第36話 欲張らず自分の歩幅で
「こ、これは少しやり過ぎてしまったでしょうか……」
私は今日も今日とて、誰もいない図書室のカウンターの奥にある書庫で布団についての研究を行っていました。
如何にして先輩が短時間で疲労回復出来るか、最近はサプリといったものまで調べつつ、先輩の目の下くまを消すことに躍起です。
先輩の食生活も気になる所ではあります……勿論普段はご両親が作っておられるでしょうから偏ってはいないと思いますが、快眠に繋がるような食事というのもあるみたいですし……。
「どうすれば先輩は気持ちよく眠って下さるのでしょう……?」
考えれば考える程目の前の光景が本当に正しいのか分からなくなります。
そもそもこの行動自体が先輩を恐縮させてしまって、先輩が眠れないなんてことになれば本末転倒ではあるのです。
「ですが……あの時私は強く誓いましたから……!」
どれだけ学生社会の頂点にいる人が先輩と仲良くなろうと、ファンでもある上尾先生が先輩を誘惑しようと、私は先輩を癒やす存在であろうと!
も、勿論先輩のことは好きですが、それは私が先輩に頼られるくらいになってからの話です……。
「でも……やはり待っているだけでは、いけないのかもしれません」
つぐ先輩も、豊中先輩も私では到底及ばない行動力があります、それもとても美人で――
もしかしたら、いずれ先輩は私の前からいなくなってしまうのでしょうか……。
「それは――元の鞘に戻るということ」
だとしたらあまり悲しみに暮れる必要もないように思えますが、しかし決して気分の良いものではありませんでした。
「自分の歩幅で一歩ずつ……ですが速歩きで――」
とはいえ、先輩が放課後の時間に来て下さったことは殆どありません、今日の所は準備だけ終えて、そろそろ業務に戻った方が賢明そうです――
「……先輩」
「川西?」
「ひゃうっ!?」
つい溢れてしまった言葉とほぼ同時に、私は背後からかけられた声に思わず身体をビクンと震わせ声を上げてしまいました。
「あ――わ、悪い……驚かせて……」
「い、いえそんな! 私の方こそボーっとしていて……」
「というか……何でそんな格好しているんだ川西」
「ひへっ!? あ、あああ……! こ、これは……そ、その――――お、お帰りなさいませ!」
「はい?」
私は想定外の連続のあたふたしてしまい、素っ頓狂な台詞を口にしてしまいました。
ただ、実はそれには理由があります。
恐らく先輩は来ないと思っていた私は、先輩の睡眠環境改善を試行錯誤する上で、自分自身も雰囲気を変えようとしていたのです。
その結果が――尽くす存在の代名詞、メイドというなるもの。
しかしどれがいいのか分からなかった私は、人気度の高いメイド服を購入したのですが、それは何だか妙に胸が強調されたものになってしまっていました。
流石に恥ずかしくてこれは不採用にしようしたのですが――それを紛らわす意味で睡眠環境を整えている内に先輩が来てしまったのでした。
「あ、あのあの……こ、これはメイド服というものでして……」
「それは知っているけども……」
「あ、あうあう……せ、先輩が快眠して頂く為には身なりもと思いまして……そ、それで……」
「な、成る程……?」
「で……ですけど、こ、こんなの駄目ですよね……へ、変ですもんね、メイド服にしては色々おかしいと言いますか……」
「んー……? いや、俺は率直に可愛らしいなと――」
「かっ!?」
「えっ!?」
か、可愛い……? わ、私みたいな地味で魅力もない私を、せ、先輩がか、可愛い……!?
思いがけない言葉に、声帯が信じられない程に締め付けられてしまい、うまく言葉が出てきません、か、かわかわ……。
真にメイド服は凄いものです……世の男性が癒やしになる服とは聞いていましたが、ここまで即効性があるなんて思いもしませんでした……。
「か、川西? 大丈夫か? 顔が大分赤くなってるけど」
「ひゃっ! だ、大丈夫です! これは高揚しているだけですから!」
「お、おう……ど、どういたしまして……?」
し、しかしこのまま興奮する気分に身を任せていてはいけません、折角先輩が可愛いと言ってくれたのですから――こ、これはチャンスです!
「せんぱ――ご、御主人様先輩!」
「んん……?」
「お、お布団の用意が出来ておりますので、どうぞお休み下さいませ!」
「お布団ってまさか……――いや、こ、これは……?」
先輩は私が準備した布団を見て一瞬複雑な顔をしましたが、しかし変化に気づいて下さったのか、ゆっくりと布団へと駆け寄っていきました。
「低反発マットレスに、低反発枕……だと?」
そうです、見た目は小さな変化ですが、私は以前の布団に低反発要素を付け加えたのでした。
トップアスリートも愛用する低反発素材は、身体の負担を軽減させ疲労回復に効果があり、遠征に持っていく人もいるくらいのものだそうです。
つまりこれで先輩の睡眠の質は大幅に改善すること間違いなしなのです……!
「しかも掛け布団の中身も羽毛に……いや、これ金額――」
「御主人様先輩、え、えっと……ご遠慮無くお休みくださいませ!」
「う、うむ……確かにここまでして貰って入らない訳にはいかないか――」
正直以前1回だけと話をしていたばかりなので、不安はあったのですが、先輩は小さく頷くと上履きを脱ぎ、布団の中へ入ってくれました。
「い、如何でしょうか……御主人様先輩」
「お、おお……これは……凄いな、家の布団よりも何倍も寝心地が良い……ちょっとこのままだと本当に寝落ちしてしまいそうだ……」
「よ、良かったです……! 子守唄と絵本もありますが如何致しましょうか?」
「赤ちゃん……?」
先輩が心地よさそうな表情を見せて、そう言ってくれたので一安心します。
やはり、先輩のお役に立てるととても嬉しいです……。
「――――そういえば、先輩はどうして今日来て下さったんですか?」
「ん……? ああそうそう、ちょっと帰るまでに時間が出来たからさ、川西に貰った小説の話をしに来ようと思ってたんだよ」
「……え?」
「何となく、この後嫌な予感もしてるしな……」
「……?」
なにか奇妙な台詞が最後に聞こえた気がしましたが、私は黙って話を聞きます。
「まあともかく、ここ最近ちょっと時間が無くて……折角貰ったのに読めていなかったから申し訳なかったんだが、丁度1冊読み終えたから熱冷めやらぬ内にと――川西?」
「…………」
先輩……それは狡いですよ。
このタイミングでそれは駄目です、休日を含めて3日お会い出来なかっただけで先輩に会いたいと思い始めてしまっている人にそんな事を言っては。
そんなことをされては、一層先輩と一緒にいたいと思ってしまいます、先輩が安心して眠れることが私の至上命題なのに、欲がでてしまうじゃないですか。
「……先輩」
「川西?」
「あの……先輩は図書室からいなくなったりしませんよね」
だから、私は抑えきれない気持ちを、少しだけ漏らしてしまいました。
しかしもし嫌な顔をされたらどうしようと、言ってから少し後悔し、やっぱり取り繕おうと思ったのですが――
先輩はいつもの優しい笑顔を見せてくれると。
「川西がここにいる限りは通わせて貰うよ」
そう、答えてくれるのでした。
それから私と先輩は、短い時間でしたがひとしきり小説のお話をしてから、また来て下さる約束をして別れました。
本当は先輩に少しでも眠って貰いたかったですし、小説だけでなく、ゲームのお話なんかもしたかったのですが――
これだけ頂いておきながら、まだ欲しがってしまってはバチが当たると思ったので、名残惜しさを覚えつつも、次の楽しみに取っておくことにしました。
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