したことは今まで一度もありません。


 なのにどうしてお姉ちゃんが知っているのか……一気に緊張が駆け巡ります。


「あ、あの……そ、そう! ど、読書がね! 最近読みたい本が沢山あり過ぎて睡眠時間が削られてて……それでどうにか短時間で疲れの取れる寝具が無いかと……」

「ふーん……?」


 お姉ちゃんがやけに目を細めて私の方を見てきます。


 別になにも疚しいことはしていないのですが、お姉ちゃんがこういう表情をしている時は大体何かを訝しんでいる時です。


 初めて三国先輩にお会いしたあの日、私は高揚した気分で帰宅したのですが、その時もお姉ちゃんに非常に怪しまれました。


 男嫌い……ではないと思うのですが、とかく心配症でして、必要以上に変な人に引っ掛かっていないかと確認を取られるので、三国先輩のことに関しては誤魔化し続けるしかありません。


 先輩は悪い人じゃないですし、初めて家族以外で心の底から好きと思った人なので、本当は胸を張って紹介したいのですが……。


「なるほどねぇ……じゃあ今の寝心地はどういう感じなの?」

「えっ……そ、そこそこ悪くはないよ……短時間で睡眠が取れるかというと、まだ怪しいかもしれないですけど……」

「ほうほう……どれどれ――」


 私は言動に気をつけながら慎重に答えると、お姉ちゃんは私のベッドまで歩み寄り、そのままボスンとうつ伏せに倒れ込んだのでした。


「お、お姉ちゃん!?」

「うーん……確かに言われてみると私の布団より悪くないかもですなぁ……柔らかくて気持ちよくて、仄かにりんの香りもして――あ、ん……」

「ちょ、ちょっとやめてよ姉ちゃん……」


 もぞもぞと身体をくねらせ変な声をあげるお姉ちゃんに、恥ずかしくなった私は慌てて布団から引き剥がそうとしたのですが、突然動きがピタリと止まりました。


「え? お、お姉ちゃんどうしたの……?」

「……男の匂いがする」

「へぇっ!?」


 いきなり豊中先輩のようなことを言い出したので私は変な声を上げてしまいました。


 と、年上の人は皆匂いに敏感なのでしょうか……い、いやそれよりも……。


「そ、そんなこと……この布団私しか使ってないですよ……?」

「……いや、確実にオスの匂いがする、それもこれは悪い男の匂い」


「そ、そんな人じゃ――」

「そんな人……?」


 しまった――と気づいた時には遅く、既にお姉ちゃんの目は微かに光を失い始めていました。


 白状しますと、この布団は私だけが使用していたものではありません。


 実は今学校の書庫に設置してある布団の一つ前の、初代の先輩に何度か利用をして貰った布団を、そのまま家に持ち帰って使用していたのでした。


 理由は……せ、先輩の匂いを布団の中で感じて眠ることが出来るから……。


 先輩に包み込まれて眠れるような気がして、どんな布団よりも深く眠ることが出来るのです。


 お陰様で最近は本当に快眠……ただこれは非常に良くない状態です。


「りん……もしかしてお姉ちゃんにいやらしい隠し事とかしてないよね?」

「い、いやらしい隠し事はしてないけど……」


「じゃあいかがわしい?」

「いかがわしいこともしてないです!」


「本当に……? りんは良い子だから、やっぱり悪い男に騙されて……」

「そ、そうだとしても……お姉ちゃんには関係ないじゃん」


 お姉ちゃんに悪い気がないのは分かっていますし、私がはっきりしないせいで心配をかけているのも理解しているのですが。


 先輩を悪く言われたような気がして、つい私はムキになって反論してしまいました。


「グサッ!」

「ぐ、ぐさ……?」


 するとお姉ちゃんは突如を胸を押さえて謎の擬音を発し始めました。


「よよよ……りんがグレちゃったよう……まさかこんな日が来てしまうなんて……とても心苦しいけどもうお母さんに報告して今日は赤飯を炊くしか――」

「わわわわ! べ、別に怒ってない! 怒ってないですから! ただ、お姉ちゃんがあまりにも心配するから、私ももう高校生だし大丈夫だよって意味で――」


「……ほんと? ほんとうに怒ってない?」

「お、怒ってないよ、いつも優しいお姉ちゃんのこと、私も大好きですし」


「やーん! 私もりんのことちゅきちゅき~!」

「ちょ! ちょっとお姉ちゃんってば……」


 悲哀の表情から一転歓喜の表情に変わったお姉ちゃんは、私をひしっと抱きしめると自分の顔を私の頬にすりすりとくっつけて来ました。


 弱ったなぁと思う反面、私もお姉ちゃんを心配させたくない気持ちは勿論あります。


 ですが……こうなってしまうと、先輩を私のお家にご招待するなんて、夢のまた夢の話となってしまいそうです……。


 三国先輩と出会って、自分が少し好きになれて、見える世界も広がったように思えた今日このごろだったのですが――


「りんのことはこれからもお姉ちゃんが守ってあげるからね……」

「あ、ありがとう……?」



 どうやら私には、まだまだ見聞が足りていないようです。

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